芳賀の覚醒
「あいつら、どうなってんだ?」
木杉は呟いた。
彼の視線の先には只野がいる。机の上に人形を広げ、何やら撮影している。これは、いつも通りの光景だ。
しかし、隣の席の芳賀はというと、その行動はいつもと異なっていた。机の上に雑誌のようなものを広げ、それを見ながらブツブツ言っているのだ。
普段は只野ウォッチャーであるはずなのに、どうしたのだろうか。木杉は、そっとふたりに近づいてみた。
と、そこで状況が変わる。芳賀は顔を上げ、横にいる只野を見つめた。
その口から、意外な言葉が飛び出す。
「只野くん! お願いがあるの!」
思いつめた表情だ。それにしても、只野にお願いとは、いったい何だろう。まさか、富豪のイーデス・マスクと会いたいとか、忍者の里に行きたいなどと言い出すのだろうか。
「えっ、何? 僕にできることなら協力するよ?」
言われた只野は、撮影を中止し芳賀の方を向く。只野の行動はハチャメチャだが、何のかんの言ってイイ奴なんだよな……などと木杉が思っていた時、芳賀の口から衝撃の言葉が放たれた。
「私は今度、劇団のオーディションを受ける。だから、只野くんに見て批評して欲しいの」
横で聞いている木杉は、口を開けポカンとなっていた。
このセント・エルモス学園の一年D組において、芳賀は成績はそこそこで目立たない女の子……というポジションであった。そんな彼女が、劇団のオーディションを受けるというのか。
その時、木杉の脳裏にひとつの光景が蘇る。王牙忍者頭領・王牙剣之助が教室に現れた時のことだ。彼女は只野に頼まれ、風魔忍者の女頭領を演じてのけたのだ。
あの演技は見事だった。あの時、芳賀は演じることの喜びを知ってしまったのかもしれない。
「えっ、それは凄い。さすがは芳賀さんだ。僕で良ければ、演技を見せてもらうよ」
只野は承知し、芳賀の方を向いた。その顔は、真剣そのものである。
だが、そんな面白そうな話なら黙ってはいられない。木杉も声をかける。
「なあ、俺も近くで見せてもらっていいか?」
「えっ、木杉くん?」
芳賀は慌てた様子だったが、そこで只野が口を挟む。
「芳賀さん、本番の審査員にどんなのがいるかわからないんだよ。僕だけじゃなく、木杉くんにも見てもらった方がいい。それに、木杉くんは人の夢や努力をバカにしたりしない人だから」
「そ、そうだよね。わかった」
「じゃあ、屋上に行こう。そこで、芳賀さんの本気を見せてもらうよ」
そう言うと、只野は立ち上がり教室を出ていく。芳賀と木杉も、後を追った。
三人の後ろ姿を、悔しそうに見つめていたのは幸田だ。彼は、只野らが教室で話し始めた時点で興味を抱いており、何を話しているんだ? と思っていた。
意を決して話しかけようとした途端、只野らは教室を出て行ってしまったのだ。
まただ。
俺は、いつもこうだよ。
只野に話しかけられねえ。
だが、幸田はすぐさま立ち上がった。このままでは終われないのだ。
己の作った詞を思い出す。憧れの先輩に告白するため、ほんの少しの勇気をください……そう祈る女の子。
今の自分に必要なのは、ほんの少しの勇気だ。
だが、屋上についた幸田が目にしたのは、豹変した芳賀の姿であった。
「ホーッホッホッホ! わたくしはイライザ・グレイス! 今日こそ、あのにっくきシーラ・ハンムに目にもの見せてやるわ!」
両腕を組み、高笑いする芳賀。その顔は、何もない空間へと向けられていた。目には、恐ろしいまでの憎しみがあった。
幸田はというと、目の前の光景に圧倒されていた。入学当時は、クラスでもおとなしく存在感の薄い女の子だった芳賀。それが、ここまで変わるものなのか。
と、芳賀の動きが変わる。物陰から、憎き何者かを睨んでいる……そんな様子だ。
「おのれシーラめ……楽しそうな顔で、アベル様の横を歩いていやがりますわ。許せませんの」
その時、只野が口を開く。
「ちょっと待って! 芳賀さん、一言いいかな?」
途端に、芳賀の動きが止まった。顔つきも、普段の彼女のものに戻る。
「何? 何か変なところあった?」
不安そうな表情で尋ねた芳賀に、只野が小難しい表情で答える。
「なんか、今のは芳賀さんらしくないんだよ。誰かを真似してるような……いや、真似してる人を真似してるような感じなんだよね」
何を言っているのだろうか。木杉も幸田もキョトンとなっていた。
だが、言われた芳賀はハッとなっている。只野に言われたことを理解したのだ。
「そう。確かに、これは真似の真似みたいなもの。かつて、このイライザを演じた女優の演技……私は、彼女の演技をそのまま真似していた」
「芳賀さん、君は王牙剣之助が来た時、ほんの数秒で忍者の女頭領をイメージし、そのイメージを演じたんだよ。だからさ、今回も自分の心でイライザをイメージし、自分だけが演じられるイライザを作りあげるんだ」
只野の言葉に、芳賀は頷いた。
「わかった。明日まで待って。今度は、私だけのイライザを演じて見せるから」
「うん、楽しみにしているよ」
その翌日、芳賀と只野と木杉は屋上にいた。さらに幸田も入れてもらっている。
三人が見守る中、芳賀の芝居が始まった。
「ホーッホッホッホ! わたくしはイライザ・グレイス! 今日こそ、あのにっくきシーラ・ハンムに目にもの見せてやるわ!」
両腕を組み、高笑いする芳賀。一見すると、前回と変わりないように見える。
だが、よく見れば違う点があった。彼女の全身から力が抜けており、その動きは自然である。
やがて芳賀は、物陰に隠れ憎き何者かを見つめる……演技をする。
「だんだん腹が立ってきましたわ。あの小娘が、アベル様と親しそうに話して……こうなったら、我がグレイス家に代々伝わりし秘技・嫌がらせ術を用いてギャフンと言わせてやりますわ」
言ったかと思うと、芳賀はごそごそとバッグを探るような動きをしている。
木杉と幸田は、思わず顔を見合わせた。秘技・嫌がらせ術とは何なのだろうか。大元のストーリーが全くわからないが、それでも見入ってしまうのだ。
「芳賀の演技には、見る者を強引に物語の世界に引きずり込むパワーがあるな」
木杉が囁いた。幸田は頷きながらも、同時に自分の心にも火が灯るのを感じる。
芳賀はここまでやってのけた。
俺は、それを黙って見ているだけか?
その時だった。芳賀の動きは、さらに変化していく。何かをつかみ、ニヤリと笑った。
「ふっふっふ、我がグレイス家に伝わりし嫌がらせ術その三十四・菓子投げを食らわせてやりますの」
菓子投げ? なんじゃそりゃ? と木杉が思った時だった。突然、只野が声を発する。
「はい、そこまで」
途端に、芳賀の表情は普段の彼女のものに戻る。不安そうな様子で、只野を見つめた。
対する只野は、笑みを浮かべ頷く。
「芳賀さん、完璧だよ。あとは、それを審査員にぶつけるだけだ」
「ほ、本当?」
「うん。芳賀さんは本当に凄いよ。僅か一日で、ここまでのものを作り上げたのだから」
そんなやり取りを、横で聞いている幸田だったが……彼は、もう我慢できなくなっていた。心の中に燻っていたものは、今や真っ赤な炎と化して燃え上がっていたのだ。
「ウオオオオ!」
吠えた直後、幸田は凄まじい勢いで階段を駆け下りていく。
残された三人は、ポカンとなっていた。
「ど、どうしたの?」
震える声で尋ねた芳賀に、只野は訳知り顔で頷く。
「たぶん、芳賀さんの演技が彼の創作エンジンに点火してしまったんだよ」
一方、教室に戻った幸田は、凄まじい勢いでノートに作詞していく。
今、彼の頭にあるのは今しがた見た光景だ。目立たない気弱だった女の子が、ひとりの少年により華やかな舞台を目指す……その姿を、詞として書き留めていたのである。




