4-4 灰色の日
教室に入ってからも、四人はうわの空だった。
クラスメイトに話しかけられても、適当な返事しかできなかった。周りの生徒から見ても、四人の様子がおかしいことは明らかだった。当然のように、四人は授業に集中できなかった。
そして、一年五組の数学の時間。
担任の谷口が担当するこの授業でさえも、早馬と聖菜は学習に身が入らなかった。漫然とノートをとるだけの時間が過ぎていく。谷口の声も、ただの雑音としてしか認識できない。
そんな調子のまま、授業が始まってから三十分が経った。
教壇に立つ谷口が、早馬を見つめ始める。
「…さか君。……やまさか君? 山坂早馬君!?」
「ん……あっ! はいっ!?」
自分が呼ばれていることに気づき、早馬は慌てて立ち上がった。
谷口は安心したように微笑む。
「いや、問題を当ててるわけじゃないから立たなくてもいいよ。珍しくボーッとしてるようだったから。朝のホームルームでも、私のほうを見てなかったし。どうしたの? なにかあった?」
「い、いえ、ちょっと寝不足で……すいません。気をつけます」
早馬は背中を丸め、頭を掻きながら座る。
そんな彼の様子を見て、クラスメイトたちは苦笑した。
しかし、聖菜だけは笑わなかった。彼女は早馬を一瞥したものの、特に何も思わないまま視線を黒板に戻した。
谷口は咳払いをし、白いチョークを手に取る。
「では、気を取り直して、次いきましょう。例題3、次のみっ、やっつのうち」
「はっ? はいっ!?」
突然、聖菜が素っ頓狂な声を出して立ち上がった。
谷口は驚いて振り返る。
「な、何事!? つ、月宮さん!? どうした!?」
「えっ!? 先生さっき、あたしのこと呼びませんでした?」
二人は目を丸くして見つめ合う。
不可解な空気が流れるなか、谷口はおそるおそる首を横に振る。
「い、いや、呼んでないけど……」
谷口はそう否定しつつも、少し考える。
生徒たちに奇怪な目で見られながら、谷口は答えに至って口を大きく開けた。
「あっ! さっき言い間違えた時、次のみっや、って言ったな。確かに、月宮と聞こえないこともないね。紛らわしくてごめん。気をつけます」
彼はそう言って手を小さく挙げ、聖菜に対して頭を下げる。
直後、クラスメイトたちが笑いだした。「なにそれー!」とか「せんせー聖菜ちゃんのこといっつも当てすぎなんですよー!」とか言いながら、谷口を茶化す。
聖菜は後頭部に右手を当てながら、
「あたしも、ちゃんと話、聞けてなかったです。すみません」
と、少しおどけたように言って腰を下ろした。
教室内は賑やかになったが、早馬は黙って聖菜を一瞥するだけだった。彼は真顔で前方を眺める。
その後、谷口が授業の再開を宣言すると、生徒たちはすぐに静かになり、数学の姿勢へと戻っていった。
そして昼休み。
早馬、聖菜、良也、鈴の四人は二階の中央階段で集合し、学食に向かった。いつもはおしゃべりをしながら廊下を歩いていくのだが、今日は言葉を交わさなかった。賑やかな校内で、この四人だけが異質な空気を放っていた。
学食に到着し、注文カウンターに行く。
割烹着姿のおばちゃんが、四人を見た瞬間にその目を輝かせた。
「あっ! 来た来た! 陽善村の四人組! 今日もB定のご飯大盛り!?」
中年女性は期待した眼差しを健啖家たちに向ける。
聖菜はどこか申し訳なさそうに微笑んで、首を横に振った。
「いや、今日は……A定の普通盛りでお願いします……」
「俺も、A定の普通で……」
「僕も……」
「わたしもそれにします……」
四人は覇気のない声で注文する。
おばちゃんは残念そうに首を傾げた。
「あらそう? なんか、今日はみんな元気ないのね」
「あはは……今日は村のことで大事な用事があるので、ちょっと緊張しちゃってて」
聖菜は背中を丸めながら、表情を緩めてみせる。
そんな彼女の様子を見て、おばちゃんは納得したように頷いた。
「それじゃあ、しょうがないわね。頑張ってね……A定普通四つでーす!」
受付役の彼女は厨房に向けて声を張る。
四人はそれぞれ350円を支払い、カウンター横で気まずそうにしながら無言で定食の用意を待った。
トレーを受け取った後、早馬たちは隅のいつもの席に座った。
今日のメニューは鶏の唐揚げ定食。ご飯に味噌汁に漬物に千切りキャベツに、唐揚げが二つ。B定食ならば唐揚げが四つだったのだろうが、A定食はその半分と少ない。
四人は黙々と食べるが、箸の進みは明らかに遅い。
半分ほど食べ進んだところで、鈴が向かいの聖菜を見る。いつもはこのタイミングでこの元気少女が話を切り出すのだが、今はその様子が無い。
鈴は小さく息を吐いて勇気を出し、友人たちに話しかけた。
「今日、授業どうだった? わたしは、あまり集中できなかったのよね」
彼女らしい落ち着いた声で、鈴は問いかける。
早馬、聖菜、良也は箸を止め、視線を落としたまま応えた。
「まあ、その……散々だったな」
「あたしも、他のことばっかり考えちゃって」
「僕も全然頭に入らなかったよ」
元気のない三人の声に、鈴は力なく息を吐くことしかできない。
「そう、よね」
鈴が力なく呟き、会話が終わる。食事が再開されることもなく、気まずい雰囲気になってしまう。
この空気を打ち破ろうとして、聖菜が顔を上げた。
「それがさあ、あたしも早馬も授業でやらかしちゃってさ。早馬は先生に呼ばれてるのに全然返事しないし、あたしはあたしで呼ばれてもないのに立っちゃったりして。もう、二人してクラスの皆に笑われちゃったよ~」
聖菜は笑いながら早口で言う。その笑みはぎこちなかった。
そこから少しの間があって、早馬が苦笑する。
「まったくだ。どうせ今頃、先公どもが職員室で話のネタにしてるんじゃねーの」
「それは大変だね」
「もうすっかり有名人ね」
早馬に続いて、良也と鈴が微笑する。
わずかではあったが、雰囲気は和らいだ。しかし、すぐに四人は口を閉ざしてしまい、空気が再び重くなる。箸も動かない。
食堂内では、生徒たちが昼食を終えて次々と立ち上がっていく。
「ふぅ……俺たちも早く食わねーとな」
早馬はそう呟き、茶碗を左手に取って白米を口にかき込み始めた。
他の三人も半ば無理やりに食事を再開する。四人が食べ終えたのは、昼休みが終わる五分前のことだった。
午後の授業は昼食後の眠気も相まって、四人はさらに集中できなかった。
学習内容がほとんど頭に入らないまま、六時間目が終わった。その後の十分間掃除にも身が入らない。呆然としたまま、帰りのホームルームとなった。
一年五組の教室では、担任の谷口が連絡事項を伝えている。しかし、その内容は早馬と聖菜の耳に入っては、もう片方の耳から抜けていく。さらに、この後に行われる部活動の入部式についての話に至っては、二人には関係無いため、耳にすら入ってこなくなった。
話の最後になると、谷口が声を少し大きくした。
「えー、何度も言っていますが、明日から土曜授業が始まります。先週は特別に休みでしたが、これが平常運転です。間違えて休まないようにしてください。小中学校と同じで土曜は半日で四時間目までなので、そこは安心してくださいね」
谷口は土曜授業の話をしっかりと強調する。
そのおかげか、早馬と聖菜もこの話だけは明確に認識できた。しかし、二人の表情は曇ったままだった。
(それまで生きていられるか? 俺たち)
(明日のことなんて、正直どうでもいい。今夜のことで頭がいっぱい)
早馬と聖菜はそれぞれ心の中で悪態をつき、小さく息を吐いた。




