まじリスク・王牙忍法帖(3)
教室内は、何とも言えない空気に支配されていた。
先ほどまでは、剣之助の一方的な言い分に「面倒くさそうな奴が来たなあ」という雰囲気であった。しかし、話をよくよく聞いてみると、只野のやらかしにも擁護できる部分はなさそうだ。
これは困ったぞ……と、緊張しつつも状況を見守る木杉であったが、そこで予想もしていなかった人物が立ち上がる。
何と芳賀であった。
「今、妖怪洟垂れ小僧と言いましたね? でも、洟垂れ小僧は福の神の一面もあります。少なくとも、人間に害をなす妖怪ではないはずです」
えっ、芳賀は妖怪に詳しかったのか。いや、それ以前にこの状況に口を挟むのかよ……想定外の流れに戸惑いつつも、木杉は只野と剣之助の顔を交互に見てみる。
只野は、普段と同じノホホンとした態度だ。剣之助は、妙に静かな表情を浮かべ下を向いている。どういう心境なのだろうか。
だが、その顔が上がった。
「確かに、洟垂れ小僧は福の神でもある。鼻水を拭いてあげれば福を呼ぶ……そんな伝説もある。だがな、今回の只野のしたことは許せん。福の神の力を、とんでもないことに使ったのだ」
言った直後、剣之助はまたしても只野を指さす。
「只野ぉ! 貴様が鼻水を拭いてしまったせいでな! 人別帳の名前が全て消えてしまったのだ!」
この発言には、クラス内がざわついた。
「えっ、マジかよ?」
「鼻水で消えたのか」
「何だそりゃ?」
しかし、そこで剣之助がドスンと足を踏み鳴らす。
「ざわざわすんな!」
途端に、生徒たちはピタッと口を閉じた。だが、そこで只野の口が開かれる。
「なるほど、名前が消えてしまったのですか。しかし、それなら書き直せばいいのでは? 今度は、油性マジックでしっかり書きましょう」
「この愚か者め……それでは済まん。書き直しは許されぬ決まりになっているのだ。それができるなら、戦いの最中に名前を書き直すバカが出てくる。事実、過去には勝手に名前を書き変え参加した者もいたらしい」
「ほう、そうなりますか。となると、一族同士の戦いは中止ですか?」
「そうせざるを得ない。こうなってしまったのも、貴様の責任だ。只野、死んでもらうぞ!」
言った直後、剣之助の手には短めの忍者刀が握られていた。どこから出したんだよ……と思う木杉であったが、そこで只野の口から意外な言葉が飛び出る。
「待ってください。僕を殺すのは、いつでもできます。それより、先にやらねばならないことがあるでしょう。僕が先方に謝りに行きますよ」
「バカ者! お前ひとりを行かせられるか! 謝罪なら、俺も行く!」
「だったら一緒に行きましょう!」
そんなことを言ったかと思うと、只野はつかつか近づいていき、剣之助の手をつかむ。なぜか、彼のやる気に火がついてしまったらしい。
しかし、剣之助は動かない。なぜかモジモジしている。
「いや、それが、そうもいかんのだ……」
「なぜですか?」
「じ、実はな……風魔一族の現頭領は、見目麗しい若き女性らしいのだ」
「だったら、なおさらウィンウィンじゃないですか。美しい女性頭領に会える! これ最高ですよ! さあ、行きましょう!」
ますますやる気の出てきた只野だが、剣之助は首を横に振る。
「俺は、女性と話すのに慣れておらん。ましてや、見目麗しい女性ともなると……上手く話せる自信がない」
横で聞いている木杉は、開いた口がふさがらなくなっていた。
この人、ワイルドなイケメンのくせに女性が苦手。となると、今まで彼女いなかったのか……などと考えていたが、只野は違うことを考えたらしい。
「では、ここで練習しましょう!」
「練習? 何の練習だ?」
「風魔の頭領と会って話す時の練習です」
そう言うと、只野は隣の席の芳賀を睨みつける。
「芳賀さん! 君がその見目麗しい頭領の役をやって!」
いきなり振られた芳賀は、さすがにきょとんとなった。
「えっ!? あたし!?」
「そう! 忍者一族の頭領にして絶世の美女! これをアドリブでやって! 頼んだよ!」
とんでもないことを言ったかと思うと、次は剣之助を見つめる。
「では、謝罪シーン三秒前! 三! 二! 一! スタート!」
すると、とんでもないことが起きた。芳賀の顔つきが一変したのだ──
「わらわは、風魔一族の頭領である。貴様、何用か?」
喋り方も佇まいも、まさに女王のそれである。クラス全員、この芳賀の変身ぶりに見とれていた。
そこで、只野が声を発する。
「いいよ芳賀さん、素晴らしい演技だ。まさに天性の演者。さあ、次は剣之助さんですよ!」
だが、剣之助は動かない。いや、動けずにいたのだ。
見かねた只野は、彼の頭をノートではたく。
「何やってんの剣之助さん! 目の前に風魔一族の頭領がいるんだよ! このままじゃ、王牙一族がナメられちゃうよ!」
その言葉に、剣之助はハッとなった。どうにか言葉を絞り出す。
「此度は……我らが不手際により、果たし合いの儀、叶わぬことと相成った。まことに面目次第もござらぬ」
途端に、芳賀の目が吊り上がる。
「ほう。そちらの不手際ゆえ、と申されるか。さて、この落とし前、いかようにつけられるおつもりかな?」
低い声で凄まれ、剣之助はたじたじになっていた。
芳賀の奴、名演技じゃないか……などと木杉が思っていると、剣之助が何を血迷ったか忍者刀を抜いた──
「は、腹を切る! 腹を切って詫びる!」
その瞬間、パコーンという音が響いた。剣之助の頭を、只野がノートで叩いたのだ。
「腹を切ったら痛いじゃないですか。そんなの駄目です」
「では、どうしろと言うのだ?」
「簡単です。デートに誘いましょう」
「で、でぇとぉ!」
唖然となる剣之助だったが。クラスの中もざわついていた。なぜ、そんな展開になるのか……全く理解できない。
その時、只野が剣之助の肩をガシッとつかむ。
「あなたはイケメンです。どこ突っついても、完全なイケメンです。そのイケメンぶりを活かし、風魔の頭領をデートに誘うのです。大丈夫、プランは僕が作ります」
「どんなプランだ?」
なぜか鼻息が荒くなっている剣之助に、只野は勝ち誇ったような表情で語り出す。
「まずは永石園です。世界一ゆるい遊園地として知られてますよ。怖くなさ過ぎて笑ってしまうお化け屋敷や、めちゃくちゃ遅いけど逆にそれが怖いジェットコースターとか、ぶっ壊れたテープレコーダーみたいなBGMとか、一度行ったら忘れられないですよ」
「おおお、そうか」
真顔で聞いている剣之助を見て、木杉は不安になってきた。そのデート、失敗するんじゃ……などと思っていると、事態はさらにとんでもない方向へと進んでいく。
「あと、美味い麩菓子を出す駄菓子屋も教えてあげますよ。風魔一族の頭領ともなれば、駄菓子なんか食べたことないでしょうからね。その新鮮な味わいに、人別帳など忘れてニッコリですよ」
「そ、そうか。わかった」
「では善は急げだ。今から行きましょう」
そう言うと、只野は剣之助の手を握る。そして、ふたりして教室を出ていってしまった。
直後、教室には何とも言えない空気が漂う……が、それは長く続かなかった。
「芳賀ちゃん! 今の演技凄かったよ! 女優の南島マヤみたいだった!」
ひとりの女生徒が、興奮した面持ちで芳賀に話しかける。と同時に、教室の空気は一変した。
別の男子生徒は、落ちている鎖鎌を拾い上げる。剣之助が置いていったものだ。
「カッコいいなあ。木杉、これ、もらっていいかな?」
聞かれた木杉は苦笑した。
「いや、俺に聞かれても困るが……まあ、いいんじゃないか。只野が上手くやってくれるだろうし」
そう言うと、倒れている教師の玉川を一瞥する。未だ白目を向いて気絶しており、意識を取り戻す気配はない。
「はーあ、これでも担任かねえ」




