手打ち式
その日、芳賀は下校時間ギリギリで校舎を後にした。
なぜか、今日は只野が妙におとなしかった。そのため、只野ウォッチャーである芳賀は集中力に欠けており、綾部の授業中に居眠りをするという最悪の失態をしてしまったのだ。
そのため、説教と誓約書のダブルコンボをくらい、ようやく解放されたのである。
だが、彼女は後に綾部に感謝することとなった。とんでもない奇跡の目撃者になったのだから──
寮に帰ろうと歩いていた時、只野のテントをちらりと見た。途端に、彼女はギョッとなる。
只野はアウトドアチェアに腰掛けていた。彼の前には、五匹の猫がいる。大きさも毛並みもバラバラだが、共通点がひとつあった。皆、尻を地面につけ前足を揃えた体勢で、只野の顔をじっと見上げているのだ。
な、何あれ……。
芳賀は、そっと木の陰に隠れた。只野の表情は真剣そのものであり、猫を愛でている雰囲気はない。対する猫たちの方も、只野と遊んでいる感じではなかった。
はっきり言うなら、殺伐とした重苦しい空気が漂っているのだ。時おり只野は口を開けているが、何を言っているのかわからない。
芳賀は木陰に隠れ、少しずつ近寄っていく。その様は、マフィアを見張るFBI捜査官のようであった。
近づくにつれ、只野の声が聞こえてきた。
「ちょっと落ち着いて。ここで話を整理するよ。まず、アレクサンダーのグループの縄張りに、ニャーマルのグループのタムタムとチャムチャムが侵入した。これは間違いないね?」
尋ねたところ、二匹の猫がニャーと鳴いた。それで合ってる、とでも言いたげな様子だ。
見ている芳賀は、目を丸くしていた。
ちょっと待って。
只野くん、普通に日本語で喋ってるのに通じてるの?
そう、只野は真顔で普通に話しているが、猫には言葉が通じているらしい。
しかし、話はそこで終わりではなかった。
「ちょっと、タムタムとチャムチャムはどうなの? 今の話、何か間違っている点はあるの?」
強い口調で尋ねると、片側にいる小柄な猫二匹が弱々しい声で鳴く。認めたくはないが、只野に言われては認めざるを得ない……そんな態度だ。今のやり取りから判断するに、今の二匹がタムタムとチャムチャムなのだろう。
只野はウンウンと頷くと、猫たちを見回す。
「では、話を続けるよ。タムタムとチャムチャムは、アレクサンダーのグループの縄張りに入っていった。そしたら、ニャンゴロウに見つかった。それで、ニャンゴロウは怒ったわけだね」
聞いている芳賀は、口が開きっぱなしになっていた。
えっ……。
なんか、大事になってるよ。
このままだと戦争?
猫戦争?
その時、片方の猫が恐ろしい声を出した。大柄な白猫で、あちこちに傷がある。タムタムとチャムチャムが、すぐ後ろに控えていた。おそらくは、この白猫がニャーマルなのだろう。
ニャーマルは、威嚇の唸り声をあげつつ横の黒猫を睨みつけている。対する黒猫も、背中の毛を逆立て臨戦態勢だ。こちらも体が大きく、肉つきがいい。足は太く、熊のような体型だ。
となると、あの黒猫が抗争相手のアレクサンダーなのか。このままだと、白黒つける戦いが始まってしまう……と思いきや、ピィー! という音が響き渡った。只野が、胸から下げていたホイッスルを吹いたのだ。
「ここは中立地帯なんだから、戦いは駄目!」
いつも教室でノホホンとしている只野からは、想像もつかない強い口調である。
只野くん、あんな声を出す時もあるんだ……。
意外な姿を見て唖然となる芳賀だったが、両者いや両猫はたちまちおとなしくなった。只野という男は、野良猫のボスたちにすら一目置かれる存在であるらしい。
「では、話を続けるよ。アレクサンダーの縄張りに侵入したタムタムとチャムチャムは、ニャンゴロウに見つかった。そしてボコボコにやられた。そのため、ニャーマルは怒っている……これに間違いはないね?」
只野が言うと、黒猫の後ろにいた虎縞柄の猫がニャーと鳴いた。こいつがニャンゴロウらしい。そうです只野さん、とでも言っているのか。
その声に反応したのはニャーマルだ。ニャーと強い口調で鳴く。なんだとコラ、と言っているようだ。
直後、ニャーマルとニャンゴロウは睨み合う。またしても、猫流のガンの飛ばし合いが始まった。互いに背中の毛を逆立て、威嚇の唸り声をあげている。
その時、只野がまたしてもホイッスルを吹いた。途端に、ニャーマルとニャンゴロウは引き下がる。
あのホイッスルは何なのだろう。ひょっとしたら、あれには猫に言うことを聞かせる魔力があるのだろうか……などと芳賀が考えている間に、只野は話を進めていく。
「まず、タムタムとチャムチャムはアレクサンダーの縄張りを侵犯した。これは、明らかに罪だ。しかし、ニャンゴロウもやりすぎの感はある。よって、今回は喧嘩両成敗。いいね?」
いや、それはあまりにも適当だろ……と、芳賀は心の中でツッコんだ。
猫たちも同じことを思ったらしい。不満そうな様子でニャーニャー騒ぎ出した。
すると、只野はテントに手を突っ込み何かを取り出した。
小さな皿だ。それも五枚ある。その皿を、只野はきちんと並べていく。
次いで、もう一度テントに手を突っ込む。取り出したのは、キャットフードの缶だ。それも超高級なウエットフード『ゴールデンデリシャスデラックスモンペチ』である。バカが考えた必殺技のような商品名だが、実のところこれを買うには『猫の会』会員になる必要がある。一般市民には買うことができない代物なのだ。
只野は、その『ゴールデンデリシャスデラックスモンペチ』の缶を開け、惜しげもなく皿に盛り付けていく。それも五つだ。
途端に、猫たちは黙りこんだ。只野が缶を開けていく様を、じっと眺めている。
缶を全て開けて五つの皿に分配すると、只野は猫たちの顔を見回した。
「いいかい、戦争は良くない。なぜ良くないかと言えば、良くないから良くないんだ。というわけで、今回は僕の顔を立てて手打ちということにしてくれ。いいね?」
そう言うと、猫たちは一斉にニャーと鳴いた。
只野は、目をつぶりウンウンと頷いた。直後、皿を手で指し示す。
「では、手打ちの印として……みんなで食べてくれ」
言われた途端、猫たちは皿に飛びついた。猛烈な勢いでガツガツ食べている。
見ている芳賀は、ハッと閃いた。
ひょっとして、あの『ゴールデン……』(以下略)は、猫同士の戦争の時、手打ちの儀式として用いられていたのでは?
だから、一般人には手に入れられないの?
その時、足音が聴こえてきた。振り返ると、スーツ姿の男が近づいて来る。誰かと思えば、Aクラス担任の武本だ。大きな顔に怒りの表情を浮かべ、ツカツカと近づいてくる。この男もまた、口うるさいことで有名である。
どうやら、下校時刻を過ぎても校庭にいる芳賀をロックオンしたらしい。マズいと思った時だった。突然、空から奇怪なものが舞い降りる──
「カイチョオー! カイチョオー!」
恐ろしい鳴き声をあげながら、武本の前に降り立ったもの……それは、ニワトリに似た大きめの鳥であった。ただし、ケバケバしい羽の色をしている。はっきり言って不気味だ。
その怪鳥は、武本を威嚇するかのようにピョンピョン飛び跳ねる。さすがの武本も、どうすればいいのかわからず立ちすくんでいた。
と、怪鳥はこちらを向く。ここは任せろ。今のうちに行け……と言っているかのようだ。
芳賀はこくんと一礼すると、パッと駆け出した。去り際、ちらりとテントを見ると、満足げな様子の猫たちが思い思いの方向に歩いていた。




