93.決意
歩いていると屋敷の方から走る音が聞こえる。
公爵家に嫁いで以来、慌ただしい様子を見たのは片手で数える程度だ。
何が起きたのだろうと振り返ると──侍女のメラニーとラウラが視界に映る。
「奥様、急ぎ屋敷へお戻りください!」
「そうです! 外は危ないです!」
慌てた様子で叫ぶ二人の声に目を瞬かせる。
どうしてだろう。外へ出てはいけないというけれど、ここは──。
「でも、ここは屋敷の庭よ?」
「無理をしてはいけません、まだお休みになってください!」
現在地を口にするも、すぐにメラニーに切り返されて屋敷の方へ誘導される。心配性だと思う。
「大丈夫なのに」
「あんなことがあった直後なのですよ。今はごゆっくりとしてください。エストも同じこと言いますよ」
「お願いします、奥様」
「……分かったわ」
二人に頼まれて頷き、屋敷に向かって歩き出す。我儘を言って二人を心配かけたくない。
──あの謎の襲撃事件から数日が経過した。
怪我はしていないけれど極度の緊張状態だったのか、馬車で眠ってしまうとそのまま翌朝まで眠ってしまった。
そのせいか怪我はないと分かっていても屋敷の中はどこかピリピリしていて、メラニーたちはやや心配気味になっている。
ちなみに私の専属侍女であるエストは公爵家の騎士たちの鍛練に混じって今は側にいない。あんな事件があったからか、改めて腕が鈍っていないかの確認で騎士たちと模擬戦をしているようだ。本職の騎士と張り合えるエストがすごいと思う。
「リカルド様は今夜訪れるのよね?」
「そうなっております。なので本日は旦那様も早く帰られるかと」
「そう……」
早めに帰ってくると言われて鼓動が一瞬、跳ねる。
シルヴェスター様とはここ数日は顔を見るくらいで、食事を一緒にする時間も、会話をする時間はなかったと言っていい。
理由は分かっている。ただでさえ領主の仕事に外交官の仕事がある中で起きた此度の事件。首謀者を調べて忙しい様子が感じられる。
それでも、僅かな時間でも顔を合わせると私の体調を案じて聞いてくれて、そんな優しさにくすぐったくなる。
「図書室にでも行って何か興味深い本があるか探してみるわ」
「いいですね。参りましょう」
そして賛同するメラニーに頷いて、図書室へ向かった。
***
夜、シルヴェスター様がリカルド様と一緒に帰宅してきた。
「おかえりなさいませ、シルヴェスター様。そしてようこそいらっしゃいました、リカルド様」
「義姉上」
鍛練を終えて私の元へ戻ってきたエストを後ろに連れて挨拶すると、リカルド様がこちらへ近付いてくる。その青い瞳は心配の感情が宿っているのが分かる。
「出迎えてくれるのは嬉しいけど……もう平気なの?」
「怪我はしていないので。リカルド様こそ、お忙しいのに本日はありがとうございます」
心配するリカルド様に感謝の言葉を紡ぐ。
今日、リカルド様が公爵邸へ訪れたのは先日の襲撃事件の途中経過を伝えるためだ。
「気にしないで。僕も今回の件、腹が立っているんだ」
「リカルド様……」
青い瞳を細めて低い声になる。会う時はいつも明るくて元気な声ばかり聞いていたけど、低い声はシルヴェスター様と似ていて、兄弟だと改めて感じさせる。
「リカルド、ここにいつまでもいても仕方ない。移動しよう」
「あ、うん」
シルヴェスター様が声をかけると元通りに戻って返事する。確かに屋敷の玄関口であるエントランスホールで話す内容じゃない。ゆっくりと話せる場所に移動しよう。
そしてリビングへ移動するとエストがお茶を淹れると早速リカルド様が口に含む。
「やっぱりエストのお茶はおいしいね」
「ありがとうございます。旦那様、奥様、熱いのでお気を付けください」
「ああ」
「分かったわ」
頷いて私も飲む。うん、熱いけどおいしい。
全員分のお茶を淹れ終わると端へ控え、喉を潤したリカルド様が話し始める。
「まだ社交シーズンの時期だけど、義姉上は夜会にもう出ない感じ?」
「はい。……参加予定のお茶会も断りの手紙を書きました。参加するとしたら、陛下主催の夜会にシルヴェスター様と一緒に行くくらいでしょうか」
「……うん、その方がいいだろうね」
問いかけに答えるとリカルド様も深く首を縦に振って同意する。
お茶会をメインに社交をしていたけど、あの事件から外へ出るのは控えようと参加予定のお茶会の主催者たちに断りの手紙を書いた。……今は、屋敷にいる方が心が安らぐ。
断りの手紙と同時に、両親に自分の身に起きたことを記して気を付けてほしいと伝えた。国王派の有力者である宰相閣下を支える父には敵も多い。気を付けるに越したことはない。
「それでリカルド、捜査はどうなっている?」
ここ数日について思い出していると、隣にいるシルヴェスター様が向かいにいるリカルド様に淡々と問いかける。
「僕は憲兵隊所属じゃないから直接捜査に参加できないけど……ハイノからの報告では依頼人は未だ明らかになってないよ。髪は焦げ茶だったと言っているみたいだけど、焦げ茶色の髪なんてよくある色だからね」
眉を下げながらリカルド様が語る。確かに焦げ茶髪はどこにでもある色だ。それだけで犯人を特定するのは至難の業だ。
「他に情報はないのか?」
「顔は外套で隠していたみたい。依頼も、令嬢本人じゃなくて使用人が命じられて動いている可能性があるね」
「……警戒しているのか情報が少ないな。その髪色も染めている可能性があるな」
「考えたくないけど、あり得るね」
シルヴェスター様の指摘にリカルド様が疲れた声で同意する。……私に恨みがある人物。
脳裏に浮かぶのはクラーラ様だけど、他にもシルヴェスター様を慕っていた令嬢はたくさんいる。……そう考えると、犯人を絞るのが難しくなる。
「兄上の方は? 公爵家の方でも調べてるんでしょう?」
「……調べているが、慎重なのか中々突き止められないのが現状だ」
シルヴェスター様が厳しい顔で告げる。……憲兵隊はもちろん、ランドベル公爵家でも特定できないなんて。それだけ、追跡に対して慎重だということだ。
「ハイノたちも捜査は続けるみたいだけどどうなるか……。だから義姉上も気を付けて」
「はい」
忠告するリカルド様に頷く。……もし、お茶会を開くとしてもランドベル公爵家の敷地で、親しい友人のみに留めた方がいいだろう。
「でもディーターたちから義姉上に会ったって聞いた時はびっくりしたよ」
「私も驚きました。士官学校の同級生だったのですね」
「うん。ハイノは真面目でいつも勉強を見てもらっていたんだ。ディーターとはよくヤンチャして教官に怒られてたなぁ」
リカルド様が話題を変えて空気を変えて懐かしそうに笑う。その屈託のない笑みから本当にハイノさんたちと親しかったのが窺える。
「二人は平民出身の士官だから政争にも距離を取っているから安心していいよ」
「そうなのですね」
話を聞いてほっとする。リカルド様と親しいくらいだから国王派と意識は近いと思っていたけど、改めて告げられると安心する。
言葉を返すとリカルド様がこちらを見る。
「エストがいても怖かったよね。本当にもう大丈夫?」
「はい。ゆっくりと休息できたので」
「でも馬車で眠った義姉上を兄上が運んだって聞いたよ。だから無理はダメだよ」
「……そ、うですね」
意識を失ったことを言われて肩を揺らし、言葉を詰まらせる。
同時に、馬車で眠ってしまったことを思い出す。
本当は眠るつもりはなかった。屋敷に帰ったら、今回の事件について調べないといけないと思っていたから。
なのに、駐屯所へ駆け付けてくれたシルヴェスター様を見て安心してしまった。
そして、意識を失った私を部屋まで運んでくれたのはシルヴェスター様だとエストから聞いた。
「っ……」
「アリシア?」
隣にいるシルヴェスター様に名前を呼ばれて反射的にそちらを見る。
青い瞳と目が合い、頬に熱が集まるのが感じる。
あれから数日。シルヴェスター様は忙しそうで、まともに顔を合わせることなかった。
だからだろうか。久しぶりに顔を合わせ、運ばれたという事実に恥ずかしくなる。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
「……本当か?」
再度問いかけながら、深い、深海のような青い瞳を細める。まるで、私が不調を隠していないか見極めるように。だから安心させるために頷く。
「本当です」
「……ならいいが。リカルド様の言う通り、無理はしないでくれ」
「……分かりました」
小さく溜め息を零しながらも、それでも私のことを案じて言葉をかけてくれる。……もう、二度とシルヴェスター様に運んでもらうという失態をしない。
頬に未だ熱が残っているのを感じながら、そう決意した。




