五
冷たい風が唸りを上げて吹き荒れていた。
崔凱は袍の丸襟をきつく引き寄せ、青石板の道を歩いて、城内の南西の隅にある薬屋の前まで来た。
門框には黒地に金文字の看板が掛かっている。
そこには、
「王継先医薬館」
と刻まれていた。
「小宝、店先で突っ立って何してるんだい?」
王継先の妻――つまり、崔凱にとって名目上の叔母が声をかけた。
「中に入って火に当たりなさい」
王継先は低い腰掛けに足を広げて座っていた。
目の前には炭火を入れた火鉢があり、橙色の炎が、ときおり彼の擦り合わせた両手を舐めるように揺れている。
王継先は崔凱に軽く頷いた。
崔凱はその隣にぴったりと腰を下ろした。
「叔母さん、最近、店の景気はどう?」
崔凱が尋ねる。
「午前中は客が多くて、てんてこ舞い。午後になると、あまり人が来ないね。それより、お前の義父さんは元気かい?」
「来月五日に解試が始まるんだ。義父さんは私塾の仕事を辞めて、一日中家で勉強してる。解試に受かれば挙人になって、省試を受ける資格も得られるから、本人はずっと受け続けるつもりみたい」
「秦先生は学問のある方だからね」
叔母が言った。
「きっと受かるよ」
王継先が「ふん、ふん」と二度鼻を鳴らした。
「俺たちと比べれば、そりゃ大した学問だ。だが、ほかの読書人と比べたらどうだ? 山の外にはさらに山があり、人の上にはさらに人がいるんだぞ!」
「お前が受かるって言ったからって、本当に受かるとは限らんだろ」
「王継先、秦桧は何と言っても小宝の義父なんだよ。親戚みたいなものじゃないか。あの人が功名を取ったら、私たちだって少しは恩恵にあずかれるだろ?」
「奴が功名を取れるかどうかなんて、俺が決められることかよ!」
王継先は鼻を鳴らした。
「科挙なんて、何千何万の人間が一本の丸木橋に押し寄せるようなものだ。秦桧自身の運次第だし、秦家の先祖が陰徳を積んでるかどうかにもよる」
――俺には、こんな二人の世間話に付き合っている暇はない。
崔凱は火鉢のそばから離れた。
下半身に、たちまち冷気が這い上がってきた。
「叔母さん、叔父さん」
崔凱は言った。
「岳飛が重病なんだ。もうベッドから起き上がる力もない」
「俺は前から言ってただろ。お前が出した処方なんて、まったくの無駄だって」
王継先は崔凱を睨んだ。
「岳飛のあの病に四君子湯なんか飲ませて、何になる?」
岳飛に飲ませていた薬は、確かに崔凱が処方したものだった。
彼が中医学の授業を受けたのは、大学一年の一年間だけである。
王継先は薬棚の前まで歩いていき、黄麻紙を一枚引っ張り出すと、筆を走らせた。
そして、その紙を崔凱に渡した。
「紫河車を君薬にするのは、珍しいね」
崔凱が言った。
「岳飛の病気はな、ほかでもない。肉を食ってないからだ」
王継先が答えた。
崔凱は黄紙に包まれて膨らんだ紫河車を二包、手に提げ、急いで岳飛の家へ向かった。
茅葺きの小屋から、口論する声が聞こえてくる。
何やらひどく騒がしい。
岳飛は棕櫚の葉で作った蓑を身にまとい、土炕の縁に座っていた。
唇は青白く、絶えず息を切らしている。
岳飛の母親は土炕の上で両脚を縮め、横向きに寝ていた。身体には、光沢のある黒ずんだ麻布の掛け布団がかかっている。
表情は淡々としていて、目の前の騒ぎなど自分には関係ないとでもいうようだった。
灰色の絹の長衣を着た中年男が三人、土炕を取り囲んで、口々にわめいている。
そのうち二人は、灰白色の麦粒でいっぱいになった米斗を一つ、二人がかりで持ち上げている。
残る一人は、手ぶらで立っていた。
「高地主さん、あと何日か待ってください!」
岳飛が懇願した。
「今の俺の姿を見てください。こんな状態で、どこに働きに行く力がありますか? 家にあるこの麦は、俺と母さんに残された最後の食料なんです。全部持っていかれたら、俺たちは何を食べればいいんです?」
「人を殺せば命で償い、借りたものは返す。それが世の道理だ」
高地主は冷たく言った。
「お前にそう言われると、まるで俺が極悪人で、お前とお袋を追い詰めて死なせようとしているみたいじゃないか。俺がこの十斤の麦を惜しんでいるとでも思ってるのか?」
「高地主さんは、この村じゃ誰もが知っている大善人じゃありませんか!」
岳飛は顔いっぱいに愛想笑いを浮かべた。
「高大善人様、どうか慈悲をかけてください。俺と母さんが生きていけるだけの食料を少し残してください。身体が良くなって金を稼げるようになったら、十斤の麦、一粒残らず返します」
「岳飛が借りてる麦はいくらだ?」
崔凱が言った。
「俺が代わりに返す!」
そう言って袖から半両の銀を取り出し、土炕の上に叩きつけた。
「この銀で十斤の麦は買えるだろ?」
「買えることは買える」
高地主は崔凱をじろじろと眺めた。
「だが、こいつは俺に二年分の地代も滞納している。合わせて四両銀だ。そっちはどうやって返す?」
「これが四両だ。持っていけ」
崔凱はさらに袖袋から四粒の碎銀を取り出し、高地主に渡した。
「お前、秦先生の弟子だろ?」
高地主は笑顔を浮かべた。
「俺はお前を知ってる。読書人じゃないか。読書人が、どうして農民なんかとつるんでるんだ?」
「これが借用証文だ。大事に持っておけ」
「高地主さん、本当に大善人ですね」
岳飛が言った。
「これから俺が寺へ行って菩薩様を拝むときは、必ずあなたのために長寿を願う線香を一本焚きます」
高員外は隣にいる二人へ目配せした。
二人は力を合わせ、米斗をひっくり返した。
麦粒がざらざらとこぼれ落ちる。
三人は相次いで岳飛の家を出ていった。
韋小宝は袖口の端をつまみ、袖を使って土炕の上に散らばった麦粒を筲箕へ掃き入れた。
それを壁際に置かれた、縁の欠けた陶製の麦甕へ流し込む。
「儲かったな」
岳飛が弱々しく笑った。
「何が儲かったんだ?」
崔凱が尋ねる。
「麦が十四斤もある。俺と母さんが、しばらく食べていける」
「高地主は十斤の麦だって言ってたぞ」
「そんなの、あいつの屁だ!」
岳飛が罵った。
「こういう悪徳地主は、農民をいじめることだけは得意なんだ」
「俺があいつの家から十斤の麦を借りたとするだろ。あいつが帳簿に記録するのは十斤じゃない。一米斗なんだ」
「そして取り立てるときも米斗一杯分で返せと言う。ところが、そのとき使う米斗は、貸したときの米斗より一回り大きい!」
「少なくとも三、四斤は余計に入るんだ。腹が立つだろ?」
「地主ってのは、どうやって地主になったと思ってるんだ?」
崔凱は紫河車の包みを二つ持ち上げた。
「これ、新しい薬だ。叔父さんがお前のために処方した。飲んでみろ」
「小宝、お前は運がいいよな」
岳飛は言った。
「お前には可愛がってくれる義父さんがいて、医者をやってる叔父さんまでいる」
「俺はどうだ?」
「この世で頼れる人間なんて誰もいない。畑で働いて、やっと暮らしている」
「真面目に一生懸命働いているのに、どうして暮らしはどんどん苦しくなるんだ?」
「去年の夏は日照りがあって、家に残っていた数畝の田まで高地主に売った。俺は小作人になったんだ……」
「なあ、小宝。この世の中に、本当に少しでも公平ってものがあると思うか?」
岳飛の両目に涙が浮かんだ。
泣き声で言葉が途切れ、上半身が激しく震えている。
崔凱は岳飛を抱きしめた。
このままでは土炕から転げ落ちてしまいそうだった。
「岳飛、自暴自棄になるな」
崔凱は言った。
「一つ秘密を教えてやる――お前は、将来きっと大物になる」
「小宝、俺をからかってるのか……」
岳飛の胸は激しく上下していた。
声にもほとんど力がない。
「俺は字もろくに読めない農民だ。役人になることもできない。そんな俺に、どんな将来があるっていうんだ?」
「役人になれるのは、読書人だけだと思ってるのか?」
「それは違う!」
崔凱は言った。
「読書の段階を飛ばせばいい。先に役人になればいいんだ!」
「役人になったら、書類仕事は秘書にやらせればいい」
「勉強もしないで、どうやって役人になるんだ?」
「軍隊に入るんだ!」
その言葉が口から出た瞬間、崔凱自身も驚いた。
まるで天啓を得たような気がした。
――そうだ。
岳飛は、きっと俺の忠告を聞いたから軍隊に入ったんだ。
崔凱がいなければ、天下に名を轟かせる岳飛も存在しない。
「飛や……」
岳飛の母親が目を覚ました。
――いや、もしかすると最初から眠っていなかったのかもしれない。
彼女は軽く脚を蹴るようにして寝返りを打ち、仰向けになった。
「小宝はうちの命の恩人だよ。わざわざ苦労して薬を届けてくれたんだ」
「それなのに、まだ跪いて礼をしないのかい?」
岳飛の母親が言った。
岳飛は炕の上に呆然と座り込んでいた。
目には何の光もない。
母親の言葉は、一文字たりとも耳に入っていないようだった。
「いやいや、やめてくれ」
崔凱は言った。
「何かあるたびに人に跪いて頭を下げるのは、俺には無理だ」
「俺、用事があるから先に帰る」
帰り道、崔凱は先ほど頭に浮かんだ考えを、もう一度考え直していた。
――本当に俺は、歴史を前へ進めるために送り込まれたのだろうか?
――岳飛は、俺、崔凱の忠告を聞いたから軍隊に入ったのか?
もしそうなら、俺が生まれるのが西暦二十世紀になっていたとしたら、その前の歴史はいったいどうやって進んできた?
まさか、時間は一直線に進んでいるわけではないのか?
それに、「宇宙」の中で、いったいどんな役割が俺にしか演じられないというのだ?
俺はただ、物語を前へ進めるためだけに配置された駒――
それが、この世に存在する俺のすべての意味なのか?
――いつになったら、二十一世紀へ戻れる?
彼は、電気も水道もある生活が恋しかった。
今この場所、この時代の暮らしを、心の底から拒絶していた。
歯を磨くには柳の枝を使うか、さもなければ指で磨く。
木炭は高価で、たいていは震えて寒さをしのぐ。
服は紙でできている。
この土地の人々は、そもそも綿花というものを知らない。
用を足した後は、木の棒で尻を拭く。
きれいに拭けないのはまだいい。
うっかりすれば、手に糞がつく……。
家に着いた。
門は開け放たれていた。
秦桧の妻――崔凱が「王媽媽」と呼んでいる女が、竹製の背もたれ椅子に座って靴底を縫っていた。
崔凱を見ると、王媽媽は人差し指を唇と鼻の前に立てた。
崔凱はすぐに意図を察した。
――物音を立てるな。
――書斎で勉強している秦桧の邪魔をするな。
俺、崔凱は、いったい何のためにこの時空へ送り込まれたんだ?
岳飛を助けること以外に、俺は秦桧を止めるべきなのか?
――秦桧が悪事を働くのを阻止するべきなのか?
「宇宙」よ。
「宇宙」よ。
頼むから、少しくらい任務のヒントをくれないか?
「小宝、どこか具合が悪いのかい?」
王媽媽が小声で尋ねた。
崔凱は首を横に振り、自分の部屋へ入った。
その夜、彼は早々に床についた。
ケクレが夢の中で「ベンゼン」の分子構造をひらめき、メンデレーエフが夢の中で元素周期表を生み出し、オットー・レーヴィが夢の中で実験手順を思いついたのなら――
なぜ俺、崔凱だけが、夢の中で自分の存在そのものにまつわる危機を解決できない?
深夜。
彼は突然、目を覚ました。
そして、扉を開けて外へ出た。
冷たい月光が中庭を照らしている。
彼はよろめきながら王媽媽の部屋へ向かい、何度も扉を叩いた。
「ギイィ……」
扉が開いた。
王媽媽は驚いた顔をした。
「小宝……」
彼は、ついに分かった。
「光速不変」という、すでに実験によって確認されている物理法則を前提とすれば――
「過去」は観測することしかできず、変えることはできない。
つまり、人間は「未来」へは行けても、「過去」へ戻ることはできない。
――それは「相対性理論」が明らかにしたことでもある。
もちろん、こう自分に言い聞かせることはできる。
――俺は、相対性理論が生まれる以前の宇宙に生きているのだ。
たとえばニュートンの時代には、光速は速度の合成則に従うと考えられていた。
ならば、俺がニュートンの古典物理学の世界に生きていたっていいじゃないか?
別の選択肢だってある。
『周髀算経』にはこうある。
「天は丸く、張った蓋のようであり、地は方形で、碁盤のようである」
――俺が「天円地方」の世界に生きていたっていいじゃないか?
子供の頃に知り合った、ある老人のことを思い出した。
その老人は宇宙飛行士の家族向け住宅地に住んでいて、人生の大半を費やして永久機関を設計し、製作していた。
――ならば俺が、永久機関が存在する世界に生きていたって、いったい何が悪い?
人間は、ひとたび決心すれば、自分が信じたいと思ったものなら何でも信じることができる。
では、俺、崔凱は――
いったい、どんな世界に生きていると信じたい?
崔凱は死んだ。
――俺は韋小宝だ。
彼は王媽媽の胸に飛び込んだ。
「俺は韋小宝……」
「俺は韋小宝だ……」
彼はすすり泣いた。




