4-8 誘導
「死ぬ……っ!?」
直感的な恐怖が、聖菜の口から漏れ出る。
そして、黒い二つの腕が動き出した。
その瞬間、巨大な青い光球が横から飛来した。それは悪霊に激突し、大爆発を起こす。その衝撃は強く、悪霊の体が数メートル先まで吹き飛んだ。
だが、その余波を受けて、早馬と聖菜は空中で体勢を崩した。片腕で自分の顔を庇ったのはよいものの、閃光で目が眩んでしまう。二人とも落ちないようにするのが精一杯だった。
そんな二人をよそに、一つの人影が悪霊に向かって突進した。
「せいっ!」
その少女は澄んだ掛け声とともに抜刀し、悪霊の胴体を横一文字に斬り裂く。
斬り口は浅いが、そこから大量の黒い霧が噴き出しては消えていく。強烈な砲撃と斬撃を連続で受け、悪霊は行動不能に陥って宙を漂うだけになった。
早馬と聖菜は片腕を顔から離し、かすれた目で前方を見る。
すぐそこに、抜刀後の残心をとる仲間の姿があった。
「鈴! 来てくれたのか!」
「助かったぁ……リン、ありがとう……おっとっと……良也も! どこにいるかわからないけど、ありがとう!」
早馬と聖菜は体勢を整え直し、安堵の息をつく。
鈴は空中に留まったまま、刀を鞘に納める。彼女は二人に目を向けたが、すぐに悪霊を睨みつけた。
「間に合ってよかった……けど、あの悪霊、ものすごく硬かった……普通の大悪霊よりもずっと……不意打ちだから効いたけど、次からはどうなるかしらね……」
そう言う鈴の声は震えていた。
早馬と聖菜の視力が戻り、鈴の様子が明らかになる。満月に照らされたその顔は強張っていて、鞘と柄を握る手には力が入り過ぎている。対峙している敵の恐ろしさを、鈴はその身をもって理解したのだろう。
早馬と聖菜の顔も険しいものに戻る。
二人が安心できたのも、ほんのわずかな時間だけだった。
「日の出まで、あと五時間。正直なところ、このまま追い続けるのはキツイな」
「あたしたちも、いつ攻撃されるかわからないもんね……いつ、街の人たちが、街の幽霊たちが、襲われるのかもわからない」
この悪霊が存在する限り、この危機的状況は変わらないようだ。
早馬は唾を呑み込んだ。
「だったら、いっそのこと浄化してやろうか」
「あたしも、同じこと思った」
聖菜は口元を上げ、早馬に同調した。
半ば投げやりな考えだったが、この場面ではそれが最善に思えた。鈴と良也が加わったとはいえ、これから五時間も戦い続けるのは無理がある。退魔村からの応援がいつ来るかのかもわからない。ならば、ここで一気に片を付けてしまえばいい。
早馬は悪霊に目を向ける。
標的は現在、腹部を上に向けて宙に浮かんでいるだけ。まるで大海を漂流する黒いごみ袋のようだ。
その相手に目で釘を刺しながら、早馬は考えを巡らせる。
「空中戦はダメだ。地面に足をつけて、広いところで戦いたい……この時間は、路面電車は走ってない。車も少ない。人も少ない。酔っ払いは飲み屋街から出ない。となると……」
思考がそこまで来た時、悪霊が体を起こした。
早馬は声を上げる。
「大通りに追い込んで浄化する! 俺たちで挟み撃ちにするんだ!」
彼の号令に迷いは無かった。
その言葉は聖菜の、良也の、そして鈴の耳へとまっすぐに届く。誰も早馬を疑わなかった。自分たちならこの状況を打破できると、淀みの無い早馬の声がそう信じさせてくれたのだ。
「了解! 良也くんを運んでくるね!」
鈴は身を翻し、全速力で暗闇の方へと飛んでいく。
早馬と聖菜はその場に浮かんだまま、悪霊を注視する。
「さあ、悪霊。テメェはこれからどうする?」
早馬は聖菜の肩越しに右手を伸ばし、浄化対象に照準を合わせる。
すぐにでも戦えるように、霊力は使用寸前の状態にまで活性化させている。それは聖菜も同じで、霊力の高まりが彼女の体を赤白く光らせていた。
膠着状態が続く。
そして、悪霊が急に飛び出した。方向は大通りの反対側だ。
「あたしたちから逃げるってわけね!」
聖菜は標的を追って翔け出す。
早馬は右腕以外のすべてを使って彼女の体にしがみついた。
「違う! 俺たち以外を食うんだよ!」
「どっちも一緒でしょ!」
この状況でも早馬と聖菜は小言をぶつけ合った。それでもなお、二人の注意はしっかりと悪霊に向いている。
早馬は悪霊の飛ぶ先に霊力防壁を張る。
突然現れた障害物に悪霊が激突する。その衝撃でバリアにヒビが入ったものの、なんとか耐えて崩壊はしなかった。
悪霊は少しだけ動きを止めたが、すぐに進路を変え、別の方向へと飛び始める。
「このまま大通りに案内してやる」
早馬は意地の悪い顔でそう言って、結界を次々と張っていった。
悪霊が大通り以外の方向へ飛び始めると、早馬はすぐに結界を張って進路を妨害する。悪霊が大通り方向へ飛んでいる場合は、そのまま泳がせた。
また、悪霊が撒き散らした穢れは、早馬が浄化の霊力で消していった。
そうしているうちに、退魔師二人と悪霊の距離が少しずつ縮んでいく。
聖菜は悪霊の変化に気づき、口を開いた。
「あいつ、動きがちょっと鈍くなってない?」
「ん? 言われてみれば確かに。ということは、俺たちの攻撃が効いてるんだ! 希望が見えてきたぜ!」
早馬は高揚した声を出し、一度に三枚の結界を張った。
大通りとは逆方向の北へと向かっていた悪霊が、一枚目のバリアに衝突する。諦めて東側に向かうが、二枚目の障壁に阻まれる。バウンドするかのように動いて西側へと飛ぶが、三枚目の霊壁に弾き返されてしまう。
悪霊は南に向かうことを余儀なくされ、半ば強引に大通りへと飛ばされていく。
少し離れた距離で、退魔師二人と悪霊がすれ違う。
早馬は霊力弾を放って悪霊にわずかながらもダメージを与え、聖菜は反転して悪霊を追った。
満月の下、空中戦は続く。
建物の間をすり抜けての追跡と誘導。幾多も繰り返される方向転換。感覚が狂ってしまいそうな状況だが、早馬と聖菜は正確な判断をし続けている。この街に住み始めて一か月も経っていないにもかかわらず、二人には強い土地勘が備わっていた。
「自分が今どこにいるのか、わかる。毎日、真面目に雑霊警戒やってたからな!」
「クラスのシティボーイズガールズより、あたしたちのほうがこの街に詳しいかもね!」
二人は冗談めいた口調で言い、互いに士気を上げ合う。
そして、希望を感じ取った。
「もう少しで大通りだ!」
早馬は霊力防壁を作り出し、悪霊の進行を妨げる。
悪霊は方向を変えて飛び上がり、ビルを越えてその先に向かった。早馬と聖菜も悪霊を追って建築物を飛び越える。
眼下に、大きな道路が広がった。
片側三車線の車道。それらに挟まれるようにして伸びる、路面電車のレールが二つ。ここが、圭市最大の大通りであり、今夜の決戦の地だ。
悪霊はそのまま南へ飛び、大通りを渡ろうとする。
せっかく誘導できたのに、ここで逃してしまってはこれまでの苦労が水の泡になってしまう。
早馬と聖菜は焦りを感じた。しかし同時に、悪霊は逃げられないという確信があった。
その信頼の通り、悪霊の向かう先には良也と鈴が待ち構えていた。
「ここから先へは、行かせないよ!」
良也はビルの屋上から巨大な霊力弾を放った。
その光球は悪霊に向かって飛んでいく。ただ、速度が少し遅い。この強力な砲弾を、悪霊は易々と回避した。
だが、良也はそれを想定済みだった。
悪霊が避けた直後、良也はその場で霊力弾を強引に爆発させた。
強烈な青い光と衝撃が爆ぜ、悪霊に容赦なく霊力を浴びせていく。その威力は凄まじく、直撃でなくても悪霊の動きを止めるには十分なものだった。
悪霊の飛行が鈍る。
そこに、鈴が突撃した。
彼女は屋上の床を蹴りつけ、霊力飛行の推進力を合わせて豪速で悪霊に迫る。刀の鞘と柄を握り締め、標的の懐に入った。
「止まりな、さい!」
鈴は急減速し、抜刀した。
刃が鞘の内部を滑走し、超速で飛び出す。刀身が綺麗に「一」の文字を描きながら、悪霊の腹部を斬り裂いた。
悪霊が怯み、斬り口から大量の黒い霧が噴き出す。
鈴は追撃にかかった。
彼女は斬撃の勢いを利用して右方向に半回転し、悪霊の腹部に右足の蹴りを入れる。このバックキックで悪霊は大通りへと押し戻され、鈴は蹴りの反動を利用して良也の隣へと戻っていった。
良也と鈴の攻撃によって、悪霊の動きが完全に止まった。
大通りの上空で、早馬が右手から霊力の鞭を伸ばし、それを悪霊の全身に巻きつけた。
「捕まえたぞ!」
彼は左手を地面に向けて伸ばし、道路上に結界床を作り出す。
聖菜は早馬が落ちないように彼の両脚を脇に抱え締め、その体を支える。
早馬が右手を振り上げると、悪霊の体が釣り上げられるかのように持ち上がった。そして、鞭をしならせながら、彼は右手を振り下ろした。
電線の間をかいくぐり、悪霊が結界床に叩きつけられる。
早馬は霊力鞭で悪霊を拘束し続け、聖菜は彼を背負ったまま大通りに降り立った。
二人に続いて、良也と鈴も道路に着地する。
少し距離を置いて、四人は悪霊を包囲した。
「もう逃がさないよ」
聖菜は赤い霊力で蛇矛を作り出し、両手に構える。
鈴も日本刀の長柄を右手で握り、身構える。良也は両手を敵に向けて突き出し、照準を合わせる。早馬は右手で霊鞭を握って悪霊を縛りつけながら、あらゆる事態に対応できるように霊力を左手に集める。
舞台が整い、わずかな静寂が訪れた。




