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少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~  作者: 宮野夏樹
第6章 無垢の地獄(イノセント・ヘル) ~高貴なる務め、善意が死刑台になる~

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第2話 贈り物と決別


 雪の夜だった。王都の離宮は、冬の静寂に塗り潰されている。広大な庭園の白さは月光に照らされて淡く輝き、まるですべての生命が息を止めているかのようだった。


 その静寂を侵す足音は、一つだけ。ジークは屋根の影から滑り降り、窓の格子を無音で外した。


 王家直属の暗殺集団───『からす』。その中でも、彼は最も無慈悲で成功率の高い処刑人として、影の世界に君臨していた。任務は単純。


 王女エトワール・ド・ヴァロワの殺害。王家に不要と判断された「病弱な余剰分」の清算。ジークは剣を引き抜く。


(抵抗は皆無。速やかに終わらせる)


 窓の向こう、寝室の灯りはまだ灯っていた。彼は夜気に紛れ、室内へと滑り込む。


 暖炉の火が爆ぜ、爆ぜる。寝台には誰もいなかった。代わりに、窓辺の椅子に一人の少女が座っていた。膝の上に広げられているのは、古びた義賊の冒険譚だ。


 金色の髪。

 透き通るような肌。


 そして───何色にも染まっていない、空虚な瞳。エトワールは顔を上げた。そこに立つ、死の匂いを纏った男を見つける。悲鳴はない。逃走の素振りさえない。彼女はただ、愛読書の一節を確認するように、静かに首を傾げた。


「……まあ」


 不思議そうに、そしてどこか待ち侘びていたような声。


「あなたが、来てくださったのね」


 ジークは剣を向けた。距離は三歩。一踏みで絶命させられる間合い。


「動くな」


 低く、事務的な宣告。


「……殺す。王命だ」


 エトワールは一瞬だけ目を瞬かせ、それから、花が開くように柔らかく微笑んだ。


「そう」


 彼女は立ち上がる。一歩、また一歩。死そのものである刃に向かって、躊躇いなく歩み寄る。ジークの剣先が、彼女の薄い胸元を捉えた。


「お父様とお母様が、あなたを寄越したのね」


 その声には、恐怖の一滴も混じっていない。


「わたくしを……自由にしてくださるのね」


 ジークの眉がわずかに動く。


「……何を言っている」

「ずっと、本を読んで考えていたの」


 エトワールは剣の前に立ち、夢想するように言った。


義賊()の物語の中のヒーローは、いつも自分の命を捧げて世界を救うわ。高貴な生まれの者には、相応の果たすべき『務め』がある……。わたくしには何ができるかしらって、ずっと」


 彼女は窓の外、凍てつく雪を見つめる。


「身体は弱く、外にも出られないわたくしの死が、王国の重荷を取り除くことになるのなら……」


 ジークを見つめる。その瞳は、一点の曇りもなく彼を肯定していた。


「これは贈り物なのね。わたくしに与えられた、最後で最高のご公務ノブリス・オブリージュ


 そして。───エトワールは剥き出しの刃を無視して、ジークを優しく抱きしめた。その瞬間、世界から音が消えた。

 

 ジークは硬直した。殺すはずの対象に、抱きしめられている。


 今まで浴びてきたのは、断末魔の叫び、呪詛、命乞いだけだった。感謝など、この世のどこを探しても存在しないはずだった。


「ありがとう」


 耳元で、鈴を転がすような声が響く。


「あなたは、とても慈悲深い騎士様なのね」


 カラン、と乾いた音を立てて剣が落ちた。鉄の心臓が、初めて「恐怖」ではない衝撃で脈打つ。彼女の細い腕、驚くほど軽い身体。その「無垢な狂気」に、ジークの魂は一瞬で塗り潰された。───その時だった。


 窓を突き破り、数条の黒い影が室内に踊り込んだ。


「……ジーク、手間取っているな」


 暗殺集団『鴉』の処分部隊。ジークが仕損じた際の保険であり、目撃者を一人も残さないための掃除人たち。


「王女を殺せ。ジーク、貴様もだ。情を移した処刑人に用はない」


 エトワールはジークの腕の中で、不思議そうに侵入者たちを見つめた。


「……まあ。騎士様のお友達?」


 ジークの中で、何かが音を立てて決壊した。


「───いいえ、お嬢様」


 ジークは床の剣を蹴り上げ、逆手に取る。

 

「あれは、お嬢様の視界に入ってはならない『不浄』です」


 次の瞬間、部屋は鮮血の花畑へと変わった。




 ジークの動きは、先ほどまでの「暗殺者」のそれではない。獲物を屠るためではなく、背後の「無垢」に返り血一滴すら浴びせないための、執拗で過剰な殲滅。


 一人目の喉を裂き、二人目の心臓を貫く。最後の一人の首を跳ね飛ばしたとき、ジークの黒装束は重く濡れ、鉄の匂いが部屋中に充満していた。


 だが、エトワールは動じなかった。彼女の愛読書の中では、義賊は常に悪を討ち果たすものだったから。


「まあ、大変」


 死体の山を見回し、彼女はジークの頬についた血を、白い指先でそっと拭った。


「あなた、お怪我はない?」


 ジークは血だまりの中に膝をついた。かつて王に捧げた忠誠を、今、この脆弱で美しい怪物へと捧げ直すために。


「お嬢様。この命、そしてこの刃。すべてをあなたに」


 エトワールは困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。


「まあ。わたくしに命を捧げるなんて、必要ないのよ?」

「必要です」


 ジークは顔を上げない。その瞳には、暗殺者の虚無ではなく、狂信者の光が宿っていた。


「あなたの歩む道に、汚れなど必要ありません。不浄はすべて、私が旅立たせます」


 エトワールはしばらく考え、それから、物語の結末をなぞるように頷いた。


「……そう。それが、あなたの『務め』なのね」

「はい。お嬢様」


 この夜、暗殺集団『鴉』は文字通り全滅した。震え上がる国王夫妻から「自治区」という名の領地を奪い取り、ジークはエトワールを連れ出した。




 世界の片隅に………。王女の善意を燃料にし、従者の虐殺を動力とする、あまりに清らかな『地獄』が生まれた。

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