4-3 普段と違う朝
早馬はいつもと同じ午前六時に目を覚ました。
彼は上半身を起こし、壁のカレンダーに目をやる。赤い印がついた今日の日付を睨みつけながら、ねばついた口を開く。
「いよいよ今日か……」
早馬は重だるい息を吐いてしまうが、それを戒めるかのように自分の両頬を叩く。
「やれることはやってきた。雑霊警戒も真面目にやった。悪霊も雑霊も居ない。大丈夫。いつも通りだ、いつも通り!」
彼は自分にそう言い聞かせ、立ち上がった。
布団を畳んで押し入れに片づけ、カーテンを開けて朝日を浴び、トイレに行き、洗面所で歯を磨いて顔を洗う。そうしていると、隣の部屋から物音が立ち始めた。
早馬は洗面所から出て六畳一間の部屋に戻ると、箱型テレビの電源をつけ、ニュース番組にチャンネルを合わせる。アナウンサーの声を聞きながら、鍋を冷蔵庫から取り出してコンロの火にかけた。
その時、部屋のドアがノックされた。
早馬は怪訝な顔をしてしまったが、すぐに表情を柔らかくする。
「……開いてるぜ」
彼がそう言うと、扉が開かれた。
朝の空気とともに、聖菜が顔を出す。
いつもはもっと遅い時間に来るのだが、今日の彼女は早い。そのうえ、すでに髪は整えられていて、制服まで着ている。
「おはよ、早馬、手伝うよ」
「おう。皿出して米よそってくれ」
二人は顔を合わせるが、すぐに目をそらしてしまう。声にも元気が無く、いつもの二人らしくない。
聖菜は白い運動靴を脱いで部屋に上がり、戸棚から食器を出す。続いて炊飯器を開け、昨夜に炊いた残りの御飯を茶碗に盛った。
早馬は鍋から深皿におでんを盛り付ける。
二人は畳の上のちゃぶ台に朝食を並べ、向かい合って正座した。
「「いただきます……」」
二人は手を合わせるが、やはり声に張りが無い。
箸をとって食事を始めるも、食べるペースはいつもより遥かに遅かった。
聖菜が雰囲気を変えようと、無理やり笑みを作る。
「ははっ、なんか調子狂っちゃうね。いつもより早く起きちゃったせいかな……」
「いっつも寝坊してるもんな……」
「そうだね……」
「ああ……」
しかし、会話は続かなかった。
重い空気のなか、朝の情報番組の音声だけが食卓に流れていく。今の二人にとって、動物を紹介するコーナーと、アナウンサーの明るい声が唯一の救いだった。
だが、無情なことに、そのテレビさえも、一転して緊迫したものに変わってしまう。
「速報が入りました。○○県○○村の山中で高齢の夫婦二人の遺体が見つかったとのことです。現場には指名手配中の連続殺人犯、古峰志朗のものとみられる書置きが発見されたとの情報が入っています。詳しい情報が入り次第、お伝えします……」
この臨時ニュースを聞き、早馬と聖菜は思わず頭を抱えてしまう。
「またか、古峰志朗……っ!」
「なんで今このニュース出るかな……タイミング悪いよ……」
二人は愚痴を言いつつも、チャンネルを変えることも、テレビの電源を切ることもしなかった。
張り詰めた映像と音声を垂れ流しにしたまま、二人は黙々と食事を再開し、そのまま完食した。
「「ごちそうさまでした」」
早馬と聖菜は気落ちした声で手を合わせる。
二人は一呼吸置いて立ち上がり、片付けに移った。今日はいつもと違い、早馬が食器や調理器具を洗い、聖菜がテレビを眺めながら食器の水滴を拭いていった。
片付けが終わると、二人はそれぞれ自分の部屋で登校の準備を始めた。
早馬は仕上げに、いつものように洗面台に立って櫛を手に取った。逆立った髪を寝かそうと、彼は櫛を髪に通していく。
だが、それも数回やったところで手を止めてしまった。
「今日は……もういいか」
早馬は櫛を置き、白のスポーツバッグを肩にかけて部屋から出た。
いつもは聖菜に急かされながら出ていくのだが、今日は違う。外にその少女の姿は無い。おそらく、彼女はまだ自分の部屋で準備をしているのだろう。
早馬は扉の鍵をかけ、そのドアにもたれかかる。快晴の空を見上げながら、彼は隣人が現れるのを待った。
それから数分後、隣の角部屋の扉が開き、聖菜がその身を乗り出してきた。
「あっ、早馬……今日は早いんだね」
「ああ、まぁな」
聖菜は少し驚いた顔で早馬を見た後、自分の部屋に鍵をかけた。
二人は横に並んでアパートの外廊下を歩き、階段を降り、道路に出て、銅鏡川へと向かう。昨日までは軽快に言葉を飛ばし合いながら歩いていた二人だが、今日に限っては無言で、互いから目を逸らしていた。
河川敷に出ると、次は赤い大橋へと向かう。
緩やかなアーチ状のものが見えた時、良也と鈴がその橋を歩いて渡っていた。
そこで四人の目が合う。
それぞれが小さく手を振って、ペースを変えずに歩く。そのまま、四人は橋の出入り口で合流した。
「そー君とせっちゃん、いつもよりちょっと早いね」
「わたしたちは少し遅くなってしまったけれど」
良也と鈴はそう言って、力なく笑う。
この二人も、今日はあまり元気が無いようだ。
「まあ、こういう時もあるさ」
「そーそー。じゃ、学校行こ」
早馬と聖菜は励ますように言って、道路を横断した。
車道を横切って小さな坂道を下った後、四人は横に並んで歩いていく。河川横の道路を進んでいくが、いつものような賑やかさは無い。その代わり、雰囲気が張り詰めていた。
こうなっているのは誰のせいでもない。誰かが意図的にやっているわけでも、誰かと誰かが喧嘩しているというわけでもない。ただ、今日が満月の日だというだけで、四人はいつも通りではいられなくなってしまっている。
少し歩いたところで、良也が勇気を出して口を開いた。
「なんか、まだ朝なのに緊張しちゃうね……」
消え入りそうな声だった。
だが、それは他の三人にとってはありがたいものだった。普段、第一声を発することのない良也が、この状況で空気を変えようとしてくれたのだ。
それに応えるように、早馬は大袈裟に両手を広げた。
「しょーがねぇよ。満月の夜は悪霊の霊力が跳ね上がるんだからさ。警戒任務ってだけでレベル5扱いだぜ? いつもより四段階も上。緊張して当たり前だっての」
早馬は良也の心意気を無駄にしないよう、努めて軽い口調で言う。
それに続くように、聖菜と鈴もわずかに表情を緩めた。
「あたしは、レベル5の任務ができて嬉しいけどね。それだけの戦力だって、村があたしたちを認めてるようなもんじゃん」
「報酬も高くなるし、悪いことばかりじゃないのよね」
女子二人の言葉もあって、雰囲気が少し柔らかくなった。
だが、最高レベルの任務が与えるプレッシャーは、あまりにも大きかった。四人はそれ以降、口を開けなくなってしまった。
いつもと違い、無言で登校する。住宅地に入り、大通りを渡り、アーケード街を抜け、鷹原高校の門に入る。本校舎の中央階段を上がり、二階で「また昼休み」と一言だけ交わして別れ、それぞれの教室に向かった。




