十八章 本者と偽者
「おーい、ユアン!ネイシェ!!」
「届いてないよ。そもそも見えてすらいないし」
三人が墜落した穴へ身を乗り出すジョウン君へ、背中から冷静な声を飛ばす加害者。どうやら魔術師ではないようだが、この不可思議な空間を支配しているのは紛れも無く彼女だ。
今度は幾分軽く杖を振る。サファイアが光を放ち、パリン、乾いた音を立てて天井が割れる。
「じゃあ私、作業に戻る。後は任せるわ」
「そんな薄情な!こいつ等も別空間に送ってや!」
「面倒臭い。じゃあ」
ふわっ。まるで重力が切れたかのように、細い身体が割れ目へ吸い込まれていく。と、突然政府員が私へ振り返った。
「悪いリィ君、偽者は頼んだ!」
「え?」
「風よ!」
懐から取り出した朝顔の扇子を掲げる右手、その手首から先へ鮮やかな緑の紋様が走り、彼を中心に竜巻が起こる。最初はゆっくり、やがて速度を上げてグングン高度を増していく。そして狭い亀裂を通り抜け、トレジャーハンター二人と同じく部屋から脱出していった。
(成程。彼は魔術師、私達の中では唯一彼女を止められる知識と力を持っているか)
一応私も護身用にマグナムを持って来てはいるが、幾ら破壊力があっても妖術には無力だ。
「ん?―――なああんた、もしかして飛 玖か?」「!!?」「やっぱりほうか!」
覗き込んだ偽菓子屋はそう言って、徐に頬の端へ指を掛ける。ベリベリベリ……精巧なゴムマスクの下から現れた顔に、私は思わず安堵の息を漏らした。
「フール(愚者)……何だ、君だったのか。じゃあ彼は?」
「一緒や。ほれ飛やぞ、ガルム!顔見せい!」
「キキィ!」
懐かしい甲高な鳴き声。潜んでいた通風孔から伸びた飼い主の手へ、一匹の猿が降り立つ。体長三十センチに対し、尻尾はそれより長い四十センチ程度。目の周りだけが白い、『一応』リスザルと呼ばれる種類だ。
「やあガルム、久し振りだな」
「キキッ!」
暁十字時代と同じく、人懐っこい彼は躊躇いも無くこちらの肩へ飛び移った。くるくるとした大きい黒目で私を見、項の毛を引っ張る。
「済まない。生憎今日はおやつを持ってないんだ」
「キィ?」
鼻をヒクヒク。食べ物の匂いがしないと分かると、今度は背中のテディベアに興味が移ったようだ。悪戯しようと腕を伸ばしてくる。
「止めなさい!これは娘への大事なプレゼントなんだ」
多少引っ掻かれるのを覚悟で脚を掴み、フールへ向けて下手投げする。
「こらガルム!人様の物で遊んだらアカンていつも言うてるやろ!?」キャッチした飼い主が額を叩く。「済まんな飛。これでも一応大人なんやけど、何時まで経っても悪戯好きで」
「キィ……」
「哀れっぽい声出しても駄目や!」ベチベチ。「にしても飛、四年振りやな。相変わらずハーミット(隠者)と組んでるんか?」
「ああ。尤も今は研究所ではなく、彼の実家で世話になっているがな」
「?」
「暁十字を脱退したんだ、二人で。二年前」
「ほうか……まぁその方がええわ。エンペラー(皇帝)の奴、俺が抜けるちょっと前からここの螺子緩んどったからな」
米神に人差し指を当て、ぐりぐり。
「それは認める」
逃げ出した原因の事件を思い出し、口内が苦くなる。
(しかし彼等がここにいると言う事は、この致命傷はまさか……)
私は遺体を見やり、まずは当たり障りの無い質問をする事にした。
「何時からパティシエの代理を?」
「昨日の晩からや。こっちも色々仕込みがあったんでな、夕食の後すぐに入れ替わってもらった。今頃は……ほとぼりが冷めるまで、知り合いの住んどる田舎で羽を伸ばすとか言うてたな」
その頃、“碧の星”の長閑な田舎の森の中にて。
「こら、お前等!?降りて来い!!」
カンカンな茶髪の男を、樹上から地元民らしき少年少女が見下ろしている。二人は怒声を無視して、悠々と膨らみ切ったチョコレートスフレにスプーンを入れた。口に運び、同時に感嘆の声を上げる。
「「美味ー!!」」
「“黄の星”一のパティシエ作なんだから当たり前だ!いいからとっとと降りろ!ついでに家に紅茶を用意してある。飲んでけ」
「本当、ウィル様?」少女がやや警戒しつつ尋ねる。「降りた途端に叩いたりしない?」
「するか。俺はお前等の保護者でも何でもねえだろ。おいオウグ、ヨーコが降りるのを手伝ってやれ」
「これぐらい一人で平気よ。よいしょっと」
スルスルスル。幹に両脚と片手を掛け、少女はいとも容易く地面に降り立つ。そして腰に手を当て、青くなっている幼馴染を見上げた。
「もう、高い所が怖いなら登らなきゃいいのに。猫じゃあるまいし」
「だ、だってウィルが凄い形相で追い掛けて来るからよう……」
ぶるぶる。先程までの威勢は見る影も無く、下からちょっと揺らしただけで失禁しそうだ。
「仕方ねえな―――ほら、掴まれ」
青年は樹の幹のすぐ傍へ歩み寄り、両腕を頭上へ伸ばした。飛び降りるように身を任せた少年を抱え、無事地上に帰還させる。
「わ、悪い……それとゴメン、折角のおやつを盗んじまって」
「ごめんなさい」
素直に謝罪する子供達に、大人はポリポリと頭を掻いた。
「別に謝らなくていいさ。お前等には彼を案内した礼がまだだったし。けど、いきなりテーブルの下から手を伸ばしたのは頂けないな」
「構いませんよ、ウィル様」
三人の背後、森の奥に建つ小屋から出て来た初老の男性が言う。ラフなブラウスにチノパンの服装は、如何にもバカンスと言った風だ。両手ミトンで持つ熱々の天板の上には、子供達が先程腹に収めたのと同じスフレが四個乗っている。
「まだ材料は充分ありますから、夕食の時にもう一度作りますよ。今度はフレーバーを変えて」
「お、本気で?悪いな」
目を輝かせ、一瞬にして上機嫌になる家主。
「タダで部屋とキッチンを借りている身ですから、それぐらいは喜んでさせてもらいます」
ようやく訪れた休暇を満喫する菓子職人は、そう言って長らく忘れていた微笑みを浮かべて屈み込む。
「さあさお嬢ちゃん達、もっと沢山お食べ。明後日の日曜礼拝にも沢山スイーツを持って行くからね。お友達皆で楽しみにしていてくれ」
「休んでるのに仕事するのかよ?変なオッサン」
「いやいや。君達みたいな子供に喜んでもらう事が、私にとっては何よりのバカンスだよ」
重なる葉から覗く青空を見上げ、まだ肺腑に残っていた都会の重苦しい空気を残らず吐き出す。
「君達だって、お父さんお母さんが育てた野菜は笑顔で食べて欲しいだろう?」
「顔はともかく、買ってくれないと困るのは間違い無いわね」
少女の尤もな回答に、強欲な主から解放された菓子屋は腹を抱えて大笑いした。




