怪盗ジャイアント・ホースあらわる
一年D組の教室では、今日も玉川の演説から始まっていた。
「いいか、世間というものは冷たい。特に下層民に対する視線は、汚物を見るようなものだ。公園のベンチに、ホームレスが座っていた……それだけで、公園の空気は変わってしまう」
ここで玉川は、生徒たちの顔を見回した。
「上等なケーキも、ハエが一匹ついただけで台無しになる! 公園も、変な人がひとりいるだけで楽しい雰囲気が台無しだ! しかも、そういう人物になるのは実に容易い! 油断をしていると、あっという間に転落だ!」
外装こそ変えているが、語っている内容はいつもと同じ「勉強して上級国民を目指せ」というものである。
だが、いつもの玉川とひとつだけ違う点があった。その身長が、二メートルを超えていたことだ。
玉川の身長は百七十センチ弱で痩せ型だ。しかし、今日の玉川は大男……いや、巨人といっていいだろう。
その顔は、玉川のそれを長くした感じである。肩幅も広く、腕も太い。しかし、着ているスーツは玉川と全く同じデザインのものだ。
その上、声、喋り方、仕草、全てが玉川を完全コピーしているのだ。
どう見ても他人である。だが、細かい部分は同じ……この異常事態を前にし、一年D組の生徒は何も言えなかった。呆気にとられ、玉川のふりをした(?)大男の行動を見ていたのだ。
人間という生物は、自身の想像の遥か斜め上を行く出来事が起こると、頭が混乱し思考が停止してしまうことがある。今の一年D組も、そんな状態に陥っていた。
しかし、思考のエアポケットから抜け出た者もいた。彼らは、只野の奇行を何度も目にしている。こうした事態への免疫力も、人より強くなっていたのだ。
「すみません」
そう言って立ち上がったのは木杉だ。
「ん、なんだ木杉?」
「あなた誰ですか?」
このクラスの誰もが感じていた疑問……それは「王様は裸だ!」というよりも、さらに勇気のいる行動だったかもしれない。なにせ、相手は二メートルを超える大男だ。その上、行動からしてマトモな常識を持ち合わせているとは思えない人間である。誰だって怖いだろう。
しかし今立ち上がったのは、只野という猛毒に侵され続け、異次元の免疫力を得ていた木杉なのだ。彼は臆することなく、当然の疑問を口にした。
すると、相手の顔色も変わる。
「はあ? 何を言っている? 私は玉川、君の担任だ。バカなことを言うな」
「いや、玉川先生はこういう時、君なんて言わないです。お前と言いますよ」
それ以前に、大きく違っている部分があるのだが……木杉は、あえてそこには触れなかった。
他の皆は、どうなるのかと固唾を飲んで見守っている。クラスに侵入してきた二メートルを超える怪人と、今やクラスでもナンバー2の変人であり残念なイケメンとなった木杉の対決である。口を出せるものなどいない。
しかし、ここで勝負(?)は意外な展開を見せる。
「只野、お前はどう思うんだ?」
玉川と名乗る怪人は、なんと只野に話題を振ったのだ。
只野はというと、キョトンとした表情で怪人の顔を見上げる。
「はい?」
「木杉がなあ、私は玉川じゃないって言うんだよ。お前はどう思う? 私は玉川だよな?」
怪人は、突拍子もないことを言い出した。そして、只野の答えもまた突拍子もないものだった。
「そうですね。あなたが玉川先生だと主張するなら、玉川先生だと思います」
「ほら見ろ。私は玉川で間違いない。木杉、お前は疲れているんだ」
勝ち誇った表情で言うと、ウンウン頷いた怪人。
教室内が狂気めいた空気に包まれていく中、木杉もまたとんでもない行動に出る。
「ああ、そうですか。では、そういうことにしておきましょう」
そう言うと、座ってしまったのだ。どうでもいいよ、とでも言いたげな表情だ。
他の生徒たちは、無言で顔を見合わせた。おい、どうすんだよ……とでも言いたげな表情で、互いに見つめ合っていた。誰かが、この怪人をなんとかしなくてはいけないことはわかっている。しかし、言い出すことのできる者などいない。
そんな中、怪人は只野に近づいていった。しかし、只野は彼を完全に無視している。偉い物理学者のごとく、右手の人差し指で宙に数式らしきものを書いていた。シャドー数式とでも言おうか。
隣の席の芳賀は、横目でチラチラ見ている。そう、彼女もまた怪人などどうでも良いのだ。只野の奇行だけしか視界に入っていない。
そして怪人も、只野に興味をもったらしい。今、その口が開かれんとした時だった。
「こ、ここです! あいつです!」
金切り声と共に、教室に乱入してきたのは本物の玉川だ。数人の警備員を引き連れ、凄まじい形相で怪人を睨みつける。
当の怪人はというと、本物の玉川を見るなり笑い出したのだ──
「ハハハハハ! バレてしまっては仕方ない! そう、私が玉川というのは真っ赤な嘘! 私はジャイアント・ホース! 怪盗だ!」
いや、それは入ってきた時からバレてたよ……と生徒たちが心の中でツッコむ中、玉川が叫んだ。
「警備員さん! あいつを叩き出してください!」
その声と同時に、ひとりの警備員が近づいていく。と、怪盗の足が放たれた。
怪盗の蹴り一発で、警備員は吹っ飛ばされてしまった──
「これぞ十六進数キック! 私の必殺技だ! それよりも只野くん、今の気分はどうかね!?」
いきなり話を振られ、只野は首を捻る。
「へっ? 何がですか?」
「かねがね君の噂は聞いていたよ。末恐ろしい少年がいる、とね。そこで、私は君から大切なものを盗んだのだよ。どうかね、私に大切なものを盗まれた気分は?」
「はあ、そうですか。でも、僕は何も盗まれてないですよ」
「いいや、私は君から大切なものを盗んだ。ズバリ、それは……」
そこで、怪盗はビシッと人差し指を向ける。
「君の大切な授業時間だ! どうだ悔しかろう!」
教室内の空気は凍りついた。この巨人は、いったい何を言っているのだ……という疑問が、皆の頭に浮かんでいる。
指さされた只野はというと、納得した様子で頷いた。
「ああ、なるほど。確かに盗まれてましたね」
その時、木杉が再び立ち上がる。怪盗を、じろりと睨みつけた。
「怪盗ジャイアント・ホース! あんたの負けだ!」
「何を言うんだ? 私は彼から時間を盗んだのだよ。私の勝ちじゃないか」
勝ち誇った表情で言った怪盗だったが、木杉は首を横に振る。
「違うな。只野は、自分が何を盗まれたかすら気づいていなかった。つまり、只野にとって授業の時間など取るに足らぬもの……そんなものを盗んで勝った気になっているなど、笑止千万だよ。怪盗ジャイアント・ホース、あんたの負けだ!」
途端に、怪盗の表情が歪む。木杉の言葉が正しいことを悟ったのだ。
しかし、直後に笑い出した。
「ブハハハハ! 確かに、木杉くんの言う通りだ。只野くん、今回はいさぎよく負けを認めよう。だがね、私はまた来るよ。その時こそ、君の大切なものを盗む。覚悟したまえ」
言った後、怪盗は皆に一礼した。
「では、また来るよ」
言った直後、怪盗は窓から外に飛び出した。そのまま、巨体に似合わぬスピードで走っていく──
「あいつ、また来るのかよ……」
星川が呟き、次いで幸田が顔をしかめる。
「二度と来んなよ」
その後、なんやかんやで授業が行われ、休み時間になった。
だが、そこで木杉は仰天する。
「なんだとぉ!? お前、あのジャイアント・ホースが本物の玉川だと思ってたのか!?」
「うん。僕さぁ、本物の玉川先生だと思ってた。だから、木杉くんは何を言い出すんだろう……って、ちょっと心配になったよ。しかし、木杉くんは凄いなあ。あの怪盗ジャイアント・ホースの変装を一目で見破っていたんだね」
真顔でそんなことを言った只野を、木杉はまじまじと見つめる。
少しの間を置き、苦笑しつつ肩をポンポンと叩いた。
「やっぱり、お前はすげえよ。大物だ」




