酒場の下働き
「…なんだありゃ?」
「…さあな」
薄暗い酒場の隅、奇妙な者を見たという風に周りの客の視線がちらほらとそこに刺さっていた、テーブルには蒸された芋と塩辛い保存肉の皿が並んでいる、対峙するのは可愛らしい少女だ、しかしその見た目に似つかわしくない勢いでそれらをひたすら口へ運んでいく。
「がつがつ…がつがつ…うまい…うう…」
場末の酒場には余りにもおかしな光景がそこに存在していた。
※
「はあ、落ち着いた」
一心不乱に平らげた後、ようやく詰めていた息を吐き出す、空腹が最大のスパイスとでも言うべきか安堵感と共に緊張が解けていくのを感じる。
(今までで一番美味しかったな、素材…?下ごしらえ?中々悪くなかった流石大きな街の酒場…しかし)
それでも洗練されているとは言えなかった、味付けは塩気だけで押し切ったような単調さ、かつて地球という世界で暮らしていた頃の記憶が否応なく蘇る。
世界各国の料理をいつでもどこでも選び放題だった時代、あの豊かさと比べてしまえば、今口にしたものは満足という言葉からあまりに遠い。
(贅沢な舌だなあ…現代人は舌が肥えすぎてサバイバルに弱いとか何とか昔何かで読んだような…)
ぼんやりと考えながら余裕がようやく生まれてきてケイオスは周りを見渡す、並ぶ品書きは酒の種類ばかりが目立ち料理と呼べるものは申し訳程度にしか用意されていない、しかもその食事のほとんどが燻製肉や乾物、塩漬けといった保存の効くものばかりで占められていた。
酒を飲みに来る客のついでのつまみ、この場の食事とはあくまでその程度の位置づけでしかないようだった。
耳を澄ませばテーブルのあちこちから笑い声や愚痴、仕事の話、賭け事の噂話が飛び交っている、この酒場という場所はそもそもが食事のための空間ではなく会話と酒を楽しむための場として成立しているらしい。
(うーん…本当に飯がおまけっていうか、興味が無いっていうか……俺がおかしいんだろうなやっぱ)
これほど食にこだわりを見せているのはこの場において、いやこの世界で自分だけなのではという疑念すら湧いてくる、周囲の誰も食事への不満どころか料理そのものにほとんど関心を払っていないようにすら見えた。
(まあいいや、忘れてたけどアルカディアの手がかりを探すのが目的なんだし)
空腹のあまり我を忘れかけていたがケイオスは本来の目的をようやく思い出す、幸い飢えて動けなくなる訳でもない食事への未練は次第に頭の隅へと押しやられていくのだった。
※
酒場の奥、店主が立つカウンターの裏、そこに一人の少女がいた。
まだ幼さの残る顔立ち灰色がかった肌に色素の薄い髪、痩せた身体には似つかわしくないほど大きな皿を抱え山盛りの料理を危なげなく運んでいる。
「追加だそこ置いとけ」
「はい」
少女は小さく返事をすると客のテーブルへ料理を運んでいく、その途中ふと近くの席から声が聞こえてきた。
「しかし、あんな量を一人で食うとはな」
「見たことねえくらいの盛りだったぞ」
「それでもまだ追加を頼んだんだろ?」
「どんな腹してんだよ……」
酒場では珍しくもない客同士の何気ない会話、しかしその言葉を耳にした少女は足を止める。
そして何気ない様子を装いながらちらりと噂のテーブルへ視線を向けるまるでその言葉を聞き捨てたくないと言わんばかりに、そこには自分よりさらに小柄な少女が一心不乱に食べ続けている姿があった。
「……………………!」
その珍しい姿が気になっているのかそれとも何かを確かめようとしているのか、解るのは少女は仕事の手を止めてしばらくその姿を眺めていた事だ、しかし直ぐに厨房の奥から野太い怒鳴り声が飛んでくる。
「おい!突っ立ってねえでさっさと下がれ!」
「っ……す、すみません……」
びくりと肩を震わせた下働きの少女は慌てて視線を逸らす、逃げるように厨房の奥へと引っ込んでいった、最後にもう一度満足そうに食べている小さな姿を目に入れて。
※
「…今の子は?」
「あれか?仕込みだの何だのを任せてる下働きだよ」
「ふーんあんな小さな子がねえ」
「……アンタがそれ言うのか?」
「ん?何か言ったか?」
「いいや…この街じゃあの歳くらいの奴がいくらでも働いてるんだ出稼ぎに来てる奴だ」
「ふんふん」
「今は何処も人余りだからな…この街みたいに大きい所に集まってくるんだよ」
「ああ街の外にあったアレか」
「そうソレだ、中で仕事が見つかる奴もいるが大体はあそこ止まりだな」
店主に話しかけつつケイオスは街の外に広がっていた集落を思い出した、これまで訪れた場所では厳しい暮らしをしているように見えても最低限の生活は成り立っていたが、それは当たり前の事では無かったのだと、ここに来て初めてこの世界の普通がどれほど厳しいものなのかを実感した気がした。
「…農家って仕事が無いのか?」
「いいやあるぜ?ただ厳しいからな農家ってのは…特に三男、四男坊となると扱いは奴隷みたいなもんだ、夢見て街に出てくる奴はいくらでもいるさ」
「それでやってくる訳か…」
「ああ、だけどそんな簡単にはいかねえさっき言った通り人は余ってて仕事も中々見つからない、中には冒険者になってやると冒険者ギルドのドア叩いて……まあ、戻ってこないね」
「…世知辛いな」
「誰だってそんなもんさ、そんな中であいつはな…あんなひょろっちい見た目だが野菜を洗ったり切ったり下ごしらえを任せるには十分だ、力仕事も仕込みの手際もいいんだよ」
「へぇ?」
「ただ、それ以外はよく分からん奴でな…静かだし変な事を言うし何考えてるのかさっぱりだ」
「……………」
店主はそう言って少女が引っ込んでいった厨房へ目を向ける、ケイオスは少しばかり視線を上にして何かを考えて問う。
「…なあ、今食べてるこれもあの子が全部下ごしらえしたやつか?」
「ああそうだな今は全部あいつに任せてるよ」
「…味付けは」
「味付け?まあそれは塩とか出す直前に俺がやってるよ、それと肉は外から仕入れてる奴切って出してるだけで味付けも何もないな」
「…………そうか」
ケイオスは改めて目の前の料理を見つめた、よく見ればこれまで食べてきたどの芋よりも皮は丁寧に剥かれ火の通り具合もちょうどいい。
「…………」
それに気づいたケイオスは何も言わず押し黙るった。
※
厨房の片隅で一人の少女が黙々と手を動かしていた。
灰みがかった肌と色素の薄い髪、痩せた体つきは満足な食事にありつけなかった年月を物語っているようだった。
「………………」
彼女の名はマチ、生まれは貧しい農村であり成人手前に口減らしのように故郷を離れ似たような立場の多くの者と同じようにこの交易都市へと流れ着いた。
無論田舎から出てきた身寄りのない娘にそう簡単に仕事があるわけではない、そんな中でマチには一つだけ売り込めるものがあった、
『…私がやるよりずっと早い』
『誰にその方法を教わったんだ?え?自分で考えた?』
『その細腕で、よくそんなに運べるな』
『お前がやると食材も燃料も無駄にならないから助かるよ』
料理であった。
彼女には料理に関しては天性のものとしか思えない才があった、食材を見れば自然と手が動くどこから切れば無駄が出ないのかどの程度まで火を通せばいいのか、誰かに教えられたわけでもないのにそうしたことだけは妙によく分かった。
「………………」
無言で下ごしらえを進めるその手つきには迷いがない、皮を剥く速さも、包丁を入れる位置も、無駄な動きがほとんどない熟練のものがそこにはあった。
しかしそれを評価されることはこの街では無かった、必死に訴え続けどうにか酒場の厨房へ潜り込むことができた、それでも。
『もっと、こうした方が……』
『食材は高いんだよ、試してる余裕何かあるか』
『でも、少し工夫すれば…』
『その分だけ仕入れが増えるだろ、燃料だってただじゃねえ』
『お、お客さんに、もっと料理を出せばきっと』
『今の飯で客は困ってねえ』
『……………』
そうしてただ『作業が早いから使っている』というだけの扱いでしかなかった、故郷では料理は生きていくために必要なものだった、しかしこの街では腹を満たせればそれでいいものであったからだ。
店主にどれだけ料理について話しても通じる事はそれきり無い、価値観の違う土地、街に住む権利もない出稼ぎの人間、そんな言葉に誰が耳を貸してくれると言うのか。
「………………」
少なくとも下ごしらえの手際だけは認められている、同じように出稼ぎに来ても仕事がろくに無い物が無数にいる、街の中の仕事にありつけただけで御の字なのだ、そう自分に言い聞かせながらマチは今日も黙々と包丁を動かしていた。
窓の外から差し込む光に目をやりながらマチはふと考える、この街に来てから何か変わったことがあっただろうか、今日もまた同じような一日が過ぎていくだけだった。
※
出稼ぎの人間に住む場所の選択肢はそう多くない。
街中に職を見つけられたはまだ恵まれている方だった、城壁の外に広がるあのスラムだけは辛うじて免れることができている、とはいえ街の中で暮らせているからといって住環境が良いわけでは決してなかった。
日もほとんど暮れた時間にとぼとぼと歩いて着いたのは、門の近く部屋数だけはやたらと多い雑居のような建物。
その一角、窓もろくにない寝台一つでほとんど埋まってしまうような部屋、寝るためだけに存在するような狭い空間がマチの住処だった。
薄暗い世界を歩きながら今日一日の出来事が頭をよぎる、芋の皮むき、鍋洗い、店主の怒鳴り声、いつもと変わらない代わり映えのしない一日だった。
だが一つだけ頭から離れない光景があった、あの見慣れない少女、装いは明らかに貴族然としているのに場末の酒場に一人で座り庶民の食事をがっつくように平らげていた姿。
(何だったんだろう、あの子…でも…ふふ)
不思議な光景であったがそれ以上に胸を占めていたのは自分の下ごしらえした料理を食べてくれた嬉しさ、そして、やりきれなさだった。
(もっと…もっと色々できるのに)
せっかく腕を振るおうとしても自分にはその場すら手に入らない、そんな物思いに沈みながら建物の入り口に差し掛かった時に道の脇から声がかかった。
「ようお嬢ちゃん今日も遅いな」
柄の悪い口調、この辺り一帯を仕切る連中の下っ端らしきガラの悪い男だった、ニヤついた顔でマチの行く手を塞ぐように立ちはだかる。
「ちょっと付き合ってくれよ、損はさせねえからさ」
「すみません、急いでいますので」
マチは目を合わせないよう俯いたまま男の脇をすり抜けようとするがその進路を男は無造作に塞いだ。
「まあまあそう急かすなよ、ちょっとした話だってもっと割のいい仕事紹介してやろうかと思ってさ」
「結構です、今の仕事があります…」
「今の仕事?あんな安酒場の下働きだろ、割に合わねえって顔してるぜ、うちの所は面倒見がいいんだ、ちゃんと稼げる仕事紹介してやれるぜ、なあ、悪い話じゃねえだろ」
男はニヤつきながら値踏みするような目でマチを見下ろす、よくある勧誘だったこの手の連中が行き場のない出稼ぎ者に声をかけるのは珍しいことではない、マチも以前にも似たような話を聞いたことがあったし、割のいい仕事の中身が決してまともなものではないことも知っていた。
「本当に、結構ですから」
「っち、人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって…いいから聞けってんだよ」
「っ!」
「生意気な口利いてんじゃねえぞ!」
拒み続けた態度が気に食わなかったのか男の表情から愛想笑いが消えた声色が一変し凄みを帯びる、胸ぐらに伸ばされかけた手にマチは思わず身を竦ませた助けを呼ぶ声すら出せずに固まってしまう、その時。
「ちょっといいか」
可憐な声色だがその口調はどこかぶっきらぼう場違いなほど落ち着き払っていた、マチが振り返ると、そこに立っていたのは見覚えのある少女が居た。
艶やかな黒髪にいかにも高価な仕立てのドレス、あの酒場で山盛りの食事を平らげていた不思議な子供だった。




