プロローグ「世界は全て、俺の手中に収まった。俺の膝の上にはチワワがいる」
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世界は全て、俺の手中に収まった。
外部からは光の差さない、数多のランプの灯が照らす薄暗い王の間。国の頭が腰を落ち着ける場所だけあって、その広さは一つの軍隊が入っても余りある。床の広さもさることながら、その高さも尋常ではない。大翼を持った竜ですら、その長い首を悠々と伸ばせる空間が広がっている。
その最奥。色とりどりの宝石たちと、それを手に持つ龍の彫刻で飾られた玉座に、その男は座していた。
男の名はギエド・ロックハート。法治国家「雲間ノ雄叫ビ」の第二十九代国王である。
雲間ノ雄叫ビ。大陸の半分を占めるほど巨大な土地を持ち、一年中その空を分厚い雲が覆っている。その灰色の空を鏡で移したように、大地には鮮やかな緑も、さわやかな海の青もなく、ただ荒廃している。
人々はこの国を名で呼称することはない。大勢の人間はそもそもこの場所が固有の名を持ち、法が整備されていることすら知らない。人々はこの国をただ、「魔界」と呼ぶ。どうしてこの国がそんな物騒な名前で認知されているか。それは単純な話だ。この国に入って生きて帰った人間が存在しないからである。
雲間ノ雄叫ビに住まうことを許されるのは人ならざる者――モンスターや魔物だけだ。雲間ノ雄叫ビは大陸の歴史上初の、人ならざる者による、人ならざる者のための統治国家である。
しかし、それも数日前の話。雲間ノ雄叫ビは事実上、大陸に存在する唯一の国となった。隣接する大国、「ディグニテ」との戦争に勝利を収めたことで。もっともそれは戦争と呼ぶにはあまりにも一方的な侵攻であり、そしてそれはあまりにも一方的な蹂躙であった。大陸の半分を占める人の国、ディグニテ。人間は魔界のことをロクに知ろうともせず、人間が持つ先天的性質――傲慢さと愚かさに任せて、雲間ノ雄叫ビに侵攻を開始した。国中の兵士をかき集め、自信と勝算に満ち満ちた大行進は大地が震えるほどであった。
実際に震えることになったのは人間だったが。
雲間ノ雄叫ビ国内は突然の事態に最初は焦り、一時は混乱の渦に飲まれた。雲間ノ雄叫ビには兵士がいない。法治国家といえども、魔物の国である。魔物は単一の種で行動することが主であり、それが生活する上でも、戦闘をする上でも一つの単位のようなものだった。種を超えて団結しようという気はさらさらない。魔物の国における法とは、今現存する種族のどれもが、お互いに干渉せずに種を残すことを保証する最低限の規則だ。人間のように国を挙げて団結せずとも、魔物は個々でそれなりに強い。行き過ぎた法整備は、逆に各々の自由を奪うことになる。
しかしこの時はそれが仇となった。大勢の人間が攻めてくると知らされたとき、魔物たちはその数の多さに圧倒された。最強と謳われる竜でさえ、海が攻めてくるようなおびただしい数の人の動きに、少なからず恐怖を抱いていた。
何とかしようと思考を巡らせるも、思いつく術はない。他の種に協力を仰ごう。他の種? 他にどんな種族がいるだろうか。竜はどうだろう。はて、竜にゴブリンの言葉が通じるだろうか。そもそも竜はどこにいるのか。
魔物たちは他の種のことを詳しく理解しようとしていなかった。自分の周りの天敵と守るべき規則さえ把握しておけば、何不自由なく暮らせたのだ。竜という伝説の生き物が実在するか知る者すら、ほんの一握り。事態は彼らにとって深刻で、深刻を通りこして絶望的であった。
「お前らァ! 死にたくなかったらよぉく聞けェ! 聞こえたら雄叫びを上げろォ! 一番奥のドラゴンさぁん! 聞こえたら火ィ吹いてェ!」
一人の若い男の叫び声が、荒れた大地に轟く。魔法を使い数百の言語と意思伝達手段に転換された彼の意志は、国中の者に届いた。
「俺は雲間ノ雄叫ビォ! 現当主のォ! ギエド・ロックハートだァ! 今ァ! 俺らの安全がァ! 人間の手によって脅かされそうなんだァ! 本当は戦いたくないんだがァ! みんな、力貸してくれェ!」
その日、彼らは思い出した。そうだ、こういう時に頼れる人物がいるじゃないか。
雲間ノ雄叫ビとディグニテの国境。中立地帯と呼ばれる、霧で覆われた一帯のすぐそばに堂々と、灰の雲を貫いてそびえ立つ、魔王城。その最上階に一人鎮座する、孤高の主。
皆の中に、不安を抱える者はもういない。混乱は瞬く間に収束して、皆の咆哮と絶叫と歓声の混沌が発散する、統一した希望の波へと変化した。ゴブリンは片手棍を、悪魔は槍を、ゾンビは拳を掲げ、そしてドラゴンは火を噴いた。ドラゴン以外の種は、ここで初めてドラゴンは実在すると確信した。
結果は、雲間ノ雄叫ビの圧勝だった。
人間たちは魔界に点在するモンスターを、一方的に倒す予定であった。魔物の中に知能が高いものもいるが、大半は獣のように、知性すら持ち合わせない者ばかりだと踏んでいた。ディグニテに存在するモンスターはそれが大半だったからだ。彼らは情報収集を怠った。
それに魔法がある。人間は魔法の技術の進歩に大変力を入れていた。魔法は人間の限界をはるかに超えた行動を可能にし、ディグニテ内で彼らに怖い物ナシの万能感を与えていた。所謂、井の中の容溶蛙。彼らは慢心した。
人間の軍団は国境――彼らに言わせれば未知への境界線だったが――で、魔物たちの軍団にまんまと待ち伏せされ、罠にかかった。彼らの四分の一はそこで倒れ、残りの者も戦意を喪失した。想定外の事態に隊列は乱れ、命令を伝達することすらままならない。久しぶりに味わう恐怖が、胸の奥から死への不安をよみがえらせた。もはや戦闘どころではない。人間は我先にと祖国の方へ方向転換し、恐怖に震える足を何とか動かし逃げ出した。
残ったのは四人、ディグニテで《最上級》の称号を与えられた魔導士。彼らは各々が一個小隊並みの力を持つ。その力に対する責任と勇気が、彼らを恐怖の沼から引きずり出し、この地に留めたのだ。
彼らは前線にいた魔物の軍勢に、たった四人で切り込んだ。灰色の地の、灰色の鎧群を、ただ真っすぐに進むため殺していく。それは武道の達人が披露するレンガ割りのように、鮮やかな赤の切れ込みを魔物の軍勢に入れた。
しかし、所詮たった四人の人間である。魔力も体力も有限で、反射も思考も徐々に消耗する。彼らの進行は魔物の軍に紛れた魔王直属の隠密機動部隊、《仕込ミ刀》と、悪魔の攻撃によって、食い止められた。魔王の一声により勇気ある四人は命を奪われず、そのままディグニテに敗走。これにて戦は静かに終わりを告げた。
戦の敗北により人間の国は魔物の国の属国となったが、魔王の配慮により表向きは対等の立場をとることと定められた。これには様々な理由があるのだが、その中でも大きなものがある。
ギエドは、人間と友好的な関係になれると信じているからだ。
魔物と一括りに言われても、その種毎に彼らの性質は大きく異なる。そしてそれは人という一括りの分類においても、例外ではない。人の中にも多種多様な人の性質や生活がある。魔物も人も、似たようなものではないか。大陸の限りある資源をもっと効率的に活用するためにも、今必要なのは相互の正しい理解だ、とギエドは考えた。考えたまでは良かった。
得てして一つの目的を達成するためには、それまで思いもよらない解決法を用いる場合がある。
それから数日たった魔王城の最上階。眉間にしわを寄せ、玉座に座るギエドの膝に乗っていたのは、一匹のチワワであった。
世界は全て、俺の手中に収まった。そして俺の膝の上には、チワワがいる。
事実関係を己の脳内に羅列したギエドは、その意味不明さに、日頃から寄せに寄せている眉間のしわをさらに寄せ、うーんと情けない唸り声を上げたのだった。
魔王、犬を飼う。
なるべく早いペースで更新できたらなと思っていますが、不定期更新になりそうです。




