只野、BJを語る
その日の只野は、一心不乱にペンを動かしていた。
シャープペンを握りしめ、ノートを広げて何かを書き込んでいる。その表情は真剣そのもので、漂う空気には殺気すら感じられる。
授業中から、ずっとこの調子である。休み時間になっても、ペースが衰えることはない。隣の席で見ている芳賀は、圧倒され口を出せずにいた。
と、そこに近づいていくのは木杉だ。
「おい只野、何やってんだ?」
この空気の中で話しかけられるとは、さすが木杉くん……と、芳賀は心の中で拍手し喝采を送っていた。実のところ、芳賀も聞きたくて仕方なかったのだ。
すると只野は、恐ろしい表情で顔をあげる。
「木杉くん、僕は恐ろしい発見をしてしまったよ」
「恐ろしい発見? どんなことだ?」
「昨日、AIという映画を観たんだよ」
横で聞いている芳賀は、記憶のページをめくってみた。
AIは二〇〇一年のアメリカ映画だ。人間と同じような感情を持つロボットの悲哀を描いた感動作である。
只野は、あの映画を観て何を思ったのだろうか……と耳を傾ける芳賀だったが、只野の感想は遥か斜め上をいくものだった。
「僕は気づいたよ。AIの次は、BJなんだよ」
「はあ? ああ、確かにAの次はBだな。Iの次はJだけど……それがどうかしたのか?」
訝しげな表情の木杉。横で聞いている芳賀も、わけがわからなかった。
すると只野は、世紀の大発見でもしたかのような顔つきで語り出す。
「あのさ。トランプのブラックジャックって知ってる?」
「ブラックジャック? 詳しくは知らんが、カジノとかでプレイされてるゲームだよな」
「うん。ブラックジャックで一番強い役が、エースと一なんだよ。エースと一……つまりAIなんだよ。なんだか怖いね」
言われた木杉は、眉間に皺を寄せて黙り込む。
この当時、陰謀論なる言葉は一般的ではなかった。しかし、陰謀論を展開する者は既に出現していた。
この当時、陰謀論の代表的なものが……二〇〇一年のアメリカ同時多発テロは自作自演だ! という説である。
只野は、ついにそっちに行ってしまったのか……と芳賀は思ったが、それは大きな間違いであった。
「つまり、AIはBJなんだよ。だから、僕はBJを撮ろうと思うんだよね。いや、これは運命なんだよ。撮らなくてはいけないんだよ」
わけのわからないことを言って、ウンウン頷いている只野。だが、そこで木杉が口を開く。
「只野、ブラックジャックはな、エースと十が最強だ。一じゃない。つまり、Iじゃないんだよ」
えっ?
そうだったの?
芳賀はブラックジャックのルールなど知らない。したがって、間違いにも気づかなかった。
ところが、只野は怯まなかった。
「うん、そうだね。でもさ、アラビア数字の十は一と〇で構成されてるよね? 〇はゼロなんだ。つまりは無なんだよ。だから、十はIなんだ」
勝ち誇った顔で語った只野に対し、木杉はちょっと釈然としない様子だ。しかし、それでも頷いた。
「お、おう……なんか知らんが、お前がそう言うならそうなんだろう」
「で、本題はここからだよ。僕は今、映画『BJ』の構想を練っているんだ」
「どんな構想だ?」
「まず、主人公はブラジリアン柔術の達人の無免許医なんだよ。患者をチョークスリーパーで絞め落として、それから手術するんだ。場合によっては、秘孔を突いたりもするんだよ」
横で聞いている芳賀は、頭が混乱してきた。
何それ?
絞め落とすのが麻酔なの?
そんなの医療じゃないよ?
木杉もまた、同様のことを思ったらしい。
「お、おう。そんなやり方じゃ、免許は一生発行されないな。あと、ブラジリアン柔術に秘孔を突く技はないと思うが……まあ、いいや」
「でね、その無免許医がバカンスのため南の島に行くんだけど、そこでいきなり後ろからブラックジャックで殴られて気絶するんだよ」
「ブラックジャックって、あの革の棍棒か。気絶させるのに使うらしいな」
「おお、さすが木杉くん。詳しいね。で、無免許医が目を覚ますと、世界裏格闘技連盟の試合に参加させられちゃうんだよ。ラスボスはね、ブラックジャガーという覆面レスラーなんだ」
「ほう、そうなのか」
木杉は、若干困りながらも頷いている。横で聞いている芳賀には、何のことやらさっぱりわからない。それでも、只野が本気であることは感じ取れた。
「でね、主演俳優はボン・ジョビに頼もうかと思うんだよ。そして、音楽はビリー・ジョエル。どうかな?」
「どうかな、って言われても……それ、ものすごい金かかるぞ。制作費はとんでもない額になるな」
「そうだよね、だからさ、まずはプレスリーものまね大会に出て優勝し、賞金を稼ぐつもりだよ」
なるほど。
プレスリーものまね大会が、そこに繋がってくるわけか。
芳賀は合点がいったようだが、木杉はまだ納得いかない点があるらしい。
「只野、プレスリーものまね大会の賞金だけじゃ足りないと思うぞ」
それ以前のツッコミ所には全て目をつぶり、木杉は尋ねた。
すると、只野は顔をしかめつつ頷く。
「うーん、そうなんだよね。そこが思案のしどころだよ」
「しかも、ボン・ジョビとビリー・ジョエルが出るんだろ。制作費は億じゃ足りないぜ」
「となると、やっぱりイーデス・マスクに融資を頼むしかないかな」
只野はとんでもないことを言い出した。さすがに、芳賀もギョッとなり彼の顔を見る。イーデス・マスクと言えば世界的な大富豪ではないか。
そういえば、以前に星川と会話していた時もイーデス・マスクの名前が登場していた。となると、只野はあの男と個人的な付き合いがあるのかもしれない。
普通なら、ありえないけど……。
でも、只野くんならありえるかも?
そんなことを思う芳賀だったが、ふたりの会話はさらなる異次元へと向かっていた。
「あとな、もうひとつ問題があるぞ。ボン・ジョビとビリー・ジョエルという世界的ミュージシャンが共演するとなるとだ、音楽性の違いから衝突する可能性もある」
真顔でそんなことを言い出した木杉に、只野も真面目な表情でウンウン頷いた。
「そういえばそうだね。どっちも引きそうもないからな……音楽性の違いというのは、やっぱり大きな問題だよね」
傍から見れば、アホな高校生の妄想にすぎない話について、真剣に語り合うふたり……只野の席だけ亜空間に突入したような雰囲気であった。
しかも、そこに新たなる爆弾が投入された。
「よ、よう。ふたりで何話してるんだ?」
上擦った声で話しかけてきたのは幸田である。実のところ、屋上の件から幸田は只野に話しかけたくて仕方なかった。しかし、今までは勇気が足りなかった。「よう只野、何してるんだ?」の一言がなかなか言えなかった。
しかし、今日は勇気を振り絞り声をかけたのである。
対する只野はというと、パッと表情が明るくなった。
「そうだ! 幸田くんさあ、作曲できるんだよね。映画音楽をやってみる気はない?」
「はあ? 映画音楽? なんだそりゃ?」
わけがわからず聞き返す幸田に、横から木杉が口を挟む。
「いや、それより幸田……お前、作曲できんのか?」
「えっ! いや、あの、その……」
たちまち顔が赤くなり、しどろもどろになる幸田。しかし、そこでチャイムが鳴り、逃げるように去っていった。木杉もまた、自分の席に戻っていく。芳賀はというと、残念そうな表情で授業の準備を始めた。
そんな彼らに、羨望と嫉妬の眼差しを向けている者がいた。
「クソ、必ずや只野とハムスターの正体を暴いてやる。星川コンツェルンの名にかけて……」
後ろから見ていた星川は、密かに誓うのであった。




