CクラスとDクラスの格差
今、一年D組は休み時間である。生徒たちは、みんな思い思いの過ごし方をしていた。仲間と喋る者、小説を読む者、机に突っ伏し寝たふりをしている者など、実に様々である。
もっとも、只野の行動は「実に様々」などという言葉には当てはまらないものだった。
只野の机の上には、妙なものが置かれていた。ゴリラのぬいぐるみとミニカーである。
そして只野は、ゴリラとミニカーを少し動かしては、携帯電話で撮影している。そう、ストップモーションの要領で撮影しているのだ。
まあ、「よくある趣味」と呼べるものではないが、ストップモーションアニメのファンも少なからずいる。これだけなら、「ちょっと変わった遊び」で済んでいただろう。
だが、その撮影中にブツブツ言っているセリフが狂っていた。
「いやー、コングさんナイスですね。実にナイスでございます」
横目でチラチラ見ている芳賀は、その声を聞いた瞬間、またしても混乱してきた。
いや、ストップモーションアニメはわかるよ。私も小さい頃に見たことあるし。
でも、何がナイスなの? この掛け声は何?
好奇心に負け、首ごと隣の席に向ける。
只野の机にあるゴリラとミニカーは、動いていない。いや、動いていないように見える。
その時、またしても只野の声が聞こえてきた。
「素晴らしい! これはもう、ナイスと表現するしかないですね」
いや、さっきからナイスしか言ってないんだけど……。
何の意味があるの? その声は収録されるの?
混乱する芳賀には気づいていないらしく、只野はゴリラとミニカーを少しずつ動かしていく。ミリ単位の移動だろうか。
だが、またしても只野の声が入る。しかも、今度は違う声音だ。
「ライト、ターボジャンプだ!」
「無理ですコング様」
例によって、一人二役の芝居である。そこから、また人形たちを動かすのか、思いきや、只野の動きがピタリと止まった。
そのトボケた顔に、恐ろしい苦悩の表情が浮かぶ。戦争中、核ミサイルの発射ボタンを前にした大統領のごときものだ。
芳賀は、なぜか不安になってきた。
ちょっと只野くん!
どうしたの!?
いつもの君らしくないよ!
心の中でエールを送った瞬間、只野の顔がこちらを向いたのだ。
両者は、ぴったりと目が合ってしまった。爽やかな学園ラノベなら、ここから恋が始まるのかもしれない。
しかし、只野は爽やかさとは真逆の男であった。恐ろしい表情で口を開く。
「芳賀さん、ターボジャンプは海を越えられるかな? どう思う?」
「えっ……」
芳賀は、それ以上何も言えなかった。そもそも、ターボジャンプとは何なのだろうか。そこの説明がないのに、いきなり「海を越えられるかな?」などと聞かれても困る。
しかし、只野に引く気配はなかった。
「芳賀さんなりの意見を聞きたいんだ。自分だけで考えていると、ついつい独りよがりな方向に行ってしまう。これは、クリエイターが陥りやすい罠なんだよ」
もっともらしいことを言ったかと思うと、ひとりウンウンと頷く只野。
彼の言うことにも一理あるが、そもそも意見を聞く相手からして間違っている。芳賀にターボジャンプについての意見を求めるのは、アーサー王に宮本武蔵の強さの真偽を尋ねるようなものだ。
ここで常人ならば、下手なことを言ったら何されるかわからん……と思い、「うーん、どうかな。難しい疑問だね」などという解答で済ませていたはずだ。
しかし、芳賀も只野に毒されてきたのかもしれない。とんでもないことを言い出す。
「それは只野くんが作り出した世界だよね。なら、飛べるか飛べないかは只野くんが決めるべきじゃないかな?」
途端に、只野の表情が変わる。
「えっ……と、そうか、そうだよね! 僕が創作する世界なんだから、僕が決めていいんだよね!」
只野は元気よく答えた後、ノートに何やらメモを取り始めた。
その時、教室の扉が開く。
「やあDクラスの諸君、元気でやってる!? ま、人生は順位ばかりじゃないからさ、のんびり行くのもひとつの手だよ」
そんなことを言いながら入ってきたのは、Cクラスの須藤と上山だ。制服を着崩したり、髪型をそれっぽくして「危険な男」の雰囲気を出そうとしているが、育ちの良さ(それも中途半端なもの)が災いし、「今日から俺は不良になる!」と決意した直後の中学生にしか見えない。
このふたり、成績に関してはCクラスでも下の方である。学園で、何かの委員会に所属しているわけでもない。Cクラスの影の実力者(?)より「Dクラスを偵察してこい」と言われたわけでもない。
では何をしに来たのか? というと、単なる嫌がらせである。須藤と上山のようなタイプは、自分より下と判断した者に対しては超強気だ。Dクラス全員が、自分たちより下……そう思い、乗り込んで来たのである。
「それにしても、この教室はひどいな。机も椅子も、戦前から使ってたんじゃねえか? ボロすぎるぜ」
上山が勝ち誇った表情で言った。確かに、CクラスとDクラスの教室は何もかも違っている。椅子や机のレベルからして段違いだし、壁の色も違う。Dクラスの壁は灰色であり、刑務所のようだ。
さらに、クラス間には厳密な格差があった。Cクラスの生徒は、Dクラスの教室に入ることができる。だが、Dクラスの生徒がCクラスの教室に入ろうとした場合は校則違反であり、ペナルティを科せられる。時には、そのペナルティがクラス全員に及ぶこともあるのだ。
このような露骨すぎる格差があると、自分たちは偉くなった……と勘違いし、下のクラスにマウントを取りに来るバカが必ず現れる。須藤と上山も、そのバカの部類に入る者たちだ。
一方、Dクラスの空気は変わっていった。
面と向かって「ボロすぎる」などと言われれば、当然ながら面白くはない。生徒たちの顔には、怒りの表情が浮かんでいた。
「あの野郎……」
体が大きく喧嘩っ早い幸田が前に進み出ようとするが、木杉がそれを制した。
「やめとけ、あんなバカ相手にすんな。ここで暴力沙汰は、絶対に起こしちゃいけない」
そう、セント・エルモ学園の校則はゆるい。只野がいろんなものを教室に持ち込んでも注意されない点からも、それは窺えるだろう。
しかし、犯罪や暴力沙汰に関しては処分が厳しい。しかも、その処分はクラス全体に及ぶこともある。昭和の理不尽なる連帯責任システムが、この学園ではまだ機能しているのだ。
「クソ、ムカつくな」
幸田が呟いた時だった。Cクラスのふたりは、ターゲットとすべき人物を発見したのだ。
「おい上山! あいつ暴走族に追いかけられて校庭を走ってた奴だよ!」
そう言うと、須藤はズカズカ近づいていった。只野のすぐ横に立ち、彼を見下ろす。
しかし、只野は彼のことを見なかった。存在にすら気づいていないのかもしれない。昭和の文豪のごとき険しい表情で、ノートに何かを書いている。
須藤の表情が変わった。鋭い目つきで只野を睨みながら、声だけは平静さを装い尋ねる。
「なあ、お前こないだ暴走族に追いかけられてたよな。何したんだよ?」
だが、只野は答えなかった。どうやら、本当に須藤の存在を感知できていないらしい。苦悩の表情を浮かべ、ノートを睨みつけていた。
その態度に、須藤は怒りを押さえきれなくなった。
「聞いてんのかてめえ!」
そこで、ようやく只野は顔をあげた。
「はい? 何ですか?」
いかにも面倒くさそうな表情で聞いてきた只野。君に構ってる暇はないんだよ、とても言いたげな雰囲気である。
その瞬間、須藤の手が伸び只野の襟首をつかんだ。
「てめえ、ナメてんのか?」
低い声で凄んだ時だった。
「その行動は、暴行罪成立だな。担任の玉川先生に報告させてもらうぞ」
言ったのは木杉だ。いつの間にか両者に近づいており、クールな表情で須藤を見つめている。
「はあ? 何だてめえ、関係ねえだろ」
須藤の矛先は、木杉へと向けられた。しかし、木杉は動じない。
「お前がここで只野と俺を殴れば、Cクラスはどうなるか……お前は、そんなことすら想像できないバカなのか?」
その言葉を聞き、須藤は目を逸らした。只野をつかんでいた手を離し、肩をいからせて教室を出ていった。
一方、只野は木杉に向かい頭を下げる。
「なんか知らんけど、助けてもらっちゃったね。ありがとう」
なんか知らんけど、は余計だよ……などと思いつつ、木杉はプイッと目を逸らした。
「お前を助けたわけじゃない。あいつらの態度がムカついただけだ。だいたい、中間テスト終わったら消えちまうお前を助けても意味ねえんだよ」




