96.変化したこと
ひんやりと冷え込むことが増えてきた秋のある夜。
書類をかかえて回廊を一人で歩き、目的の場所へたどり着くと数回、ドアをノックして名乗る。
「アリシアです。書類を持ってきたのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
「入ってくれ」
ドア越しから返事が聞こえ、ドアノブを回転して入室する。
執務室にはシルヴェスター様のみで、執務机には少ないものの書類がある。
「こちらの書類、終わったのでご確認いただけますか?」
「分かった、見せてくれ」
そう言って持ってきた書類──報告書を渡すと、シルヴェスター様が確認して捲っていく。
シルヴェスター様が見ているのは任された主産業の絹織物に関する報告書で、確認し終わるのを待ちながらここ一ヵ月について思い出す。
今までも数回、シルヴェスター様の執務室に入ったことがあるけど、ここ最近は訪れる頻度が多い。
訪れて話す内容は領地に関することで仕事のやり取りばかりだけど、嫁いだ頃は近付くことないと思っていたから不思議な気分になる。
公爵家に来てから一年と少し。その間に一言では表せないくらい様々なことがあったけど、少しずつ、色々なことが変わってきているのが実感する。
それこそ、公爵家に来た当初は領主の仕事を一端とはいえ、担うことができるなんて思ってもいなかった。
当主教育を長らく受けてきたけど、実家ではそれを活用する機会が少なかった。だから、公爵家で学んだことを活用することができて嬉しくなる。
感慨深くなっていると、深い、深海のような青い瞳が報告書から離れてこちらを見る。
「大丈夫だ、問題ない」
「本当ですか? それならよかったです」
大丈夫だと言われてほっとする。執務室を訪れる前に事前に確認はしたけど、シルヴェスター様から問題ないと判断してもらって一安心する。
「ありがとう、仕事が早くて助かる」
「そんな、資料のおかげです。記録も多くて助かりました」
感謝の言葉を口にするシルヴェスター様に首を振る。
報告書を読み解くのに資料や記録が大きく手助けしてくれた。資料がなければ時間がかかっていたと思う。
「だとしてもだ。……絹の生産量が夏より上がっているな」
「はい、持ち直したようで何よりです」
シルヴェスター様が再び報告書に目を向けて紡ぎ、私も同意する。
ランドベル公爵家の主力産業である絹産業だ。
そして、この夏は例年より生産量が減少していたけど、秋は昨年の秋と同等の生産量に回復していてよかった。
「五年前の記録では夏に生産量が減少し、そのまま秋も例年の時期より三割減になっていましたね。気温などが関係しているのでしょうか」
「否定はできないな。北部の夏は基本的に涼しい気候だが稀に暑くなる時がある。もちろん、対策はしているが相手が自然だから限度があるな」
淡々とシルヴェスター様が語る。確かに自然相手に対策を取るのは限度があるから難しい話だ。私の故郷も果物の生産を主力産業にしていたから度々猛暑や洪水などで悩んだものだ。
「とはいえ、需要と供給の均衡が崩れないのなら一安心だ」
「そうですね。これなら市場に大きく影響を与えないかと」
安堵したようにシルヴェスター様が話す。
去年より生産量が減少したけど著しく減少したわけではない。だから問題ないだろう。
そんな風に需要について考えていると、ふと、少し前に聞いた話を思い出す。
「そういえば、最近は令嬢たちを中心に裁縫が人気になっているようです。春に行われた狩猟大会がきっかけで人気を博しているようです」
「言い伝えの影響か?」
「おそらくは。六年ぶりの開催でしたからね」
呟くシルヴェスター様にこくりと頷く。
六年ぶりに開催された狩猟大会。そこで家族に婚約者、そして配偶者に手作りのハンカチを贈ると怪我をせずに戻ってくるという古い言い伝えがあって多くの女性が贈っていた。
そのせいか、最近は若い女性の間で裁縫が人気を博しているとシャーリーと商会を持つカティアから聞いた。
「裁縫なら生地と糸だな。販路を広げてみるのも一つの手か」
「刺繍糸の色を増やすのも如何でしょう? 生地の色との組み合わせを考える必要がありますから刺繍糸の種類を増やすのもいいかもしれません」
「色を増やす、か。染色は職人の加工技術に左右されるからな。一度、職人たちに可能か相談してみよう」
「はい。あとは──」
その後もシルヴェスター様と生地や刺繍糸についてお互いに意見や考えを擦り合わせる。
そして話し合いをすると、詳細は領地にいるヨハネス様にも相談して考えようと話を纏める。
「他に何かできることはありますか?」
「いいや、あとは机にある書類だけ片付けたら終わりだ」
そう言うとシルヴェスター様が執務机に並んだ数枚の書類に目を向ける。明日は王宮の方の仕事は休みだから一日あれば終わるはずだ。
「そうですか」
「ああ。──アリシアが手伝ってくれたおかげだ、助かった」
表情を和らげ、柔らかい声で再び感謝される。
出会った頃のシルヴェスター様は、表情がぴくりとも動かない正に氷のような人だった。
だけど、一緒に生活していくうちに変わっていき──柔らかい声を聞く度に胸がじんわりと温かくなる。
「……お役に立てたのなら何よりです」
嬉しくて私もつられて口許を緩めて微笑む。シルヴェスター様の仕事量を把握しているレナルドから多忙を極めていると聞いたから申し出たけど、力になれたのならよかった。
「それでは領地行きは予定通りに明後日で?」
「ああ、予定通りに出発するつもりだ」
出発について尋ねるとシルヴェスター様が肯定する。
この一ヵ月、お互いに領地へ行く準備をしながらそれぞれの仕事を捌いていた。
そして片付けているうちに領地へ向かう日が近付き、二日後に出発する予定だ。
「今回は去年とは違う道を使うから安心してほしい」
「分かりました」
頷きながらランドベル領を頭に浮かべる。今年は平和な旅程になればと願う。
そして領地に思いを馳せながら──予定通り、ランドベル領へと向かった。




