止まった時間
颯斗と再会してからというもの、私の日常は静かに少しずつ形を変え始めた。はじめの数日は夢の続きを見ているだけかもしれないと思い、疲れが見せた錯覚だと自分に言い聞かせることもできた。けれど、その都合のいい解釈を嘲笑うように、颯斗は毎日同じ場所に現れた。雨の日も、曇天の日も、雲の切れ間から日光が差し込む午後でさえ、颯斗は決まって海岸沿いの国道か街灯の下にいた。そして私を見つけると、まるで当たり前かのように気軽に手を上げるのだった。
「おう、海俐」
その声は昔と何ひとつ変わらず、拍子抜けするほど軽かった。まるで八年という空白が最初からなかったかのような自然さだった。初めは、この再会に言いようのない怖さを感じていた。手を伸ばせば壊れてしまうものに触れているような、あるいは本来なら触れてはならない記憶を掘り起こしているような感覚があった。颯斗は尋ねる。
「歩く?」
答えが「歩く」であることを当然のように知っている顔をしていた。自分の行動を先回りされているようで少し悔しい。それなのに、その勝手な確信に救われてもいた。気づけば二人は肩を並べ、昔と変わらない歩幅で海沿いを歩いていた。二人を包む潮風はいつも変わらない匂いがした。湿った潮と、どこか鉄のような匂い。高校生の頃と何も変わらない景色の中にいるようで、変わってしまったのは自分だけなように思えた。
商店街の肉屋でコロッケを買った日があった。昔と変わらない小さな店で、油の匂いが外まで漏れている。颯斗は迷わず二つ買った。
「一つずつな」
ベンチに座り、二人は海を眺めながら温かいコロッケを頬張った。海面は凪いでいて、青い空を静かに映していた。通りかかった小さな子どもが、二人をちらりと見てすぐに目を逸らした。その視線には特別な意味はない。その感覚に少しだけ違和感を覚える。自分の隣にいる颯斗に誰も気を止めない。名前も知らず、年齢も知らず、ただ「そこにいる若者」として視界の端を通り過ぎていくだけだった。自分だけが颯斗を認識できる。その差が、時々怖くなる。
「なあ」
颯斗がコロッケをかじりながら言う。
「ん」
「俺さ、こういう時間好きだったんだよな」
「こういうのって何だよ」
「何でもない時間」
颯斗はそう言って、少しだけ目を細めた。その横顔に、言葉を失う。ときどき颯斗はそういうことを言った。何気ない一言の中に、妙に引っかかるものを混ぜてくる。
「今も好きなんじゃないのか」
そう返すと、颯斗は少しだけ間を置いたあと笑った。
「どうだろうな」
その笑い方は、いつもより少しだけ静かだった。
その日の夜になって、空は再び雨を落とし始めた。海岸沿いには人影はほとんどなく、聞こえるのは雨音と波音ばかりだった。街灯だけが等間隔に灯り、濡れたアスファルトを淡く照らしている。二人は互いの肩が当たりそうなほど身を寄せがら傘に入っていた。颯斗は雨が降っていてもなぜか傘をささない。もう気にしなくなっていた。
「寒くないのか」
颯斗はいつも夏の制服姿だった。
「別に」
「強がりかよ」
「違うし」
そう言いながら、颯斗は何気なく海俐の肩に頭を乗せた。ほんの一瞬のことだった。重さはほとんど感じない。けれど確かにそこに触れている。
「お前さ」
「ん?」
「昔からそういう距離感だよな」
「どういう」
「近い」
颯斗は少しだけ考えて、それから口元を緩めた。
「嫌か?」
「別に」
「じゃあいいだろ」
妙に気恥ずかしくなって、無言で海を見つめた。
夜の帰り道を二人で歩いた。街灯が少ない道だった。海から少し離れた住宅街。雨はすでに上がっているが、空気は湿っていて、地面がまだ濡れている。手に颯斗の手が当たり、指が絡んできた。驚きはあったが、ほんの一瞬で消えた。振り払う理由を探して、結局一つも見つからなかった。そのまま歩く。何事もなかったように。その夜、二人はしばらく手を離さなかった。
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