土龍
「…ッッ!!!!」
坑道を響かせる咆哮、声とも音ともつかない身の毛がよだつ蟲の叫びを聞いてレイラは一瞬でそれを悟る。
(届く相手ではない)
これまで培ってきたあらゆる戦闘の経験、勘、それら全てが目の前の存在を勝てないと告げている、前に出れば確実に死ぬ理性はそう叫んでいる。
「■■■■■■!!!!」
「どけえっ!!!!!」
それでもレイラの体は躊躇うことなく前へ飛び込んでいた、今のレイラには他に取れる手段など何一つ残されていなかった、夢にまで見た妹が目の前に居るのだから。
(姉、さん…駄……目)
朦朧とする意識のミアラではもう止める術がない、レイラ自身も止まる気などない。
窮地に立たされたレイラの速度は王国で伝説級と謳われる冒険者すら凌ぐ域に達した、並の者では視界に映す事も叶わないだろう、だが目の前のワームはその速度すら遥かに凌駕していた。
「■■■■■■!」
「っ!」
反射的な捕食本能か何らかの思考の産物かワームの様子からは判別のしようもない。
確かなのはレイラの速度すら足りない、その巨躯が瞬間に消えるように動きレイラへ食らいつこうと大きく口を開き飛び込んだ時だった。
「目、瞑れっ!!!!!!」
その叫びが響き渡ったのと、ほぼ同時だった。
『プラズマ!《Plasma》』
暗闇に沈んでいた坑道が一瞬にして白く塗りつぶされるほどの光で満たされる。
視界も、闇も、何もかもを消し飛ばすかのような圧倒的な輝き。
「■■■■■■!!???!?!?!?」
これまで何一つ意に介す様子のなかったワームが甲高い耳をつんざくような叫びを上げた。
巨躯が大きく仰け反りレイラへと迫っていた顎がそのまま虚しく空を切る、二度、三度のたうち回った後、逃げるように方向を翻し自らが突き破ってきた穴の奥へと猛烈な勢いで引き返していった。
後の坑道には光の残滓と静寂だけが残された。
※
事前の打ち合わせに従い目を瞑ったレイラは先の魔法の影響を回避していた、そのまま迷わず駆け寄る。
「姉…さん……」
「ミアラ!しっかりしろミアラ!」
悲鳴のような声で妹の名を呼ぶ、目に映った光景はあまりにも凄惨だ下半身はほぼ潰れているといっていい有様で足からは止めどなく血が流れ続けている。
その光景を見下ろしながらガレオが静かに口を開いた。
「ここまで来て…会えたってのに、こんなのは、流石にねえだろ……クソッ」
いつも飄々とした態度を崩さない男が初めて見せる表情だった、奥歯を噛みしめるように視線を逸らすこともせずただ低く呟く。
「…………………」
ケイオスは何も言わなかった、ただ無表情のまま無言でレイラの傍へと歩み寄る、そして虚空に手を差し入れると慣れた手つきで何かを取り出した。
ケイオスが取り出した小瓶はまるで内側から光が溢れ出しているかのように淡く輝いていた、液体そのものが発光しているソレをケイオスは躊躇なくミアラの身体へと振りかけた。
「「……!?」」
レイラもガレオも目の前で起きた光景に息を呑む。
致命傷にしか見えなかった下半身の傷が、まるで最初から何事もなかったかのように瞬く間に塞がっていく、潰れていた肉が元へ戻り流れ続けていた血も止まり、やがて傷跡すら残らず完全に再生していた。
「間に合ったか」
ケイオスはようやく表情を取り戻し小さく呟いた。
※
それからしばらく、ミアラはまだ意識が朦朧としているのか力なくレイラに抱えられていた。
呼びかけても反応は薄いが先ほどまでの致命傷が完全に消えている、その事実だけで一同にようやく安堵が広がっていた、ガレオも普段の様子を取り戻しケイオスに話しかける。
「…ケイオス、お前本当に何でもできるのか?」
「そういう訳でもない俺は治癒魔法は使えない、いまのはただのアイテムの力だ」
「ただのアイテム…って言うには無茶苦茶な効果じゃないか今のは?」
「ただのポーションさ、知ってるだろ?」
「それはまあな…ただ…」
魔法使いは希少な存在だが回復魔法を扱う神官と呼ばれる者はさらに少ない。
彼らのほとんどは古代文明を崇拝する宗教組織に属す、秘密主義を貫いて表舞台に姿を見せることもほとんどない、ヴァルス王国の強い中央集権の中でもその組織だけは独自の権利を保っていた。
そのため魔法に頼らない薬学が発展し薬草やポーションが広く使われている、荒事を多数経験してきたガレオもポーションに命を救われたことは何度もあった。
(だが…あんな怪我を一瞬で治すポーションなんざ見たことも聞いたこともねえよ、神官の魔法だってああはならねえ)
ガレオはそこまで考えるが、少なくとも今は話している場合ではないと頭を切り替える。
「ま…ともあれ、さっさとここを出ようぜ?」
ワームが去りミアラの危機を乗り越えたならば次にやることは一刻も早くここを出ること。
ガレオはそう言いながらレイラを振り返るとレイラはミアラを決して離すまいとするように強く抱きかかえ鬼気迫る表情を浮かべている、しかし思考まで止まっているわけではないらしくその声に頷いた。
「それなら大丈夫、あいつは光で逃げ出したら相当な間は出てこないから、それよりポーションで誰かを回復したのは……こっちでは初めてだからもう少し意識がはっきりするまで落ち着かせた方がいい、あんな大怪我だったんだ」
「……そうか……まあ、お嬢様が言うならば、従うぜ、今はもう常識外ればかり見て俺にゃ手に終えねえよ」
「お前が言うなら…ああ、そのはずさケイオス」
ガレオは肩をすくめるがその態度には窮地を脱した安堵が滲んでいた、そしてレイラもミアラを抱え直し人個だけ答えた。
※
それからまたしばらくの時間が流れる。
ミアラの虚ろだった瞳にも少しずつ光が戻り、やがて自分の置かれている状況を理解できる程度まで意識がはっきりとしてきた。
「姉さん……どうしてこんな無茶を……」
「お前ほどではない」
「……それ、どういう意味?」
「そのままの意味だ、一番危険な役割をやっていたとはな」
「こんなところまで突っ込んで来る姉さんが言えたもんじゃないよ…」
「ふん、お互い様だな」
姉妹が慣れ親しんだようなやり取りをする内に張り詰めていた空気が少しずつ解けていく。
ケイオスとガレオも互いに簡単な自己紹介を済ませている、やがてミアラが改めて二人へ目を向けるまずガレオを見て、それから隣に立つケイオスへと視線を移した。
「えーと……そちらがガレオさんで……あなたが…ケイオス……ちゃん…?」
「ぶはっ!はははははっ! いや、そうなるよな!」
「………………」
ガレオが腹を抱えて大声で笑い出しレイラは露骨に顔をしかめ苦虫を噛み潰したような表情をする。
その一方で当のケイオスはさほど気にした様子もなく自分の姿を見下ろしてむしろ満足そうにつぶやく。
「まあ俺は美少女だからな」
「レイラ、こいつは見た目通りの存在じゃないんだ」
「酷いですわ、レイラさん」
「やめろ……眩暈がする……」
「でも……こんな、女の子が……」
「それに、聞いただろうここまでの間共に旅をしてきた」
わざとらしくしなを作る仕草にレイラが目を覆う、ミアラもこの幼い少女が見た目通りの存在ではないことは朧気ながら察していたが、出会って間もない身にはそれをすんなり呑み込むことは難しかった。
レイラは静かに遭遇から今この瞬間に至るまでの濃密だった旅路を語る。
「こいつケイオスは依頼主であり私の同胞だ」
「同胞…」
「まあそうだな、って事でケイオスって呼んでくれ呼び捨てでいいからさ」
「あ、うん…?よろしくねケイオスちゃ……ケイオス」
「おいおいレイラところで俺はどうなんだ?仲間外れか?」
「…ガレオ、まあお前も一応入れてやろう」
「ははは」
「…はは、うんすっごくわかったよ」
姉の同胞の言葉の意味は決して軽くない、目の前の気の知れたやり取りを見て今度こそミアラは納得したようにうなずき、小さく笑った。
※
そうしてまたしばらく、ミアラの意識がはっきりしてきたとこの場を離れる準備を整えることができた。
「ミアラ、歩けるか?」
「……まだ少し力が入らないけど、大丈夫」
レイラは妹の様子を確かめるとゆっくりと立ち上がるそして今度はケイオスへと向き直った、先ほどまでは考える余裕が無かったが落ち着きを取り戻した今になればどうしても気になることがある。
「ケイオス、先ほどのポーションだがあれはちょっとした物ではないのだろう?」
致命傷にしか見えなかったミアラの身体をあれほど一瞬で完全に治したのだ、ただの傷薬などでないことくらいはレイラも想像がついていた。
「仲間のためなら惜しくはない」
「……そう言ってくれるのはありがたいが仲間だからこそだ、これ以上借りを作り続けるわけにはいかないだろう」
「じゃあ借りってことで、その内返してくれたらいいさそもそも危険な区域だろここ、これくらいの事が起きるのも当然っちゃ当然だし、必要な消費だったってだけの話だ」
「お前はいつもそうやって事も無げに片付けるな」
「そういう性分なんでね」
「命があっただけ儲けもんだ、難しい話はまた落ち着いてからでいいだろ」
「…そうだな」
その一言にレイラも今度こそ頷く、こうしてミアラを抱えた四人はようやく坑道の出口へと向けてゆっくりと歩き出す、振り返ればワームが眠る闇が広がっているだけの静まり返った坑道、再開と危機を乗り越え残す者は無い。
一同は先の明るい出口を目指し、迷うことなく足を進めていった。
※
「はーやれやれ、生きた心地がしなかったね」
「坑道のあいつは俺も苦い思い出が多いから…ん?」
坑道を抜けてすぐ四人はやや開けた場所に出たると一人の男が立っている、この区域では初めて目にする顔だ、仕立ての良い服に身を包みその顔には隠しようのない不機嫌さが張り付いている。
「これは一体どういう事…だ」
※
少し前の話、ヴィルフリートは沈痛な面持ちをしていた、急な蟲の襲撃だったが不幸中の幸いというべきか犠牲者は最小限に抑えられた、だが新しく配属されたばかりの一人が未だ戻っていない、その報告を受け男はいかにも悲痛に嘆いてみせていた。
『まさか、このような事態になろうとは……我らが預かる者を無為に失うわけにはいかんというのに…』
表向きは部下の安否を憂う責任感のある管理者の顔だ。
『私が現場を見に行こう、お前たちはそのまま待機だ』
次には直ぐそう申し出る、傍目には責任者自らが危険を顧みず現場へ向かう勇敢な判断。
だがその実態は違う長年の観察によって、ワームの行動範囲、苦手とする事象、そのすべてを熟知している男にとってこの程度の危険地帯への立ち入りなど造作もないことだった。
そしてそれだけ精密に把握しているということは裏を返せば誘導することも当然可能だということ、計画は完璧だった獣人たちは疑うことすらしない、屋敷側に余計な情報が届くこともない、全てが思惑通りに進んでいた。
(万が一幸運にも生き延びてる場合も無くはない、最もあり得ない可能性だが怠る訳にはな)
そして最後の一手と自身で確認に来ていた、だが目の前には件の獣人が見知らぬ余所者に伴われて生きて立っている姿。
「……なぜだ!?一体どうしてそこにいる!?」
低く漏れた呟きに隠しきれない動揺が滲んでいた。
アルカディアモンスター名鑑
・ワーム(土龍)
・レベル・鉱山の種類によって異なるが最低でも50
・鉱山地帯の裏ボス的ポジション、縄張り意識が強く気性も荒い、鉱山内部ならどこにでも居て何処でも襲ってくる非常に厄介なモンスター。
強力な攻撃行動を繰り返す上に非常にタフな防御、体力を持つ、ワームに共通した唯一の弱点、というより救済措置として光に非常に弱い、明るい場所には寄り付かない性質と強い光を出す魔法・スキルを食らうと即逃げ出す習性をもつ、ただし光で逃げ出した場合はワームの経験値、素材とも一切手に入らない。




