中間テストの日
あれは何だ?
俺は、何を見ているんだ?
星川末次は、我が目を疑っていた。そう、彼の双眸には……存在するはずのないものが映っていたのだ。
本日、セント・エルモ学園は中間テストの日である。
この中間テストで上位に入った者は、様々な特典がある。門限の延長、エアコンの使用許可、食事の選択などなど……それは、Dクラスであろうと適用される。
当然ながら、星川もそれを狙っていた。特典を得られるのは、上位三名までだ。ついこの前までは、木杉のトップは間違いなし……と思われていた。したがって、残りふたつの椅子をクラス全員で取り合うことになると思っていたのである。
しかし、今の木杉は完全に壊れていた。もはや、星川の敵ではない。今も、試験の最中だというのに、あらぬ方角を見ている始末だ。
となると、残るライバルはせいぜい四名から五名。これなら、恐るるに足らず……と思い、ふと前を見た時だった。
ん?
あれって、ハムスターじゃね?
そう、ひとりの生徒の頭にハムスターが登っているのだ。その生徒とは、あの要注意危険人物・只野聖斗である。
星川は、己の目が信じられなかった。テストを受けている只野の頭の上に、ハムスターが登っている。鼻をヒクヒクさせながら、しきりに周りを見回しているのだ。
と、ハムスターと星川の目が合った。途端に、ハムスターがニヤリと笑った……気がした。
嘘だ……。
確かに只野はバカだ。それも、並のバカじゃない。あいつはハイパーバカだ。
しかし、いくら何でもハムスターを頭に乗っけて学校に来ないだろ?
あれは幻覚だ。
そう、幻覚に違いない。
星川は、パッと下を向いた。残りの問題を、手早く解いていく。出来は上々だ。大半の問題の答えが、手に取るようにわかる。これなら、クラスで三位以内には入れるはずだ。
そう思ったが、彼の中に浮かんだ疑問が消えてくれない。
今の、本当に幻覚か?
そもそも幻覚だとして、なぜ俺は幻覚なんか見るんだ?
俺、いつの間にか頭おかしくなってたのか?
そう、幻覚なら幻覚で問題なのだ。中間テストの最中に、ハムスターの幻覚を見る……これは、どういう病気なのだろうか。
いや、そもそも病気だとしたら、この先どうなってしまうのだろうか。
俺、もしかして入院させられちゃうの?
冗談じゃねえよ!
入院なんか、してたまるか!
星川は、そっと顔を上げた。途端に愕然となる。
只野の頭にいるハムスターは、じっと星川を見つめていたのだ。心なしか、からかうような表情を浮かべているように見えた。
やっぱりいる……。
俺は、いったい何を見ているんだ?
心の中で呟いた時だった。星川を、さらなる異変が襲う。ハムスターは、いきなり飛び上がったのだ。
直後、後ろ足だけで着地する。そう、立ち上がったような体勢になったのだ。
さらに、前足をチョンチョンと動かす。ほら、こっちに来いよ……というような仕草である。
星川は、思わず目をこすった。ハムスターが、あんな動きをするわけがない。何かの間違いだ。
いや、間違いというなら、そもそもこんな所にハムスターがいるのが間違っているのだ。
星川の動揺を尻目に、ハムスターの動きはさらに激しくなっていく。ピョンと飛んで、静かに着地した。それも、右の後ろ足だけで立っている。左の後ろ足は、横に突き出されている。まるで、相撲の四股踏みのような形だ。
何なんだよ!?
何で誰も気づかねえ!?
星川は、そっと周りを見回した。しかし、誰も気づいていないらしい。テスト監督である綾部ですら、別の方向を向いている。普段はやたらと細かい男なのに、こういう時に限って使えないのだ。
顔をしかめつつ、星川はハムスターへと目線を戻す。途端に唖然となった。
ハムスターは、今度はこちらに尻を向けている。短い尻尾をブンブン振っているのだ。もはや、挑発しているとしか思えない。
あのクソハムスターめ!
俺が手出しできないと思ってやがるな!
憤怒の形相になる星川。と、そこでハムスターの顔がこちらを向いた。
口が開き、前歯が剥き出しになる。笑っているようにしか見えない。
その瞬間、星川の我慢は限界を超えてしまった。彼は立ち上がり、只野を指さし叫ぶ。
「そこ! ハムスターいる!」
驚くべきことが起きた。星川が立ち上がった瞬間、ハムスターは素早い動きで只野の襟首に入り込む。あっという間に、制服の中に潜り込んでしまったのだ。
後に残るは、只野の頭を指さす星川と、奇妙な生き物を見るような目で彼を凝視しているクラスメイトたちである。
さらに、綾部がツカツカと歩いてきた。
「おい星川、今なんと言った?」
「えっ、あ、いや、その……すみませんでした」
どうにかごまかそうとする星川だったが、綾部はその程度では許してくれなかった。
「私の記憶に間違いがなければ、お前は今こう言った。ハムスターいる、とな。そうだろう?」
「それは、その……」
「私の言っていることは間違いか? 私の記憶違いか? 今聞いたのは、私の幻聴か? なあ? なあ?」
「す、すみません」
星川は、ひたすら謝ることしかできなかった。
普段なら、綾部のねちっこい責めはこの程度では終わらなかったであろう。しかし、本日はテストの日である。そのため、綾部の責めはいつもの八割減であった。
「ふざけやがって……いいか! 明日、誓約書を書け! わかったか!」
誓約書は「私は○○の罪を犯しました。もう二度としないことを誓います」という内容の文を書かされる罰である。この枚数が重なると、様々な罰則を課せられるのだ。
「はい、わかりました」
星川は、素直に従うしかなかった。
「見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ見ちゃ駄目だ……」
星川はひとり呟きながら、どうにかテストを終えた。間違いはないはずだ。満点とまではいかずとも、正解率は八割を超えているはずだ。
だが、そこに落とし穴が待っていた。安心した瞬間、星川は顔を上げてしまう。
只野の頭の上にはハムスターがいた。後ろ足だけで立っており、なぜか星川を見つめながら前足を小刻みに動かしている。
あいつ、何してんだ?
星川は目を凝らし見つめる。と、動きの正体がわかった。
なんとハムスターは、シャドーボクシングをしているのだ。左前足でジャブ、右前足でストレート。経験者のごとき見事なワンツーを打っている。
その目は、真っ直ぐ星川を見つめていた。まるで「ほら、打ってこいよ星川」とでも言っているかのようだ。
あの野郎、ナメやがって……。
星川は、ギリリと奥歯を噛み締める。あのハムスターのせいで、誓約書を書かされる羽目になったのだ。
悔しい気持ちを必死で堪える星川だったが、ハムスターの動きはさらに激しさを増していく。ジャブ、ジャブ、ジャブ、そこからのストレート。時おりスウェーバックのように上体を逸らしては、こちらに挑発的な視線を送る。
さらに、ジャブを打ちつつ前歯を剥き出した。笑っているかのようだ。
その時、星川はキレた。消しゴムをちぎり、ハムスターめがけ投げつける。
同時に、ハムスターはまたしても襟首に潜り込んだ。結果、消しゴムは只野の頭に当たる。
「あいた!」
只野が叫んだのと、ほぼ同じタイミングでチャイムが鳴った。テストは回収されるが、只野は何が起きたのかとキョロキョロしている。
星川は、素知らぬ顔でテストを渡した。
テストが終わり、星川が帰ろうとした時だった。突然、思いつめた表情の木杉と芳賀が近づいてくる。
まず口火を切ったのは木杉だった。
「星川、お前もアレを見たんだろ?」
ギョッとなる星川に、今度は芳賀が口を開く。
「頭で考えちゃ駄目。感じるんだよ」




