二十九
趙秉淵の逃げ足は、決して遅くなかった。彼がまたがる黒い淮馬は脚力も強く、四蹄に風を巻き起こして駆ける。だが、岳飛が韋小宝に与えた汗血馬は、それをさらに上回っていた。韋小宝がその気になれば、趙秉淵に追いつくのはたやすい。
それでも韋小宝は、わざと馬の速度を落とし、跡をつけながら追った。
趙秉淵は、まるで命からがら逃げている人間には見えなかった。三日に一度ほどの割合で街道沿いの旅籠に泊まり、一度泊まれば二、三日は腰を落ち着ける。
潭州長沙県に入ったところで、韋小宝は機を見計らい、ある酒家の大広間で趙秉淵と顔を合わせた。
「韋相公が俺を尾けていることは、とっくに知っていた」
趙秉淵が言った。
「どうだ、あの悪党には我慢ならなくなって、逃げてきたのか?」
韋小宝には、その「悪党」が誰を指しているのか分かっていた。
あえて否定も肯定もせず、へらへら笑って尋ねた。
「それで、どこへ逃げて隠居するつもりなんだ?」
「隠居? 俺は天に背き、人の道に外れるようなことをしたわけじゃない。どうして隠居しなきゃならん? 俺は京東路宣撫使の劉光世殿を頼るつもりだ。韋相公、お前は?」
「俺……俺……お前が行くところなら、俺も行く」
劉光世は揚州に駐軍していた。
韋小宝が揚州城内で、顔を真っ赤にして上機嫌な劉光世を目にするまで、趙秉淵を暗殺する考えを捨てることはなかった。
機会がなかったわけではない。
何晩か続けて、韋小宝は趙秉淵と同じ部屋に泊まった。岳飛から贈られたあの短刀は、枕の下に置いてあった。
「刀は身を守るためのものだ」
そう言い訳していた。
ある夜、いびきの音で目を覚ますと、韋小宝は短刀を手にして趙秉淵の寝台の前に立っていた。
趙秉淵はぐっすり眠り、いびきをかき続けている。
その命を奪うことなど、袋から物を取り出すように簡単だった。
それでも、韋小宝は最後の一歩を踏み出せなかった。
――岳鵬挙よ、岳鵬挙よ。悪いな。俺はどうやら、人殺しには向いていないらしい。
趙秉淵と韋小宝が広西路からはるばるやって来たと知り、劉光世は驚くと同時に、少なからず感動した。
彼は揚州北城の劉府で宴を設け、二人をもてなした。
笙や簫の音が響き、歌舞が優雅に舞い踊る。
劉光世は杯を掲げた。
「趙相公、韋相公、俺を買ってくれてありがとう。俺の劉家軍についてくれば、うまいものを食わせ、うまい酒を飲ませてやる。今日から、お前たち二人は劉家軍の人間だ」
趙秉淵が言った。
「劉家軍はいい。岳家軍にいるより百倍どころか、ずっといい。岳飛は気分の浮き沈みが激しく、人の道を踏みにじり、気性も品性も獣と変わらん」
「趙相公が早く逃げてくれて、本当によかった。もう少し遅かったら、命まで危なかったかもしれん」
劉光世が言った。
「劉将軍、それはどういう意味です?」
趙秉淵が尋ねた。
「岳家軍に傅慶という男がいる。知っているか?」
「知っています」
趙秉淵は答えた。
「傅慶。岳家軍の副統制で、もともとは窯師だった。裏口から兵になった男だ。あいつは弓の腕がすごい。かなりの腕前だった」
「そこがまずかったんだ! 腕が立ちすぎた!」
劉光世は鼻を鳴らした。
「岳飛は嫉妬深くて、部下に自分より優れた者がいるのを許さない。お前が岳家軍を離れて間もなく、岳飛は理由をつけて傅慶を殺したんだ。
岳飛は了見が狭い。あれじゃ大事は成せん。俺とは大違いだ……先々月、河北東路の酈琼が、お前たちと同じように、はるばる俺を頼ってきた。自分を編入してほしいとな」
劉光世は杯になみなみと黄酒を注いだ。
「酈琼は滑州で兵変を起こし、朝廷の官吏である趙世彦を殺した。こんな奴、普通の人間なら受け入れられるか? 俺は受け入れてやった!」
「劉将軍、気を悪くしないでください」
韋小宝は杯を掲げて詫びた。
「俺は劉将軍を頼ってきたわけじゃない」
劉光世は聞いた途端、ぽかんとした。顔色もわずかに変わった。
韋小宝はそれを見なかったことにした。
「揚州を通って、臨安府へ行き、宰相の秦桧に謁見するつもりなんです」
劉光世は酒が回って上機嫌になり、ろれつの回らない口調で言った。
「お前は……かつて官家のおそばで大いに寵愛されていた男だ。俺がどうして気を悪くする? 臨安へ行きたいなら、行けばいい」
「それでは劉将軍、旅費を少し恵んでいただけませんか」
黄酒を何杯も飲み干した劉光世は、下女に紙と筆を持ってこさせた。
詩を作るという。
下女が卓上の空いた皿を片づけ、文房四宝を整える。
劉光世は狼毫筆をつかみ、手を宙に浮かせたまま、目を閉じ、苦心して詩句をひねり出そうとしているような顔をした。
半盞茶ほどの時間が過ぎた。
それでも白紙は真っ白なままだった。
劉光世は頭のてっぺんを撫で、悔しそうに言った。
「頭の中には、天地を驚かせ、鬼神を泣かせるような名句が何句もあるのに、どうしても書けん」
そう言って、筆杆は上等な琥珀を削って作ったものだと本人が自慢していた狼毫宣筆を置いた。
韋小宝は、山陵の形をした翠玉の筆架から一本の筆をつまみ上げた。
「劉将軍、俺の頭の中にも詩がいくつかある。前置きとして書いてみようか?」
「詩の前置き?」
趙秉淵が尋ねた。
「薬を飲むときには薬引きがいるだろ。詩を書くにも、詩引きが必要なんだよ」
そう言って韋小宝は白紙に書いた。
「山は高さを厭わず、海は深さを厭わず。周公は口から吐き出しかけた飯を吐き出して賢者を迎え、天下の人心は帰服する」
劉光世は膝を打って絶賛した。
「いい詩だ! 実にいい!」
韋小宝は両手を抱拳した。
「花を借りて仏に供える、ってやつですよ」
劉光世は家僕に黄金五両を持ってこさせ、韋小宝に潤筆料として贈った。そして、韋小宝が書いた二句を表装して正堂に飾ると宣言した。
韋小宝は揚州から船に乗り、のんびりと旅をしながら京杭大運河を進み、臨安府へ入った。
秦桧が朝野を震撼させる「妙策」を公の場で披露したとき、韋小宝もその場にいた。
臨安府、鳳凰山を背に新しく建てられた宮殿。
梁や柱にはまだ漆が塗られておらず、淡い木の香りがかすかに漂っている。
殿の外には濃い霧が立ち込め、太陽も姿を隠していて、今が何時なのかも分からない。
趙構は背中で手を組み、御台の下に並ぶ五、六十人の文武百官に言い聞かせていた。
「このままでは、どうにもならん――諸卿、劉豫の勢いはますます盛んだ。我々も、何か手を考えねばならん。あの男を、そしてあの偽斉国をどうにかするためにな」
「秦会之!」
趙構は秦桧を指差した。
「お前が言っていた『天下を震撼させる妙策』を話せ。朕はすでにお前を宰相に任じた。約束を果たして、その妙策を出してもらおう」
「承知いたしました。では、国を定め、天下を安んずる二つの策を詳しく申し上げます」
秦桧は咳払いをした。
「第一策。大宋から使者を送り、中国および偽斉国と協議し、南北両地、すなわち大宋国、偽斉国、中国の三国で書簡の往来を再開する。たとえ両国が戦っている最中であっても、使者を妨げない。
第二策――南は南へ、北は北へ」
大殿内は、しんと静まり返った。
「南の土地は南へ、北の土地は北へ。南人は南へ、北人は北へ」
秦桧は続けた。
「中・斉・宋の三国は、互いに敵国の降伏兵や寝返り者を招き入れない。金国が国号を中国と改める以前から、すでにこの古い取り決めは定められていました。
私は皇上にも中国にならい、大宋全土に詔を下していただきたい。いかなる者も他国の叛軍を招降し、受け入れることを厳禁する。
同時に使者を中国と偽斉国へ派遣し、『南は南へ、北は北へ』という主張を伝え、その趣旨を説明したうえで、三国間の取り決めを結ぶのです。
考えるに、あの二国がこの提案を拒む理由は、まったくないでしょう」
「秦相、お前は簡単に言ってくれる」
三軍を統べる知枢密院事、張浚が言った。
「我々が降伏兵を受け入れなくても、中国と斉国は受け入れるじゃないか。お前は明らかに外の国に肩入れし、内を裏切っている」
「中国は昔から約束を重んじ、信義を守ってきました。いつ、敵国の降伏兵や寝返り者を受け入れたというのです?
仮にそういうことがあったとしても、それは大宋が先に盟約を破り、信義を捨てたからでしょう。中国がそれに応じたのは、その後です。
偽斉国については、確かに以前からよからぬ企みを抱き、機会があれば大宋の官軍を招降しようとしている。
しかし、皆さん、よく考えてください。劉豫とは誰です?
不忠、不義、不孝、不仁の大宋の叛臣です。我々は、そんな人間を手本にするというのですか?」
秦桧は振り返り、趙構に向き直った。
「皇上、『南は南へ、北は北へ』には、もう一つの意味があります」
「申してみよ」
趙構の顔は氷のように冷たかった。
「私は気づきました。祝祭日になるたび、多くの民が官兵の制止も、道中の危険も顧みず、宋・中・斉三国の間を行き来して親族を訪ねています。私はいつも、その姿に心を動かされております。
いわゆる『堵ぐよりも疏すに如かず』です。いっそのこと、朝廷が異国に親族を持つ家を調べ、その本人の意思を尊重すればよい。
黄河以北の中国へ移り住みたい者には、中国へ移住させる。
淮河以北の偽斉国へ移り住みたい者には、偽斉国へ行かせる。
宋国に残りたい者には、褒賞金を与えて、その意思を励ますのです」
「荒唐無稽もいいところだ!」
張浚が怒鳴った。
「幼稚極まりない!」
「秦宰相のご高説、まことに天下を怂動――いや、耸人聴聞だな」
誰かが笑った。
「細作だ! 秦桧は劉豫に買収された偽斉国の細作だ!」
誰かが叫んだ。
「偽斉国ではない、中国だ」
群臣の中から、姿は見えないが声だけが聞こえた。
「秦桧は中国の細作だ――俺はとっくに見抜いていたぞ」
御卓の前に静かに立っていた趙構は、目を閉じた。
殿内が静まり返る。
趙構は目を開き、深く息を吸った。
そして低い声で、ゆっくりと言った。
「南は南へ、北は北へ……秦相公、朕は北人だ。朕はいったい、どこへ帰ればよいのだ?」
秦桧は言葉を失い、その場に立ち尽くした。
群臣から再び激しい非難の声が上がった。
趙構は何度も手を振ったが、それでも誰一人として口を閉じようとはしなかった。
「秦相公、お前はなかなか情の深い男だな。民のことまで考えてやっている」
検校少保の韓世忠が言った。
「ただな、秦相公。俺が知る限り、民が必ずしもお前の恩をありがたがるとは限らん。
民、民と言うが、少しでも頭が働くなら、どうして平民の民などやっている?
俺は何年も軍にいるが、ただ一つ分かったことがある。民のことを考えてやればやるほど、民はお前を恨む。
逆に、人を殺せば殺すほど、大胆に人を殺せば殺すほど、民は口ではお前を罵りながら、心の底では一番お前を敬う。
はっきり言ってしまえば、民ってのは一番性根のひねくれた連中だ」
「韓将軍」
秦桧は怒りの色を浮かべた。
「韓家軍の日々の食事は、その『性根のひねくれた民』の口から、一粒一粒ひねり出された穀物で賄われているのですよ」
「韓世忠、お前は自惚れるな」
張浚が笑った。
「秦宰相は民を思い、清らかな高潔の志を持っている。お前のような一介の武将に、どうして比べられよう?
秦宰相、お前は何かにつけて『これも民のため』『あれも民のため』と言う。
だったら、お前自身が民になればいいじゃないか。どうして朝廷から俸禄をもらっている?
朝廷から俸禄をもらいながら、朝廷の立場に立って物を考えない――これを何と言う?
さっき俺は、お前が内を食い潰して外に利益を与えていると言ったが、むしろお前を冤罪にしていたかな?」
張浚は大殿の東側で朝議を傍聴していた監察御史たちの前まで歩いていった。
「秦桧は計略を弄して皇上を欺き、宰相の地位をだまし取った。この行い、この面構えを、御史台の諸君は見て見ぬふりをするのか?
お前たちは人を弾劾するのが好きなんだろう?
なら、こいつを弾劾しろ」
張浚は御史たちの列の前を一人ずつ歩いていった。
十一人の監察御史は皆、頭を垂れ、あるいは身を翻して、張浚の視線を避けた。
誰一人、声を上げなかった。
「分かった。お前たちが秦桧を弾劾しないなら、俺がやる」
張浚は足早に御座の前へ戻った。
「臣、皇上に秦桧の宰相職を罷免されることを請います」
趙構は長いあいだ何も言わなかった。
内侍の黄彦杰が趙構のそばへ寄り、何事かを耳打ちした。
そして百官を振り返って言った。
「皆さん、次の議題に移りましょう。そうしないと昨日のように夜更けまで朝議が続いて、皆さんまた家のうまい飯が食べられなくなりますよ」
朝議は酉の刻に終わった。
連れ立って殿を出た群臣たちは、さほど歩かないうちに、皂色の大きな上着を着た内侍官が宮殿から慌ただしく駆け出してくるのを目にした。
手には黄紙を持っている。
内侍官はそれを公告板に貼りつけた。
紙に書かれた墨も、朱色の御印も、まだ乾ききっていない。
松明の火に照らされ、ぬらぬらと光っている。
韋小宝は黄紙に書かれた趙構の力強い筆跡を目で追った。
そして、そこに記された一文を読んだ。
――秦桧の官職を剥奪し、永久に任用せず。




