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【BL】終わり  作者:
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3/5

雨の日の部屋

 朝から降り続く雨は勢いを弱めることもなく、空は一日中どんよりとした灰色を保っていた。海から離れた坂の上の墓地を歩いていた。潮の匂いが薄くなり、代わりに湿った土と木々の香りが墓地全体に立ち込めている。朝に母から「お墓参りでもしてきたら」と促され、何となく気乗りしないまま墓地へ向かった。普段の帰省なら墓参りなんてとっくに済ませているはずだった。祖父母の墓の手入れをし、帰路に着こうとするとふと目に見覚えのある人がいた。若松家之墓と書かれた墓の前で手を合わせる自分の母と同じくらいの年齢の女性だった。彼女もこちらに気づいたようだ。

「あら、かいちゃんじゃない」

颯斗(はやと)に手合わせて行ってあげてちょうだい」

 と気さくに声をかけられる。その言葉に応じ、手を合わせるが、心に浮かべる言葉は一つもなかった。

「ありがとうね、颯斗も喜んでるわ」

 会釈し、帰ろうとすると家に寄って行かないかと持ちかけられた。なぜか行きたいと思い、ついていくことにした。坂を少し下ったところにある住宅街の一角に、颯斗の家は何事もなかったようにあった。小さな二階建ての家は記憶とほとんど変わらなかった。外壁は少し色褪せているが、庭先の植木だけは手入れされているらしく、雨に濡れてもどこか生気があった。足は無意識に止まっていた。この家にこれ以上近づくことを体が拒んでいるようだった。八年前、ここから颯斗は学校へ行っていた。当たり前に笑って、当たり前に帰ってくるはずだった家。そんなことを考えながらぼーっと立ちすくんでいると、

「大丈夫?どうぞ入って」

 颯斗の母親が心配そうに声をかける。少し間を置いて頷いた。

「失礼します」

 玄関の戸を開けると、洗剤の匂いと、木の匂いと、少しだけ古い生活の気配がした。彼女に連れられて廊下を歩く。階段を上がる。二階の奥の扉の前で、足が止まる。

「ここよ」

 そう言って、重い扉を開く。扉の向こうに広がっていたのは、まるで時間そのものが置き去りにされた空間だった。高校二年の夏のまま。机の上には途中まで開かれた参考書が残されていて、今にも持ち主が戻ってきそうだった。壁には部活の集合写真。制服がハンガーに掛かったままになっている。そこに颯斗がいないことがおかしいと感じてしまう空間。

「そのまんまでしょう」

「颯斗が戻ってくるかもって思っちゃって、そんなことあるはずないのにね」

 何も言えない。喉の奥が詰まっている。少しの身動きも取れなかった。この部屋には未来が存在しなかった。あるのは途中で途切れた日常だけだった。

 机の上に、写真立てに目が留まる。写真の中では颯斗と自分が肩を並べて笑っていた。高校一年の夏、防波堤で撮られた一枚だった。何気なく撮られた一枚。颯斗が少しだけ私の肩に寄りかかっている。当時の二人にとって、その距離はあまりにも自然で、特別だと考えたことさえなかった。写真を見つめたまま動けなかった。今、それがもう戻らないことを痛感した。懐かしい、では足りない。いや、これは懐かしさではない。

 どうやって海岸までやってきたのかわからない。気づいたら来てしまっていた。いつのまにか颯斗が隣にいた。

海俐(かいり)

 颯斗が呼ぶ。

「ん」

「お前、顔やばい」

「……うるさい」

 雨は横殴りに降っていた。傘をさす気にならなかった。心配したのか颯斗は東屋に私を連れて行ってくれた。木造の屋根は古く、雨粒が規則的に板を叩いている。海の方から風が吹き込み、湿った空気が肌にまとわりつく。私を座らせ、隣で颯斗は柱にもたれている。沈黙が長い。

「海俐」

 颯斗が言う。さっきまで柱に預けていた体を私の方に傾け、話し始める。

「俺、こういう時間さ」

 颯斗は前よりも一層軽くなった体を私に預けたまま、小さく呟く。

「昔から好きだったんだよな」

 何も言えない。

「別に変な意味じゃないけど」

「……分かってる」

「分かってんのかよ」

 颯斗は笑う。けれどその笑いは、どこか乾いていた。雨音だけが遠くに残った。肺の奥まで空気が入ってこない。果てしない虚無感に襲われたようだった。いっこうに出てこない声の代わりに、私は気づけば颯斗の腕を強く掴んでいた。理由を考える余裕はなかった。ただ、この瞬間を終わらせたくなかった。現実から目を逸らしていたかった。颯斗が心配そうに見つめる。その目と視線があった瞬間、私の中にある衝動が芽生え、それを止める手立てもなかった。唇が重なる。短く、乱暴なものではない。だが、ひどく急いだものだった。颯斗の目がわずかに見開かれる。波音も風の音も消え、耳に残るのは自分たちの呼吸だけだった。どれくらいそうしていたのか分からない。離れた時、颯斗は少しだけ困ったように笑った。

 夜は深くなっていく。雨は弱まり、水を含んだ空気だけが重く残る。颯斗は海の方を見ていた。私はその横顔を見ていた。その時間が、妙に長く感じた。まるで終わりの前の沈黙のように。それでも二人は、何も話さなかった。何かが壊れる気がしたから。

 

その夜、夢を見た。海だった。梅雨の海は濁っていて、空と境目が分からない。その濁った水で、誰かが呼んでいる。

「海俐!」

 よく見ると颯斗がいた。沈んでいく。私は助けようと手を伸ばしている。

「行くな!」

 誰かの声がする。止められる。足が動かない。これ以上、颯斗ととの間は縮まらない。それどころかどんどんと離れていく。颯斗が笑みを浮かべながら、口が動いた気がした。次の瞬間、海が全部を飲み込んだ。

 はっと目を覚ました時には私の額には脂汗がじわりと滲んでいた。

読んでくださりありがとうございます

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