桜小路力也、怒る
その少年は、身にまとう空気からして異なっていた。
現在、一年D組は昼休みの時間である。
ほんの二ヶ月前までは、みんながそれぞれ勝手に過ごしていた。数人のグループで集まり語り合う者たちがいるかと思えば、机に突っ伏し寝たふりをする者。漫画や小説を読む者もいれば、教室からいなくなる者もいる。
今も、似たような光景は見える。ただ、ひとつだけ違う点がある。皆、さり気ない仕草で只野の席をちらちら見ていることだ。
そんな中、Dクラスの教室に入ってきたのは、一年A組のトップである桜小路力也だった。桜小路財閥の三男坊であり、成績も容姿も申し分ない。まさに、完璧超人を具現化したような少年である。
桜小路は、教室に入るとすぐに立ち止まった。教室内を見回し、溜息を吐く。
「なるほど、これがDクラスの教室か。これは、むしろ上にいる者ほど見ておかねばならないな。一度下に落ちると、待遇がまるで違う」
そんなことを呟きながら、奥に進んでいく。その時、星川が立ち上がった。
「お、おい桜小路! 何しに来たんだ!?」
声を震わせながら怒鳴った。すると、桜小路はちらりと見る。
「よう、星川コンツェルンの御曹司ともあろう者が、ずいぶんと落ちたもんだな。悪いがな、俺が用があるのはお前じゃない」
それだけ言うと、桜小路は進んでいく。他の生徒たちは、彼のオーラに気圧され道を開けた。
やがて桜小路は、只野の席で立ち止まる。只野はというと、彼には目もくれず奇妙な動きを繰り返している。虚空に向かい、相撲の突っ張りをするような動作だ。
「只野、お前にちょっと話がある。ここじゃ何だから、ちょっと外に行かないか?」
小声で囁いたが、只野は彼の方を見ようともせず答える。
「申し訳ないけど、僕は忙しいんだよね。用なら、ここで頼むよ」
大きな声であった。桜小路には、何の興味も関心もないらしい。
桜小路は、どうしたものかと首を捻る。このふざけた少年は、ベネディ家のパーティーに招かれていた。だが、正直なところ確信が持てない。果たして、本当にパーティーに出席していたのかを確かめたかったのだ。
しかし、その前に……。
「お前、何をやってるんだ?」
「何ってさ、昨日『喧嘩芸 骨法』という本を読んだんだよ」
「はあ? ケンカゲイコッポウ?」
桜小路はわけがわからなくなった。この張り手のような動きが、そのケンカゲイ何とかなのだろうか。
「うん、僕もよくわからないんだけど、とりあえずこんな技を使うらしいんだ」
「何だそりゃ……」
げんなりする桜小路。どうやら、こいつは武術の本を読んで、すっかりその気になっているらしい。
しょせん、その程度のバカか……と思ったが、次に飛び出してきたセリフは、桜小路の想像を完全に超えるものだった。
「でさ、昨日寝ていたら夢を見たんだ。時は二〇一五年、未来が舞台なんだよ。大きくて怖い男ふたりが喧嘩をしててさ、僕は慌てて止めに入ったんだ。そしたら、とんでもないことを言われたんだよ」
なぜ、こいつの夢の話を聞かされなきゃならんのだ……などと思いつつも、適当に相槌を打つ。なにせ只野は、ベネディ家と深い関わりを持っているかもしれんのだ。とりあえずは怒らせない方がいい。
「片方のスキンヘッドがさ、うるせえな! てめえは友達がひとりもいねえじゃねえか! って言ってきたんだよ。僕は、それもそうだと思って喧嘩を見守ることにしたんだ。そしたら、ちょうど目が覚めてさ……この夢、実は予知夢な気がするんだよ」
「よ、予知夢?」
「うん。いつか、こんなことをする二人組が現れるような気がするんだよ」
絶対に現れねえよ……と心の中でツッコミながら、桜小路はそっと口を開く。
「そ、そうか。現れるといいな。ところで只野、お前はベネディ家の──」
「あ、そうだ! 今、恐ろしいアイデアを閃いたよ!」
いきなり叫んだ只野。彼は立ち上がると、桜小路ではなく隣の席の芳賀の方を向いた。
「芳賀さん、喧嘩芸・プレスリー拳法ってどうかな?」
「プ、プレスリー拳法?」
きょとんとなっている芳賀に向かい、只野は一方的に語り続ける。
「うん。プレスリーの曲に合わせた型をひとつずつ作っていくんだ。で、衣装のあのヒラヒラで攻撃を防ぐ。モミアゲには小型手裏剣、リーゼントにはピストルを隠すんだよ」
「いや、でも……手裏剣やピストルを使ったら、拳法にならないんじゃないの?」
圧倒されつつも、そっと言葉を返す芳賀。その時、ついに桜小路の怒りが爆発した。
「コラ只野ぉ! 俺の話を聞けぇ!」
いきなり喚かれた只野は、えっ? という顔で桜小路の方を向いた。
桜小路は、怒りで顔が真っ赤になっている。だが、それも仕方ないだろう。なにせ、彼は桜小路財閥の跡取りである。ここまで存在を蔑ろにされたことはない。
「何? どうかしたの?」
「俺を誰だと思ってる! 桜小路力也だぞ!」
「ああ、そうなんだ。わかった。僕忘れっぽいからさ、今すぐメモするよ」
言ったかと思うと、只野は水性マジックを取り出した。自身の手のひらに「さくらこうじりきやくん」と書いてみせる。
桜小路の体がプルプル震え出した。もちろん怒りのためである。しかし、彼はどうにか堪えた。そう、この少年は桜小路財閥の跡取りである。アンガーマネジメントは、既に身につけているのだ。
どうにか笑顔を作り、口を開く。
「なあ、お前は以前ベネディ家のパーティーに招かれてなかったか?」
「ベネディ家? さあ、知らないな。そのベネディ家って何なの? 有名なの?」
真顔で聞いてきた只野を見て、桜小路はホッと安堵した。
ベネディ家……ジョン・ドー・ベネディ大統領を輩出しており、その後もアメリカ合衆国に多大なる影響を及ぼしている一族だ。このベネディ家を知らないとすると、並のバカではないことは間違いない。
つまり、只野は恐ろしいまでのバカということになる。そんな男が、パーティーに招かれるはずはない。
それ以前に、よくよく考えてみれば、日本人でベネディ家と親交がある者など、ほとんどいないのだ。俺は何を勘違いしていたのか……と思った時だった。
只野の口から、とんでもない言葉が飛び出る。
「あ! 思い出したよ! そのなんちゃら家のパーティーみたいなのに出たんだ! ごめん、すっかり忘れてたよ!」
そう言うと、只野はペコリと頭を下げた。
一方、桜小路は愕然となる。あのベネディ家のパーティーに招かれたことを、この少年は忘れていたというのか。
「お前、本当に忘れていたのか?」
「うん。だってさ、出てる人を誰も知らないし興味もなかったから」
「きょ、興味もなかっただと……」
またしても、桜小路の体が震え出す。しかし、只野は気にも留めず語り続ける。
「うん。だってさ、見たこともない人たちが、ニコニコしながらわけわからないこと話してるだけなんだよ。家でプチプチ潰してる方が、まだマシだよ」
プチプチとは、荷物の緩衝材として使われるビニールのアレのことであろう。アメリカを動かす影響力を持つ一族のパーティーを、アレ以下だと言うのか。
桜小路は拳を握りしめたが、只野は平気で話を続けている。
「そういえば、そこでイーデス・マスクに会ったんだよ。初めは、ロビンマスクのバッタモンみたいな変な奴だと思ってさ。持ってた麩菓子あげたら、ポリポリ食べてたよ。以来、たまに連絡取り合う仲になったよ」
間違いない。この少年は、ベネディ家のパーティーで世界的富豪のイーデス・マスクに麩菓子を食べさせるという暴挙をやってのけたのだ。
「お前は、なぜそのパーティーに出た?」
震える声で聞いた桜小路に、只野はすました顔で答える。
「うん、気まぐれかな」
途端に、桜小路のアンガーマネジメントも崩壊した。あのパーティーに呼ばれるまで、桜小路財閥は何年かかったか……。
そのパーティーに、この男は何の価値も見出していないのか。
「クソがぁ! 泣かしてやる! てめえを気まぐれで泣かしてやるうぅ!」
叫びながら、桜小路は拳を振り上げた。しかし、そこに割って入ったのは木杉である。彼とて只野ウォッチャーだ。こうなる前から、状況を窺っていたのである。
「桜小路、落ち着け。まずは外に出よう」
そう言うと、木杉は力ずくで桜小路を連れ出した。なにせ、木杉は勉強のみならずスポーツも万能で喧嘩も強い。桜小路を、あっさりと連れ出してしまった。
一方、只野は首を傾げる。
「なんだろう……何か、嫌なことでもあったのかな」




