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南方の姉妹

 灼熱の陽が容赦なく降り注ぐ南方の砂漠地帯、そこにレイラの故郷はあった。



 見渡す限りの砂と岩の中に大きな湖が横たわっている、そしてそこから広がる緑、その砂漠のオアシスに沿うようにして街が広がり、日差しを照り返す頑丈な石造りの建物が隙間なく寄り添うように並んでいた。


 屋根は低く抑えられ窓も申し合わせたように小さい、強い陽射しと砂塵を極力遮るための工夫だ、路地にも常に日陰が落ちるよう緻密に計算されている、湖からの湿った風を街の奥まで届かせるための水路も迷路のように巡らされている。




 この土地に合わせた生き方を示すような街だがもう一つ特徴的な事がある。


 街には剥き出しの岩肌を削り出した鍛錬場が点在し幼子から年寄りまでが稽古に励む、広場の中央には巨大な慰霊碑が陽光を浴びて聳え立っていた、それは弔いであると同時にこの地に生きる者全てへの無言の教えでもある。



 この部族に限った話ではないが南方の獣人にとって戦士であることは老若男女問わず生まれながらの宿命に等しい。


 種族的な素養はもちろんあるがそれ以上に大きいのは代々受け継がれてきた意識そのものだった、強くなければこの地では生き残れない、その教えが空気のように南方全体に染み渡っている。



 そんな戦士だらけの街の一角を本を胸に抱えて走る小さな影があった。




「…遅いぞ」


「ご、ごめんなさい、姉さん……借りてた本、返しに行ってて……」




 周囲の子供たちが模擬剣や短刀を手にしている中、本を手にしている珍しい子だった、直ぐ傍には似た顔立ちをしながらも頭一つ分ほど背の高い子供が木剣を片手に立っていた。


 まだ幼さの残る姿ながら佇まいだけは既に一人前の戦士を思わせる、その幼い戦士、レイラは呆れたように肩をすくめたがその顔に苛立ちの色はなかった。




「お前は本当に剣より本が好きなんだな」


「だって…戦うのは姉さんの方が得意だから」




 息を整えながら少し困ったように笑った、戦士であることが当然とされるこの部族の中でその性質は決して主流とは言えないものだった。


 だがレイラはそれを咎める事はしなかった。




「知識も力の一つだ、頭を働かせねば勝てる戦も勝てない…本を読む事だって訓練の一つだ」


「あはは姉さんらしいね、でもよく思わない子も多いから」


「お前の年頃の奴はどうしてもな、どうしても馬鹿にする奴が居るなら私が叩きのめしてやろう」


「あ、うん、出来れば手加減してね」


「ああ、だがそれはそれとして稽古は必要だ、やるぞミアラ」


「はーい……」




 途端に肩を落とすレイラの妹、それがミアラだった、先ほどまでの得意げな顔はどこへやら木剣を渋々持ち直すその仕草には稽古嫌いが隠しきれずに滲み出ている、レイラは口の端をわずかに緩めながら木剣を構え直した。




 ※




 稽古を終えてしばらく、湖のほとりに座り込みミアラが本を開くのを横目に見ながらレイラは木剣の手入れをしていた。




「その本また王国のやつか」


「うん行商人から、すごく高かったみたいだけど無理言って譲ってもらったの」




 南方にも文字や書物というものは存在するだが王国より数も質も劣っていた、戦いに関する訓練の書、薬草や毒草の図鑑、そういった実用一辺倒のものが大半を占めている。


 娯楽としての物語や遠い異国の出来事を綴った読み物などはこの地では滅多にお目にかかれない代物だった。


 そんな変わり者であるミアラは同年代の子供たちからは当然のようにからかいの種でしかなかった。


『戦えもしないくせに』『本ばっかり読んで何になる』


 そんな言葉を投げつけられることも一度や二度ではない、両親からももっと戦士らしくあって欲しいと、異質な方向に興味を向ける姿に苦笑いを浮かべるばかりだった。


 理解を示してくれるのは同じように部族では変わり者とされる極一部の者、そしてレイラだけであった。




「姉さんは分かってくれるしいざって時は守ってくれるし…」


「甘えた事を言うな、闘わないなんて誰よりも私が許さん」


「あうう…」


「だが前に出て斬るだけが戦じゃない、後方から皆を支えるのも知恵で街を作るのも立派な闘い方だ、他の奴らがそれを軽んじているだけだ」




 レイラ自身既に部族の空気に染まりきった生粋の戦士である、しかし妹に対してそれを強制する事も色眼鏡で見る事も無かった。


 それは彼女がただの戦士以上の才覚を持つ者だったのかそれとも妹への励ましだったのか、何にせよミアラは本から顔を上げ少し驚いたようにレイラを見たそれからふにゃりと表情を崩す。



「……うん」




 湖を渡る風が二人の間を静かに吹き抜けていった。


 まだ幼い頃の何も知らない穏やかな日々の一幕だった。






 ※


 深夜の宿の一室、昼間は労働者たちの喧騒で溢れ夜は酒場帰りの荒くれ者たちの声で賑わうこの街もこの時間だけは静まり返っている。




「……………昔の……夢か」




 レイラは薄闇の中、天井を見上げたまま呟いた、自分も妹もまだ幼かった頃のあの湖畔の記憶だった。




「………………」




 並の戦士よりも遥かに強くなった自負はある、それでもあの日部族は敗れ自分も捕らえられた。


 皮肉なことに強すぎたがゆえに他の者たちよりも手間取られ連行される時間がずれた、その差は今こうしてミアラとはぐれる結果を招いた。



 もっと力があれば違う結末があったのか、あれほど頑なに妹を戦わせなかったことが間違いだったのか。


 答えの出ない問いだけが幾度となく頭の中を巡っていく、レイラは深呼吸をして体を起こす、眠気はとうに失せていた。


 少し外の空気を吸おうと静かに部屋を出る、廊下を抜け宿の裏口へと向かったところで、ふと鼻先を微かな残り香がかすめた。




 ケイオスの匂いだ少し前にここを通っている、レイラは迷うことなくその気配を追って夜の街へと足を踏み出した。




※





 匂いを辿った先は屋根の上であった、街の中でも際立って高いというわけではないが来客用の宿だけあってそれなりの高さはある、夜風に晒されたその場所からは寝静まった街並みが一望できた。


 明日にはいよいよ足を踏み入れることになるであろうあの貴族の屋敷、の背後にそびえる巨大な山塊も月明かりに照らされ遠目にぼんやりと浮かび上がっている。


 その景色を眺めるように屋根の縁にケイオスが立っていた。




「突入前夜に、屋根の上で会うってのは王道だよな」




 ケイオスは相変わらずよく分からないことを口にしながら振り返った。




「眠れなくてな」


「俺も似たようなもんだ少し眼が冴えてな」


「明日妹と会えるかもしれないんだからな、そりゃ誰だって寝付きが悪くもなるさ」


「そうかもな、情けない事だ…だがケイオス」  


「なんだよ」


「お前が不安に思う必要などあるのか?」


「…………………」





 こうして屋根に事も無げに登っている通りケイオスは見た目通りの子どもでない、今の姿でさえレイラは自身よりも遥かに強いだろうと理解している。


 ましてやあの本来の姿の力量に至ってはもはや自分の物差しで測ることすら叶わない、そういう規格外の存在が。




(⋯緊張、不安、そんな顔をしているだと?)


 レイラの鋭い観察眼ははっきりとそれが見えていた、力量で測るならばこの場にいる誰よりも安全なはずのケイオスがだ。






 ※








「現実味が無い、なんてことは言う気も無い」




 しばらく黙り込んだケイオスが独り言のように街を見下ろしながら呟いた。


 灯りの落ちた屋根、寝静まった路地、静かに息をひそめる街並み、それを眺める横顔にはいつものようなふざけている様子はない、かみしめるような静けさがあった。




「いい景色だ…全くすっかりこの街を楽しんだよ、微妙に顔見知りになった宿の人やら飯の屋台の人やら…数十分数時間で終わりのイベントとかじゃなくてもう結構滞在してるから当然だけどな」




 レイラは黙って聞いていたごく当たり前のことだからだ、だがケイオス自身はその当たり前さこそが、どこか不思議でならないとでも言うような口ぶりだった。




「そうだ、妹、お前の妹の名前は何て言うんだ?」


「また今更だな、ミアラだ、ミアラ・ヴァンシャ」


「ミアラ、か、妹を助ける依頼、血を分けた肉親を助けたいって依頼なんだから名前くらい先に聞いておくもんだよな、普通は」




 その言い分にレイラは軽く目を瞬かせた。


 名前を告げていなかったこと自体、レイラにとってはさして気にも留めていなかった、捜索を頼んでいるという事実さえあればそれで十分だと思っていたからだ。




「お前は変な所で律儀だな、気にした事も無いぞ」


「そう言ってくれるなら助かるが…紛争で生き別れた妹の捜索、その依頼はちゃんとするべきだろう最近のレイラを見てたら俺も思う所はあるって事だ」




 レイラがぽつりと零すとケイオスは少し決まり悪そうに頭をかいた。


 その横顔が妙に幼く見えた、強者の気配も規格外の底知れなさも一瞬鳴りを潜め…夢で見たミアラと重なるような、ばつの悪そうな少女の顔がそこにあった。


「……………」


 レイラはゆっくりと歩みケイオスとの距離を詰める、そして無言のまま拳を軽く握ると、先ほど見た夢、ミアラに対する時のようにケイオスの頭を軽くこづく、そしてそのまま拳をそっと押さえつけるように留めた、ケイオスは不思議がってはいるが特に抵抗はせずされるままだった。




「…ううん?」


「私も…多少張り詰め過ぎていた、ここ数日は仲間に対する態度として相応しいものではなかった、詫びよう」


「………仲間か」


「ああ、仲間だ」




 この依頼には大きな義理があるわけではない、報酬と言う報酬もレイラは渡せていないと思っている、だがケイオスは最初の出会いから今まで驚くほど本気で付き合っていた。


 南方ではいつ誰が死んでもおかしくない、それはこの王国よりも遥かに当たり前の話、故に共に戦う事はただ付き合った時間の長さ以上の重みを持つ。




「もう結構な間肩を並べてるだろう?少なくとも私から見たらお前はもう同胞だ、思うことがあるなら話せばいいし力がいるなら頼ればいい…一人で抱え込む必要はない」


「…ありがとよ、っふ、柄にもなく可憐な少女らしいとこ見せちまったな」


「お前が少女らしく見えた事は一度としてない」


「安心しろ、俺は冒険者ケイオスだ、多少センチメンタルになっていただけで依頼は依頼、問題無くやるさ」



 その一言を境に纏っていた静けさがすっと引いていく、次に振り返った顔はいつもの破天荒な見慣れたケイオスのものだった。




「さ、明日は早いお前もさっさと寝とけよ」


「…ああ」




 普段通りの軽い調子でそう言い残すとケイオスは屋根の縁から身を翻し宿の中へと戻っていった、そのどこか強がるような後ろ姿にレイラはやはり夢で見た幼い頃の妹の面影を重ねずにはいられなかった。




 しばらくの間、レイラは一人屋根の上に残り明日向かうことになる屋敷の方角をじっと見つめていた。


 月明かりに浮かぶ塀の輪郭、その奥にそびえる巨大な山影、視界に焼き付けるように眺め続ける。


 レイラはやがて大きく息を吸い、吐き、迷いを振り切るように屋根から飛び降りた。



 後には何事にも関わらぬ様子の鉱山の街がいつも通りの静けさを湛えているだけだった。

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