三十四章 二通の電話
「―――と言う訳で、結局仕事自体は失敗しました。まあターゲットは無事始末したので、その分の報酬はキッチリ回収しましたが」
ついでに先代が昔、お情けで借りてやった端金の証文も始末出来た。これまで一度も取り立てに来た事は無かったが、隠居した母には生ゴミに集る蝿のように煩わしい物だったようだ。
『いえ、充分な働きよ。若くても流石はシルバーフォックスの当代。まるであなたのお母様と話しているようだわ。ところで彼女は元気?』
「はい。湯治に山登りにと、毎日忙しく飛び回っています。―――しかし、本当にエミルちゃんはあれで宜しいのですか?私の目から見てもその……」最悪な生育環境だ。
『勿論、最善とは程遠い状態よ。ですが今あの子を助けた所で、身勝手な親族達の怒りを買うだけ。でも心配しないで。あの子は代々の当主には無い、強い意志を秘めた娘。私達が手を下さずとも、己で間違いを正すでしょう。それに』
「何です?」思わず身を乗り出す。
『―――あの子は、決して一人ではないわ。仮令今は孤独に打ちひしがれているとしても、その身に流れる血が引き合わせずにはいられない』
「それは、まさか……エミルちゃんに姉妹が?」
『さあ、どうかしら。敢えて言及は避けて貰えると嬉しいわ』
返答に、若き女ボスは愛しい赤狐族へ見せるため、爪をやすりでピカピカに磨きながら苦笑した。秘密は自力で探るべし。引退した母からの唯一の教訓だ。
「分かりました」
『ありがとう。乳母の話ではあれからずっと自室に引き籠もっているらしいけれど、ほとぼりが冷めたらまた仕事を回して頂ける?出来れば今度はショッピングのお供とか、簡単であの子の気晴らしになるような事がいいわ。ところでさっきから何をしているの?カチャカチャ音が聞こえるわ』
「済みません。明日、恋人の御両親に御挨拶に行く準備をちょっと」
仕事の日程は何とか調整出来たが前倒しの仕事に忙殺され、肝心の身嗜みにはまだ全く手を付けられていない。明日も朝一で美容院へ行き、ヘアメイクをバッチリキメてから決戦に臨むつもりだ。
『あら。そうね、もう年頃の娘さんだもの。ならそろそろお婆ちゃんは電話を切らせてもらうわ。今夜はゆっくり寝て、元気な顔で行くのよ?挨拶は第一印象が大事ですからね』
「はい、アドバイスありがとうございます小母様。じゃあ、お休みなさい」ピッ。
プルルル、ガチャッ。『飛?』「ああ、こんばんは」
年齢不相応な幼声を出し、別居中の妻は嬉しげにそう電話に出た。
「フールはもう来たか?」
『とっくに。遊び疲れて今、私の後ろであの子とガルムを抱えてぐーぐー寝ているわ』
「だろうと思った。彼は昔から子供が好きだからな。ところでくまちゃんは気に入ってくれたか?」
『ええ、凄く。晩御飯の時も手放させるのに大変だったんだから。でも』
「どうした?」
棘のある声色から、むくれているのを察知して尋ねる。
『くまちゃんを受け取った時にあの子ったら、キッチンのにおいだー、って言ったのよ!』
「え?」
『嗅いでみたら、本当に微かだけど煙臭かったの。お陰で私が時々料理を炭にしちゃうの、フールに知られちゃったじゃない!もー、凄く恥ずかしかったんだから!』
「あ、ああ。済まん、気付かなくて」
硝煙の匂いは割と嗅ぎ慣れているので、嗅覚が感知しなかったようだ。素直に謝罪する。
「それと、家事へのフォローが足りなくて悪かった。龍商会の彼に今度頼んでおく」
『いいの。これも一緒に暮らすまでの修行の内だもの。心配しなくても借りたお家を焼いたりしないわ。これでも前よりは大分マシになったのよ?』
「そう、か。―――なるべく早く迎えに行く。後少しだけ我慢していてくれ」
せめて娘の就学前には二人を環紗へ、天宝商店へ移住させたい。こちらなら龍族も多く、アイシャの背の黒鱗もさして目立たない。異種族アルカツォネでも、奇異の目で見られる事無く暮らしていけるだろう。そう説明すると、彼女は嬉しそうに笑った。
『今度はあの子が起きている時間に掛けてきてね、お父さん』
「ああ。じゃあお休み」
私は目を閉じ、遠き地の肉親達を想って黒電話の受話器を置いた。




