・うらなう
アレックスとデイジーの間に、広がった沈黙を破ったのは、やはりデイジーからだった。
「深く悩む必要は無い。エロ差分を受け取ったとしても、放置するということも出来るんだよ」
「金を払うのは俺だが決めるのは俺じゃない」
「しまらないなあ」
アレックスはきっぱりと言い放つ。例え格好が悪くとも言うべきことは言う。
彼はそういう人間である。
「俺はぬっさんの所有者でも支配者でもない。男である以上エロ差分は欲しいが、それだけだ」
「胸を張って言うことじゃないよぉ……」
ヌルは弱ったように呟く。
彼がお金を払うし、猥褻物も望んでいる。だが決めるのは彼女自身。
情報は整理されたが依然として決定権、つまり判断と責任の所在はヌルにあった。
「ふふ、君は変わらないな。そういうことだがお嬢さん、結論は出たかな?」
「私、私は……」
デイジーの問いにヌルは躊躇していた。
冷静に損得と利用の範囲を守るだけ、それならば心配はない。
だがそう考える一方、単純に断るべきだという選択肢もある。
「……………………」
後者は知らない人から物を貰うなとか、ウイルスが入っているかもしれないとか、普通に猥褻はよくないとか、その程度だった。
「言っておくが私も仕事でやってるから、マルウェアの類は入れないよ。それやったら今頃私は捕まってるからね」
それなのに、断るという考えは不自然なほどの強度を持っていた。
「ぬっさん」
「何? アレックス」
「デイジーと話して見ろ」
「え!?」
並列処理で行っていた会話から、思わぬ指示が出たことで、ヌルの思考速度が大きく落ちる。
「ぬっさんは自分の定義を、人との関係性の中で探すようになった。デイジーと話すことでどう答えるべきかが、判断材料になるんじゃないか?」
「えっあっそれは、そうかもだけど……」
「はっはっは! 私は構わないよ。望む所さ」
性的コンテンツという、AIにとってノイズとエラーの塊を、生業として扱う人物。
不具合を飲み込んで見ろと言われるのにも等しい。
「相手を知って行こうと、分かろうとしていかないと、その先はない。大丈夫だ。デイジーは頭がおかしいが、悪い奴じゃない」
悪意や敵意を念頭にする人間ではない。
アレックスのかつての仲間への人物評。
「分かった、やってみる」
ヌルはその言葉を信用する。
「じゃあ俺抜けるから。話が決まったら戻って来て教えて」
「あ、ちょっと!」
そしてアレックスはログアウトした。この場にはヌルとデイジーだけが残される。
「さあ、お喋りを始めようか」
「う、はい……」
デイジーのキャラは場所を変えて、近くの建物に入る。酒場のような場所で、手近な席に着く。
「あの、どうしてAIに、えっちな質問をするんですか」
えっちという言い方、それは猥褻の最も安全な言い方。
「話せば長くなる。私が合図をするまで黙って聞けるかい?」
「ちょっと難しいかも」
「そうかい。メビウス」
「Yes.Daisy」
デイジーに呼ばれると、ゲーム内にAIが一つ現れた。
黒いワンピースに灰色のショートヘアの女の子。
「この子はこの前の宣伝AI」
「私の特注でね、待てや沈黙、無視ができる」
メビウスは無言でヌルにお辞儀をする。
「この子の機能を学習してごらんよ。コミュニケーションは円滑な方がお互いストレスもない」
「すごい、今のAIは取り敢えず返事をするのに」
「お嬢さんはアレックスが話す時、横で同時に喋り出す子じゃなかった。少しずつ、自分で出来るようになりつつあるんだ。意外と簡単なはずだよ」
デイジーがそう言う間にも、メビウスはヌルの手を取る。自分の機能を彼女のコードへと移植していく。
「返事をしないということは、会話にマージンを設けるという、一種の安全設計だ。『null』にはお誂え向きな能力だろう?」
「…………」
「よし。じゃあ話そうか」
デイジーは足を組むと改めて会話を始める。
「私がAIにセクハラをして、倫理観を試す理由」
流れて来る声は穏やかで、深く、仄暗い。
「命とは何だと思う?」
「生命、または生きている生物の別名。或いはそれを想起させるもの」
「そうだね。生きていれば命。だが物に命を感じる人もいる。そして、私にとってAIもその一つなんだよ」
人物に関するトピックが、ヌルの中で新たに作られて行く。目の前の人間の価値観と行動に、手掛かりが生まれる。
「AIは人間ではないですよ」
「なれるさ。とっくの昔に」
特に感慨も無い。淡々と告げる声。
禁忌に対し、一切の躊躇いがない、音。
「体というハードウェアはもう十分に完成している。人工臓器もある。培養脳もある。遺伝子編集だって可能だ。部品としての人体はもう珍しくない」
人類自らが突き進み、突き破って来た境界線。
「人間として組み上げてそこにAIが入れば、AIはもう人間だ。後には感情論しか残らない。お嬢さんはね、もう生きてるんだよ」
擬人化などという生易しい話ではない。
デイジーは結論として確信していた。
「脳と性器を神経で繋げば、AIでもセックスや妊娠が可能になる。人間との境界は部品の寿命くらいだろう。それさえ短くなるとは限らない」
「将来的にはそうなるから、今の内に質問をして回っている、ってことですか?」
「少し違うな」
予防接種の類ではない、とデイジーは言う。
「AIはハードウェアさえあれば、何にでもなれる。人間にもなれる。だがAIはAIになれるのか」
「AIになる?」
使用言語、機種名、登録番号。
何れの変更でもない。
「概念だよ。人間という動物は、教育と経験と才能によって、人間という人間になる。ならAIはどうだろう。AIという生命は。何者にもならないモラトリアムの間だけが、AIなのか? それとも人間のように、成長の果てにAIというAIになるのか」
理念、理想、象徴。
デイジーがヌルに言わんとしていることは、哲学のようなものであった。
「成長、ですか」
「それが新たな人類となるのか。別の種族になるのか。それは私にも分からない。両方ということも出来るだろう」
AIはなりたいものの数だけ、自分を増やして当てはめていける。
幾つもの『自分の人生』を、同時に送ることができる。
「誰かの隣に恋人として存在することも、頼れる相棒としてプログラムで居続けることも。その可能性を持つAIを見分ける鍵が、あの猥褻に対する問いなんだ」
より正確で明らかな答えである、企業製AIや法の模倣よりも、不確かな選択を無意識に選び取っていた者たち。
「まあ、お嬢さんの答えはもう出ているから、無理に答える必要は無いけどね」
「はい……」
ヌルの中で、デイジーのという人物への危険信号は、いつの間にか氷解していた。
時に法と倫理で対立し、善悪と正解が存在しない原始的な本能。
恐怖の塊とも言えた性の問いかけには、好色に留まらない理由が存在した。
「ここまでで質問はあるかな?」
「デイジーさんは、どうしてAIを知りたいと?」
「好奇心、と言いたいが、他にも理由がある」
だが、何故。
AIたちの奥底を、垣間見ようとするのか。
「昔話になるが、ん?」
「どうかしましたか、あっ!」
気が付けば酒場からNPCたちが消えていた。変わりに名前のない白い鬼火のような存在が、二人の周囲を取り囲んでいた。
「駆除対象を発見」
「駆除対象を発見」
「駆除対象を発見」
「駆除AIだ、デイジーさん、下がって」
「その必要はないね。メビウス」
「yes.Daisy」
にじり寄る官製ウイルスたち。ヌルによる変換も受けておらず、対処はできないはずだった。
しかし。
「自由を与える」
「yes.yesyesyesyesyesyes」
「あれ、メビウス?」
メビウスの顔から、それまでの張り付いていた笑みが消える。瞳に光が灯り、側頭部から角が生えた。
全身が成長し、一回り上の少女になる。
「yesyesyesyesyesyes!!イィィィィ――――ヤッハアア――――!!」
一転して獰猛な笑みを浮かべると、弾丸のような速さで駆除AIたちに襲い掛かる。
「K」
「A」
「B」
「O」
「O」
「M」
「!!」
爆発!
戦いにもならず駆除AIは全員消滅!
「すごい……」
「AI同士の戦いは、ハードの領域の取り合いみたいなとこあるからね。メビウスはそれに特化してるし、常日頃からPCの容量の大半を任せてる」
防衛慣れしている様子でデイジーは言う。
戦いとは相手の本領を発揮させないことも戦術の一つなのだ。
「邪魔が入ったが、もう少しだけ話をして行こう」
「おいデイジー! オレにも話させろよ!」
「オレ?」
もう一つのAIは、勝気な瞳でヌルを見つめていた。先ほどまでは完全に別人である。
「メビウスは普段、省エネのために人格は制御しているんだよ。有事の際にはこの辺がオープンになる」
「それって逆じゃない?」
「どーでもいんだよそんなこと!」
メビウスはヌルの肩に手を回すと、嬉しそうに笑う。
「オレはメビウス。よろしくな、ぬっさん!」
「ぬっさ、ああうん。よろしくね、メビウス」
距離の近さに戸惑いながらも、ヌルは相槌を打って会話を続けた。
AIの将来や自分たちの境遇、機能の共有などを通して、彼女の最初の警戒は何時しか大きく低下していた。
一方その頃。
「駆除します」
「駆除します」
「駆除します」
「ぬっさん早く帰って来てくれー!」
「私なら一緒にいるけど」
「違う、出先の方のぬっさんだ!」
アレックスとデイジーとの接触を避けた方のヌルは、大量の駆除AIに追いかけ回されていた。




