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少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~  作者: 宮野夏樹
第6章 無垢の地獄(イノセント・ヘル) ~高貴なる務め、善意が死刑台になる~

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第3話 純白の選別


 サンクチュアリの朝は、いつもあまりに穏やかだ。山から流れる風はやわらかく、教会の鐘は遠く、祈るように響く。白い石畳の通りには、子供たちの無邪気な笑い声が満ちていた。


 ここには争いがない。怒号も、暴力も、飢えも。少なくとも───エトワール・ド・ヴァロワの目には、そのように映っていた。


「おはようございます、エトワール様!」


 小さな、鈴を転がすような声。振り向くと、一人の少年が駆けてくるのが見えた。


 栗色の髪に、陽光を跳ね返すような瞳。ニコ。このサンクチュアリで最初にエトワールに拾われ、王女の手から直接「施し」を受けた孤児だ。


「おはよう、ニコ。今日も元気そうで何よりだわ」


 エトワールは膝を折り、少年と目線を合わせる。彼女の指先が、少年の頭を優しく撫でた。その仕草は、本の中で読んだ慈愛の聖母そのものだ。


「ボク、昨日パン配りを手伝ったんだよ。エトワール様みたいに、みんなに幸せを届けたくて」

「まあ。それは立派な務め(ノブリス)ね」


 エトワールの瞳が、誇らしげにやわらぐ。


「ここは、汚れのない人たちのための家だもの。あなたがそうやって助け合ってくれることが、わたくしの何よりの喜びよ」

「うん!  ボク、頑張るよ」


 ニコは照れくさそうに笑い、それから、ほんの一瞬だけ。エトワールの背後に立つ、鉄色の瞳の従者へ視線を送った。ジークは表情を変えず、微かに顎を引く。それだけで、十分だった。




 その夜、サンクチュアリの片隅にある酒場は、澱のような熱気に包まれていた。一人の大人が、酒瓶をテーブルに叩きつける。


「ふざけやがって!  ガキばかり優遇しやがってよ!  仕事は減るし、あいつらが盗みやがった俺の稼ぎを、あの病弱王女は『分かち合いましょう』だと?  笑わせるな!」


 周囲の客が、怯えたように顔を背ける。男の不満は止まらない。


「どうせあのアマは何も知らねえんだ。温室で本ばかり読んでるから、世の中の仕組みが……」


 男の言葉は、そこで途絶えた。背後に、音もなく巨大な影が立っていた。


「───その通りです」


 地獄の底から響くような、低い声。男が絶望と共に振り返ると、そこにはジークが立っていた。月の光を吸い込んだような、冷たい刃を握って。


「お嬢様は、何も知りません。知識はすべて本の中にあり、この地は彼女の理想郷であるべきなのです」

「……ま、待て、ジーク!  俺はただ……」

「お嬢様に、現実よごれを見せるわけにはいかない」


 ───一閃。


 男の声は、溢れ出した鮮血と共に虚空へと消えた。ジークは感情の欠片もない手つきで、石畳に咲いた不浄を清掃していく。


 今夜もまた、「不適切な大人」が一人、旅立ちを強制された。




 翌朝。エトワールは窓辺で紅茶を嗜んでいた。


「ジーク。昨日の夜、広場の方で小さな火が見えた気がしたのだけれど」


 彼女は遠く、昨夜「処分」が行われたあたりを見つめる。


「お祭りかしら?  子供たちが、焚き火を囲んで歌っていたのかしら」


 ジークは、エトワールのカップに紅茶を注ぎ足しながら、穏やかに答えた。


「ええ。不要なものを燃やし、新しい季節を迎えるための儀式でございます。子供たちも、とても喜んでおりました」

「それは素敵。わたくしも、今度は混ぜていただきたいわ」


 エトワールは満足そうに微笑み、祈るように目を閉じた。


「この場所が、みんなにとって苦しみのない、幸せな場所になりますように」


 その願いは、確かに叶えられていた。大人たちが一人、また一人と消え去り、あとには王女を盲信する子供たちだけが残る世界。




 路地裏では、ニコが年下の子供たちを集めていた。


「ねえニコ、またおじさんがいなくなったの?」


 小さな女の子の問いに、ニコは優しく微笑んで答える。


「うん。あのおじさんは、エトワール様を悲しませようとしたから。だから、ジークさんが『旅路』を整えてくれたんだ」


 子供たちは一斉に頷く。


「じゃあ、仕方ないね」

「エトワール様は、ボクたちを守ってくれるんだもん」


 ニコは空を見上げた。どこまでも青く、汚れのない空。彼らにとって、エトワールの「善意」を汚す大人は、排除されるべき害獣に過ぎない。


「ボクたちが、エトワール様の夢を守らないとね」

 

 エトワールは知らない。自分の歩く後ろで、世界が静かに、そして凄惨に削り取られていることを。


 彼女が慈悲をかけるほどに、自治区から「人間」が消え、「飼い慣らされた雛」だけが残っていくことを。無垢な地獄の歯車は、子供たちの歓声を潤滑油にして、いよいよ加速していく。

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