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越えていけ  作者: ぽん酢さわー@サークルなつみかん
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12鞍目 新作 桶の底から

 副将としての仕事があったかはわからないけど、前主将とのペアで出場するアンさんをサポートする馬付きとして私は全日へ同行した。イチは馬たちの状態管理という立派な仕事と共に、聡馬が二種目に出場するフジコの馬付きとして。

 R学園にお留守番する可奈から、こっちの事は私にまかせてください! とメールが来た。可奈は先の馬配発表で担当馬が割り振られなかった。最上級生となる私たちの世代は可奈以外全員に担当馬が割り振られ、一年下や二年下の世代にも担当馬を持つ者もいた。ちょうど一年前、佐々木先輩は大学を去る前に「ずっと馬を愛し続けろ」という言葉を可奈へ贈った。一年後こうなることを予想していたのだろうか。先輩は私が思うよりもずっと先の事を見据えることが出来る人だったのかもしれない。先輩の言葉が心に残っているのかどうかは定かではないけれど、可奈は全部員の前で「私、担当馬いないけど辞めませんよ?」とおどけた。「馬乗せてくれたら財布の紐緩むかもしれません」と会計の裁量を振りかざしたり、「タムで全日目指しちゃおうかな」とも。可奈のそんな姿に同期たちの心はどれだけ救われたことか。「みんなが東京行ってる間、居残りの馬たち全頭乗っちゃいます」と自ら居残りを志願した可奈の馬に対しての愛は大きくなるばかりのように思う。


 主将とアンさんは二回走行で十七位、聡馬とフジコは二回走行で十五位、総合馬術で十九位とここ数年ではかなりの好成績を残した。アンさんは毎年のように上位二十五パーセントの入賞を果たしているが、フジコは昨年まで全日出場はおろか目立った成績もなく、改めて聡馬の技術と調教能力の高さにわが校の部員だけでなく多くの関係者が舌を巻いた。

 遠征組が北海道へ戻るといよいよ私たち世代の最後の一年が始まった。全日に出場した二頭も新たな担当者とペアを組み、翌年の北日二回走行団体優勝という目標に向けた日々が始まった。


 二週間がたったころ、アンさんが使用している飼桶の底に穴が開いた。穴というか底がガバッと抜けた。底のない桶はただ自分の居場所のみを主張するまさに無用の長物で、この意味を持たない物体は何のために存在するのかと考察を深めるほど意味はわからないけれどなんだかおかしさがこみ上げた。

 私は会計を担当する可奈に新たな飼桶を購入してほしいと直訴した。倉庫には昔使用していたボロボロの飼い桶はあったのだけれど、気分一新したいという欲望に勝てなかった。財政に余裕のない我が部ではあったが、今朝プンテに長時間騎乗した可奈から「必要経費だね」と決裁をいただいた。財務大臣はさっそく白いプラスチック製の飼桶を注文してくれた。民の気持ちがわかる大臣でよかったと、私はこの時初めて支持政党という言葉の意味を知った。万歳。


「新しい飼桶届いたよ」

 可奈はピカピカの飼桶を二頭が暮らす馬房の前に持ってきて、赤いビニールテープをハサミで切り、ペタペタと貼った。全ての飼桶には馬名を記すからだ。

「アンSON」と貼られたビニールテープを見て私は尋ねた。

「SONってなに?」

「ダジャレ。だってアンさんのオレンジの瞳って太陽みたいじゃない?」可奈は楽しそうな抑揚で返答した。

 あ、これ恥ずかしいやつだ。私は気が付くのに少し時間がかかった。いつ指摘するのが笑いになるのかとタイミングを見計らったが、そんな私の配慮を知る由もない可奈はそのまま続けた。

「熱く燃えているようでいて、見つめるものを暖めるような瞳。まさに太陽」

「可奈、それって……」

 ツッコみどころを逃したなと思いながら、言うなら今しかないかとベストタイミングを諦めて指摘しようとした瞬間

「アンさんに息子なんておったっけ? タムのことか?」

 近くで聞き耳を立てていたイチが割り込んだ。可奈の勘違いを笑いに変えようとしたツッコミだったのか、ただの空気の読めない指摘だったのか。定かではなかったけれど、イチの一言で自分の間違いに気が付いた可奈の顔は夕焼けを浴びるヒマワリのように赤く染まってしまった。可奈にしては珍しく、おどける事も出来ないほど恥ずかしかったのだろうか、丁寧に張ったビニールテープをすべて剥がした後、黒いマジックで『あんさん』と殴り書き、駆歩よりも早い小走りで新厩舎へ消えていった。

 『あんさん飼桶事件』一連の流れを勝手に名付けたイチのエピソードトークは冴えわたり、事件の日から一ヶ月以上の長きにわたり面白おかしく部員に伝えていた。時間の経過と共にこの漫談は構成や抑揚そしてテンポまで磨きがかかり、何度も聞いたはずでもつい笑みがこぼれてしまう。沈黙を貫く漫談の主人公に気を使い、部員たちは笑い声だけはなんとか噛み殺して耐えた。

 あいつ可奈を怒らせたテイシカナの事忘れてるな。学習能力のないイチに冷たい目を向ける私だったが、イチの執念が勝った。これ以上にないほどピカピカに磨きがかかった漫談は、いよいよ主人公本人の爆笑さえ引き出した。そこからは笑いの連鎖。嚙み殺して耐えた分まで皆腹を抱えて笑った。底が抜けて馬の腹を満たせなくなった飼桶が、部員たちの幸福を満たしたというお話。お後がよろしいようで。

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