木杉の憂鬱
「お前、どうする気なんだ?」
木杉は、思わず呟いていた。
彼の視線の先にいるのは只野だ。机の上にゴリラのぬいぐるみを乗せ、ちょこちょこと動かしている。時おり口を開いているところから見るに、ぬいぐるみに向かい何やら喋っているらしい。
隣の席にいる芳賀は、笑いを堪えつつ横目で只野のやっていることを見ていた。
一月前なら、木杉も遠くから只野の奇行を眺めているだけに留めただろう。
しかし、今は違う。木杉は近づいていき、只野の机の前で立ち止まる。
只野はというと、木杉に気づかずひとり遊びを続けている。ぬいぐるみに向かい、何やら話しだした。
「おいコング、次はどうすんだ?」
次いで、声音を変えて答える。
「そうだな。次はエビフライだ。フライと言っても、飛行機だけは勘弁な」
何を言っているのか、何をやっているのか、さっぱりわからない。だが、木杉には言わねばならないことがある。
「おい只野、ちょっといいか?」
言われた只野は、そこでようやく木杉に気づいたらしい。
「あっ、木杉くん。どしたの?」
「もうじき中間テストだな」
「ああ、そういえばそうだね」
只野は、のほほんとした態度で答えた。そんなもの、どうでもいいと言わんばかりだ。
「ひとつ確認しとくぞ。このセント・エルモ学園では、中間テストで最下位を取った者は寮を追い出される。Aクラスで最下位だった奴は、Bクラスの寮に移動だ。Bクラスで最下位だった奴は、Cクラスの寮に移る。Cクラスで最下位だった奴は、Dクラスの寮に移る」
そこで木杉は言葉を止め、只野の反応を見る。しかし、只野は無邪気な表情で彼を見つめ返すだけだ。
少しの間を置き、木杉は再び語り出す。
「Dクラスで最下位だった奴は、学園の寮を追い出されるわけだ」
「うん、そうらしいね」
すました表情で答えた只野に、木杉は思わず首を傾げる。この男は、事の重大さがわかっているのだろうか。
横で聞いている芳賀ですら、緊張の面持ちだというのに……。
「俺の読みが確かなら、今回の中間テストでDクラス最下位になるのは、お前だ……少なくとも、その可能性が非常に高い」
「まあ、そうなるだろうね」
そのやる気のない返事に、木杉はもう我慢できなくなってきた。
「いいか、ひとつ教えてやる。中間テストが終わると、学年集会がある。各クラスで最低点を取った奴はな、名前を呼ばれて皆の前で晒し者にされるんだぞ。お前、それでいいのか?」
「いいよ」
「いいよ、ってなあ……お前、事の重大さをわかってねえだろ。そこではな、全一年生の前で結構ボロカスに言われるんだぞ」
「あ、そうなの? まあ、仕方ないよ」
完全に他人事のような口ぶりである。木杉は、だんだんと苛立ってきた。
「お前は、何もわかっていないな。いいか、玉川はお前のことを嫌っている。中間テストで最低点をとったら……ここぞとばかり、玉川はお前を責め立てるんだよ。それも、全一年生が見てる前でだ。これは相当にキツイぞ」
「キツイのかな。困ったねえ」
いや、全然困ってねえだろ……と、木杉は心の中でツッコんだ。
よくよく考えてみれば、この男は暴走族が来ようがヤクザが来ようが、怯むことなくヘラヘラとマイペースを貫き通してしまったのだ。たぶん、学年集会で何を言われようがビクともしないだろう。
そう、これまでのセント・エルモ学園において、中間テストで最低点を取った者は学年集会でボロカスに言われる。その屈辱ゆえ、自主退学の道を選ぶ者も少なくなかったと聞く。特に、Dクラスで寮を追い出された生徒は、ひとりの例外もなく自ら退学していたそうだ。
しかし、只野にその心配はなさそうだ。もっとも、別な心配がある。
「なあ只野、お前は寮を追い出されたらどうすんだ?」
聞かれた只野は、口をへの字に曲げ首を傾げる。
「うーん、そう言えばそうだ。どうしようかなあ」
「実家から通うのか?」
聞かれた只野の口から、とんでもない答えが飛び出した。
「あ、それ無理。うち、実家ないから」
「はあ!? 実家ない!? どういうことだ!?」
思わず叫んだ木杉に、只野は困惑した表情で答える。
「いやさ、うちの両親はアメリカに住んでるんだよ。だから、実家は日本にないんだよね」
「アメリカって、お前の両親は何してんだよ?」
「何してたっけなあ。両親のことは好きだけど、仕事には興味ないからね」
さすがの木杉も頭を抱えてしまった。両親の仕事を知らないとは、只野らしいというか何というか……とにかく、凡人とは完全に違う思考の持ち主である。
いや、そんなことはどうでもいい。
「あのな、もし仮にお前が中間テストで最低点を取ったとしよう。で、学年集会で玉川にボロカス言われる。まあ、そこまではいい。お前は、そんなもんでダメージ受けるような男じゃないのはわかってるからな」
そこで、木杉の表情が歪む。
「しかしだ! 住むところがないのはマズいぞ! これは一大事だ! どうすんだ只野!」
突然、大声を張り上げた木杉に、Dクラス全員が注目していた。今や、彼は只野の次くらいに変な奴だと思われてしまっているのだ。
「そういえばそうだね。どうしたものかな」
対する只野は、腕組みをして首を傾げる。しかし、深刻さは欠片ほども感じ取れない。むしろ、この状況を楽しんでいるかのようだ。
木杉は、さらに怒鳴りつける。
「どうしたものかな、じゃないんだよ! 少しは焦れ!」
「ま、大丈夫だよ。僕は元気だからさ」
今度は、そんなことを言い出した。すると木杉の体は、ワナワナと震え出す。
「元気は関係ねえだろうが!」
「関係あるよ。昔の偉人だって、元気があれば何でもできる……って言ってたからさ」
「それを言ったのは偉人じゃない! プロレスラーだ! まあ、偉いっちゃあ偉い人だけどよ!」
その時、芳賀がすっと立ち上がった。まだ体を震わせている木杉の肩をポンと叩く。
「只野くんを頭で理解しようとしちゃ駄目。考えるな、感じろ……だよ」
「そ、そうか。そうなのか」
木杉は、仕方なく頷いた。なんと言っても、只野ウォッチャーの先輩である芳賀のアドバイスだ。聞いておくしかない。
一方、只野はヘラヘラ笑っている。いきなり立ち上がり、木杉に向かいわけのわからないダンスをしながら口を開く。
「それよりもさ、僕はいずれプレスリーものまねコンテストに出ようと思うんだよ。こんなダンスなんだけど、どうかな?」
言いながら、悩ましげな表情を作り腰を振った。木杉は、思わず頭を抱える。
「どうかな、って……その奇怪なダンスを見て、俺にどう思えと言うんだよ!」
◆◆◆
そんな会話をしている木杉らを、遠くから見ている者たちがいた。
「おい、木杉の奴は本格的におかしくなっちまったぞ」
幸田尊の言葉に、星川末次が頷いた。
「ああ。下剋上システム使ってCクラスを捲くるつもりだったけど、あの様子じゃ無理だな」
このセント・エルモ学園には、期末テストの平均点およびクラス内ポイントの合計で各クラスの評価を決めるシステムがある。
下剋上とは、その合計ポイント次第でクラスが逆転する現象だ。捲くるとは、CクラスとDクラスを入れ替えることである。
木杉は最初、この下剋上システムを用いてDクラスごとCクラスと入れ替えるつもりでいた。幸田や星川らにも、その相談をしていたのだ。実のところ、この四人はDクラスでも上位のメンバーであり、クラスを仕切っていた。
そんなクラスのリーダー格である木杉が、今では只野ウォッチャーとなってしまった──
「どっちにしろ、下剋上は無理でしょ。ウチのクラス、これまで暴走族とヤクザが乱入してきてんだよ。クラス内ポイント、たぶん最悪だよ」
宮本静香が言うと、ふたりは渋い表情で頷いた。




