書類仕事
屋敷に戻ったケイオスは新たな戦いに直面していた。
「書類が多すぎる…!」
目の前には厚みのある紙の束や見慣れない印章、雑多な書式が山積みになっている。
この王国では契約形態も口約束から正式な書面、保証人の要否まで多岐にわたる、今回のように南方の獣人というそれ自体が高い価値を持つ希少な存在、その受け渡しに必要な手続きの複雑さは群を抜いていた。
「はは、私もこんなにたくさん書くのは初めてかも…」
そう言いながら実際にその煩雑な作業を黙々とこなしていたのは他ならぬミアラ本人、レイラとガレオはそもそも書類仕事の類がとことん苦手で最初から手を出す気配すらないようだ、二人揃ってこういう場面ではすぐに仲間に丸投げする側だった。
「いや悪いな…」
「ううん、私も何か役に立ちたかったし」
ケイオスは書類仕事煮て以降は無いがこの世界の文字が読めない、翻訳を受けながら悪戦苦闘だ、結果この場の書類仕事はまだ本調子とは言い難いミアラが主導にこなしていく形になっていた。
「しかし、奴隷かあまり気が進まないけど」
奴隷の受け渡しとなれば主人が存在する、今回はケイオスとなった、現代の知識から来る印象として決して良いものではない、搾取、束縛、非人道的な扱いそういった言葉が真っ先に浮かぶ、しかしこの国においては様相が違っていた、自由を制限される立場ではあるものの実態としては労働力、雇用契約に近い性質である。
「貴族の奴隷って立場自体は悪くないんだよ」
ガレオが書類の山を横目にしながらぽつりと言った。
「首都や大都市は別としてよ、離れりゃ離れるほど身元の証明なんてざっくりしたもんだ、誰が誰だかきっちり把握されてる方が珍しい…何の後ろ盾も保証もない連中なんてそこら中にごろごろいる」
(ふーん現代で国ごとに戸籍が合って全員を把握、あれってよく考えたら凄い話だよなあ)
「王国にいる間は勿論として南方に戻ってもケイオスの所有って立場の方が…むしろメリットは大きいな」
「元々自由になるまで何年かかるも解らなかったし、それにご主人様がケイオスちゃ……ケイオスだったら全然気にしないから、どしどし言ってね」
(…どうも猫や犬を見るような目で見られている気がする)
ミアラはそう言ってまるで気にしないように笑う、大人しい性格ではあるがこういうところでは妙に逞しい、むしろケイオスをどこか年下の妹を見るような目で見ている節もあった。
そんなミアラの首元には奴隷の証であり同時に身元を保証するその首輪が光っている。
「とにかく貴族の所有物に手を出すような馬鹿はまずいない、下手な護衛よりよっぽど強力だ」
「……………」
レイラは特に何も言わなかったが不満を示すような素振りもなかった。かつてヴァルフリートが語っていた魔法による枷、だがそれは裏を返せばそれだけ精巧なマジックアイテムとしての価値を示していた。
身元照会、所有者の証明、こうした機能まで一括して担っている貴重品でもあるのだ。
(変な所でハイテクなんだよな、ファンタジーだけど中身は現代、いやそれ以上のセキュリティがあったりする…アルカディアに益々似てる)
ケイオスはそんなことを考えながら、ミアラの手を借りつつ山積みになった書類を一枚、また一枚と片付けていった。
※
「しかしミアラはそれでよくても…俺が何の保証もない存在なんだよな」
「お前はお前だ堂々としていればいいだろう」
「いや、そういう問題じゃなくて…いや嬉しいけどさ」
ケイオスはこの中で誰よりも不審な人物である自信があった、身分の保証どころか生まれすらこの国どころかこの地ですらないのだから。
「俺は俺か……うん、そうか、そうだよな」
ふと、何かを思いついたようにケイオスが顔を上げる、懐から取り出したのはあの鉱山の店で武器と一緒に発注していた、見慣れぬ意匠の刻印を持つメダルだった。
「そういやそれどうする気だったんだ?」
ガレオが興味深げに覗き込む、ケイオスはメダルを指先で軽く弾きながら説明する。
「これは俺のギルドっていうか故郷で組んでた連中とのトレードマークだ、これを出会った人に配っていけば多少は顔が広くなるかなって思って作ってもらってた…けど、今もっといい使い方を思いついた」
※
ケイオスは長かった書類の山を終え、現在最後の確認を執事の前で行ってた。
「改めて言うけど、俺の事は北方から来た者だってことにしてもらえると助かる」
「承知いたしました、正式な身分証明とは参りませんが、北方から来られた方ということで当家の名を通しておけば相応の信頼は得られるかと存じます」
身分の定まらない者にとって有力者の後ろ盾は大きな意味を持つ、個人の身元を公的な制度だけでカバー出来ないこの国では尚更でありアイゼンシュタイン家、この鉱域でも屈指の名家が後ろ盾となれば十分すぎるほどだ。
「悪いね、色々と」
「いえ」
執事は一礼すると続けて一枚のカードを差し出した。
「こちらが先ほどお話しした、貴族や商業ギルドの重鎮などが携える身分証でございます」
「おお、何から何まで助かるよ」
「⋯こちらはカード自体の価値以上に、これを持つという事実そのものが重視されるものです、当家のような家柄だからこそお渡しできるもの、決して意味なくお渡しするわけではありません」
多くの場所で身分を証明でき様々な手続きにも利用できる秘宝の一種、これで正真正銘ケイオスの立場は確かなものとなった、だが一度きりの取引の礼にしてはあまりにも重いものだと、執事はその意味を念押しするように続けた。
「これは貴族間の信用そのものをお貸しするという事でございます、どうかその重みをお忘れなきよう」
「…ああ、解ってる」
そして執事は事前に渡されていたメダルを改めて手に取った。
「こちらは、北方からいらした証としてお預かりし、当家を通じて身元の裏付けとさせていただきます、今後のご活躍次第ではさらに相応の信用を積み重ねていただけるでしょう」
「ですから当家の後援に相応しい今後のご活躍にさらに期待しております、ケイオス・ニューワールド様」
「勿論だ」
先程の考えただメダルを配る訳で終わらない、自分の名前を作りアイゼンシュタイン家の後援を得て。
(何物でもないなら、何者かを作ってしまえばいい…この世界で苗字を名乗るならこれ以上は思いつかなかったしな)
最後にその名を聞いてケイオスは一瞬だけカードへ視線を落とす。
ニューワールド、かつて故郷で組んでいたギルドの名、ケイオスが苗字が必要になると言われて思いついたのはこれ以外に存在しなかった。
「色々とありがとう」
「いえ、当家としましても今後のご活躍に期待しております」
型通りの一礼、その言葉には応援ともまだ足りぬと告げる戒めともつかない、静かな含みがあった。
※
屋敷から四人が去っていくのを、ヴォルフガング・フォン・アイゼンシュタインは変わらぬ顔で見送っていた、側近がその傍らに控えている。
「……あそこまでの待遇でよろしかったのかと」
側近がわずかに躊躇いながら口にした。
「問題ない…緋光石のインゴット、獣人一人、そして認証カードの贈呈、そこまで合わせてもこちらの利は遥かに多い」
鉄のような男は普段と変わらぬ声音で答える。
緋光石はこの鉱山ですら産出しない、多大な危険を承知で国外へ出る命懸けの遠征でもなければ手に入る機会すらない代物、それに比べれば大した負担ではない、しかし側近が気にかかっているのは別の部分だった。
なぜここまで面倒を見る必要があったのか、特に一度きりの取引にしては、あのカードや後援までは些か過分な信用の証だと感じていた、その疑問を察したように言葉を続ける。
「奇怪、奇妙、謎……あらゆる面で、不可解だった」
「あの者が、ですか」
「彼の者の受け答えそのものは相応の教育を受けた者のそれだった、頭の回転も、判断も決して幼稚ではない…だが、習わし、腹の探り合い、駆け引きの作法、そういったものをまるで知らぬ口ぶりだった……そして甘すぎる」
しばし沈黙する、続けてもう一度。
「甘すぎた、幼子のようにな」
「……………」
側近が僅かに目を見開く、厳格を体現した当主の口から出る言葉としてはあまりにも珍しい表現だった。
「あの取引は幼子と話しているようだった」
「……幼子、ですか」
「この歳になるとな」
ヴォルフガングは、僅かに目を伏せた。
「幼子には、どうしても甘くなる」
それだけ言うと、彼は再び普段の無表情へと戻っていった。
「情に絆されただけとは言うまいあの石を用意できるだけの者だ」
「誠実さも確かにあった、少しばかり賭けてみるのも悪くはあるまい」
「…はっ」
当主らしい打算と当主らしからぬ人情めいた響きその両方を併せ持つ言葉、側近はそれ以上何も言わず深く頷いた。
そうして屋敷はまたいつも通りの静けさへと戻っていく、あの秘匿の区域で起きた出来事、ヴィルフリートの企みから始まった闘いに規格外の力による決着。
その一切合切をこの鉱域で知る者は誰一人としておらず一つの取引と新たなケイオス・ニューワールドという存在が生まれた。
※
それから数日、時間は穏やかに流れていった。
旅路の果てに全身全霊をかけた死闘を潜り抜けたレイラとガレオ。
鉱山仕事の傍ら瀕死の重傷を負いそこから奇跡的な回復を遂げたミアラ。
妹を探しだす依頼を果たしたケイオス。
彼らはしばしの間骨を休める時間を過ごしていた。
※
『ようおっさん、あんたの武器いい仕事してくれたよ』
街の老人の店先、ガレオが軽く手にしたメイスを掲げてみせる。
『ふん……』
老人は素っ気なく応じながらもその口元にはどこか満足げな色が滲んでいた。
※
『知ってるか?アイゼンシュタイン家が高給だけど危険な所の仕事に人が欲しいって話、あちこちで出回ってるらしいぞ」
宿の食堂、誰かがそんな噂を耳にしたと言い出す。
『…それなら、話をしてやろう』
レイラが短く応じる、あの一件以来この鉱域の内情も少しずつ様変わりし始めているらしかった。
※
『レベルアップ……ってのはよく解らないけど…近い言葉があったかな?』
ミアラがケイオスの言葉を反芻するように呟く。
『おお!教えてくれ!ていうか他にも知ってる話があったら色々と話して欲しい』
『うーん、そうだね…』
ミアラは少し考え込む素振りを見せながらも、その表情はどこか楽しげだった。
誰かに頼りにされる、それも自分の得意分野で、本を読み耽っていた頃の里での日々を思い出させるようなそんな心地よさが滲んでいた。
『私が知ってる限りでは古い昔話の中にね…』
※
『クソ、クソ、クソ……!』
『ヴィルフリート様の機嫌が随分悪いな……』
使用人たちが遠巻きにひそひそと囁き合っていた。
『あんな事故が起きたけど犠牲者も出ず、取引の奴隷もあの余所者たちもみんな無事だったのに…なんであんなに苛立っていらっしゃるんだ?』
『さあ…?』
その理由の真相を知る者はこの屋敷には誰一人としていなかった。
次回で一部が終わります。




