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1話「犬とはなんだ。頭が三つある、あの魔獣のことか?」

 中立地帯と呼ばれる、濃い霧が覆う二つの大国の国境線。雲間ノ雄叫ビクラウドクロウドへ入る者を一人たりとも見逃さないといわんばかりにそびえたつ、天を貫く黒い城。この魔王城では魔王と、その魔王に忠誠を誓った臣下たちが生活している。


 城とは本来、国境に建てるような代物ではない。隣国が攻めてきたとき、真っ先に王がやられては元も子もないからだ。王を失えばその国は戦争が始まる前に敗北する。


 しかし、雲間ノ雄叫ビクラウドクロウドでは違う。初代魔王は魔物たちに絶対の安全を約束した。その覚悟を示すため、王の居である城を国境付近に建てるという命知らずの荒業をやってのけた。襲撃者があれば、真っ先に頭の首がとられてしまう可能性だってある。しかし、野蛮で個々の種族で行動する魔物たちの信頼を得るためには、これはとても有効な策だ。初代魔王はその覚悟とカリスマ性によって魔物の信頼を得、国を築き上げた。そうして今まで、外部の者がこの雲間ノ雄叫ビクラウドクロウドの地を踏んだことはない。


 先の戦でも、人間は雲間ノ雄叫ビクラウドクロウドに一歩たりとも侵入することはなかった。ギエドもまた魔王として、自身の役目を忠実に果たしたのだ。王の間の壁にずらりと並ぶ歴代の魔王の肖像画。それを玉座から見回して、ギエドは仕事の達成感に一人喜びを覚えていた。


 ただ、こちらに死者が出なかったわけではない。最前線に立ってくれたゴブリンやオーガたちの何人かは、最後まで残った四人の人間に殺されてしまった。本当は死者を出したくなかった。俺の力不足だ。人間は魔物の大軍を見れば、全員逃げ出すであろうと踏んでいたのだ。まさかあそこまで魔法に精通した達人がいようとは。それにたった四人で切り込んでくる勇気。人間を弱い生物だと思っていたが、その考えを改めなければならない。ギエドは天にいるであろう戦士に、一人哀悼の言葉を胸中で述べる。そして、勇気ある戦士たちの葬儀を国をあげて行おうと決めた。



 ギエドがこれからのことをどうするか悩んでいると、扉を叩く音が響いた。

「入れ」

「失礼します」


 扉から現れたのは、背の高い、痩せ形の男。豪華に装飾された服からは、この男の位が高いことが伺える。背中には折りたたまれた黒い翼。男は堂々と胸を張って歩き、ギエドの前でひざまずいた。


「魔王ギエド様……いえ、覇王ギエド様」

「その覇王っていうのはやめないか。俺はそんなに偉くないし、大陸を支配したいなんて思ってないんだから」


 ギエドは少し赤面した。覇王なんて大層な名前、俺みたいなのにはもったいない。魔王ですらちょっと仰々しすぎて恥ずかしいのに。

 ギエドは自身の姿を思い描く。まず、背が小さい。両耳の後ろあたりから生え、一ひねりされ正面に突き出た二本の角は小ぶりである。眉間に寄せた皺と鋭い眼光は、童顔のせいで威厳を発揮していないが、相手に怖いという印象を与えてしまう。歴代の魔王の中でも、ダントツで情けがない外見であると、ギエドは思っている。


「申し訳ありません! お怒りならすぐに自害をご命令くだされば、私はすぐにでも……!」

 男は腰からスラリと長い細剣を抜刀すると、自身の首に突き付けた。

「落ち着けってディエノラ! 俺の言い方が悪かった! だから早くその物騒なものをしまってくれ!」

「魔王様に落ち度はありません! 私が勝手に妄想し、勝手に罪の意識を感じているのです!」

 ディエノラは力強い口調で演説を続ける。ギエドは玉座から立ち上がると、ディエノラの手から剣をひったくり、そのままへし折った。

「はい、これで自害はなし! それで、何の用?」

 ディエノラは顔をくしゃくしゃにして鼻水を垂らしながら、ありがたや~と両ひざをついて感謝をあらわにしている。


 ディエノラ・ベクルーシエ。魔王の臣下の中で最も位が高く、そして計り知れないほど大きく強靭な忠誠心を持つ、悪魔の男。もし、ギエドが死ねと言えば、これが自分の使命と進んで命を差し出すような彼は、ギエドにとって右腕ともよべる存在である。

 しかし、その大きすぎる忠誠心ゆえに、ディエノラは少々行き過ぎた行いをすることがある。それをギエドは時々面倒だと感じる。今回の自害します宣言ももう何度目だろうか。彼のせいで起きたトラブルも両手では数えきれない。いざというときは大変頼りになるのだが。


「ギエド様。これからのことをお聞きしにきました。人間はこのまま黙っているような種ではありません。敗戦を表に出していない以上、彼らは負けていません。裏で私たちにリベンジする策を計画している可能性もあります。私たちも自身の身の振り方を早々に決めるべきでしょう。先手必勝です」

 ディエノラは先ほど取り乱したのが嘘のように、淡々と自分の意見を述べた。

「それだ。俺も今考えていたところだ」

「いっそ人間を滅ぼすか、単なる労働力として使役した方がいいのでは?」

 ディエノラの単調な口調から、冗談ではないことがギエドには分かる。実際、人間を滅ぼせるだけの力が今この国にはあり、人間の魔法はまだ発達しきってはいない。滅ぼすことは容易であろう。しかし、ギエドはそれを良しとは思わない。


「ダメだ。人間と俺ら、どちらも生かしたい」

「魔王様は慈悲深いお方ですね」


 これは慈悲ではないと、ギエドは思う。俺は人間を対等に、この大陸に生きる同じ生物として見ている。魔法を先天的に使えないというだけで、容姿は悪魔のディエドラや魔神族の俺と大して変わりない彼らを下等生物とみなすことは、傲りというものだろう。それは神にのみ許された特権だ。


「しかし、俺はこれからどうするのがいいのか、未来のビジョンが見えん。お互い干渉しなければ、このまま均衡を保てたかもしらん。しかし人間は俺らを知ってしまった。一度交わってしまったものを、完全に分離することは不可能だ。何とかいい感じにできればいいのだが……」

「もし人間と関わるのなら、真の信頼関係を築くことが必要になるでしょう」

「それは、どういう意味だ?」


 ディエドラの目が上を向く。何か言葉を探すときに、ディエドラはよく目を上に向ける。

「人間は群れる種です。様々な民族が、協力しあって生きています。それはなぜだと思われますか?」

「その方が効率的だからではないのか? こちらもそうやって暮らせたなら、この国は人間の国よりも高い生活水準を獲得できるのだがな」


 魔物は種を超えて協力しないため、この国が持つ魔法以外の技術は未発達だ。この城の外には、建物らしい建物はほぼない。安定して食料を供給する技術である農業も、種ごとにバラバラで体系化されておらず、効率的だとはいえない。


「それも一因ですね。しかし、もっと根本的な部分です。人間は好きで群れているのではなく、群れなくてはならないのではないかと、私は考えます。それは彼らが、弱いからです。彼らは心の奥で、自らの、人の個々の弱さを自覚しています」

「まあ、それはあるだろう。でもそれが信頼関係とどう繋がるんだ?」

「彼らは群れることでごまかしていますが、自分より強い者が許せないんです。とある宗教では、人間が神に造られた最高傑作だと教えています。人はその弱さから目をそらすために群れ、そして自分たちが最高の種だとホラを吹くのです。そんなところに、私たちが介入すればどうなるでしょう。彼らのプライドは傷つき、その傷口から弱さが顔を見せます。傷を塞ぐためには、傷をつくる原因を取り除くほかありません。上辺だけで共存関係を築こうものなら、私たちは痛い目を見ることになるでしょう」


 なるほど、それは一理ある。人間は自分より強いものを、常に排除することで生き残ってきた。寒さを排除し、飢えを排除し、そして敵を排除した。どの種でもやってることだが、人は大勢で団結し、築き上げた技術と知力でそれを行う。

 俺らがもし、強者として彼らに捉えられたら。自分たちに危険を及ぼす存在として認知されたら。団結し明確な敵を見つけた人間は、どこまで進化するだろうか。魔法はまだ未熟だが、それが十年後どうなるかは、ギエドに予想できるわけがない。

 では、どうするか。彼らと心から親しみ、彼らに一切の恐怖を与えないことを示さねばならない。種の中で引きこもっている魔物たちに、果たしてそんなことができるだろうか。


 事態は思ったより複雑だ。ディエノラの言うように、滅ぼすか、奴隷にした方が簡単で安全であろう。しかしそのような権利は、ここにいる誰にも与えられていない。


俺にできるだろうか。違う種族たちの橋渡しが。歴代魔王の誰もがやったことのない、大陸の調和が。


「それでも、やるしかないのだろうな」

 ギエドは決心した。必ずやってのけると。


 ディエノラはその言葉を聞いて、このお方には「覇王」よりも「王」が似合うと、微笑を浮かべた。



「さて、まずは何をしようか」

「私から提案があります」

 ディエノラが間髪入れずに口を開いた。この男は俺の覚悟を見たのだと、ギエドは思った。あらかじめ手段は用意されていたのだ。ただ、それを託す器であるか、先の応答で見極めた。ディエノラは「魔王」に忠誠を誓う。腰抜けの、肩書きだけのへっぽこには、彼は従わない。


「提案を聞こう」

「先日、転移門ゲートが開いたのは報告済みですよね。覚えていますか?」

「ああ。そういえばそんなこともあったな」 

 ギエドは頭を掻いた。人間との戦のせいですっかり忘れていた。数週間前、魔法を研究している科学班から、異世界へ通ずる穴を開発したと報告があった。ギエドは言語伝達の魔法に特化した小悪魔インプを数人、攻撃と防御の魔法に特化した悪魔を数人、その門の中に派遣していた。


「彼らから報告がありました。どうやら門の向こうには、「地球」と呼ばれる星があるそうです。そこは魔法というものは空想の中でしか存在せず、物質学や物理学、カラクリが発達した場所と報告がありました」

「魔法がない?! 想像もできねえな……」


 ギエドにとって、魔法は身体の一部である。魔法がなければ、魔物は生きていけない。


「魔法がないので、私たちのような種は存在せず、人間が文明を発達させ生きております。地球の人間も、こちらの人間もほぼ同じような体構造を持っており、その精神構造もこちらの人間と大差ないと予測されます」

「そこまで分析が済んでいるのか、仕事が早いな。まあ、特に脅威とならないのなら、ほっといても問題ないんだろ? それが今の状況とどう関係があるんだ?」


ディエノラが咳払いをする。


「魔王様には、「地球」に赴いて人間の勉強をしてもらいたいと思います」



「は?」


 部下が何を言っているのか分からず、ギエドはポカンと口を開けた。

「いや、王様がここを離れるのはまずいでしょ。まあ大して何もしてないんだけどさ」


 しかし今は気が抜けない状況だ。ディグニテと形だけだったが戦争をしたばかり。王が城を離れるべきではない。


「そうです。ですから地球に行く時間はなるべく短く設定します。とにかく私たちには、人間のデータが不足しているのです。データだけで分からないことも、きっと人間と交流を持てば自ずと見えてくるでしょう。しかし、こちらの世界で人の街を歩くのは危険です。不確定要素が多すぎて、何が起きるか分かったものではありません」


 確かにそうだ。人間については多少知識はある。文化や習慣も共通しているものもあるし、そもそもこの城も、人間を手本として建てたとか。しかしそれでも、謎な部分は多い。情報収集は戦略の基本だ。これを怠たった時点で、それは敗北を意味する。しかし、角を生やした魔物が街に行けばどうなるか。きっと情報収集どころではなくなる。


「そこで異世界です。異世界の人間なら、こちらの世界に何の影響も及ぼさずに交流が可能。地球で人間の文化や情を学び、こちらの世界で人との円満な関係を築くのです」

「ちょっと待て。その「ちきゅー」とやらには、魔法がない、魔物もいない……そうだな? それなら俺の角やお前の翼、尻尾はどうするんだ?」


 心配無用です、とディエノラが手でギエドを制する。


「地球には100以上の国があり、その中の「日本」という国では、魔物や英雄の恰好を真似する「コスプレ」という文化があるそうです。つまり私たちもそのコスプレをしているという体で通します。大丈夫です。ええ大丈夫ですとも」


 何が大丈夫なのだろうか。ギエドは心配でしょうがなかったが、ディエノラが自信たっぷりに言うのであまり追及しなかった。


「それと魔王様には、「ペット」と呼ばれる生き物と、共同生活をして頂きます」

「ぺっと……? なんだそれは」

「地球では当たり前のように行われている、異種族の交流です。こちらの世界ではそのような概念はありませんが……。地球の人は「犬」や「猫」といった、無害のモンスターと共同生活を送ることにより、精神面を豊かにするという文化があるのです」


「犬とはなんだ。頭が三つある、あの魔獣のことか?」

「魔王様、あんな全く可愛げのない涎を日がな垂れ流しているケダモノと一緒にしないで下さい」

「お、おう……」

 ディエノラの言葉が少し冷たい。何か気に障ることでも言っただろうかと、ギエドは首をかしげる。


「ぺっとを飼うことにより、異種族との交流の仕方を学ぶんだな。そしてステップアップして人間からの情報収集を円滑に行う、と。さすがディエノラ。よく考えてるな」

「何をおっしゃいますか。異種族の交流とはいえど、犬や猫は口をききません。それでは練習にすらならないでしょう。目的は別にあります」


 ディエノラが両手の人差し指で、自身の頬を押し上げる。彼の唇の両端が不自然に吊り上がった。

「魔王様、笑顔です」

「笑顔……?」

「はい、笑顔です。魔王様、ご自身のお顔をどう思われますか?」

「魔王としての威厳がなくて、幼く見えて、その上相手に恐怖を与える」

「そうです。魔王様のお顔は、威厳もクソもない、ただただ怖い印象を与えてしまうのです。人間が魔王様を見ても、誰もお近づきになりたいとは、これっぽちも! 微塵も! 毛ほども思わないでしょう」

「え?! 何これ?! 何で俺こんなにひどいこと言われてるの?!」

「いえ、事実を申し上げただけです」

 ディエノラが毅然と言った。ギエドは突然の悪口に、相手は悪口と思っていない辛辣な言葉に、目の前がかすんでしまった。

「うう、酷い……」

 ディエノラがそんなギエドの様子も意に介さず、話を続ける。

「一説によるとペットを飼うと人間は、どんなに怖い顔の人でも、優しい顔に変わっていくらしいです。地球ではペットを家族として扱うという話も」


 異種族のモンスターを家族と呼ぶ。それがどれほど深い関係を築いた上に成り立つのか、ギエドには想像もできない。しかもぺっとには、人の顔を変える力があるらしい。恐るべしぺっと。


「魔王様にはペットとの生活を通じて、人との意思疎通に必要な優しく、敵意のない表情を獲得してもらいます。とりあえずは地球での人間の勉強、そしてペットを飼うことで魔王様のカチコチにワルで染まった顔面を改革する。これらを徹底し、ディグニテの方々との交流の仕方を模索しましょう」


 涙をぬぐったギエドが、よし! と覇気のある声を上げる。


「それじゃあ、方針は決まったな! 大陸にいる魔物も人間もモンスターも、安全に生きられる環境を作るために全力を尽くすぞ!」


 ギエドは玉座から勢いよく立ち上がり、まだ見えぬ時間方向前方の未来へと、虚空へと手を掲げた。













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