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越えていけ  作者: ぽん酢さわー@サークルなつみかん
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13鞍目 沈む太陽

 明確な悪意なんて存在しないのに物事が悪いほうへ進み、最悪の事態がおそう。これを悲劇というならこの雪深い日に起きた出来事はまさに悲劇だった。


 ある日の朝、ただでさえ大きなアンさんの顔が更に大きく腫れていた。

「クモ疹かなぁ」

 馬の健康管理を担当するイチの本気とも冗談ともとれる診断結果を私は真剣に聞いていた。飼葉などに入り込んだ蜘蛛を誤って食べてしまい、アレルギー反応で蕁麻疹が出てしまう。迷信ともいわれているが事実かもしれない。なにせ馬の胃を切り開いて確認でもしない限り本当に蜘蛛を食べたかどうか真実はわからないからだ。

「こんな大きな顔に着ける頭絡もないし、おさまるまで完全馬休。アンさんにも休息を与えようかな」

 私が提案するとイチはうなずいた。

「疲れがたまって蕁麻疹が出たって可能性もあるし、それでええと思うで」

 私はアンさんを完全馬休にし、プンテ一頭の乗り運動で練習に参加した。


 三日後、顔の腫れもずいぶん引いてきたな、明日には乗り運動も再開できるかな、などと思いながらアンさんの頭をなでた。オレンジ色に輝く太陽の瞳は今日も暖かい。むつまじく顔を寄せ合う二頭を引き離すことに若干の申し訳なさを感じながらプンテを外へ連れ出した。蹄の裏を綺麗にし、鞍をつけ、履き替えた乗馬用の長靴の紐を締め直した時、アンさんが一頭でお留守番をする旧厩舎から大きな音が響いた。悲劇が始まりを告げた。

 異変に気が付き、プンテを下級生に任せた私は馬房の前へと走った。アンさんが横になり地面に身体を擦り付けるように転がっていた。私が今まで見たこともない動き。鼻面でお腹を気にしたような素ぶりを見せた後、激しくのたうち回った。馬房の壁に蹄鉄がぶつかる大きな音が何度も何度も響く。

 疝痛や……。私はアンさんを襲う状況を理解すると同時に叫んだ。

「イチを呼んできて!」

 立ち上がっては寝転がることを繰り返す。汗でビッショリと濡れた馬体がアンさんの苦しみを物語っていた。


 疝痛とは腹痛を伴う病気のことだ。腸の捻転などが発生していた場合、致命傷となることもある。原因は様々だが運動不足も要因の一つであるとされることから、発症した馬を引き運動することが第一の処置だ。

 イチの到着を待たず馬房に入ろうとする私に対し、アンさんは噛みつこうと襲い掛かる。従順で人懐こいアンさんがこんな動きをみせたのは初めてで、私は驚きと同時に獣めいた表情に恐怖を感じた。運動させるにも痛み止めの注射を打つにもまずは馬房の中に入らなければ始まらない。だがアンさんは続々と馬房の近くに集まる多くの部員が一人も馬房内へ踏み込めないほどの抵抗をみせた。先ほどプンテを運動に連れ出す時には何のアクションもなかったのにも関わらず、馬房の中に一頭になった瞬間、苦しみのたうち回り、人間の侵入を拒みながら暴れだした。

 複数名で入ろうとしたり、裏戸からの侵入を試みたりもしてみたがアンさんは引き続き侵入を拒んだ。

 そんな攻防が一時間ほど過ぎたころ、まるで大木が切り倒されたかのようにゆっくりと横になり動かなくなったアンさん。すぐさま私たちは馬房内に入りアンさんを起き上がらせようと手で叩くがピクリとも反応がない。あの暖かいオレンジの輝きが瞳から失われていた。

「もう……息もしていない」

 イチの一言を聞いた私は全身の血が一気に抜かれたような感覚におちいり、アンさんの隣に倒れた。


 プンテのけたたましい鳴き声で目が覚めた。新厩舎に移動されたプンテが叫び続けていた。旧厩舎に向けて声を届けたかったのだろうか。

「響子ちやん、大丈夫ですか?」

 隣で見つめる可奈を見て、自分が気を失っていたことに気が付いた。それと同時に涙が止まらない可奈を見て、この悪夢のような出来事が現実なんだということにも気がついてしまった。

 私は可奈と共に走って旧厩舎に向かった。

「腸捻転による死亡だろう」獣医の先生がイチに診断を伝え校内の獣医病棟へ戻ろうとしている時だった。

 アンサンブル号死亡。

 マイナス一〇度と冷え込んだこの日、暴れて苦しみぬいて馬体を濡らした汗は白と茶色の毛先で氷の結晶となり始めていた。


 新厩舎では夜になってもプンテが鳴き続けていた。すべてを察知した、まるでため息のような鳴き声にかわっていた。私は部室の布団にくるまりながらその鳴き声を聞いていたが、眠れるはずもなく、自然とアンさんの元へ向かっていた。

 死後、少しでも暖をとれるようと数枚の毛布が掛けられた馬体。首の辺りの毛布をめくり、ゆっくりと触れた。父の遺体と同じように、冷たく、硬かった。

 私はその手を離すことが出来ず、馬体の横に腰を下ろした。手を馬体から離してしまうと、もう二度と触れることが出来ないと思った。アンさんに吸い取られるように私の手からも温度が失われていくように感じたが、不思議と寒さを感じる事はなかった。このままアンさんを一人にする事は出来ず、もちろん反応なんてないのだけれど、私は今までの自分の半生を話し始めた。競馬場の近くに産まれたこと、父の死、高校馬術部に一年遅れて入部したこと、個性豊かな仲間に囲まれた大学馬術部のこと。陽が昇るまでの時間は長かったが頭の引き出しから次々と話題を引っ張り出して話を続けた。途切れると空の暗闇に引き摺り込まれる様に感じたから。


 翌朝、獣医学科の病棟で死亡解剖を行うためロープに結ばれたアンサンブルは重機で外までひきずりだされた。

 クレーンにつられトラックの荷台へ下ろされるアンサンブル。

 その姿を私は無言で見ていた。私だけでなく誰もが言葉を発することが出来なかった。


「あの時、なんであんなに人を寄せ付けなかったんでしょうか」

 可奈の問いに私はすぐに答える事が出来なかった。ひとつも答えが思い浮かばなかったわけではない。いくつかの答えが思い浮かんではいたが自信をもって言い切れるものはなかった。

 普段は自ら駆け寄り甘える人間に対し嫌悪するほどの痛みで我を忘れたのか。

 それとも背中に騎乗され、つらい運動を強制してくる人間のことが、実は初めから嫌悪の対象だったのか。

 はたまた……。

 最後に思いあたった答えはこうであって欲しいという願望が強く、正確な判断でないかもしれない。それでも、それでも、それでも……。

 アンサンブルが部員たちをそしてプンテを守った。そうであって欲しい。

 乗馬クラブを離厩する原因も疝痛がきっかけだった。痛みで暴れていたアンサンブルが会員に大けがを負わせた過去。人を傷つけてしまったことを悔いていたのではないか。我を忘れるほどの痛みの中、かすかに残ったアンサンブルの自我が選んだ行動こそが人を近づけない事だったのではないか。もう二度と大切なものを傷つけないために。夜の間からずっと痛みに襲われていたのかもしれない。それでも愛するプンテを傷つけないために、馬房の中が自分一頭になるまで耐え続けていたのではないか。

 そう考えるのは都合が良すぎるのかな……。なんの確信もない。そんな事があるはずない。それでもそう信じたい。そんな相反する気持ちもすべて、私は正直にさらけ出し可奈に伝えた。

「そう信じていいと思います」

 小さな声で答える可奈の胸で、私は声が出なくなるまで泣いた。

 一月、すきま風が入り実際の気温以上に寒く感じる主のいなくなった馬房。そんな中でもヒマワリの胸は温かかった。


 もう何日も眠ることが出来ていないのだろう。色濃い疲労が表情にあらわれるイチ。もう余っている涙がないであろう充血した目は原型を思い出せないほど腫れていた。獣医の卵として大切な馬を救ってやれなかった事に対し責任を感じているのだろうか。そんな状態の中でも私の体調と精神状態を心配するイチ。自分で自分を責め続けることで、私を少しでも楽にさせたいのだろうと思った。イチはいつでも大切な仲間を守りたい人だから。ジェリーを守り続けたトムのように。


 ショックの色を隠せないでいたのは部員たちだけではなかった。

 新厩舎に移されたプンテはとても運動が出来る状態ではなく、飼葉にもほとんど口をつけない。何もしてあげられない私は少しでも元気になればと住み慣れた旧厩舎の大部屋にプンテを移動させた。アンサンブルと共に過ごした時間を思い出したのか、少し元気が戻ったように見えたのははじめだけ。プンテの食欲は戻らず、生気のない瞳でただただ立ち尽くしている。いたずらに時が過ぎていった。


「タム! どこ?」

 早朝四時半、新厩舎の馬房の中にタムの姿がなく、可奈は厩舎の外を探し回っていた。

 タムは旧厩舎にいた。それもあの大部屋に。夜中に新厩舎を抜け出してこの大部屋に来たのだろうか。なぜ? どのように? しかし久しぶりに定員となった大部屋の中でプンテとタムは仲良く体を寄せ合っていた。

 心配する可奈にタムの居場所を伝え、二人で大部屋の中を見続けた。あの時の共同生活のように仲睦まじい二頭を引き離すことが出来なかった。

 プンテの飼桶が空になっていることに気が付いた。タムが大部屋にお邪魔した後、残った飼いを奪ったのだろうかと思ったが、飼桶はポニーのタムが届く高さになく、プンテが久々に栄養を取ったのだろうと安心した。プンテは小さなタムに大きなアンサンブルの姿を見たのだろうか。新たな共同生活が始まると少しずつ元気を取り戻しているように見えた。

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1件のブックマークでやる気出る単純な人間です。

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