二十
「韋大夫、あんたはあの脱走兵とどういう関係だ?」
韋小宝はすぐに察した。幼馴染みの岳飛は、今この王彦の軍にはいないのだ。
「俺と岳飛は同郷です」
「お前も湯陰の出身か?」
王彦の後ろにいた男が尋ねた。
王彦以外の者と同じく、その男の左右の頬には、それぞれ四文字ずつ刺青が入っている。
「赤心報国」「誓殺金賊」
「湯陰の人間ってのは、勇ましくて喧嘩っ早いんじゃなかったのか? なのに、どうして岳飛みたいな臆病者が出てきたんだ?」
韋小宝は胸の内から湧き上がる怒りを必死に抑えた。
「岳飛を臆病者なんて言うな!」
「臆病者じゃないってんなら、金兵に出くわした途端、どうして影も形もなく逃げたんだ?」
王彦は韋小宝に後ろの男を紹介した。
「こいつは俺の副官、張用だ。お前の同郷人、岳飛はこいつの部下だった。先月、張用が太行山北部で金兵を待ち伏せしたところ、逆襲を受けた。その混乱に乗じて岳飛は逃げ出し、それっきり戻ってきていない」
「戦場でたまに逃げるくらい、別に珍しいことじゃないだろ。何も好きこのんで生きた標的になることは――」
韋小宝の弁護を王彦が遮った。
そして、韋小宝に「八字軍」に軍医として残る気があるかと尋ねた。
韋小宝が承諾すると、王彦は一同を率いて外へ出て、「忠義社」の残党を捜索し始めた。
忠義社の寨屋は、隠れやすい山の中腹に建てられていた。一軒一軒の面積はさほど広くなく、扉が一つ、窓が一つあるだけ。家の前の小道は、くねくねと曲がりながら山中へ続いている。
「忠義社」の者を一人捕らえるたびに、「八字軍」は姓と忠義社での役職を問いただし、その場で処刑した。
怯えきって何も言えない者も、質問をはぐらかす者も、容赦なく槍で突き殺された。
山麓の日陰では、馬に乗った者や徒歩の者が次々と山道を駆け抜けていた。
張用は騎馬兵を出して追撃するよう王彦に進言した。
「奴らは逃がしてやれ」
王彦はため息をついた。
「よほど追い詰められなければ、誰が好きこのんでこんな稼業をやる?」
丸一日かけて捜索した結果、八字軍の収穫は大きかった。
金銀の装飾品、玉器、元宝、銅銭、さまざまな鉄器が谷いっぱいに積み上げられ、その高さは一階建ての家ほどにもなった。
「これで半年分の軍餉には困らないな」
張用が言った。
そこへ知らせが入った。
崖の縁に、鍵のかかった穀倉が六棟あるという。
王彦は大喜びした。
「軍糧まで手に入ったぞ!」
銅の錠前を叩き壊し、「粮倉」と書かれた扉を蹴破る。
中へ入る前から、まず鼻を突いたのは、猛烈な生臭さだった。
ところが中には、小麦も米もない。
代わりに、何段にも組まれた木棚がずらりと並んでいた。
それぞれの棚には分類するように、「不羨羊」「和骨爛」「饒把火」などと黄色い文字で書かれた札が貼られている。
各段の板には、黒ずんだ赤色の肉塊、肉の細切れ、薄切り肉が積み上げられていた。
肉の表面には、細かな白い結晶が浮き出ている。
生臭さはますます強くなった。
耐えきれず、吐き始める者もいる。
「鮑魚の肆に入りて、久しくしてその臭いを聞かず」
――とはいうものの、ここはまるで逆だった。
長くいればいるほど、悪臭が鼻の奥から脳天へ突き抜けてくる。
まるで五臓六腑の中にまで染み込んでくるような臭気だった。
「焼け! 焼け! 全部焼け!」
王彦が命じた。
大火は一晩中燃え続けた。
忠義社の山寨は、黒、白、黄色の三色の煙に包まれながら、すべて灰燼と化した。
「八字軍」の本営は太行陘に築かれていた。
すぐそばには、高さ百丈もある瀑布が一筋の幕のように垂れ落ちている。
八字軍の兵力は三万人にも達していた。
主な収入源は二つ。
一つは、周辺の村や町の住民から人頭税を徴収すること。
もう一つは、山賊を討伐したあと、その山寨に蓄えられていた財宝や食糧を没収し、自分たちのものにすることだった。
八字軍の兵士たちは普段から田畑を耕してもいたが、収穫だけでは到底足りない。
倉には翌日まで残るほどの備蓄すらなかった。
「もう持たないぞ、王相公」
張用が言った。
「飯も満足に食えないんじゃ、どうやって金国人と戦う? まさか忠義社を見習って、人肉を食うわけにもいかないだろ……」
「こうなったら、張邦昌を頼るしかない」
王彦が言った。
王彦は百人ほどの小隊を率い、太行山を出て汴梁へ向かった。
韋小宝も軍医として同行した。
汴梁からそう遠くない延津県の城下まで来たところ、民衆の一団が、王彦を巡察に出た朝廷の高官と勘違いして道を塞ぎ、次々と冤罪を訴え始めた。
王彦が詳しく事情を尋ねると、最近、延津の町に一群のならず者が現れ、用もないのに街中で女を辱めたり、村人たちを好き勝手に虐げたりしているという。
「お前たちの県太爺はどうした?」
「県太爺は何もしません! 皇帝だって逃げちまったんです! 天下はめちゃくちゃで、誰も取り締まる者がいないんです!」
「張邦昌が逃げた?」
王彦は大いに驚いた。
「どこへ逃げた?」
相手は知らないという。
そして、どうか王彦に延津の害を除いてくれと、何度も何度も懇願した。
断りきれず、王彦は民衆のためにそのならず者どもを退治すると約束した。
ならず者の一団は三十人ほど。
彼らは城内の大覚寺から僧侶や尼僧を追い出し、寺を自分たちの巣窟にしていた。
王彦は小隊を三組に分け、さらに民家から十数匹の野良犬を借りてきた。
韋小宝は大きな黄犬を一匹引き受け、外周で待ち伏せして、単独で逃げてくるならず者を捕らえる役を担った。
戌の刻を過ぎると、ならず者退治の小隊が寺の門を叩き壊し、中へ突入した。
罵声が飛び交い、金属のぶつかり合う音が絶え間なく響き渡る。
三つの人影が、次々と寺の裏手の塀を乗り越えて逃げてきた。
韋小宝は犬の綱を放し、提灯を手にそのうちの一人を追った。
半里ほど走り、ついには城外の墓地まで追いついた。
月明かりは弱く、前方がよく見えない。
人影もいつの間にか消えていた。
もう引き返そうかと思ったそのとき、十歩ほど先から犬の吠え声と、何度も繰り返される悲鳴が聞こえてきた。
韋小宝は声を頼りに近づいていった。
墓の盛り土の間に、人影が一つ倒れている。
両脚を折り曲げ、犬と格闘していた。
「このクソ犬、あっちへ行け!」
男が怒鳴った。
「岳飛!」
韋小宝はその声を聞いて、すぐに気づいた。
「こんなところで何してるんだ?」
韋小宝は地面に落ちていた綱を拾い、吠え続ける黄犬を引き寄せた。
提灯を掲げて照らしてみる。
地面に倒れていたのは、間違いなく幼馴染みだった。
岳飛は血の流れる太腿を押さえていたが、何も答えなかった。
「ならず者を捕まえたか?」
暗闇から仲間の声がした。
韋小宝は答えた。
「違う。俺の親友だ。いい奴だよ」
「いい奴? いい奴がこんな真夜中に墓場で何してる?」
「こいつは仏を信じる在家の信者なんだ。普段から墓場で坐禅を組んで、白骨観の修行をしてるのさ」
韋小宝が言った。
仲間はぶつぶつ言いながら遠ざかっていった。
韋小宝は負傷した岳飛を連れて、大覚寺へ戻った。
床には死体が何体も転がっている。
王彦と数人の副将は、大雄宝殿の金箔を施した仏像の前に腰を下ろし、布で刀についた血を拭っていた。
「王相公、お前の古参の部下が、負荊請罪に来ましたぜ!」
韋小宝は岳飛に目配せした。
上半身裸の岳飛は、王彦の前に跪いた。
「王都統制、俺は脱走兵になるべきではありませんでした」
「一度やれば、二度目もある」
張用が手にした大刀を振り上げた。
「王相公、こいつを殺しましょう。八字軍の名を汚した、この臆病者を」
「岳飛、軍法によれば、戦場から逃げた者は首を斬られることになっている」
王彦は言った。
「だが、お前が哀れだから命だけは助けてやる。ただし、死罪は免れても、生きて罪を償うことは免れない。頬に我々八字軍の軍号を刺青しろ――『赤心報国、誓殺金賊』だ」
「分かりました」
岳飛が答えた。
「駄目だ!」
韋小宝が止めた。
「顔に刺青のある者は官にはなれない。もし将来、岳飛が朝廷のために功を立てたのに、顔に刺青があるせいで出世できなかったら、もったいないだろ?」
「こいつが? ただの役立たずじゃないか。何の功を立てられるっていうんだ?」
張用が言った。
「だったら、こうしよう。刺青は顔じゃなくて背中に入れる。それに『赤心報国、誓殺金賊』なんて長ったらしい言葉じゃなく、『尽忠報国』の四文字にするんだ。どうだ?」
韋小宝は王彦を脇へ引っ張っていき、小声で言った。
「王相公、俺が長年患ってた痔を治してやった恩に免じて、ここは一つ、俺の顔を立てて岳飛を見逃してくれないか?」
そう言って、韋小宝は深々と頭を下げた。
「分かった」
王彦は答えた。
翌日、張用は街へ出て、針筆匠を一人呼んできた。
針筆匠は岳飛の背中の皮膚を針で破り、そこへ炭粉を塗りつけると、「尽忠報国」の四文字を大きく刺し入れた。
岳飛への刺青が終わると、王彦は一同を率いて延津を離れた。
大楚皇帝の張邦昌は、案の定、汴梁城にはいなかった。
趙佶の兄――趙煦――の妻である元祐皇后が、張邦昌によって「宋太后」に冊封され、現在は延福宮で垂簾聴政を行っていた。
朝議を取り仕切っているのは、趙佶の寵妃である華国靖恭夫人だった。
張用が言った。
「髪の長い、見識の短い女どもに天下を任せてるんだ。何も起こらないほうがおかしいぜ」
「張用、輿を指斥するような真似はするな」
王彦がたしなめた。
「宮中へ入ったら、余計なことを喋るな」
八字軍の朝廷による編制替えは、王彦の予想をはるかに超えて順調に進んだ。
大楚国枢密院に登録して定員を定められ、正式な部隊番号を与えられた八字軍は、汴梁留守の宗沢の麾下に編入された。
元祐皇后は王彦に、ただちに太行山へ戻り、八字軍の主力を汴梁へ連れてくるよう命じた。
韋小宝と岳飛は汴梁に残り、新たな上官となった宗沢に従って城東の反乱鎮圧へ向かった。
張邦昌が汴梁を離れたその足で、王善という土匪の頭目が、二千余りの手下を率いて城東一帯の県官、衙役、巡検、県尉を追い払い、自ら王を称したのである。
二列の柏の木で作った拒馬が宗沢の行く手を阻んでいた。
拒馬の向こうには十数人の弓兵が立ち、弓の弦をいっぱいに引き絞っている。
黒い丸帽子をかぶった中年男が叫んだ。
「宗沢、これ以上近づくな。さもなければ、矢じりに目がないことを思い知るぞ」
宗沢は拒馬に手を置き、諭すように言った。
「王善よ、王善。お前はいったい何をしているんだ! 国がまさに危機に瀕しているというのに、その混乱に乗じて謀反を起こすとは……」
王善は言った。
「今の天下は、兵が多く将が多い奴が物を言う。俺、王善には何万もの兵がいる。張邦昌には何がある? 大楚国の皇帝だって、俺がなったほうがいい。へへっ」
「数万人の兵を持っているからといって、天下をひっくり返せると思うな。王善、お前は官家が今回どこへ向かったか知っているか?」
王善は無表情のまま首を横に振った。
「官家は応天府へ行った! 応天府だ! そこに誰がいると思う? 康王、趙構だ! では、康王が何人の兵を持っていると思う? 靖康元年以来、天下各地から勤王に駆けつけた軍は、百万人とまではいかなくても、数十万は確実にいる。その数十万の勤王軍が、すべて康王の指揮下に入っているんだ!」
宗沢は声を張った。
「王善、お前は官家を恐れなくてもいい。だが、康王趙構はどうだ? 恐ろしくないか?」
王善は親指と人差し指を口に入れた。
ピイィ――ッ!
澄んだ口笛が空を切って響いた。
その背後にいた弓兵たちは、弦を緩め、腕を下ろした。
「王善、お前が帰順するというなら――この老骨にかけて保証しよう――お前と手下どものこれまでの罪は、すべて不問にする。さらにお前を都厢に任じ、城東の治安維持を専門に任せる。どうだ?」
拒馬が左右から引きずられ、道が開いた。
王善は片膝をついた。
「宗将軍のご指揮に従います」




