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ムーン・ライト 双浄の退魔師  作者: 武池 柾斗
第5章 再出発
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5-4 最後の恩人

 あの凶暴な灰色のモノが消え、老年女性の目の前に粉雪のような光が舞い落ちる。その白雪の向こうに、白い羽織と朱色の袴を着た少年少女の姿が見えた。


 この世のものとは思えない光景に、女性は言葉を失った。

 その一方で、少年少女のほうは大きく息を吐いて安堵していた。


「ふー、間に合ったー」


 聖菜は蛇矛を自らの右横に立て、それを赤い霊力に戻して体内に吸収する。その隣で早馬が走り出し、老婆霊のもとへと向かった。


「ばあさん、無事か? ……ああ、いや、お怪我はありませんか?」


 早馬は老婆霊のそばで片膝立ちになり、彼女と目線の高さを合わせる。だが、女性はまだ混乱しているようで、早馬に目を向けてはいるものの焦点が合っていない。


 聖菜はその場に立ったまま、女性に見せつけるように胸を張った。


「もう大丈夫ですよ! 悪さをする雑霊は、あたしたちが浄化しましたから!」


 少女の澄み切った声が病院のロビーに響き渡る。


 この場の三人にしか聞こえていないその声で、老婆霊は我に返る。彼女は激しくまばたきをして少年と少女を交互に見た後、おそるおそる口を開いた。


「あ、あなたたちは、いったい……」


「まっ、通りすがりの霊能力者、といったところです! 詳しくは言えませんが」


 老婆霊の問いかけに、聖菜はわざとらしく鼻を高くして応える。


 おどけた調子を見せることで老婆霊をリラックスさせようとしたのだが、当の彼女は霊能力者という言葉によってさらに困惑してしまった。


 早馬は老婆霊を見つめ、柔らかな声で問いかける。


「あなたは今、自分がどうなっているのか……わかりますか?」

「い、いえ……」


 老年女性は目を見開いたまま、首を小さく横に振る。


 早馬はこの返答に納得した。彼女が現状を把握できないのは、至極当然のことだ。自分の身に大きな変化が起こった直後、雑霊に追われ、霊能力者と自称する二人組に助けられたのだ。普通の人間ならば、理解できない状況だろう。


 早馬は老婆霊を見つめ直す。


「それでは、これまでのことを思い出してください。できる範囲で構いませんので」


 彼はゆっくりとした口調で伝える。


 老婆霊は何度か頷いた後、呼吸のような動作をして、少し落ちついた様子になる。そして、目を細めて話し始めた。


「確か、病室で目を覚ました時、お医者様や看護婦さんがいらっしゃっていて……私がなにか尋ねても、まったく応えてくださらなくて……」


 彼女はそこで深呼吸をし、再び話し始める。


「そうしていたら、急にあの灰色のモノが病室に入ってきて、私に襲いかかってきて……そこから慌てて逃げて、叫んでも誰も助けてくれなくて、ここまで来て……」


 老年女性は言葉を止め、首を傾げる。


「あれ……? おかしいわね……? 私、あんなに動けるはずがないのに……」


 老婆霊はなにかに気付いたのか、両手を胸の前まで上げる。

 その透けた両手を見て、彼女は目を見開いた。


「そ、そうだったのね……私、死んだ、のね……」


 女性は声を震わせ、両目を閉じる。両手が垂れ下がり、力なく床に当たる。深呼吸をしようとするが、意に反して息の間隔が少しずつ短くなっていく。


 早馬は彼女から目を離し、聖菜を見る。

 二人は顔を合わせ、無言で頷き合った。


 聖菜はわずかに重心を低くし、何があってもすぐに動ける体勢をとる。早馬は右手を脇に構え、いつでも霊力を込められるように準備する。万が一、この老婆霊が暴れ出しても対処できるように、二人は備えた。


 早馬は女性の顔を覗き込み、努めて優しい声を出す。


「大丈夫、ですか?」


 彼がそう問いかけたものの、老婆霊は応えない。しかし、その一言がきっかけで、彼女の呼吸が落ち着き始め、体の震えも弱くなっていった。


 それから、老婆霊は飲み込む動作をして、頷いた。


「ええ、もう大丈夫よ……随分前から、覚悟はできていましたから」


 彼女は目を開け、早馬と聖菜に向かって気丈に笑った。


 覚悟ができていたとはいえ、自分の死を受け入れることは容易ではなかっただろう。それでもこの老年女性は、助けてくれた少年少女のために現状を無理矢理にでも呑み込んだのだった。


 老婆霊の様子に早馬と聖菜は安堵し、警戒を解いた。

 聖菜は女性のもとに歩み寄り、しゃがんでその右腕に手を当てる。


「痛みはないですか? 灰色になってるここ、雑霊に殴られたところだと思うんですけど」


 聖菜はそう言って、患部を慎重に触る。


 老婆霊の二の腕、その入院着の部分が灰色にくすんでいる。雑霊に襲われた際、穢れがそこに移ってしまったのだろう。付着した穢れの量はほんのわずかではあるが、注意しておくに越したことはない。


 だが、老婆霊は微笑みながら首を横に振った。


「少し痛むけど、だいぶ引いてきたみたい。心配いらないわ」


 彼女がそう言うと、穢れに侵された部位が少しずつ元の色を取り戻し始めた。老婆霊は安心したように目を細めて頷き、滑らかな動作で立ち上がる。


「さてと、病室に帰らないとね。幽霊とはいえ、入院患者だもの」


 彼女は冗談交じりに微笑むと、軽い足取りで病棟へと向かい始めた。

 早馬と聖菜は頷き合い、老婆霊の後ろをついていった。


 病室に戻るその道中、三人の間に言葉は無かった。だが、老婆霊は久々に歩けたことが嬉しいようで、階段を上る時には鼻歌を歌うほどだった。


 入院病棟の五階に辿り着き、回廊を歩いて病室に向かう。奥の廊下に差し掛かり、目的地に近づく。その時、扉の開いた病室から声が聞こえた。


「おばあちゃーん!!!」


 男の子の、大きな泣き声だった。


 それが聞こえた瞬間、老婆霊は歩みを止めた。晴れやかだった表情は曇り、背中は丸まり、肩が震え出す。


 早馬と聖菜も足を止め、一歩引いた位置から彼女の背中を見守った。


 老婆霊は唇を噛み締める。そして決心し、力を抜いて再び歩き出した。彼女はそれ以上躊躇うことはなく、病室の中へと足を踏み入れた。


 退魔師の二人は彼女の後を追うも、病室に入ろうとはしなかった。二人は入口の前で立ち止まり、救出した霊の行く末を見届けることにした。


 病室の中では、多くの人がベッドを囲んで立っていた。男性医師が一人、女性の看護師が二人、夫婦が二組に、子どもが三人。子どもたちは皆泣いていて、大人たちは涙ぐみながら医師の話を聞いていた。


 子どものうちの一人は、祖母の体に縋り付いて泣きじゃくっている。この男の子が、廊下に聞こえてきた泣き声の主なのだろう。


 老婆霊はその男の子を後ろから抱きしめる。


「よく来てくれたねぇ……おばあちゃん嬉しいわ」


 彼女のその優しい声は、誰の耳にも届かない。それでも構わず、女性は遺族の一人一人に歩み寄り、言葉をかけていった。


 そうした後、老婆霊は自らの亡骸を見つめ、病室の出口へと歩く。彼女は早馬と聖菜に歩み寄り、二人の顔を正面から見上げた。


「お二人のおかげで、こうして家族に会うことができたわ。本当にありがとう」


 老婆霊は上品に頭を下げる。


 心からの感謝だった。もしこの二人が助けに来なければ、自分は雑霊に取り込まれていたか、新たな雑霊となって心を失ったままこの世を彷徨っていただろう。彼女はそう考え、二人には感謝してもしきれなかった。


 そんな大きな礼を受け、早馬と聖菜は両手を小さく振る。


「いえいえ! もとはと言えば、俺たちがあの雑霊を取り逃がしたせいなので! 本来なら、あなたが危ない目に遭うことはなかったんですよ!」


「そうそう! 病院って、実は悪い霊があんまり近寄らないんですよ、清潔だから! なので、今回はあたしたちが余計な面倒を持ち込んだようなもので!」


 二人は矢継ぎ早に言うと、揃って頭を下げた。


「「こちらこそ、本当にすみませんでした!!」」


 腰を直角に折りながら、二人は声を張る。


 本当に悔しかった。早馬の場合、もっと早くに雑霊を感知できていれば、あるいは霊力弾の射程がもっと長ければ、この事態は防げた。聖菜の場合、もっと速く飛ぶことができれば、病棟に侵入される前に雑霊に攻撃できた。


 そもそも、雑霊や悪霊が病院に近寄りにくいのであれば、雑霊を追ったことが間違いだったのかもしれない。感知後にもう少し様子を見るべきだった。聖菜が言うように、安易に雑霊を追い詰めたせいで病棟への侵入に繋がった可能性がある。


 この事態を招いたのは、ほかならぬ早馬と聖菜の二人だった。再出発を誓ったばかりだったのに、ミスを犯してしまった。女性を巻き込んでしまったことへの申し訳なさと、こうなる前に対処できなかった悔しさで、二人は奥歯を噛み締めた。


 そんな二人を見て、老婆霊は微笑む。


「いいのいいの。あなたたちが助けてくれたことには変わりないんだから」


 二人はゆっくりと顔を上げ、女性の顔を見た。


 彼女は穏やかな表情で、退魔師二人の肩を優しく叩いてくれている。過程がどうであれ、このおばあさんの笑顔を守ることができたのだ。そのうえ、彼女は感謝してくれている。


 早馬と聖菜はこの結果に、救われた気持ちになった。


 二人は頭を切り替え、上半身を起こす。表情を引き締め、老婆霊に会釈した。


「それでは、俺たちはこれで失礼します。巡回の途中ですので」

「家族との時間、大切に過ごしてくださいね」


 そう告げて背中を向け、二人は病室から離れていく。

 おばあさんの霊は静かに手を振って見送った。


 この時、歩き始めた直後に、早馬は遺族の会話を偶然耳にした。その内容は、葬式の日時と場所についてだった。





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