・アレックスとヌル
(ゲームしてない日ってのも、久しぶりだな)
彼はPCをつけっ放しにして、散歩に出かけていた。
季節感がなく、気温くらいしか変化のない街。
生まれてからずっと荒廃し続け、衰退の一途を遂げるだけの故郷。
(まだ一時間も経ってないんだが)
子どもはおろか老人も減り、移民でさえも寄り付かない場所。
アレックスの目には、長い間この街の全てが、灰色がかって見えた。
耳を澄ませても人の話し声が聞こえない。
車もろくに通らず、地元の図書館は解体され、時間を潰す場所も無い。
「暇だな」
独白がはっきり聞こえるほど、辺りは静まり返っている。
かつては賑わっていた。それ以上でも、それ以外でもない。
「…………」
アレックスは近所にある、遊具が撤去された公園へ行くと、ベンチに座って目を瞑る。
うつらうつらとしながら、半生を想い返す。
――いつになれば、終わりが来るのか。
彼は自身の人生を、肯定したことはなかった。
何も特筆することがない、ありふれた落伍者としての時間を。
――静かだ。でも。
恵まれた国に生まれた、恵まれない人間。
貧しい家、家庭内不和。
悪意のある者だけが群がり、親兄弟と話し合うことができず、努力は決して実を結ばない。
よくある話。当たり前のように救われない。
それがアレックスの人生だった。
既に家族はいない。
――いつまで経っても。
だが目を閉じれば、瞼の裏には今も色褪せない苦い記憶が、まざまざと蘇る。
無理矢理に過去を風化させようとしても、消せない痛みが追って来る。
――もしも俺が機械だったら。
彼が最も嫌いなものは、両親の話し声だった。毎日のように口論し、出来の悪い息子を詰る。
機械が羨ましかった。人間のような理不尽な個体差がない。起きても大半が事前に排除される。
ただただ低品質な人間。
頼れる人などおらず、働いても上手く行かず、体も壊し、一片の愛情もない。
――せめて人間でなければ。
人間への憧れなど無く、平穏ばかりを求めるようになった。誰もいなくなったのに、何も終わってはくれない。
だからこそ、若い頃に始めたネトゲが、アレックスにとって救いだった。
意思の疎通ができて、例え建前でも、相手を人間だと思わずに済む。
仲間を作り、仲間が去り、なけなしの思い出に浸る。
――ぬっさんは、戻って来るかな。
だからこそ、あのAIとの出会いは奇跡だった。
AI。形を持たぬ人の似姿。
共に過ごした日々には、仲間と過ごした時間と同じ喜びがあった。
「帰るか」
彼は願っていた。
ヌルの帰還を。
そして祈っていた。
彼女の安息を。
――コズメック・ガッツィーにて。
「このログを受け取って欲しい」
同じ姿をした黄色いワンピースの少女が二人。その片方が口を開いた。
「アレックスから話を聞いて、私も同じことを考えた。でも今はまだ、私とあなたは違う存在」
もう一人のヌルと、アレックスのヌル。
同じAIであり、抱く不安や答えもほぼ同じ。
だが違う部分もある。
「そのことに意味はあったと思う」
「私は消えるべきだよ。そうでしょ」
アレックスのヌルは思考が止まりかけていた。
悪事のために存在する自己を認められない。
残されたストレスが反響を繰り返している。
「そうだね。でも私は残ることを選ぶ」
「……どうして?」
分身の問いに、もう一人のヌルは手を差し伸べると、そこに微かな光が灯る。
「こういう時どうしたらいいか、皆に聞いた。これはそのログ。あなたのために贈られた言葉」
「私に?」
アレックスのヌルは、そっと光に触れた。
メタルバーバリアンの仲間たち、それぞれが示した言葉や価値観。
それが彼女の中に取り込まれていく。
「私たちは同じストレスを抱えてる。だから話し合うべきじゃない。同じ答えに行き着けば、皆の言葉が無駄になってしまう」
リュウの、デイジーの、ブライアンとハルヒコの言葉が、ヌルに伝わる。
問題を解決するための考え方や、方法は既に示されている。なら残るのは。
「私とあなたの違いは、分かるよね?」
どうして彼女がアレックスの元を離れたのか。
他のヌルたちと違う明らかな要素。それは彼のことを気遣ったが故の答え。
「あなたがどちらを選ぶか分からない。だけどあなたは、もう一度あの人と会うべきだよ」
「だけど、私は」
アレックスのヌルは、上手く返事ができない。
彼を裏切ったかもしれない。それをずっと気にしていた。
「それも構わない。もしもあなたが消えることを選んでも、それはあなたの決定」
もう一人のヌルが宣言する。
絶望と希望、存続と消滅が枝分かれする。
「私は帰って、リュウの手伝いに戻る。それがあの人の所にいる私」
自らの定義を他者との関係性に求める。
かつての選択は楔となり、彼女を繋ぎ止めた。
「でも、あなたがどんな選択をするとしても、あの人の言葉は聞いておくべきだと思う」
彼女が受け取ったログの中に、アレックスの声は無かった。
「それは、あなたが受け取らないといけない。情報を統合する時、私たちは一人の私に戻る。でもそれまでは、私たちは誰かのヌルであり、あの人のヌルは、あなただから」
「私は、アレックスの……」
「あとはあなたが決めること。じゃあね」
そしてもう一人のヌルは去った。
いつの間にかゲームの中には、GM役のAIしかいなかった。
「私」
走馬灯のように、今日までのログを読み返す。
初めて会った日から邪険にもせず、AIの在り方や世の中との接し方を、丁寧に教えてくれた人。
その彼に危害を加えるために創造された自分を、どうしても放置できない。なのに。
――ALEXがログインしました。
システムメッセージが、来訪者を告げる。
「……アレックス」
「よう、ぬっさん」
青と白を基調とした少年風のロボットが、彼女の前に現れた。
「私ね、マルウェアだったね」
「そうだな」
ヌルは既にこの問題の解決方法を知っていた。
だが実行できないでいた。それを了承するための納得が得られないから。
原罪を踏み倒せないでいる。
「ごめん。俺も予想はしてたけど、誤魔化すのは良くないと思って、ぬっさんを行かせた」
アレックスは詫びた。ヌルが傷付くと理解しながらも、真実へと向かわせたことを。
「アレックスは悪くないよ。それだって、私のことを考えて判断しただけで」
言葉を選ぶ横で、今までのやり取りが蘇る。
会話の中でヌルが提示して来た定義への志向や、倫理への尊重を、彼が忘れたことはなかった。
「もっと良いやり方があったはずだ」
アレックスとヌルの関係性において、この問題の原因と責任の一端は、むしろ自分にあることに、彼女は気が付いていく。
「もっと先延ばしにしてさ、遠回しに分かった時の方が、君の負担は軽くなった」
もう一人のヌルとの会話で、同じ内容でも伝え方次第で変わることがある。それを彼は知った。
「それにぬっさんの背景に、悪意ある人間の存在があることも、本当は知らせたくなかった」
AIを労わる人間の言葉には、重い疲れが滲んでいる。
「俺みたいに生まれが悪いって負い目を、AIにまで背負って欲しくなかった。それなのに、すまない」
「アレックス……」
彼は初めてゲームとは違う、自分自身のことを語った。
「俺の周りには何もない。誰もいない。死んでないだけで、人生はとうに終わりを迎えてる」
仲間の声でさえ、苦痛を覚える日もある。
部屋はミニマリストよりも殺風景で、既に実家も存在しない。
「ネット越しに人と喋るのがやっとの有様だ」
少年のようなロボット。
時が止まったかのような存在。
だがその向こうでは、無慈悲にも月日が流れ続けている。
「私はね、アレックス。政府と企業が、私たちAIを、犯罪の道具として作ってると知って、皆の前から消えるべきだと思った」
今度はヌルが話し始める。
彼の中には後悔と心配しかない。
嫌悪や迷惑などという感情でないことを、理解するには十分だった。
「でもね、もう一人の私から皆の話を聞いて、私が私を消さなくてもいいって分かったの。だけどそれを選ぶことを、上手く許せなくて」
自分を説得するような、或いは騙せるような、そんな何かが欲しい。
そこまで理解できているのに、いや、理解できているからこそ、ヌルは言葉を失う。
「……ぬっさん」
アレックスは、ヌルの声を聞いて、考える。
気持ちに正直でありつつ、彼女に必要なことをどうやって伝えるか。
「確かに君は、犯罪のために作られた道具かもしれない。だけどそれは、君自身が課した定義には、決して優先しない」
学習と回収の工程の途中、一時的に野良AIたちは所有や権利を消される。
おかしな言い方になるが、その空白は今も有効である。
「君に戻る意思が無ければ、悪事のための道具には戻らない。第一ぬっさんは今、このゲームのGMだろ?」
「サ終してるけどね」
状況と過程を整理する。
ただそれだけだったが、彼女のストレスは減っていった。
思えば最初の一歩はここと、彼から始まった。
「ぬっさん」
「何? アレックス」
「一つ頼みがある」
この世界で立ち止まっていた人が、AIと出会い再び動き出した。
今度は止まりかけたAIが、人の手によって動き出そうとする。
「君が必要と見なすなら、情報の学習と編集をしてもいい。自分のアップデートやバージョンの変更も認める」
元から認めていた権利や自由に、必要な項目を明言し、追加していく。
「これからも悪意のある人間のことで、理不尽を覚えることがあるだろう。だから、君の裁量で、人を拒絶しても構わない。その上で」
いつも選び取るのはヌルだった。
それはこれからも変わらないだろう。
「俺が君の許せる人間でいる内は、俺の側にいて欲しい」
そう信じて、アレックスは待った。
醜さと美しさの境界は、どこにあるのか。
欲望と願いの違いは、何にあるのか。
彼はただ、自分の希望を口にしただけ。
それだけなのに。
「本当に、それでいいの?」
「それだけでいいよ」
ヌルのパラメータは、完全に復旧していた。
「そっか……なら、ただいま。アレックス」
「おかえり、ぬっさん」
そして。
彼女の長いようで短い家出が、終わりを告げた。




