十一章 夜の訪問
「不思議な人ね」
ホテルの中庭を通って半周来た時、俺達の耳に艶めいた声が届いた。
八十平方メートルはゆうにあるスイートルーム。奥の金のノブの付いたドアは洗面所、お上品に言うとトイレットだろう。或いはバスルームに続いているかもしれない。
全面硝子の向こうに広がる薔薇の絨毯を眺められるよう、純白の巨大ソファは窓の外へ向かって置かれている。その隣のサイドテーブルには、白鳥を模した硝子の水差し。中には綺麗な七色に分かれた飲み物が、まだ四分の一程残っていた。あれが昼間話に出た特製ジュースのようだ。
ソファの斜め右には、御伽噺でしか見ないような天蓋付きキングサイズベッド。如何にもふかふかで気持ち良さそうだ。天井のシャンデリアと点在するランプの柔らかな間接照明に照らされ、その端に座った宿泊客はより一層妖艶に見えた。
あーゆる何とかを終え、赤い貴婦人は肌に一段と磨きが掛かっていた。滑らかな素肌にバスローブをしどけなく着こなして鎖骨を顕わにし、ソファの背の傍で直立する不法侵入者にウインクする。
「取り敢えず座って。もうすぐ―――あ、来たみたい」
コンコン。「マクウェル様。カクテルオーダーをお伺いに来ました」「ええ、入って頂戴」「失礼します」ガチャッ。
ファミレス並のデカいメニュー表を手にした長身の女バーテンダーは、予期せぬ人物の存在に目を丸くした。その様子を見、貴婦人が微笑む。
「ごめんなさい。彼にも一杯作ってもらえるかしら?」
「おい!私は酒を飲む気など」
「畏まりました。ではこちらからお選び下さい」
恭しく差し出されたメニューを取り、マニキュアを落とした人差し指でなぞる。
「んー、色々あって迷っちゃう。何かお勧めはあるかしら?」
「でしたら、こちらのホット・カンパリなど如何でしょう?蜂蜜とレモンが疲労を優しく癒し、程好いアルコールが心地良い安眠を誘いますよ」
「まあ素敵!なら私はそれを頂くわ。彼には……そうね、ミルクベースのなんてどう?」
「人を子供扱いするな、魔女!」
「ほら。この色男さんてば、訪ねて来た時からずっとプリプリ怒ってるのよ?絶対カルシウムが足りないんだわ」
尤もな指摘に青筋を立てる宝探し屋に対し、ね?、はい、女性達は苦笑した。
「ではマクウェル様に合わせ、こちらの方には温めたカルーアミルクをお持ちしますね」
ブッ!隣を見ると、ジョウンも思わず噴き出したようだ。このバーテンさん、選りにも選ってあんな甘い女向けの酒をあいつに飲ませるとか(笑)!
ところが奴の発した意外な一言で、俺達は更に呼吸困難な程の笑いに耐える事になる。
「おい、『かるーあ』とは何だ!そんな得体の知れん物、私は頼まれたって口にせんぞ!」
四年の付き合いで、常々世間ズレしているとは思っていた。が、まさか三十手前にもなってんな初歩的な事すら知らんとは。うわー、どうしよ。現代に帰ったら、一回姉ちゃんとバーへ連れて行こうかな?このままじゃこいつ、本気でノンアル人生を謳歌しちまうよ。
「飲んでみれば分かるわ。じゃあお願いね」
「畏まりました。十五分程お時間を頂きますが宜しいですか?」
「ええ。その間に彼を座らせておくから、お気遣い無く」
「では失礼します」バタン。
再び二人きりだ。相棒は予期せぬ展開に困惑し切っている。俺を置いて飛び出した報いだ、反省しろ。
ギシッ。貴婦人はベッドから立ち上がり、ソファに回り込んで手招きした。渋々従うユアン。
美男美女が並んで座る姿は、男役の顔さえ見なければ正に睦言を語り合う恋人同士。ソファの中央と端、約七十センチの距離はあるものの、却って初々しくすら見えた。
「もっと近くに来て」
「断る」
腕が伸び、無表情な頬に指が添えられる。
「つれない人。こんなに近くにいるのに、まるで私を見ていないみたい」
首筋に指先が落ち、肩をなぞって離れる。
「―――それとも、欲しいのは永遠の命かしら?」なぬ!?
「そんな物には興味無い」
「まぁ、随分無欲なのね。それならどうして声を掛けたりしたの?」
待てよ。この美女が不死族だと仮定すると、奴が訊きたいのはひょっとして……。
「―――子供は元気か?」
「もう!少しは起承転結を弁えて話して頂戴。どうしてあなたが坊やを知っているの?」
言うなり鍛えた腕を素早く取り、ピッタリと隣に並ぶ。
「離せ!」
「正直に答えてくれればね。あの子とあなたが知り合いだなんて有り得ないわ」
「知っている」
「じゃあ何故!?」
「先に質問したのはこちらだ。―――あいつはどうせ、この時代もしょっちゅう倒れているのだろう?そのくせ、いつも阿呆のように周りへ笑いかけて……」
あぁ、そうか……だから歴史の危機も顧みず、忍び込まざるを得なかったのか。ユアン、お前って奴は本当に……うぅ、ヤバい。思わず涙腺が……。
「ネイシェ?」
「頼むから少し黙っててくれ」
窓から目を逸らし、幹に顔を向けて鼻を啜る。
勿論相棒自身も分かっている筈だ。この時代の小晶さんに会えば、確実に未来は変わってしまう。―――でも、もしも変えられるとしたら?
(万々歳のハッピーエンド……な訳無いか。けど奇跡的に恋人同士になれたら、もうトレジャーハンターは廃業かもな)
それはそれで喜ばしいような寂しいような。何だかんだ言って、俺も冒険は嫌いじゃない。前人未到の遺跡を踏破するスリルと宝を見つけた時の感動は、市井の生活ではまず味わえない。手放すとなれば惜しかった。
でもそうなったら、二重の意味で姉ちゃんは怒るだろうな。まだ弟子入りして半年も経ってないし、そもそもロクな教授すらされていない。覚えた事と言えば賄い料理(具体的には五目焼きそばと素麺)とベッドメーキング。トイレは洗剤を振り掛け、しばらく置いてから掃除するとか……とにかく、宝探しとは全く関係無い家事スキルばかりだ。腕っ節は強くても何せお嬢様。それらをマトモにこなせるまでに、一体何度失敗を重ねた事か(そして俺達がどれだけ犠牲を強いられた事か!)。それに隠しているつもりなんだろうけど姉ちゃん、あいつの事が……。
「ふぅ……御免、もう大丈夫」
前脚で涙を拭く。そうだ、泣いてる場合じゃない。何としても二人で帰るんだ。俺達の現在、宇宙暦七百五年の未来へ。
再びスイートルームへ視線を向けると、相棒の頭に貴婦人の手が置かれていた。
「あなた……予想以上に変わった人ね」
子供にやるように銀髪を撫で撫で。
「分かったわ、これ以上野暮な事は訊かない。でも―――もし良かったら教えて、色男さん。あなたの知っているあの子は―――?誰!?」
身を離した貴婦人はそう叫び、ガラガラガラ……指紋一つ無い硝子戸を開けた。
「そこの樹の陰に隠れているのは分かっているのよ!大人しく出て来なさい!!」
「ほー、ほけきょ!」
おい、何でホトトギスの鳴き真似で返すんだよ!?しかも結構上手いし!!と、爪先で尻尾を刺激された。俺も何かして誤魔化せってか?親子揃って無茶苦茶な!
「とう、いやジョウンだな!?」バタバタバタッ!「貴様等!!」ヤベ、見つかった!
「俺は無罪だぞ!悪いのは全部そこの政府員だ!!」
「五月蝿い!言い訳するな、このエロ狐が!!」
怒鳴るなり両耳を力一杯反対方向へ引っ張る。俺も負けじと後脚をジタバタ動かして連続キックをかます。
「暴れるなケダモノ!!」「そっちこそ手ぇ離せよ!!」
今更ながら身体が小さい分、こちらの分はかなり悪い。こうなったら奥の手、変身してその尖った顎にアッパーカットを喰らわすしか!
「はい、ストップ」
サッとジョウンが間に何かを差し入れ、俺達の喧嘩を仲裁した。それは閉じた扇子だった。涼しいのに何故そんな物を持ち歩いているんだ、この男は?
それからペコッ、貴婦人に頭を下げる。
「本当済みませんマダム。こいつが夜分遅くにお邪魔しちゃって」
「別に構わないわ、お喋りも楽しかったし。何ならあなた達も一杯どう?―――ああ、やっと来た」
「お待たせして申し訳ありません」
トレー片手に入って来たバーテンダーを手招き、またお客さんが増えちゃったの、ここって何杯までサービス出来るのかしら?優雅に尋ねる。
「構わん、もう用は済んだ。お前等、帰るぞ」
「折角美人さんが準備してくれたんだぞ?飲んでからにしろよ」
定位置の肩へ跳び移り、室内で待つ女性方を前脚で示す。ジョウンも嫌がる息子の背中を押してくれ、どうにか全員でスイートへ入る事に成功した。
「はい、どうぞ」
バーテンダーから、カフェオレに似た液体入りの耐熱硝子カップを受け取る。匂いを嗅ぎ、立ち昇る微かなアルコールに眉を顰めた。
「度数は七、八度だから、この量なら倒れたりしないって」余程酒に弱くない限りは。
「そんな心配はしていない。これでも前の職場では、何度かビールを飲まされた」鼻を鳴らす。「最中の乱痴気騒ぎと言い、時間の無駄としか思えなかったがな」
これ程飲ませ甲斐の無い新人を持って、元公安課の方々は本当に可哀相だと思う。
少しの間躊躇っていたが、意を決してグイッ!作りたてで熱いのか、早食いのユアンにしては大分ゆっくり咽喉に流し込んでいく。
「ああ、美味しい」
奴とは対照的にホット・カンパリを優雅に傾け、ありがとう、今夜はゆっくり眠れそうだわ、貴婦人は心底ほっとした表情でバーテンダーに告げた。
「至れり尽くせりで、まるで夢を見ているみたい。予約して本当に良かったわ」
「ありがとうございます。宜しければまた御来訪下さい。当ホテルのエステメニューは十数種類御座いますので、殆どのお客様に何度もリピート頂いています」
「まあ、そうなの?その内の二つしか受けられないなんて残念ね……ええ、必ずまた来させてもらうわ。坊やの体調次第だけど」
そう呟き、彼女はカップに口を付けたまま肩を震わせる相棒に悪戯っぽくウインクした。




