十九
空は晴れ渡り、春風が頬を撫でている。道端の淡い緑の草地には、赤や黄色の名も知らぬ野花が点々と咲いていた。韋小宝は羊腸のように細い山道を、馬に乗ってゆっくり進んでいた。時おり、節くれ立った枝をくねくねと絡ませた低い榆の木が見える。
前方に鞍部があった。両側の朱丹色をした切り立った崖の頂には雑草が生い茂り、遠目には緑の毛束のように見える。そこを越えれば、太行山脈の奥深くへ入ることになる。
岳飛よ、岳飛。いったいどこにいるんだ?
山に入ってから半月あまり、韋小宝は幼馴染みの岳飛について、何一つ手がかりを得られずにいた。太行山の景色は確かに美しい。だが韋小宝は、昔から山を遊び、水を眺めるような風流にはさっぱり興味がない――目の前の女色に心を動かされることすら少ない男なのだから、山水などに心を奪われるはずもなかった。
物思いにふけりながら俯いていたそのとき、突然、目の前が真っ暗になった。身体がふらりと傾き、そのまま馬の背から転げ落ちた。
次に目を開けたとき、背中と後頭部がひどく痛んだ。
韋小宝は木の板張りの寝台に横たわっていた。
目の前には、ゆったりとした儒袍を着た中年男がいて、こちらに笑いかけている。目尻が弧を描き、まるで二つの三日月のようだった。その後ろには青い衣を着た屈強な男が二人立っており、一人は錆びだらけの幅広い短刀を手にしている。
「韋相公、お目覚めになりましたか」
儒袍の男は寝台の端に腰を下ろした。顔は血色がよく、声にも力がある。
「ここはどこだ?」
韋小宝は、ほのかな香りを嗅ぎ取った。
小屋の壁は皮を剥いだ松の丸太を縦に並べて組んだものだった。木と木の隙間は、拳の半分くらいなら入りそうなほど広い。西側の壁には四角い窓が一つ開いているが、窓枠も窓扉もない。
外には、幾重にも重なる険しい崖。その上空には灰色の雲が一面に垂れ込めている。
「俺はどれくらい寝てた? どうやってここへ来た?」
儒袍の男は声を上げて笑った。顎には贅肉が二重に重なり、どこか愛嬌のある顔つきになる。
「韋相公は大物でいらっしゃるから、忘れっぽいんですな。ご自分がどうやってここへ来たのかまでお忘れとは」
そう言って男は腰牌と魚符を取り出し、手の中でもてあそんだ。
「韋小宝――韋相公、これは汴京の皇宮を出入りするための証明でしょう? あんた、間違いなく役人だな? どこの省のどの役所に勤めてる? 何品官だ?」
韋小宝は後頭部から首筋を手で揉んだ。
激痛が首から背中全体を走り抜け、危うく気を失いそうになる。
こいつらは追い剥ぎだ――この身体の痛みが、こいつらと無関係なはずがない。
「てめえのばあさんでも食らいやがれ!」
韋小宝が怒鳴ると、唾があたりに飛び散った。
「てめえはいったい何者だ!」
青衣の大男が幅広の刀を振り、歯をむき出して韋小宝を脅した。
儒袍の男は微笑んだ。
「俺は范温、登州の者だ。この辺りの頭目をしている。ここは『忠義社』の大寨だ」
大寨?
この四人、間違いなく山賊だ。
韋小宝は寝台から降り、窓辺まで歩いた。
小屋は山の中腹に建っていた。前には柵で囲った庭がある。庭には竹竿が二列に立てられ、そこには茶褐色の細長い干し肉や、暗赤色の腸詰めが吊るされていた。
門の脇には、二十歳にもならなさそうな若者が一人、紅纓槍を手にして寄りかかっている。空いている左手を宙に掲げ、その指先には一匹の蝶蛾がとまっていた。
「俺を気絶させたのは、お前らだろ?」
韋小宝は、話せば話すほど腹が立ってきた。
「何が目的だ!」
「相公、失礼ですが、ご出身はどちらですかな? その訛りを聞くと、金国の人のようにも聞こえますが」
范温が尋ねた。
「俺は宋国人だ。通籍持ちだ」
「ほら、やっぱりな」
刀を持った大男が身を乗り出した。
「こいつ、絶対に役人だ。それもかなり偉い役人だ。俺の村にいる秀才や進士だって、通籍なんか持っちゃいない」
「お前は何も知らんな。九品の芝麻官だって通籍を持ってる!」
范温は頬の内側を噛みながら言った。
そして韋小宝のほうへ向き直ると、今度は打って変わって猫なで声になった。
「韋相公、今や宋国なんてどこにもありませんぜ。大宋は滅んじまった。今あるのは大楚国だけです」
「大宋だろうが大楚だろうが……名前が変わっただけじゃないか。朝廷にいるのだって、結局は昔の趙佶の手下どもだろ? あの張邦昌だってそうだ。張邦昌が皇上になる前には、俺だってあいつを罵ったことがある」
「張邦昌……相公、皇上の名を呼び捨てにするとは」
范温は感心したように舌を鳴らした。
韋小宝は心の中で笑った。
皇上だって?
この山賊どもは知らないらしい。張邦昌は人から「皇上」と呼ばれるのを嫌っていて、百官の前でも決して「朕」とは称さない。公文書を出すときも、「手詔」ではなく「手書」を出しているのだ。
しばらく話し込んで、韋小宝はようやく范温の腹の内を理解した。
忠義社は太行山一帯で最も人数が多く、最も勢力の大きい山賊集団だった。そして寨主の范温は、官府から招安を受けたいと思っているらしい。
そんなの、簡単な話だ。
韋小宝は范温に教えてやった。
大勢の宋国の官僚が金軍とともに北へ行ってしまったため、今の大楚は官も吏も足りず、朝廷は人材を喉から手が出るほど欲しがっている、と。
「韋相公、ちょっと話を聞いてくれ。俺の言い分を聞いて、どう思うか判断してくれ」
范温は身を乗り出した。
「近くに『黒風寨』っていう山寨がある。たった三十人ばかりしかいないのに、先月、朝廷がそこの寨主を『陪戎校尉』に取り立てたんだ。こんなの、どういうことだ! 俺は数百人もいる大寨の寨主なのに、朝廷は俺を招安せず、俺より弱い連中を招安しやがった。腹が立たないか? 韋相公、もし俺が招安されたら、五品官になれると思うか? 将軍くらいになったって、別に分不相応じゃないよな?」
范温はひどく情けなさそうな顔をした。
「県衙にも州衙にも、俺は何度も行った。ところが、あの役人どもときたら、『忠義社』と聞いた途端、何も言わずに俺を追い返す。それどころか兵勇まで呼んで捕まえようとしやがる。俺の逃げ足が速くなかったら……」
そこで范温は考え込むように眉を寄せた。
「どうも、俺には分からない何かがあるらしい。『朝中に人あれば官になりやすい』っていうだろ? 役人になろうと思ったら、やっぱり誰かに糸を通してもらわなきゃならない。俺は貧乏な家の生まれで、粟や糠を食って育った。九歳になって、ようやく白飯ってものを食ったんだ。俺の兄弟たちも同じだ。子供のころは貧しくて、穿くズボンさえなかった。役人なんて、一人も知り合いがいない」
范温は韋小宝の顔をしげしげと見た。
「韋相公は額が広くて顔立ちも非凡だ。きっと大官なんだろう」
「つまり、俺に糸を通してもらって、朝廷に行って役人になりたいってわけか?」
韋小宝は言った。
「役人になって何がそんなにいいんだ? 俺には、お前の山寨のほうがよっぽど立派に見えるけどな」
「韋相公、まあまあ。まずはうちの寨の名物を召し上がってくだせえ」
范温は茶褐色の干し肉を一本つまみ、韋小宝の口元へ差し出した。
鼻を刺すような生臭い臭いが押し寄せ、韋小宝は眉をひそめた。
「羊肉みたいだな。臭みはないけど、ちょっと生臭い……牛肉か? いや、これも違う……なんか臭いな」
「韋相公、これはたいしたもんですぜ!」
范温はむっとしたように言った。
「臭いけど、食えばうまい。二本足の羊の腿から切り取った、一番うまいところでさ……」
「二本足の羊?」
口に入れようとしていた韋小宝は、思わず首を引っ込めた。
「俺が聞いたことがあるのは、肥臀羊とか肥尾羊だ。二本足の羊なんてのは初耳だぞ」
「韋相公、食ってみてくだせえ、食ってみて」
范温がしきりに勧める。
韋小宝は首を前に伸ばし、口を開けて噛みつこうとした。
そのとき、目の端に范温の太い指が映った。
爪には油汚れがびっしりつき、爪の間には真っ黒な垢が詰まっている。
たちまち食欲が失せた。
韋小宝は顔を背け、窓の外へ目を向けた。
先ほど庭の門を守っていた若者が、紅纓槍を手にして部屋へ駆けてくる。
だが、その身体が前へ倒れ込んだ。
首から一本の矢が突き抜けていた。
庭の門口に、顔へ刺青を入れた男が三人現れた。
それぞれ長弓を手にしている。
弓矢が窓へ向けられた。
范温はまだ何やらぺちゃくちゃ話していた。
韋小宝は突然、范温を突き飛ばし、自分は寝台の下へ潜り込んだ。
范温の傍にいた青衣の大男二人が、矢を受けて倒れた。
「ドン!」
轟音とともに、部屋の扉が叩き破られた。
外から大勢の人間がなだれ込んでくる。
何十もの大きな足が、韋小宝の目の前を行き交った。
「こいつが俺たちの大当家だ」
「范温?」
頭上から低い男の声がした。
「俺だ。皆さん、名前を聞かせてもらおうか? その格好を見ると官府の者じゃなさそうだな。まさか、同業者か?」
「誰がお前みたいな畜生と同業者になるものか」
低い声の男が言った。
「人の道を踏みにじった外道め。今日がお前の命日だ」
三人が范温を押さえつけた。
右頬と手のひらが地面に押しつけられる。
紅纓槍の穂先が范温の手の甲に突き刺さり、柄がかすかに震えていた。
范温は何度か呻いたあと、声を出さなくなった。
呼吸のリズムを整えているのだ。
「好漢、俺は『忠義社』寨主の范温だ。いったい、どこであんたたちの気に障ることをした?」
范温の声は、先ほどまでの慌てふためいたものとは違っていた。
「これは何だ?」
細長いもの、丸まったもの、塊になったもの――さまざまな干し肉が地面へ落ちていった。
「羊肉だ」
范温が答えた。
「まだ嘘をつくか! これは人肉だ!」
低い声の男が怒鳴った。
「俺、王彦は半生を生きてきたが、黒い髪の生えた羊なんぞ見たことがない。お前ら、そんな羊を見たことがあるか?」
「ない!」
皆が声を揃えた。
「二本足の羊には髪が生えるんだ!」
范温は必死に弁解した。
「好漢、あんたたちは金人か、宋人か?」
「自分で見て分からないのか?」
「金人も宋人も顔つきも訛りも似てる。どうやって見分けろっていうんだ?」
「俺は金国人と戦うことを生業にしている、上党の人間だ。王彦という」
「やっぱりそうか! 好漢、俺たちは同じ道を歩む仲間だ! 忠義社は金国の二本足の羊の肉だけを食い、金国の二本足の羊の血だけを飲んでるんだ――」
「閻魔のところへ行って、お前の二本足の羊でも食ってろ」
寒光が閃いた。
匕首が范温の背中へ突き刺さる。
続いて、一本の槍が後頭部を貫いた。
范温の口元と胸から黒い血が流れ出した。
血は広がり、寝台の下へ流れ込んでくる。
韋小宝は後ろへ身を引いたが、腰と背中が寝台の板にぶつかった。
そして、誰かに寝台の下から引きずり出された。
「この人食いの畜生を殺せ」
王彦が命じた。
韋小宝は全身の力を振り絞り、腰を狂ったように捻りながら、声が枯れるほど叫んだ。
「俺は山賊じゃない! こいつらに捕まっただけだ! 俺は韋小宝! 大宋の宮廷で大夫をしていた! 魚符が証拠だ! 腰牌もある! それに通関文牒もある! 全部、荷物の中だ! その荷物がどこへ行ったのかは、こいつらがどうしたのか知らない!」
王彦は地面に落ちていた魚符と腰牌を拾い上げ、念入りに調べた。
「韋大夫」
王彦は部下に命じて韋小宝を放させた。
「先ほどは失礼した」
ほとんど力を使い果たした韋小宝は言った。
「王相公、一人、聞きたいことがある。あんたの軍にいるはずなんだ」
「ほう? 誰だ?」
「岳飛、岳鵬挙だ」
王彦の表情が一変した。
その顔には、ありありと嫌悪の色が浮かんでいた。




