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第三話 5.そして、ふたり

 

 大地からは雪が消え、春の香りを含んだ風が吹く。南北に長いユフィリル国の最北端に位置するこのシブネルの街もすっかり春の様相に変わっていた。長い冬から緑芽吹く暖かい春へ。それはこの大地に生きる全ての人達の笑顔を誘う。けれど今この国で最も国民達が歓喜しているのは、暖かな小春日和にではなかった。


「え~~~~!!!」


 沙樹はあまりの衝撃に驚きの声を上げた。どうやら周囲の目を気にする余裕もないらしい。彼女の隣で、その声に更に驚かされた女性が目を丸くしている。彼女はいつまでもそこから動かない沙樹の肩を軽く揺らした。


「ちょっと、シンガー?どうしたのよ。」

「だ、だってコニーさん・・・あの・・・えっと・・・」


 必死に何かを伝えようと沙樹の口がぱくぱく動くが、結局言葉にならないからコニーにも伝わらない。沙樹は必死に冷静を取り戻そうと、もう一度目線を戻す。そこにはシブネルの役所の前に取り付けられた掲示板があった。そして中央に貼られているのは一枚の紙。上部中央にユフィリルの紋章が入っていることから、これは王城が発行した正式文書であることが分かる。そこにはこう書かれていた。


“第一王子ブレディス様の妃メルリアナ様がご懐妊された。我が国は春の訪れと共に齎されたこの慶事を祝福すると共にご無事に御子がご出生されることを願う。またこの文書は我が国民にこの喜びを知らせ、分かち合うものである。”


 要は王城から国民へブレディス王子の妻が妊娠したとの知らせだった。

 昼過ぎ、コニーと共に買い物に来ていた沙樹は商店街の端に位置する役所前に人だかりが出来ているのを見つけた。何かあったのかと来てみたら、皆この掲示板を見ていたのだ。新たな命の誕生に街の人々は皆祝福の声を上げている。掲示板の横に立っている役所の人達も嬉しそうだ。今国内ではこの文書が各地に貼られ、国民達は皆この慶事を喜び祝っている事だろう。

 けれどそんな場所で沙樹は一人唖然としていた。祝うでもなくおかしな声を上げた沙樹を皆ジロジロと見ているが、本人はそれどころではない。


(メルリアナ、メルリアナ・・・。そうよね?間違いないわよね?メルさんのことよね?懐妊って書いてあるし・・・)


 快活に笑うメルリアナの顔が蘇る。沙樹は必死に彼女と出会った時のことを思い出していた。

 メルリアナに偶然会ったのはピノーシャ・ノイエに入国し、エマに紹介された家を訪ねようとしていた旅路の途中。彼女は一人で馬に乗り、ユフィリルからピノーシャ・ノイエまで来たのだと言っていた。


(彼女が、ブレディス殿下のお嫁さん。第一王太子妃・・・・)


 そう考えればあの時抱いていた疑問にも説明が付く。アスタが供も無しに旅をしていたメルリアナを咎めた事、アスタとレイブンが彼女を『様』付けしていた事、夫が仕事上騎士団と関係があると言っていた事。おまけに彼らがメルリアナの正体を沙樹に教えなかったのも王太子妃なら当然だ。彼女はお忍びで来ていた筈だから。知らなかったとは言え、いつの間にか王太子妃と親しくなり、おまけに王位継承者となるであろう子の妊娠発覚の場に立ち会ったことになる。


(なら、もしもあの時旦那さんが迎えに来るまで一緒に待っていたら、ブレディス殿下と再会していたかもしれないんだわ・・)


 運命とは数奇なもの。そんな言葉が思い浮かぶ。

 この国の第一王子であるブレディスは沙樹が一人で旅をしていた時に一時的にお世話になった人だ。偶々彼と会う事になったのだが、第二王子ヴァンディスの身を案じて沙樹の身の上を調べ、結果過去の経歴が不明と分かり拘束された。それらは全て弟王子の為で、また最後には正式に謝罪までしてくれたので沙樹もそれに関しては終わった事だと思っている。けれどそんな事があったから、当然彼に関しては決して良い思い出ばかりではない。


(でもやっぱり、二人の赤ちゃんは無事に生まれてきて欲しいな。)


 ブレディスに関して何も思う所がないと言えば嘘になるだろう。それでも嬉しそうにお腹を撫でていたメルリアナやそれを見つめるレイブンの表情、そしてこの街の人々の顔を見れば沙樹も素直にそう思えた。


「ちょっと~、いつまで一人で百面相してる気?」


 隣からじとっと睨まれ、沙樹は慌てて掲示板から目を剥がす。自分の思い出と思考に嵌っていた沙樹はコニーの事をすっかり忘れていた。


「ご、ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって。」

「はいはい。理由は後でゆっくり聞かせてもらうから。とりあえずさっさと買い物済ませちゃいましょ。早く行かないと食材なくなっちゃうわよ。」

「え?どうしてですか?」

「バカねぇ。こんなおめでたい事が発表された日ですもの。何処の家でも今夜はお祭り騒ぎよ。当然騎士団もそうなるわ。もしかしたら今日は宴会かもね。」

「あ、なるほど・・・。」

「ほーら。行くわよ!今日は嫌って言うほどおつまみ作らされることになるわ!」

「はーい!!」


 買い物籠片手に慌ててコニーの後に着いて行く。なるほど、確かに商店街はいつもよりも沢山の人達で賑わっていて、皆買い物に夢中のようだ。


(いいよね、こう言うのって。)


 街の人達皆が一つのことをお祝いする。皆が笑顔になる。それはとても素敵な事だ。






 自宅に帰ってきた沙樹はお茶を煎れて一息ついた。先程コニーと共に買い物を済ませ、彼女の家で一緒に今夜の夕飯の下ごしらえをしてきた所だ。

 アスタの同僚ビルとその妻コニーが暮らす家に程近い位置にある小さなレンガ造りの一軒家は、ビルの親戚が以前使用していた建物だった。子供が増えて手狭になったからと親戚は引越し、長い間空き家になっていたのを譲ってもらったのだ。それからここがアスタと沙樹、二人が共に暮らす家となっている。

 家を世話してもらっただけではなく、ビル夫妻は近所になった沙樹達を色々気にかけてくれて、特に自分よりも若干年上のコニーはまるで姉のように気さくに面倒を見てくれている。彼女とはすっかり主婦友達だ。


 お世話になった人々への挨拶を済ませピノーシャ・ノイエから帰国したアスタと沙樹は、まっすぐにシブネルの街に帰ってきた。その後しばらくは宿屋に宿泊するつもりでいたのだが、アスタが騎士団へ顔を出すなり事情を知った面々が直ぐにそれを仲間内に広め、この家を譲ってもらう事ができた。

 長期休暇を取る為、アスタは正直に今回の事情を説明していたらしい。つまり沙樹を追いかける為の休暇だったという事を。お陰で無事嫁を連れて帰ってきたと上から下への大騒ぎ。お祝いをしてくれるのは嬉しかったし、この家のこともあって大変感謝もしているけれど・・・・・、正直沙樹としては恥ずかしかった。自分を追いかける為に嘘偽り無く上司に報告する辺り、実にアスタらしいと思ったけれど・・・・やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 そんなこんなでアスタとの新しい生活を始めてから一ヶ月。ようやく落ちついてきた所だ。


 沙樹はテーブルの上に置きっぱなしにしていた籠を持ち上げると、その中から買ったばかりの便箋を取り出した。リビングの奥に置かれている引き出しからペンとインクを取り出し、便箋と共にテーブルに並べる。


(えーと、まずはエマさん。)


 そしてインク壷にペン先を浸した。

 ユフィリルに帰国して、まず沙樹がしようと思っていた事。それがお世話になった人に手紙を書く事だった。生活基盤を整える為にしばらくバタバタしていたが、それも落ち着いた為さっそく手紙を書こうと今日雑貨の売っているお店で買ってきたのだ。

 ヴァンやメルリアナにも手紙を書きたい所だが、ただの一般人が王家に手紙をしたためた所でそう簡単に届く筈も無い。アスタにお願いして騎士団経由で届けてもらう事が可能かもしれないけれど、自分の我侭に巻き込むのは本意ではないので一先ず諦める事にした。今は平の隊員であるアスタが直接王家の方々に目通りする機会はないかもしれないが、焦らずにいつか元気で生活している事と感謝を伝える事ができればいい。

 エマと親戚であるレイブンから彼女の連絡先を教えてもらっているので、まずはエマへ手紙を書く事にした。様々な手配をしてもらった事への感謝。そしてレイブンに無事会えた事、目的を果たすことが出来た事。今の生活の事。

 イルの街で長い間働かせてもらったバール、お世話になったダンジェ夫妻、ピノーシャ・ノイエのレイブンとティシェリー。それぞれに手紙を書き終わり、次の相手を思い浮かべる。


(カイルは・・手紙って感じじゃないなぁ。ビビ達も住んでいる所は分からないし。レイナさんは直接会いに行こう。後は・・・・)


「ラングさん・・・。」


 ぽつりと口から出たのはこの世界で初めて目覚めた時からお世話になったアンバの神父の名前。いつも笑顔で沙樹を励ましてくれた、優しく背中を押してくれた恩人。


「・・・・・・。」


 ピノーシャ・ノイエでアスタから『ご両親を探す事もできるかもしれない』と言われた時、沙樹に探す気はなかったものの一つだけ気になっていた事があった。それがラングの事。ブレディス王子が沙樹について調べた時、それを依頼された男性がこう言ったのだ。『ラングウェルは君を自分の娘だと言ったんだよ』と。日本で生まれたと思っていた沙樹はその話を聞いた時、ラングが自分を助ける為に嘘を言ったのだと判断した。けれどその人はこうも言っていた。『ラングウェルは嘘を付くような男ではありません』と。


(もしもあの話が、全て本当だったとしたら?)


 かつて軍人だったラングウェルは国内の紛争中に妊娠中の妻と生き別れてしまった。その後妻はラングウェルと再会することなく女児を産んで他界。その子供が沙樹だったとしたら、何の因果か沙樹は地球へ行ってしまい、そこで拾われ施設で育てられた。そして二十四年後、再びこの世界へ。サンドという小さな街で目覚めたのも、血縁であるラングが住んでいたからなのだろうか。素性不明の沙樹を受けて入れてくれたのも、沙樹が亡くなった奥さんにそっくりだったから?

 不明瞭だった歯車が噛み合わさっていくのは足元が落ち着かないような不思議な気分だった。けれど不快ではない。不安でもない。何故かそれでいいのだと、自分自身で納得してしまう。


 沙樹はラングへ手紙を書いた。長い間教会でお世話になった事と自分の為に証言してくれた事への感謝。最後にまた会いに行く旨だけを。

 今はまだ真実を追究しなくてもいい。そしていつか手紙通りにアスタと共にラングに会いに行こう。会って沢山話をしよう。今の沙樹の事。沙樹の大切な人の事。そうしてラングの事も少しだけ聞ければいい。


「ただいま。」


 全ての手紙に封を終えた時、アスタの声がして沙樹は顔を上げた。


「あ、おかえりなさい。・・・アスタさん?」


 気づけばもう夕暮れ。玄関からリビングへ入ってきたのは当然アスタだ。けれど沙樹が疑問符をつけてしまったのには訳があった。


「何かあったんですか?」


 仕事から帰ってきたアスタはいつもとは違い、鎧姿とは違う騎士の正装をしていた。ユフィリル国旗と同じ色をした詰襟の上着。国章の入った手袋。そして腰に佩いた剣。何かイベントでもあったのだろうかと思った時、昼間の事を思い出した。


「もしかして、王太子妃ご懐妊お祝いの行事があったんですか?」

「いや、それはまた後日正式にやるよ。」


 苦笑したアスタが首を傾げている沙樹の手を取る。そしてリビングの開けた場所へと誘導した。足を止めたと思ったら、今度は沙樹を正面にして膝をつく。


「アスタさん?」

「サキ。」


 名前を呼んでアスタが沙樹を真っ直ぐに見上げる。あまりに真剣なその表情に沙樹は息を飲んだ。さっきまで頭に浮かんでいた疑問はいつの間にか消え去っている。

 アスタは流れるような動きで沙樹の左手小指に口付けを落とした。それはまるで御伽噺のような。騎士がお姫様にするような、そんな仕草。地球では左手薬指が恋情や愛情の意味を持つが、この世界では少し違う。指輪を嵌める習慣こそないが、相手の小指に触れる事が求愛の意味になるのだ。

 そして口付けした左手をアスタの両手が包む。大切な宝物を持つように。再びアスタのブラウンの瞳が沙樹を捉える。


「サキ。私の最愛の人。」


 そんな風に呼ばれたのは初めてで、途端に沙樹の鼓動が跳ねた。

 特別なんだ。そう思った。今彼がしている事は、今二人でいるこの時間はとても特別なものなのだと。

 アスタの唇の動きがやけに遅く感じる。握られている手が、熱い。アスタの目が自分から離れない。


「私は、私の全てを持って貴方を愛することをこの名において誓います。私の全てを持って貴方を護る事をこの剣に誓います。サキ、私が生涯貴方の伴侶として傍に居る事を許してくださいますか?」


 目の奥が熱くなる。手が、唇が震える。けれど涙を零すその前に、口を動かさなくては。沙樹は自分の左手を柔らかく包んでいる彼の両手に、更に自分の右手を重ねた。


「・・はい・・・・。」


 震える声と共に零れる温かい涙。一つ二つ、重ねた二人の手の上に落ちる。静かに立ち上がったアスタは微笑みと共にこの瞬間自分の妻となった女性を抱きしめた。


貴方を愛していますマー・サリ・ハルム・アルウェン、サキ。」


 この世界に来て、初めて愛する人を見つけた。初めて苦しい程の悲しみを知って、別れを経験して、再び抱きしめてもらう事ができた。心の底から望む事ができた。そして――


私も愛していますマー・サリ・ハルム・アルウェン、アスタ。」


 この人が、今目の前に居るこの人こそが一生を共にある事を誓った最愛の人。

 未来は二人で紡いでいく。穏やかな春風の様に、眩しい朝日の様に、優しい歌の様に。諦めなくて良い、恐れなくて良い。いつだって手を伸ばせばそこに居てくれる人だから。


 アスタの両手が沙樹の頬を包む。自然と瞼を閉じて二人の唇が重なる。分かち合う温もりは誰よりも愛しくて、沙樹は思った。今なら、唄える。いつかアスタに聞いてもらおう。あの歌の続きを。



“君の周りにあふれる空気に 憧れてはドアを開ける

 一人で君を待つその部屋が 初めての故郷かもしれない


 子供のような欲望に 思わず目を伏せる僕に

 手を伸ばしてくれた君を 体温を預けてくれた君を

 今でもずっと覚えている これからも想っていくから


 ここに居て ここに居る”






 完

 

 


これにて『歌うたいの恋人』シリーズは本編全て完結となります

最後までお付き合いいただきました皆様、誠にありがとうございました。

見返したらシリーズ連載開始が2010年4月。完結までに3年近くかかってしまいました。


実は連載当初、『歌うたいの恋人』だけで完結する予定でした。

(プロットには沙樹が異世界から来たことを匂わせて終わるというメモが・・・。アスタ、ごめん。)

ただ予想以上に自分が登場人物達にハマってしまい、気づけば3部構成。

無事に終了した際、思わず「終わったー!」と声に出して叫んでました(笑)


本編に書けなかった各キャラクター達の背景やエピソードはまだまだあるのですが、戦争時の暗い話が主な為そっと胸に秘めておこうと思っています。書きたくなったら明るい話を投稿したいなぁ(いつになるかは分かりませんが・・)


このお話を呼んでくださった皆様、コメント・感想くださった皆様、本当に本当にありがとうございました!




  2013/1/12 橘




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