四十一
臨安府の外城壁、銭塘門からほど近い桑林の中に、松や柏の木が両側に植えられた小道がある。その道は密林の奥へと続き、石畳の敷かれた空き地へ出る。地面には枯れた黄色い落ち葉が何か所か寄せ集められていた。空き地の北東端からは、人ひとりが通れるほどの細い道が伸びている。その道を奥まで進むと、赤瓦に青煉瓦の、高い塀に囲まれた大きな屋敷が現れ、その門には「大理寺」と書かれた額が掛かっていた。塀の高さはおよそ二丈。塀の外には二、三十歩おきに兵士が立っている。
岳飛は、この高い塀の内側に幽閉されていた。
牢獄破りなんて、できるわけがない。
韋小宝は塀を見上げ、ため息をついた。
岳飛の詔獄を誰に担当させるべきかについて、趙構は秦桧にこう指示した。
「できれば監察系統から人を選べ。他の役所の者では、朕はどうにも信用できん」
「監察系統……となると、何鋳と万俟卨くらいしか適任者はおりませんな」
秦桧はしばし考えた。
「何鋳はまだ壮年で、つい先日、御史中丞に昇進したばかりです。幼い頃から武芸を好み、普段から刀や槍をいじっていて、武将たちとも親しい。万俟卨はといえば、一本気で清廉潔白、評判も高い。ただ、頑固で融通が利かず、何事にも理屈を通そうとする男です。以前、臣がどういうわけか彼の気に障ることをしたらしく、この頑固爺は三か月も臣と口を利かなかった。腹立たしいやら、おかしいやら。詔獄の取り調べは、何鋳に任せてはいかがでしょう」
「そなたが、何鋳は武将たちと親しいと言うのなら、そんな者に岳飛の裁きを公正にできるのか? 『一本気で清廉潔白』な万俟卨のほうが適任ではないのか?」
「仕事に私情を持ち込まない――何鋳には、それくらいの分別はあると臣は思います」
秦桧は答えた。
「万俟卨は……あの爺さんの取り調べに耐えられる者が、いったいどれだけいるでしょう。もし臣が彼の手に落ちたら、何かしら問題を掘り出されるかもしれません」
「そなたでも問題を掘り出されるのか?」
趙構は笑った。
「どうやら秦宰相は、岳飛を助けてやりたいらしいな。よし、そなたの言うとおり、新任の御史中丞・何鋳にこの件を推勘させよう」
何鋳が詔獄を担当して十日ほど経った頃、こんな噂が流れた。
岳飛は獄中で絶食し、自らの潔白を示しているらしい。
そして秦桧が韋小宝にこっそり告げた。
何鋳が、結審の意見書を書いて皇帝に提出したという。
岳飛の詔獄がどう決着するのか、朝廷ではさまざまな憶測が飛び交った。ある内侍官は、岳飛が罪を逃れるかどうかを賭けの対象にまでした。
結審の意見書を見たという大臣もいた。
そこには、岳飛の謀反事件は証拠不十分であり、「岳将軍は近いうちに釈放される」と書かれていたという。
一方で、岳飛はこの難を逃れられないと断言する者もいた。
何鋳が結審の意見書を提出して間もなく、趙構は官員の任免名簿を公布した。
何鋳は報謝使に任じられ、ただちに中国へ赴くこととなった。
そして御史の万俟卨が大理寺卿に昇進し、岳飛の詔獄を担当することになった。
「俺の幼馴染が、あのくそ爺の万俟卨に殺されちまう」
韋小宝は気が気ではなかった。
「岳飛の命に別状はない。そこは安心しろ。何日か余計に取り調べを受け、少し苦労するだけだ。最悪でも官職を失い、財産をすべて没収される程度。命までは取られまい」
秦桧は言った。
「宋太祖は祖訓を残している。『大臣を殺してはならぬ』とな」
「でも、祖訓に背くことだって、官家はずいぶんやってきたじゃないですか」
韋小宝の一言に、秦桧は言葉を失った。
目を見開き、なんとも奇妙な顔をしている。
結審の日。
韋小宝は自宅で夕食に餛飩を一杯煮ていた。食べ始めたばかりのところへ、家の門を激しく叩く音が響いた。
「秦宰相から伝言です。岳飛の結審の意見書が出ました。韋相公、すぐに大理寺へお越しください」
今回の結審の意見書を書いたのは、万俟卨だった。
韋小宝は一気に走り、銭塘門を抜け、厳重な警備が敷かれた大理寺へ駆け込んだ。
空には丸い月が低く垂れ、冷たく澄んだ月光が降り注いでいる。
秦桧は中庭に背を向けて立っていた。背後に伸びた月影がひどく長い。
彼は一枚の笺紙を韋小宝に差し出した。
岳飛、岳雲、張憲、三人の判決文がすべてこの一枚に記されている。
韋小宝は前半の数段を飛ばし、岳飛の判決が書かれた最後の段を直接読んだ。
目を疑った。
「重杖のうえ、死刑?」
秦桧は黙っていた。
「淮西の戦い……乗輿を指斥した?」
韋小宝は俯いて読み上げる。
「逗留して進軍せず……これが死罪に値するのか?」
「大宋の軍法では、出征して戦闘に臨んだ際、三日を超えて進軍を遅らせれば斬刑だ」
秦桧が言った。
「判決文はあくまで判決文。最終的にどうするかは、皇上がお決めになる」
秦桧の言葉は、韋小宝を少しも慰めなかった。
趙構が二人の内侍官と三人の護衛を連れて中庭へ入ってきた。
判決文を読み通している間――韋小宝にはそう見えた――趙構の手の甲には血管が浮き上がり、笺紙は今にも握り潰されそうだった。
「朕は岳飛に聞きたいことがある」
秦桧は手を上げ、背後の廊下の中央にある一枚の扉を指した。
趙構は大股で歩き出した。だが、数歩進んだところで突然振り返った。
「黄彦杰! そなた、自分の罪が分かっているか?!」
内侍官の黄彦杰が跪いた。
「去年の冬、岳飛がそなたに賄賂の銀を届けさせた。そういうことがあったな?」
「皇上に申し上げます。当時、臣は手元が苦しく、岳将軍が身寄りもなく貧しい臣を哀れんで、確かに銀を貸してくださったのです」
「いくら貸した?」
趙構は冷笑した。
「三千両……」
「三千両だと! この犬め、よくもそんなものを受け取ったな!」
趙構が怒鳴った。
「民が一か月、飲まず食わずで働いても、稼げるのは二、三両にすぎん。それだけの一度で、民が一生かかっても稼げぬ金を懐に入れたのだ。者ども、こいつを捕らえろ!」
二人の護衛が黄彦杰の脇へ飛びかかり、両腕を背中側へねじ上げた。
「皇上、どうか犬死にだけはお許しください!」
黄彦杰は哀願した。
趙構は顔を背けた。
「こやつを大理寺へ引き渡せ」
韋小宝は趙構の後について中へ入った。
百尺四方ほどの取調室。
四方の壁際には燭台がびっしりと並び、無数の蝋燭が無数の炎を揺らしている。室内は昼間のように明るかった。
南側の壁には小さな窓が一つ。
北側の壁には長机が置かれ、その後ろに七人の審問官が端然と座っている。
長机の正面には、稲藁の蒲団を敷いた交椅が一脚。
岳飛は両手両足を麻縄で縛られ、交椅の肘掛けと脚に固定されていた。
主審官の万俟卨と六人の副審官が立ち上がる。
だが趙構は彼らを一瞥もせず、岳飛の前まで足早に歩いた。
岳飛が顔を上げる。
二人は無言で睨み合った。
蝋燭の明かりに照らされ、岳飛の頬の肉のたるみも、目尻の皺もはっきりと見える。
中年男の顔。
崩れ落ち、衰えへ向かっていく顔。
韋小宝は思った。
――自分もまた、知らぬ間に長い年月を生きて、こんな顔をしているのではないか?
趙構は岳飛の左側へ回った。
「趙士㒟とはずいぶん親しいようだな――あやつは一族百余人の命を懸けて、そなたには謀反の意思がないと保証している。まさに『ここには銀はない』と言っているようなものだ。笑わせる」
趙構は言った。
「岳飛、大宋の律にははっきりと、武将は皇室の宗族と親しく交際してはならぬと定められている。知らぬわけではあるまい?」
「天日昭々――」
岳飛は長いため息をついた。
「俺が本当に謀反を企てていたなら、今日まで待つと思うか?」
「朕はそなたが謀反したと言ったか? 淮西の一戦、朕はそなたに出兵して救援せよと、十五回も頼んだ。十五回だぞ! ――そなたは、朕がもう持たないと思ったのか?」
岳飛の唇が震え、全身が小刻みに震えた。
内侍の張去為が自分の褙子を脱ぎ、岳飛の肩に掛けてやる。
趙構は長机のところまで歩き、朱筆を掴むと、勢いよく筆を走らせた。
取調室を出ると、趙構は赤い文字の書かれた紙片を、廊下で待っていた秦桧に渡した。
韋小宝は爪先立ちになって、その文字を黙読した。
「岳飛、特に死を賜う。張憲、岳雲も、並びに軍法に依りて施行す」
「皇上……本当に岳飛を殺すおつもりですか?」
秦桧は血の気を失った顔で言った。
「皇上、太祖の祖訓が……」
趙構は秦桧に詰め寄った。
「岳飛を殺そうとしているのは朕ではない。そなたなのだ」
「私が岳飛を殺そうとしている?」
「この件は至急処理せよ」
趙構は内侍と護衛を連れて中庭を出ていった。
そのとき、庭の北側の壁際にある小さな門から、人影が滑り込んできた。
近づいてきた男を、韋小宝は見てすぐに分かった。
枢密使、韓世忠だった。
「張憲の謀反事件、決着したのか?」
韓世忠はにやにや笑った。
「見せてもらえないか?」
秦桧は左手に持っていた笺紙を韓世忠に渡した。
「岳飛を処刑?――大理寺の連中も、よくこんな判決を出せたものだ。まさか官家が認めるとは思えんが」
韓世忠が言った。
秦桧はまともに彼の顔を見ようともしない。
韓世忠は続けた。
「岳雲と張憲の件だが……焼かれたあの密書以外に、ほかの証拠はあるのか? 人を罪に問うなら、物証くらい必要だろう?」
秦桧は一言も答えない。
韓世忠はまた尋ねた。
「秦宰相、ほかに証拠はあるのか?」
秦桧は遠くの空に浮かぶ月を眺め、問いかけには何の反応も示さなかった。
韓世忠が手を伸ばし、秦桧の肩を叩こうとする。
秦桧が振り返った。
「ん?」
「秦相公、岳雲と張憲の件、ほかに証拠はあるのか?」
「それは……その……」
秦桧は口ごもった。
「その……まあ……あることは、ある」
韓世忠は秦桧の真正面へ歩み出た。
そして、自分より一寸ほど背の高い秦桧を見上げる。
「秦相公、その『あることはある』の三文字だけで、天下の人々の疑いをどうやって塞ぐつもりだ? 確かな証拠もないのに張憲を死刑にする。そんな話が通ると思うか?」
「通らないと思うなら、自分で大理寺と議論すればいい」
秦桧は言った。
「それより、なぜそなたは岳雲と張憲の件に、そこまで熱心なんだ? 二人ともそなたの部下ではあるまい」
「秦相公、そういう言い方はないだろう。昔から言うじゃないか。『兎死すれば狐悲しむ』と」
韓世忠は言った。
「俺はさっきから同じことを言っている。岳雲と張憲の事件に確かな証拠が見つからないなら――あの焼かれた密書だけでは――罪には問えない。百歩譲って、仮に本当にやったとしても、なぜ張憲は絞首刑で、岳雲は命を助けられて、たった三年の懲役なんだ? 岳飛の息子だからか? 判決が明らかにおかしい」
「妥当かどうか、いくら言っても無駄だ」
秦桧は右手を伸ばし、趙構の朱批が書かれた紙を韓世忠に差し出した。
韓世忠は目を落とす。
「官家の筆跡……三人とも死刑?――岳飛も死刑だと? 太祖の祖訓が――」
「韓枢密使、宋太祖の祖訓が規定しているのは、あくまで趙家の家事だ」
「そう、そうだな。秦宰相のおっしゃるとおりだ」
韓世忠は慌ただしく頷いた。
「官家が三人の首を欲しいというのなら、俺に異存はない。秦宰相、皇上は英明だ。あの横暴な岳飛は死んで当然だ! 岳雲も張憲も、まとめて死刑でいい! 人間、あまり横暴になっちゃいかん。秦宰相、そう思わないか? 范琼だって、あまりに横暴だったから官家に死を賜ったんだからな」
岳飛の処刑の日は、もう目前に迫っていた。
検校少保の楊沂中が秦桧のもとを訪ねてきた。
「秦相公、俺に監斬人をやらせてもらえないか? この目で岳飛の首が落ちるところを見たいんだ」
韋小宝は思わず大広間の屏風の後ろから姿を現した。
「楊相公、敵の首を取れなかったのは、まあ仕方ない――あなたの腕が足りなかっただけだ。でも、同じ朝廷の大臣の首が落ちるところには、ずいぶん熱心なんだな」
「お前、それでも人間の言葉か?!」
楊沂中がわめいた。
「韋小宝、秦宰相が後ろ盾だからって、俺がお前を殴れないと思うなよ!」
「楊相公、岳飛の監斬はそなたに任せよう」
秦桧が言った。
「用がないなら、先に帰ってよい」
翌日、福建路漳州の知州が秦府を訪れた。
「下官、臨安へ赴いて職務報告をするついでに、秦相公のお顔を拝見しに参りました」
そう言って、秦桧に一通の案牘を差し出した。
秦桧は声に出して読む。
「……叛逆の後裔は残すべきではなく、その急を絶ち、残りの人生を尽くさせるべし――これはどういう意味だ?」
秦桧は案牘を置き、その知州に尋ねた。
「岳賊の財産が天下に明らかになりました。岳家はなんと四百九十八か所もの不動産を所有し、水田と畑を合わせて千九百八十五畝――まさに『岳飛が倒れれば、大宋が腹いっぱいになる』ですな」
知州はにこにこと笑った。
「これほど罪深い大悪党、汚職官僚であり、叛賊である岳飛に、朝廷は今なお毎月、子や孫たちへたっぷりと救済金を支給している。国庫の金で叛賊の後裔を養うとは、あまりにも馬鹿げているではありませんか? 今や岳飛の何人かの子や孫が、下官の管轄地へ流されてくる。へへ……下官には、彼らを始末する方法が百通りはあります。叛賊の子孫など、飢え死にさせてやればよいのです……」
「畜生!」
秦桧が罵った。
「お前も聖賢の書を読んだことのある人間だろう。それで、ここまで悪辣な心を持つとは。豚や犬にも劣る! お前が食ったものなら、豚や犬だって食うのを嫌がるぞ! 俺の家から出ていけ!」
「秦相公、岳飛の死刑を命じたのはあなたでしょう……」
「今すぐ私の目の前から消えろ」
秦桧は言った。
「三度は言わん」
知州が去ったあと、秦桧は案牘を韋小宝に渡した。
「この文書を持って福建漳州へ行け。岳飛の後裔に、現地の知州にはくれぐれも警戒するよう伝えてこい」
韋小宝が福建路から臨安府へ戻ったのは、二十日後のことだった。
秦桧が、珍しく韋小宝を誘った。
臨安府の城東、瓦市の勾欄へ金の芝居を見に行こうというのだ。
劇場は完全な屋内式で、座席は指定されている。床一面には淡黄色の蛮氈が敷かれていた。入場係は礼儀正しく、一人ひとりの観客に頭を下げている。
韋小宝と義父は最前列に座った。
秦桧が言う。
「紹興の和議以来――大宋へ巡業にやって来た最初の中国の劇団だ。実に意義深い」
ところが、顔を赤い油彩で塗った伶人が舞台へ登場し、最初の一句、
「村落無人要廝笑、この愁悶、誰か知る」
と歌った瞬間、韋小宝はひどく失望した。
歌が下手なのだ。
しかも、言葉を飲み込む癖がある。
聞けばすぐに分かる。
芝居が終わると、観客たちは談笑しながら勾欄を出ていった。
天幕の脇では大きな蝋燭が勢いよく燃え、地面に揺れる光と影を落としている。
遠くの街路には、まばらな灯火しかない。
冷たい風が正面から吹きつけてきた。
韋小宝は身を震わせた。
その瞬間、気づいた。
自分と義父が、人生においておそらくそれほど貴重でもない一時間を、さっきのひどい芝居を見るために無駄にしている間に――
自分の幼馴染、岳飛はすでに首を斬られ、この世にいなくなっている。
韋小宝は、秦桧が自分を見つめていることに気づいた。
喉が渇いた。
眉をひそめ、目を細める。
秦桧はなおも彼を見つめている。
火の明かりが照らし出すその顔は、穏やかな表情を浮かべていた。
五十余年の風霜をくぐり抜けてきた男の顔。
――俺が口を開くのを待っている。
韋小宝は思った。
――俺に口を開かせようとしている。
「秦宰相、俺はこの世に、主役なんて誰一人いないと思う」
韋小宝は秦桧の視線を避け、遠くへ顔を向けた。
「誰も主役じゃない。なぜなら、最後には全員死ぬからだ。人間の一生なんて、白駒が隙間を駆け抜けるように短い。暗闇から一羽の雀が飛び込んできて、天幕の中にほんの少しの間とまり、また暗闇の中へ飛び去っていくようなものだ」
「雀が天幕に飛び込んできた――それが、そなたの言いたいことか?」
「それが、俺の言いたいことです」




