2-9 信頼
早馬と聖菜を守るように、鈴は大悪霊と正面から対峙した。
彼女は鞘から刀を抜く。左手で鞘を順手に握り締め、右手に刀を握り、二刀流のような構えをとりながら自らを大きく見せる。
「さぁて、虎みたいな大悪霊さん。わたしと遊んでくれる?」
鈴は不敵な笑みを浮かべる。
それを開戦の合図と受け取ったかのように、猛獣が彼女に襲いかかった。
大悪霊の右前足が鈴に突き出される。鈴は左手の鞘でそれを受け流し、右手の刀で相手の頭部を斬りつけた。
獣霊はわずかに怯むが、再び鈴に飛びかかった。
ここで良也が右側面から霊力弾を発射した。
突っ込んできた大悪霊の頭を、鈴が鞘と刀で押さえつける。その直後、霊力弾が大悪霊の右後足に直撃し、爆発を起こした。
鈴は後ろに飛んでその衝撃から逃れる。
大悪霊はバランスを崩し、その場に倒れた。
鞘と刀を構え直しながら、鈴は大きく息を吐く。
「あと二十秒くらいかしら?」
彼女がそうつぶやくのと同時に、大悪霊が立ち上がり、駆け出した。
良也と鈴が大悪霊と戦う一方で、早馬と聖菜は決定打の準備を進めていた。
霊力を溜め続けた聖菜の体が赤白く光る。
その横で早馬が大悪霊を凝視しながら声を上げた。
「見えた! 霊力の核! 拳一個分の大きさしかない!」
早馬は歯噛みしながらも、胸の前で両手を押し合わせ、さらに霊力を込めた。
「聖菜! 俺の視界を送る! 言葉じゃ伝えられねえ!」
「わかった! あたしはもう準備できてるから!」
二人は高揚した声で言う。
早馬は霊力の使用方法を変え、聖菜の脳内に自分の視界を送り始める。その直後から、彼の全身に大量の汗が滲み出してきた。
聖菜は目を閉じる。
暗いまぶたの裏に、新たな光景が浮かび上がってくる。木々に囲まれた草地、獣型の大悪霊、それと戦う二人の仲間。だが、その映像は朧気にしか見えない。
「あと少し、焦っちゃダメ、焦るな焦るな……」
聖菜は自分にそう言い聞かせながら、姿勢を低く保ち、攻撃の時を待ち続けた。
早馬と聖菜が攻撃の準備をする一方で、良也と鈴は大悪霊と攻防を繰り広げていた。二人は敵を誘導しながら戦い、早馬と聖菜から獣霊を引き離すことに成功した。
大悪霊が鈴に突進する。
その頭を、鈴は鞘と刀で押し留める。
続いて、良也が側面から霊力弾を放った。その砲撃は悪霊の左わき腹に命中して大きな爆発を起こす。
鈴は後ろに跳んで爆発の衝撃から逃れ、大悪霊はただ独り悶え苦しむ。
それでも黒獣霊は獲物を諦めない。
大悪霊は良也に顔を向け、再び駆け出した。
自分が標的にされても、良也は焦ることなく霊力砲を放った。
強力な青光弾が大悪霊の正面に直撃し、爆ぜる。虎型悪霊はそこで足を止めるも、再び走り出そうとする。
それとほぼ同時に鈴が動き、良也と大悪霊の間に入った。
悪霊は進路を変えず、立ち塞がった鈴に向けて突進する。そんな力任せの悪霊に向けて、鈴はその場に留まったまま居合斬りを繰り出した。
最高のタイミングで抜き出された刃が、大悪霊の二つの赤い目を斬り裂く。悪霊はそこで体勢を崩し、あさっての方向に体が進んでいった。
だが、大悪霊とて無暗に突進するだけではない。進路はズレたが、まだ鈴の近くにこの霊体はある。
獣の悪霊はすれ違いざまに、左後ろ足を鈴に向けて突き出した。
鈴は勘だけで反応し、鞘で防御する。しかし、体への直撃を避けるので精一杯だった。衝撃の大半が自身に伝わり、彼女は大きく後ろによろけてしまう。
大悪霊はその隙に、別の標的に向けて走り出した。
その狙いは、早馬と聖菜。今は無防備な二人組だった。
「させない!」
鈴は地面を踏みつけ、倒れそうになっていた体を強引に起こす。そしてすぐに駆け出し、大悪霊の正面に回り込んだ。
彼女は鞘と刀を交差させ、敵の頭を押さえつける。
大悪霊の足が止まった。しかし、重心が浮ついた体勢では、鈴は瞬間的な足止めしかできなかった。
黒獣霊は四足すべてで地面を蹴り、鈴を突き飛ばした。
「リン!」
「鈴を信じろ! 聖菜!」
聖菜は思わず目を開きかけた。
だが、早馬の一喝で、彼女はまぶたを固く閉じて集中し直すことができた。ここで動いてしまっては、すべてが無駄になってしまう。
鈴は転がりながら跳ね起き、突進してくる大悪霊に再び立ち塞がった。
「あと十秒、耐えなきゃね」
鈴は穏やかに口元を上げ、刀を鞘に納める。
鍔鳴りと同時に、彼女は突撃した。
鈴は猛烈な速度で大悪霊に迫って抜刀し、その頭を真正面から斬り去った。
虎型悪霊はこの斬撃に怯み、数歩後退する。
そこに、良也が後方から、三発連続で霊力弾を悪霊に直撃させた。
死角からの容赦ない砲撃に、大悪霊は完全に動きを止める。その全身からは黒い霧が大量に漏れ出しては消えていて、この猛獣が弱ってきているのは一目瞭然だった。
だが、消耗しているのは大悪霊だけではなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……これ以上は、撃てないや……」
良也は両手を前に突き出したまま、顎から大量の汗を垂らして息を荒げる。彼の手は震えていて、もはや狙いを定めることすらままならない。
「で、でも……動かなきゃ……戦いはまだ、終わってない……っ!」
彼は疲弊しながらも、次の狙撃位置を求めて走り出した。
大悪霊にとって、最も容易く仕留められるのは間違いなく良也だろう。だが、そんなことをしている場合ではない。大悪霊は本能的にわかっている。先ほどから動かないあの二人を、特に蛇矛の女を真っ先に殺さなければ、自分がやられてしまうのだ。
大悪霊は良也を無視し、聖菜に向けて突進する。
その先に鈴が立っている。手強い邪魔者だが、黒獣としてはそのまま突き飛ばしてしまうだけで十分だ。
虎型悪霊は鈴に体当たりをする。
鈴はその場で鞘と刀を構え、防御した。
両者が衝突する。その衝撃で刀の峰が鞘を擦り、火花が散る。大悪霊の頭突きは止まった。突進も止まった。だが、悪霊は力で押してくる。鈴は両足で踏ん張るが、背中が仰け反っていく。
「ぐっ……あ、あと五秒!」
鈴は声を上げ、自らを鼓舞した。
しかし、彼女はもう限界だった。
「があっ!」
ついに鈴が突き飛ばされた。
彼女は後方に背中から倒れ込む。鞘と刀が両手から離れ、赤い光の粒子となって消散した。
大悪霊は鈴を跳び越え、聖菜に向けて駆けていく。
それでも、聖菜は落ち着いていた。彼女は目を閉じたまま、ただ一撃のために集中を保っている。
聖菜と大悪霊の距離が豪速で縮まっていく。
その時、聖菜が目を見開いた。
「見えた!」
早馬の見ている光景が、聖菜の視界に重なる。彼女の目では見えなかったものが、はっきりとそこに映っている。大悪霊の体内が透けて見える。その胴体の中央部の最も深い場所に、握り拳ほどの大きさの黒い塊が拍動している。不気味なほどに真っ黒なその塊が、霊力の核だ。
聖菜は己の体内に溜まった力を爆発させた。
「刃蛇深突!」
彼女は蛇矛を前に突き出しながら、大悪霊めがけて突撃する。
猛烈な速さで、聖菜と虎型悪霊が激突した。
蛇矛の先端が悪霊の頭に深々と突き刺さる。
両者の足がそこで一旦止まった。
突撃と突進のぶつかり合い。とてつもない衝撃が二つの体に押し寄せる。それでもなお、双方とも前に突き進もうとしていた。
聖菜は体中に霊力を回し、強化した体で蛇矛の刃を相手の体内に押し込んでいく。大悪霊は目の前の獲物を食い殺そうと距離を詰めていく。
両者拮抗しているかのように見える。
しかし、受けるダメージは大悪霊のほうが遥かに大きかった。
蛇矛の刺し口から黒い霧が漏れ、力を削がれた虎型悪霊はわずかに足をぐらつかせた。
そして、聖菜はそれを見逃さなかった。
彼女は体内の霊力を爆発的に使い、地面を蹴りつけた。
「でりゃあああああああああああああああああああああああああ!」
聖菜が叫び、力の均衡が崩れる。
彼女が一気に前に突き進み、大悪霊を押し返していく。蛇矛の切っ先が大悪霊の体内を食い破り、ついに霊力の核に辿り着いた。
勢いを増した蛇矛が黒塊を貫く。
その瞬間、霊力の核が弾け飛んだ。
だが、蛇矛が受ける反動も相当なものだった。その衝撃に耐えきれず、蛇矛は急激にその形を失い、赤い光の粒子となって爆散してしまった。
聖菜は支えを失う。
彼女は突撃の勢いそのままに、大悪霊の横を過ぎ去って盛大に地面を転がっていった。
それと同時に、大悪霊に変化が起こった。
力の源が破裂し、体内の霊力バランスが崩壊する。霊力と穢れが暴走するかのように体内を縦横無尽に動き回り、ついには外界との境界を突き破った。
大悪霊の全身から、全方位に黒い霧が噴き出す。
そこでようやく、虎型悪霊の姿が大きく揺らいだ。
早馬は胸の前から両手を離し、聖菜との視界共有を止めて叫ぶ。
「良也! 直接浄化するぞ! 霊力が足りねぇ!」
そう言って早馬は駆け出す。
良也も頷き、浄化対象へと走り出した。
二人は右手に白い光を宿しながら、大悪霊の両側面を挟み込むように距離を縮めていく。
早馬と良也は、大悪霊を見据えて口を開く。
「死してなおこの世をさまよう霊魂よ、あるべきところに還れ……」
二人は同時に飛びかかり、その黒い霊体に右手を叩きつけた。
「浄化!」
その瞬間、白い光が二人の右手から大悪霊の体に直接流れ込んだ。
遠距離からの浄化とは比べ物にならない速さで、清い霊力が穢れた魂を満たしていく。ほぼ一瞬とも言える時間で虎型悪霊の巨体は浄化の霊力で染まり切り、その全身が白い光に包まれた。
「ありがとう……」
早馬と良也の耳に、誰のものとも知らない穏やかな声が届く。
そして、大悪霊は弾けて消えた。
三メートル以上あった黒い霊体は、もうそこには居ない。弾けたときに拡がった無数の白い光の粒が、周囲を舞って音もなく消えていく。ただそれだけだった。
大悪霊が消え、早馬と良也は二人して前方に倒れた。
早馬は受け身をとって転がり、すぐに立ち上がる。良也はそのまま地面に突っ伏してしまった。
また、男二人から少し離れたところで、聖菜と鈴が偶然にも横に並んで倒れていた。彼女たちが動き出す様子はまだ無い。
一人だけ立っている早馬は、周囲を見渡した。
急に静かになった草地に、白い光の粒が舞い降りているだけ。周囲の木々も、夜空も、楕円形の月も、星々も、何事もなかったかのようにそこに存在している。浄化の残滓が消えてしまえば、何の変哲もない風景に戻るだろう。
「ふぅ……悪霊もいねぇし、雑霊も来てねぇな」
早馬は胸を撫で下ろし、良也に歩み寄る。
良也は砂のついた顔で早馬を見上げた。
「やった……みたいだね」
「ああ、もう安心だ」
早馬は良也の手を取る。
良也は早馬に支えながら立ち上がり、二人は互いに誇らしげな笑みを浮かべ合った。
その一方で、仰向けになっていた鈴が目を覚ました。
「はっ!? 悪霊は!?」
彼女は上半身を起こし、首を大きく左右に振る。
その横で、うつ伏せの聖菜が唸った。
「うう~、浄化できたっぽいよ……うっ、いてててて……」
聖菜は声を絞り出し、寝返りを打って仰向けになった。
そんな聖菜を見て、鈴は大きな息を吐く。
「よかったぁ……って、セーナ、あなた傷だらけじゃない」
「あはは……攻撃に集中してたから……リンも顔、切れてる。せっかくの美人が台無し」
「顔より背中のほうが痛いのよねぇ……」
「美人のところ、さらっと受け流された……」
鈴と聖菜は他愛もない会話をしながら、穏やかに笑った。
それから一呼吸置いて、鈴は聖菜に優しく声をかける。
「立てる?」
「うーん、その前に傷を治したいな」
聖菜はそう応えると、体内に残った霊力を再び活性化させた。
彼女の体が赤い光に包まれる。すると、顔や手足、衣服で隠れた箇所にもあった多くの切り傷や擦り傷が、見る見るうちに塞がっていく。傷は浅いため、ほんの数秒で彼女の体は傷のない状態に戻った。
霊力による自己回復を終え、聖菜は霊力を沈静化させる。
赤い光が消える。彼女の体には、新しい汗が浮かんでいた。
「ふぅ、よっと!」
聖菜は一息つくや否や、元気よく跳ね起きた。
そんな彼女を見上げながら、鈴は苦笑いをする。
「やっぱり、セーナは頑丈よね。わたしは、帰ってからゆっくり治すことにする」
鈴は指で頬の傷を撫でながら、両足を地につけて腰を上げた。
それから少し経って、早馬、良也、聖菜、鈴の四人が互いに歩み寄った。
彼ら彼女らは目を合わせ、輪になって微笑み合う。
そして、誇らしげに右拳をぶつけ合った。
「任務完了!」
森の中を、少年少女たちの爽やかな声が通り抜けていった。




