宮本静香の尾行(1)
セント・エルモ学園一年D組の宮本静香は、かつてヤンキーであった。
とは言っても、よくあるタイプのヤンキーとは根本からして違う。彼女は、もともと何でもできてしまう少女であった。特に試験勉強などせずとも、クラスでは三位以内の点数を取れる。スポーツは万能。顔も申し分ない。まさに、絵に描いたような完璧超人であった。当然、スクールカーストの上位である。
そんな彼女がヤンキーと交流するようになったのは、全くの偶然であった。
ある日、宮本は繁華街を歩いていた。すると、路地裏で何やら喚く声がする。何事かと見れば、同じ学校の岸谷友里恵がおかしな連中に絡まれている。ヤンキーというよりはチンピラという表現が適切で、それも数人だ。殺気立った雰囲気が漂っており、岸谷は真っ青な顔で立ち尽くしている。その上、周囲には通行人がいない。
何もせず放っておいたら、事件になりそうだ。宮本は、すぐさま携帯電話で警察に電話しつつ、大きな声を出す。
「すいません! 怖そうな人たちが、中学生を脅してます! このままほっといたらヤバそうですよ! もし何もしなかったら、公安委員会に訴えますからね!」
途端に、男たちの表情が変わる。迷うような素振りはあったが、これ以上粘ってもメリットはないと判断したのか、ひとにらみし引き上げていった。
ヘナヘナと崩れ落ちる岸谷に、宮本は近づいて行った。これまで、全く接点のなかった両者である。岸谷は素行不良の劣等生で、宮本は優等生だ。
「危なかったね。どうしたの?」
そっと聞いてみると、岸谷は顔をあげた。
「助かったよ……」
事情を聞いてみると、岸谷の後輩の家出娘たちが、その周辺で騒ぎを起こし、地元の怖いお兄さんたちを怒らせてしまったらしい。岸谷は、全くの巻き添えであるとのことだ。
根本的な解決にはなっていないが、とりあえずのところは安心であろう。
「あんた、さっさと逃げなよ。わかってると思うけど、しばらくはこの辺をうろつかないことだね」
それだけ言って、宮本もその場を離れた。ヤクザ絡みの事案には関わりあいたくない。
その件で、岸谷は宮本に恩義を感じたらしい。翌日の教室でいきなり近づいてきて「あんたに何かあったら、ウチら動くから」などと言ってきたのだ。宮本は困惑しつつも、とりあえずは頷いておいた。
そこから、ふたりは交流するようになる。さらに、岸谷の後輩らとの付き合いも始まった。
今では距離を置いているとはいえ、完全に切れたわけではなかった。
そんな宮本は、実家にちょっとした用があり、地元に戻っていた。ついでに近所の商店街を見て回っていた時だった。
けたたましいエンジン音が聞こえてきたかと思うと、バイクが一台走ってきたのだ。
バイクは宮本の近くで停まり、またがっていた者はヘルメットを脱いだ。
「あ、先輩! どうもッス!」
デカい声と共に挨拶してきたのは、岸谷の後輩である鬼塚栄子である。とにかく喧嘩っぱやい少女であり、男相手にも先頭きって殴りかかっていくような性格だ。ただし頭は悪く、英単語は二十個ほどしか知らず漢字も読めないものがたくさんある。
根が世話焼きな宮本は「こいつ、どうなるんだろうか……」と今後の人生に不安を覚え、さり気ないやり方で少しずつ常識的な漢字を教えていった。
そのことを、今も恩義に感じているらしい。まあ、それはいいとして……今の彼女には、大きな問題がある。
「あんたさぁ、まだ中三だよね。あたしの記憶が間違ってなければ、バイクの免許は取れないよね?」
「はい! その通りッス!」
元気よく答えた。宮本は、困ったことになったぞ……と思いつつも、会話を続ける。
「てことは、無免許か?」
「はい! 無免許ッス! ついでに、このバイク盗んだやつなんですよ!」
大きな声で、はきはきと答えた。では、鬼塚は盗んだバイクであちこち走り回っているということになる。
どう考えてもマズい状況だ。一応、言うだけは言ってみよう。
「なあ、どっかで一緒にご飯でも食べないか? 奢るよ」
「マジッスか!? いや、ちょうど金なくて昨日からおにぎりとチョコレート食ったきりだったんスよ! ありがとうございます!」
そう言って、何度も深々と頭を下げる。バカだが礼儀正しく義理堅い子なのだ。宮本が苦笑した時だった。
宮本の視界に、意外なものが飛び込んでくる。
「あれ、只野じゃないか……」
驚きのあまり、思わず口にしていた。
ふたりのいる位置から二十メートルほど先にある道路を歩いているのは、間違いなく只野だ。
しかし、その格好は妙なものだった。大きなリュックサックを背負い、靴は登山用のトレッキングシューズである。手には軍手らしきものをはめており、首からは水筒をぶら下げていた。
その上、手には地図と思われる紙を持っているのだ。新聞でも見ているかのように、大きく広げた状態でじっと見つめ、そのまま進んでいる。放っておいたら、通行人とぶつかりそうだ。
「先輩、あいつ知り合いですか?」
鬼塚が不思議そうに聞いてきた。あんな変人と知り合いだと思われたくない……などと思いつつも、仕方なく答える。
「只野聖斗って名前の変人だ。同じクラスなんだけど、バカばっかりやってんだよ」
次の瞬間、鬼塚の表情が変わった。
「えっ!? マジッスか!? 只野聖斗って、最近すげえ有名ですよ!」
「ゆ、有名? あんた誰から聞いたの?」
「ウチらのレディース『乱怒天女』の先輩ッス。暴走族の一州連合の特攻隊長や、東亜組の鎌田とやり合ったって聞きました」
一州連合と東亜組とは、どこかで聞いたことがあるな……などと思いながらも、宮本は話を続ける。
「やりあった? それだけで有名になるの?」
「ちょっと先輩、わかってないッスね。一州連合特攻隊長の郷田は、他の族との戦争の時、根性を見せるため後輩数人に木刀でタコ殴りさせたらしいんですよ」
「ちょっと待て。相手をタコ殴りじゃなく、自分をタコ殴り? その行動に何の意味がある?」
「いやあ、それがウチらの気合いなんですよ。ちなみに、郷田は叩かれ過ぎて気絶しちゃったらしいですけど、そこまで根性見せるのは大したもんですよ。そっから郷田伝説が始まったんです」
どこからツッコんでいいのかわからない話だが、彼らには彼らにしかわからない世界があるのだろう。宮本は、とりあえず黙っていることにした。
「あと、東亜組の鎌田は……素手の喧嘩ならヤクザの中でも一番なんじゃないかって言われてる男ですよ。山に組員とキャンプに行ったそうなんですが、その時にヒグマが出たそうです」
ヤクザか山でキャンプするという点にも驚きだが。ヒグマに襲われたというのも怖い。ヤクザなら拳銃も持っているし、撃ち殺したのだろうか。
しかし、事実は宮本の想像を超えていた。
「で、鎌田は若い組員を先に逃して、ひとりでヒグマに立ち向かっていったんですよ。しばらくして警察や猟師らが来たら、ちょうどヒグマが逃げていくところだったそうです」
「じゃあ、ヒグマを素手で倒したのか?」
「いや、闘ってはいないそうです。気合いだー! とか、オイ! オイ! とか叫びながらドスンドスン足を踏み鳴らしていたら、ヒグマがドン引きして逃げてったそうです」
「なんだそれ……」
呟いた宮本だったが、その時になってようやく思い出した。一州連合と東亜組……どちらも、セント・エルモ学園に乱入してきた連中だ。
一州連合は、只野が総長のバイクにサイドカーをくっつけてしまった。すると、総長はそのサイドカーに犬を乗せるようになったのだ。今では、犬と共にギャルから写真を頼まれたりするそうだ。
東亜組は、只野が組長の持っている日本刀を只野がコンクリートで固めてしまった。ところが、組員はそのまま素振りしているらしい。すると、組長の体はみるみる逞しくなっていった。その姿に刺激された組員たちが筋トレを始め、今やマッチョ化計画が進んでいるという。
いずれも、只野がやらかしたことで大きく変化している。
「鬼塚、只野はやり合ったわけじゃないそ。あいつはな……」
説明しようとした時、只野が動き出した。巨大な地図を広げたまま、どんどん歩いていく。




