2ー7 大悪霊
先に悪霊を浄化し終えた早馬と聖菜は、森の中の開けた場所に足を踏み入れていた。
そこはかなり広く、地面は短めの草に覆われている。周囲は木々に囲まれているものの、見通しは良く、夜空を拝むこともできた。
「いいところあったな。大悪霊との距離もあるし、ここで良也と鈴を待とう」
「へへーん。あたしたちのほうが早かったね」
聖菜は左手を腰に当てて鼻を高くする。
そんな彼女を横目に、早馬は自分の頭に右手を添えて霊力通信をおこなう。
「良也、聞こえるか? 俺たちが今いるところに来てくれ。かなり開けた場所だ。位置はわかるか?」
『うん、そー君たちの霊力でだいたいわかるよ。今、悪霊を浄化したばかりだから、ちょっと時間かかるかも』
「問題ない。焦らず確実に来てくれ」
早馬は頬を緩めて良也に言う。
しかしその直後、彼は異様な気配を察知して目を見開いた。
「訂正! できるだけ早く来てくれ! 以上!」
早馬は相手の返事を待たずにテレパシーを切り、頭から右手を離す。
それと同時に、聖菜も体を強張らせた。
「ねぇ早馬、この霊力って……っ!」
「ああ! 大悪霊だ! 構えろ聖菜!」
早馬が叫ぶ。
その声で聖菜は気を持ち直し、蛇矛を両手に構えて腰を低くする。だが、恐怖心は抑えきれず、柄を握る両手は震えてしまっていた。
そこに、木々の間から黒い獣のようなものが飛び出してきた。
二人の真正面から現れたそれは、この開けた草地の中央で足を止める。
全長三メートルほどのしなやかな体に、四つの足。体の輪郭はぼやけていて、全身から黒い霧のようなものが立ちのぼっている。そして、頭部では、二つの目が妖しい赤光を強く放っていた。
早馬は鼻で笑ってみせる。
「森の中に、虎型の大悪霊か……洒落てるな」
「いや、シャレにならないでしょ! なんでいきなりこっちに!?」
聖菜は焦燥感で声を荒げる。
早馬は努めて冷静に返した。
「俺たちのことを良い餌だと思ったんだろ。強い霊力を持ちつつ、自分よりは弱い。そんな極上の獲物が縄張りに入ってきたんだ。襲いに来るに決まってる」
早馬の言葉を受け、聖菜は脱力した笑みを浮かべる。
「この森から逃げても……ってダメだよね」
「こんなの相手に逃げ切れねぇよ……もとより、この大悪霊を浄化するのが俺たちの任務だ。やるぞ! 聖菜!」
「はいよ! やってやろうよ早馬!」
早馬と聖菜は威勢よく声を上げ、互いを鼓舞し合う。
その直後、大悪霊の赤い目が二人を捉える。
そして、虎型の悪霊が獲物に向けて突進を始めた。
「っ! 結界!」
早馬はすぐに両手を突き出し、前方に霊力防壁を構築する。
青い半透明の一枚壁が、大悪霊の進路を阻む。これまでの悪霊ならば、攻撃を跳ね返すことのできた強力なバリアだ。
だが、霊力に飢えた黒獣は躊躇することなくその防壁に突撃した。
頭と霊壁が激突し、大悪霊の足が止まる。
しかしそれも束の間。防壁にヒビが入り、無残にも砕け散った。バリアの破片は光の粒子となって消えていく。
虎型の悪霊は再び突進を始め、二人に向かってくる。
早馬はすかさず霊力弾を放った。
青い光球は大悪霊の頭部に直撃し、爆発を起こす。その衝撃で敵は怯み、突進が一時的に止まった。
その隙に、聖菜が大悪霊の左側面から接近し、敵の胴体に蛇矛を突き入れる。それなりに力を入れた刺突だったが、霊体に少し刺さったところで穂先は止まってしまう。
「くっ! 硬い!」
聖菜は蛇行した刃を引き抜く。
刺突した箇所から大量の黒い霧が噴出しては消えていく。しかし、大悪霊に苦しむ様子は微塵も見られない。
四つ足の悪霊は聖菜に頭を向けながら、そのまま彼女に食いかかろうとした。
聖菜は咄嗟に一歩引いてその咬みつきを回避。攻撃が空振り、大悪霊の体勢がわずかに崩れる。その頭めがけて、彼女は右足の回し蹴りを繰り出した。
カウンターが見事に決まり、大悪霊は体の右側面を地につけた。
相手に大きな隙が出来たものの、聖菜は深追いしない。彼女は大きく跳んでその場を離れ、早馬の右隣に降り立った。
二人は並んで息を切らす。
「はぁ、はぁ……怖い……」
「ああ。一つでも間違えれば、俺たちがあの世行きだ」
聖菜と早馬は声を震わせながら、浄化対象を注視する。
虎型の悪霊は平然とした様子で起き上がった。猛獣はその場で二人を睨みつけ、静かに次の時を待つ。
聖菜と早馬は構え、大きく息を吐いて強引に呼吸を整える。
「本来は、二人で戦う相手じゃないもんね……」
「それでもやるしかねぇ。良也と鈴が来るまで持ち堪えるぞ!」
早馬は霊力弾を発射する。
今度はこちらが先手を打った。青い霊力の塊は大悪霊に命中し発破する。そこから間髪入れずに聖菜が走り出し、敵の頭を斬り上げた。
連携の取れた速攻だが、大したダメージにはなっていない。早馬の攻撃は目くらまし程度に、聖菜の攻撃はかすり傷程度に終わっている。その証拠に、悪霊の体からは黒い霧が少ししか漏れ出していない。
大悪霊は先制攻撃にひるむことなく聖菜に襲いかかった。体を高く起こし、その巨体で彼女にのしかかろうとする。
この悪霊に押しつぶされてしまえばひとたまりもない。致命傷には至らずとも、動けなくなってしまう。そうなれば、この獣型の霊に食い殺されるのは必然だ。
だが、聖菜はここで逃げなかった。
相手が二本足で立ったことにより、その腹部が無防備になっていたからだ。
「隙あり!」
聖菜は蛇矛を縦に振り下ろし、続いて横にフルスイングした。
霊力を強く込めたこの二撃は、霊体に深く斬り込まれた。斬り口から大量の黒い霧が噴出し、悪霊から穢れと霊力が多く失われる。
しかし、大悪霊は怯まなかった。
「なっ!?」
聖菜は想定外の出来事に目を剥いた。
攻撃直後のため、距離を取ろうとしても体の動きが間に合わない。彼女は蛇矛を前に掲げて防御態勢に入った。
大悪霊はそのまま彼女にのしかかろうとする。
早馬が霊力弾を放って援護したが、爆発を受けても大悪霊は動きを止めない。
大悪霊が体ごと両腕を振り下ろす。
重い攻撃が蛇矛の柄に落とされ、蛇矛は無残にもへし折られた。柄の断裂面から赤い光が飛び散り、武器が両手に分かれる。
聖菜はかろうじて一歩だけ後ろに引き、敵の両手を躱す。しかし、蛇矛破壊の衝撃が大きく、体のバランスを崩してしまう。
そこに、大悪霊が四つ足を地面につけ、猛烈な力で地面を蹴りつけた。
超至近距離からの突進に、聖菜には為す術がなかった。
「ぐっ、があああああっ!」
大悪霊の頭部が聖菜の腹部に直撃する。彼女は大きく吹き飛ばされ、地面に着くことなく、そのまま森の中へと消えてしまった。
「聖菜あああああああああああ!」
早馬は思わず叫んだ。
しかし、ここで冷静さを欠いては彼自身も危うくなってしまう。それに、聖菜はあの程度で死にはしない。
彼はすぐに大悪霊に目を向け、右手を突き出した。
「こっちだ悪霊!」
早馬は標的めがけて霊力弾を放つ。
その光弾は敵の頭部に直撃して爆発した。しかし、大悪霊はわずかによろけるだけだ。ほとんどダメージを与えられていない。
虎型悪霊は早馬に頭を向け、彼の方向へゆっくりと歩き出した。
その様子は、まるで地上の覇者が獲物をじりじりと追いつめているかのよう。だが、早馬はこの状況に怯えることはなかった。
「そうだ……俺のほうに来い」
早馬は少しずつ後退しながら、左手で手招きをする。
彼はこのまま、大悪霊を倒すための時間稼ぎをするつもりだ。右手で敵に照準を合わせながら威嚇をし、機会をうかがう。このまま膠着状態が続けば、勝機が生まれる。
だが、この場における圧倒的強者は悪霊のほうだ。
大悪霊は早馬の思惑を嘲笑うかのように、彼に向けて駆け出した。
「やっぱり来るか!」
早馬は右手で霊力を操り、前方に霊力防壁を張る。
そうやって大悪霊の突進を遮ろうとしたが、強烈な頭突きを受けて霊壁はあっけなく砕け散った。
黒獣が足を止めることなく向かってくる。
早馬は霊力弾を二発連射した。
二発とも命中して爆発する。しかし大悪霊は怯まない。距離を詰めてくる。
「まずい……っ」
早馬は奥歯を噛み締める。
距離は残り数メートル。獣が早馬に向けて飛びかかる。
その瞬間、木々の間から白色の何者かが高速で駆け出してきた。
「せいっ!」
白い人影は大悪霊の左横に肉薄し、低く跳ぶ。そのまま虎型悪霊の上で一回転しながら、猛スピードで過ぎ去っていった。
それと同時に、大悪霊の首から大量の黒い霧が噴き出した。
黒獣霊は空中で突進の勢いを完全に失い、早馬に攻撃が届かなかった。悪霊は四つ足で着地するも、体勢は整わない。
このタイミングを見計らったかのように、人影が飛び出てきた方向から直径一メートルほどの青い光球が飛来した。
その光弾は悪霊の脇腹に直撃し、大爆発を起こす。
大悪霊は吹き飛び、地面を転がった。
「遅くなってごめんなさいね」
「ま、間に合ってよかったぁ」
爆風に耐える早馬の耳に、二人の声が届く。
彼は両腕を顔の前から下ろし、その姿を視界に捉えた。
「鈴! 良也! 助かったぜ!」
早馬は二人の名前を呼び、顔から力を抜く。
鈴は余裕の笑みを見せながら早馬の前に着地し、良也は早馬のそばに駆け寄る。良也は両膝に手をつき、大きく息を吐いた。
目にも留まらぬ速さで大悪霊の首を斬り去っていったのは鈴で、強力な霊力弾で敵を吹き飛ばしたのは良也だった。この二人が来なければ、早馬は今頃殺されていただろう。
良也が呼吸を整え、体を起こす。
その時、森のほうから大声が上がった。
「間に合ってなーい!!」
怒号とともに、何かが木々の間から飛び上がる。それは余計な動きなどを一切せずに三人の近くに降り立った。
早馬は心底嬉しそうに声を上げる。
「聖菜! 生きてたか!」
「あったりまえよ! あたしがあの程度でくたばるわけがないでしょう!」
聖菜は胸を張って得意げな笑みを見せる。
元気そうにはしているが、彼女の負ったダメージは相当なものだろう。白い羽織は土でかなり汚れていて、髪には葉っぱが何枚も付いたままになっている。体には傷一つないが、これは霊力で自己再生をしたからだろう。彼女は手に何も持っていない。蛇矛は手放して霧散させてしまったようだ。
ただ、地面を転がり回ったわりには、服は少しも破れていない。それだけ、この退魔師装束は丈夫なのだろう。
戦線復帰した聖菜に向けて、鈴と良也が手を合わせる。
「セーナ、ごめんね」
「僕が走るの遅いから、せっちゃんがこんな目にあっちゃったんだよね」
二人は本気で申し訳なさそうに腰を前に折る。
そんな二人に、聖菜は笑って右手を前後に振った。
「いいよいいよ! もう全部回復したから! 気にしない気にしない! ……それよりも」
聖菜は声色を変え、大悪霊に体を向けながら霊力で蛇矛を生成する。
「向こうも、まだまだやる気みたいだよ」
彼女は波打つ穂先で大悪霊を指し示す。
その言葉で、四人の顔つきは瞬時に戦士のものへと変化した。四人はそれぞれの戦闘態勢をとりながら、険しい表情で標的を注視する。
そして、虎型悪霊が起き上がり、その頭を四人に向けた。




