落ち着け、俺は腹が減っているだけなんだ。
「申し遅れました、私は商人ギルドに籍を置く者バルドー・レンシュと申します」
男はそう名乗ると懐から一枚のカードを取り出しケイオスへ差し出した、名刺のようなそれには名と所属、簡素な紋様が刻まれている。
「こ、これはこれはご丁寧に…あ、そうだ」
普段は使わない畏まった言い回し、板についていないその様が逆にどこか微笑ましくもあった、そしてケイオスはごそごそと懐を探りだす、そこには鉱山領で発注していたケイオスのギルドマークが彫られたメダル。
(早速役に立つ時が来たな、魔鉱石のメダル!こっちのケイオス・ニューワールドを広める作戦は出来たらいいなくらいだけど…それでもこっちの世界にプレイヤー来てるかもしれない、誰かが連絡をくれたりするかもだしな)
「俺はケイオス、ケイオス・ニューワールドだ」
「これはご丁寧に…」
そんな皮算用しつつメダルをバルドーの手に乗せる、ケイオスは以前自分が企んだ計画が形になってあれこれ楽しく考えていた。
だが、受け取ったバルドーの反応は違った、手のひらの上のメダルをまじまじと見つめ驚きを隠せない様子を見せしばし考え込むように黙り込んだ後、静かにそれを差し出し返してきた。
「……いえ、これはさすがに、頂くわけにはまいりません」
「え?なんか駄目だった?」
「これほどの魔鉱石を、これだけ丁寧に加工した品となりますと……正直、私程度の返礼で見合う代物ではないのです」
「あ、そうなんだ」
「魔鉱石はそれだけで相応の値がつきます、それを刻印入りの加工品にまでしているとなれば、貴族の贈答品としても十分に通用する品ですよ」
怪訝そうに首を傾げるケイオスにバルドーは苦笑いを浮かべながら説明する、ただその声には困惑と同時にどこか感心したような響きも滲んでいた。
(高価だってのは分かってたが思ったよりだな…まだまだこの国の細かい感覚とか解ってなかったか)
「…じゃあ、今度からはそう簡単に渡さないようにするよ、」
そう言いながらもケイオスは手を引っ込めなかった、渡したメダルはそのままバルドーの手に残す。
「けどこれは受け取っといてくれ、さっきの話も今の忠告もあえてしてくれただろ?渡すだけの価値はあったさ、これから力を借りるかもしれないしな」
「…そこまで言われるのなら断るわけにも行きませんね」
「おうよ!街であったらまたよろしくな!」
「ええ、是非とも」
そして素性不明の少女は小さな背中を見せて去っていく、残されたバルドーはその小さな背中をしばらく見送っていた。
(あれはただの貴族の子女ではないな……どこぞの秘された血筋か、あるいは……)
ただの貴族の子女にしては言動も気配もどこか浮世離れしている、貴族と言えど易々と扱えない魔鉱石を無造作に扱う金銭感覚もだ、正体を測りかねながらも、バルドーの口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
商人としての勘がこの出会いを当たりだと告げている、手の中のメダルを懐に大切にしまい込み、バルドーもまた自らの仕事へと戻っていった。
※
城壁の検問は首都への玄関口という名に恥じない厳重さだった。
身分の証明、訪問の目的、滞在の予定、街の住人でない限り一つでも欠ければ通されることはない、ケイオスがこれまで見てきた街とは比べものにならない徹底ぶりであった。
「ケイオス・ニューワールドだ!」
「……………」
そんな場所でケイオスは堂々と名を告げる、しかし衛兵からすればそれだけでは何の身分も証明できない、見た目だけなら明らかに一般の民ではないがここではそれだけで通す理由にはならなかった。
「失礼ですがどちらからの…」
「どちら…ええっと」
衛兵が詳しく尋ねようとしたところでまたメダルを出そうとしてケイオスはふと思い出す。
(あのメダルはそうそう渡すもんじゃなかったな、それなら)
「こういう者だ」
そう言って懐から取り出したのは、アイゼンシュタイン家から受け取ったカード。
「…それは!」
「え?あってるよな?こういう時に使うもんでいいよな?」
「…しばらくお待ちください」
「おう」
門番たちの間でカードが回される、小声で何やら確認を交わし裏付けを取るようなやり取りが続いていく。
(どうする?)
(本物のようだが…)
相応の身分、実績を持つ者しか手にできない代物である認証カード、だがケイオス・ニューワールドという名には誰も心当たりがない。
そもそもが仕立ての良い装いに貴族令嬢を思わせる気品を備えてはいる、しかし誰一人も供の者も連れず一体どうやってここまで来たというのか、ちぐはぐな怪しさがそこにはあった。
※
しばらくして。
「…お通り下さい」
「あ、うん、どうも」
結果的にケイオスは通過する事を許される、もしも自分たちが知らない有力者の縁者ならばここで無下に扱えば後々どんな問題になるか分からない。
『……ひとまず、通していいだろう』
『ただ目星は付けておいた方がいいな上に報告しないと』
そんな判断が門番たちの間で交わされていたことは当のケイオスは知る由もない、カードの力は凄いなと感心して呑気に門をくぐって行った。
※
「おお…!」
大通りを進みながらケイオスは目の前の光景を見渡す。
石畳の大通りは整然と敷き詰められ両脇には意匠を凝らした建物が立ち並ぶ。
尖塔のような屋根、彫刻の施された柱、街灯には淡く光る魔石が仕込まれているのか昼間だというのにほのかな輝きを放っていた。
「アルカディアを思い出すな!」
ファンタジーという言葉がこれほど似合う光景を、ケイオスはこの世界でまだ目にしたことがなかった。
「これだけ発展してるなら調べたい事は山ほどあるけど…それよりも」
このファンタジーな街並みを見て好奇心が疼かないわけではない、だが今はそれよりも優先すべき事柄がある。
「まずはレストランだ!」
ずっと後回しにしてきた食事の問題、これほど発展した街であればようやくまともな店にありつけるはずだ、ケイオスは賑わいの気配が特に強い方角へと迷いのない足取りで向かっていった。
※
「おかしい、こんなことが、ゆるされていいはずがない」
ふらふらと歩く足取りからは力を感じられない、項垂れながら低く呟くその声にはこれまでの道中で見せたどんな危機よりも深い絶望の色が滲んでいた。
少し前の事、ケイオスが賑わいの気配を感じ進んだ先で目にしたのは労働者風の男たちが群がる屋台の列だった。
串に刺した肉を炙る煙、油で揚げる音、鍋で煮込まれる何か、お世辞にも衛生的とは言えない環境に置かれている食材、調理法も単純であり質より量を優先したような食事風景。
(携帯食料よりはマシそうだけど……腰を据えて座れるような店は無いのかね)
ひとまずその一角は素通りする、少し歩けばそう言った店が並んでいるはずと期待をしつつ、だが歩けど歩けど状況は変わらなかった。
「???」
幾らあるけど代わり映えのしない屋台が点々と続くばかり、椅子に腰掛けて料理を待つレストランらしいレストランはどこにも見当たらない、せいぜいが立ち食い用の粗末な台があるくらい、ケイオスが望む飲食店と呼べる物は気配もない。
「す、すみません…」
思わず我慢できず近くにいた者に声をかける。
「レストラン…この辺りにないのか…?」
「……レストラン?…レストランってのは何だ?」
「え?」
「聞いたことが無いな」
(からかわれてる、訳じゃないよな?)
その者は首をかしげながら聞いたことが無いという風に聞き返すだけであった。
「お嬢さんはお貴族様かい?すまないが俺の知らない単語みたいだな」
「ああ、えっと…貴族じゃないけど…飯を提供してくれるお店の事だよ」
「それならここいら一帯がそうだぜ」
「あ、いや、そうじゃなくて…腰を据えて料理を出してくれるような…」
「…酒場か宿屋の事か?どっちも別に注文すれば用意してくれるぞ」
「いや、それも正しいんだけど、正しくないと言うか」
「ううん?まあお貴族様ならお抱えの料理役の者が居るんだろうけど…すまないね、よく解らないよ」
「……………………」
ケイオスは後にも何人かに聞き込みを続けた、しかし。
『普段の飯はどうしてんの?』
『大体この屋台で済ませてるな』
『ぜ、全部!?』
『そうだけど…?』
『この街は出稼ぎの人間が多いからな、飯を作ってる時間もなけりゃ、場所も燃料も高くつくんだよ』
『あ、あー……そりゃ効率的で……』
『他には、飯炊き役がまとめて作ってくれることもあるな、屋台とそう変わらない飯がまとめて作る分安く済むんだぜ』
『そ、そう……じゃ、じゃあ……街の人は?』
『金持ってる奴はともかく、普通の人は俺らと変わらないよ食料も燃料も高いしな、まあ、たまに酒場へ行って贅沢することはあるが……飯だけのために店へ行く奴も、そんな店を出す奴も聞いたことはないな』
『…………』
※
そして時間は戻る、食事だけが目的の店、ケイオスの知るレストランという場所、それはこの街ではそれが存在しないという事実が判明したのだ。
「ひょっとして…レイラもガレオもミアラも…食事を気にもしていなかったのって…こういう理由…?」
ぽつりと零れた言葉に腑に落ちるものがあった。
あの三人が食事の質に頓着しなかったのは、単に無頓着だったからではない、そもそも味わうという発想が薄いのだ、食事とは、生きるために必要な栄養を補給するものでそれ以上の意味を持たない。
いやひょっとしたら少しは気に掛ける事もあるかもしれない、しかし優先順位が低い事は間違いない、そう考えればこれまで訪れた場所での食のクオリティの低さにも納得がいった。
「いや、そうか…俺の食事の基準って星の反対側の食材まで冷凍したりで運ばれてきてた時代だもんな…魔法より魔法してるなこう考えると」
自分が当然だと思っていた食の環境そのものが、この世界では当たり前ではない。
これまで訪れた場所もそもそもが食事に無頓着だったわけではない、適応された姿で普通だったのだ『異常』に料理の種類や質を気にしている自分こそがこの世界では異端だったのだ
「………ど、どうしたら…?これからずっとこんな食事で過ごすのか……?いや、待て、待つんだ魔法がある、そうだこの世界には魔法があるはずだ」
ケイオスが絶望する中一つの可能性に気づく、この世界には魔法という別軸の技術がある、しかもその発達度合いは元いた世界の現代技術に匹敵するほどのものだ。
手元のカード情報が勝手に更新され通信も可能かもしれないと言われるアイテムを見る、見上げれば街灯がるそこには魔石が仄かな明かりを発している夜はもっと眩くなるのだろう、魔法と言う技術がこの世界にはあるのだと。
「魔法があれば、冷蔵だってできるし、火だって簡単に起こせる」
これまで聞いた限り食料も燃料も貴重、だから気軽に火も起こせるものではないし料理もそうやらないのであろう、だが魔法なら食材の保存も火加減の調整もそういった制約がいくらでも突破できるはずだ。
「それなら魔法使いとか…いや偉い奴らはそれが出来るんだから食にこだわっててもおかしくないよな」
権力者や富裕層であれば話は別、金と権力に物を言わせ魔法を惜しみなく食に注ぎ込んでいる者たちがどこかに必ずいるはずだ、一縷の望みを見出したようにケイオスの表情にわずかな光が戻る。
だが、同時に体の力が抜け落ちる。
「う…これは…まずい…」
ケイオスはレストランへのためにあえて食事を抜いていた、結果食えずじまいの今となって猛烈な空腹が押し寄せてきていた、整った顔が歪む腹の底から湧き上がる不快感が焦燥感となって理性まで蝕んでいく。
(アルカディアでのデバフがこっちでも再現されるなら…まずい……このままだと、本気でやばい)
このまま何も食べなければ危険だとふらつきながらも周囲を見回し食事のできる場所を探す。
そして目に留まったのが通りの奥にひっそりと佇む一軒の酒場、酒場ならば簡単な食事が出る、うっすらとその話を思い出す贅沢は言っていられない、座って食べられる場所ならそれだけで十分だった。
限界に近い足取りでケイオスは酒場の扉へと吸い寄せられるように向かっていった。




