七章 元職場と上司と敵
セントラルホテルを後にし、俺達はジョウンの重役出勤に付き合う事にした。
二十八年前の政府館は、この間見たより幾分綺麗だ。今度はきちんと正面玄関からロビーへお邪魔。ユアンが来客用スリッパに履き替え、階段で三階へ。廊下を十数メートル歩いた所で、政府員は扉をノックした。
コンコン。「エル、おはよー」「もうおはようの時間じゃない。遅いぞジョウン」「まあそう怒るなって」ガチャッ。
部屋の正面には、人型変身時の両手幅より若干広いデスクが鎮座している。その向こうに持ち主と思われる二十代の金髪優男が座っているが、山と積まれた書類のせいで端正な顔の右半分しか見えなかった。
「僕の記憶が正しければ、産婦人科への付き添いは来週だった筈だけど?―――彼等は?」
ん?この声、前にユアンが鳳凰亭で電話を掛けていた男か?二十八年後なら四十代後半の筈だが、にしては全然変わってない……いや、確か純血聖族って奴なら、小晶さん達不死族と同じく年を取らないんだっけ。うん、一つ合点がいったぞ。
「アンドレ邸調査に当たり協力してくれる、奇特な民間人の方々だ」おい!「ちょっとお耳を拝借」
徐にデスクの裏へ回り、ヒソヒソ。
「―――は?おいおい、昼寝のし過ぎじゃないかジョウン?少しは控えないと本気で脳をやられるよ」一体何言ったんだ?
本気の心配を当の本人は涼しい顔で避け、二人共歩き疲れただろう、少し硬いけどここで夕飯まで休んでいこうぜ。そう言って応接セットのソファに悠々と腰掛ける。
「エル、コーヒー三つ」
「ここは喫茶店じゃないぞ。大体、僕は見ての通り昼食を摂れない程忙しいんだ」
「でもカップは空だろ?ほらほら、休憩がてらに俺達にも美味い奴淹れてくれよ」
「―――仕方ないな。貸し一つだぞ」
満更でもない様子で部屋の隅、簡易キッチンへ立つ。
「自分でやった方が良かったんじゃないか、ジョウン?あの人、ホントに忙しいみたいだけど」
あの書類、まさか今日中に全部終わらせるんじゃないよな?
「いいんだって。昔、俺が気ぃ利かせて淹れたら凄い剣幕で怒られてさ。やれ豆が足りないだの蒸らし時間を調節しろだの、喧しくて喧しくて」
「如何にも奴の言いそうな事だ」
呆れた風にユアンが呟く。
「そうそう。まぁんな訳でお任せだ。あのメーカーは一度に二杯作れるから、心配しなくてもものの数分で終わるよ」
「その数分が致命的なんだ。少しでも哀れに思うなら、食堂で軽食でも貰って来てくれ」
疲弊した様子でシンクに凭れ、当然の要求をする。
「いつもサンドイッチじゃ飽きるだろ。偶には別なランチを食わせてしんぜよう」
「調子良い事を。―――片手で食べられる物にしてくれよ。まだ判を押さなきゃいけない書類がウンザリする程ある」
「OK」
ピョン!ソファから勢い良く立ち上がり、軽やかに執務室を出て行く。
カタン。「どうぞ、お客人方」「あ、済みませんわざわざ」
先に出来上がった二杯を俺達の前へ置き、エル氏はユアンを見下ろした。相棒も同時に彼を見、舌を打つ。
「ジロジロ見るな、気色悪い」
「僕にそっちの気は無いよ。君、シェニーの兄弟か何か?いや、同じ色の銀髪だし、何処となく顔も似ているような―――違う?そうか、御免。気のせいだったみたいだ」
合ってるよお兄さん。表彰物の観察眼だ。
「いや……そうか、この時代はまだマトモな顔の色をしてたんだったな」
「?」
「こっちの話だ。ネイシェ、降りろ」
「あいよ」
肩からテーブルへ飛び降り、左右の前脚でカップを掴む。ズズッ……お。
「美味い!」
「今年の大会グランプリの豆だからね、当たり前さ。君はどう?口に合うかい?」
同じく漆黒の液体を啜る相棒に質問が飛ぶ。
「普通だな。インスタントと変わらん」
「……君、もしかして味覚音痴?」
軽蔑の眼差し。
「ああ、昔から良く言われる」
「そうか、なら仕方ないな―――損した」あ、ポロッと本音出しやがった。
彼はキッチンに舞い戻り、出来たてほやほやのコーヒーを運んできた。丁度ジョウンがお握りの山を乗せた大皿を持ち帰り、上司のデスクの隅へ置く。
「確かに片手で食べられるが、出来れば海苔を巻いてきて欲しかったね。後で手を洗わないと」ぱく、もぐもぐ。「握り飯なんて何年振りかな。うん、落ち着く味だ。コーヒーとは抜群に合わないけど」
そう言いつつ、宣言通り空いた右手で判子押しを始める。速い!しかし書類の量が多いせいで、目に見えては中々減らない。
コーヒーを啜りながら、ジョウンが皿の端の一つを抓み上げる。ぱく。
「やった、シーチキンマヨネーズ!俺これ好きなんだ」
「相変わらず子供みたいな味覚だな。愛娘ともさぞや気が合うんじゃないかい?」
「ああ、駄目駄目。アムリはマヨネーズが大っ嫌いなんだ。それ以外にも好き嫌い激しくて、毎回シェニーは苦労し通しだよ。―――次の奴もそうだったら、幾ら温厚なあいつでも泣くぞ」
「!!?」
ユアンが一瞬息を詰める。
「今四ヶ月だっけ?性別は?」
「男。多分、今度も俺には余り似てないだろう」
その発言は何処と無く確信に満ちているような気がした。え?バレてない……んだよな?
「君みたいなぐーたらじゃない事を祈るよ。さて、そっちのお二人さんも一つ如何だい?味は保証済み―――」
キィ。
突然入口の扉が開き、蒼髪蒼目の美女が部屋に入ってきた。法衣に包まれた背中から生える、真っ白な両翼に嫌でも目が行く。途端、和やかだった部屋の主の顔にありありと嫌悪感が浮かぶ。
「ノックぐらいしたらどうだい、聖王?万年遅刻常習犯の昼行灯でさえ、それぐらいのマナーは心得ているぞ」
「エルシェンカ、例の研究は進んでいますか?」
忠告を完全無視し、女は質問してきた。
(何だこいつ……気味悪ぃ)
母も敢えて俺達の話を聞かない事はあるが、それでも後でちゃんとフォローしてくれる。だがこの美人からは、まるで感情と言う物が感じられない。人形、いや……もっと得体の知れない、別次元の不気味な存在。
「ああ、あの泥か。一応研究チームを組んで解析に当たらせている……そろそろ教えろ。あれは一体何だ?報告だと、宇宙の何処の土とも合致しない成分が検出されたらしいぞ?」
「あれは主が御創りになられた新生の土塊。くれぐれも大切に扱って下さい」
「……ああ、分かってるさ」
食べかけのお握りを皿に置き、テーブルの下で空いた拳を握り締めるのを俺は見た。
「他に用が無いなら出て行ってくれ」そう吐き捨て、俺達の方へ視線をやる。「見ての通り来客中なんだ」
「そうですか。では私は主の御許へ戻る事にしましょう」
女は俺達を一瞥した後、バサッ。翼を羽ばたかせ、悠々と執務室を後にした。




