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アイゼンシュタイン家

 とある屋敷の最奥、街全体を見下ろす位置に設えられたその部屋は静謐という言葉がよく似合っていた。



 壁には几帳面に整理された書棚が並び書類の一枚に至るまで乱れなく重ねられている、机の上に置かれたインク壺の位置、羽根ペンの角度、そのどれもが几帯面を通り越してある種の潔癖さすら感じさせるほど整えられていた。


 窓の外には街の灯りが見え行きかう人や警備の巡回も見える、全てを俯瞰する位置にこの部屋は据えられている。


 アイゼンシュタイン鉱域の主、ヴォルフガング・フォン・アイゼンシュタインといった男が現在そこに座っていた。




 代々受け継がれてきた家督を継いでから幾年、口数は少なく感情を表に出すことも稀な男、彼は先代から受け継いだ統治のあり方を守りさらに徹底したものへと磨き上げてきた。


 裏社会の芽は生まれる前に刈り取り余所者の動向は逐一その耳に届く、名実共にある現在この地を収める領主であった、そんな夜に使用人の一人が静かに部屋へと入り片膝をついて報告を上げた。



「申し上げます、街に余所者が三名、獣人について聞き回っているとの報告が」


「素性は」


「不明です、身なりの良い一人は貴族を装っているようですが、この地の貴族名簿には該当がありません、残る二名は正体を隠しているものと思われます」




 


 ヴォルフガングは書類から目を上げることなくしばしの沈黙する、ペンを走らせる音だけが部屋に響いた後。



「捨て置け、ただしあまりに長く居座るようであればその時は対処を考える」


「はっ」



 短い答えだった、だが傲慢は無くこの地を完全に掌握してきた者の自負、多少の半端者が紛れ込んだところでそれがこの鉱域の秩序を揺るがすことなど万に一つもあり得ない確信に裏打ちされたものだ。


 そのままヴォルフガングはペンを止め書類を脇へ置き初めて顔を上げる、先ほどとは温度の違う声で問う。



「それより、南方の異常については続報はあったか」




 その声色の変化に使用人はわずかに気圧されたように肩をこわばらせる、先の言葉よりも遥かに強い圧を孕んだ問いだ。




「それが………以前の『とんでもない事態が起きた、しばらく取引を中止させてほしい』という連絡以降、それ以外の一切の連絡が届いておりません」


「一切か」


「はっ」


「…かなりの異常事態のようだ」




 ヴォルフガングは眉根を寄せ珍しく困惑の色を隠せずに呟いた、念を押して再度問うたようにこの鉄のような男にしても見過ごせない話で合った。




「他の南方と取引をしている貴族筋、それに首都側の窓口も同じ有様だと」


「……………」


 ヴァルス王国では南方は諸部族が絶えず争い奪い合う戦国の地であると認識されている、それは事実だが正しくはない。


 王国のような中央集権的な統一こそないものの南方には南方なりの社会基盤が根付いている、王国とも様々な形で繋がりがあり対等な一つの国としての形はしっかりとある。


 だが現在その繋がりが全て途絶えている、使用人の声にも隠しきれない緊張が滲んでいた、それがただの偶然で片付けられる規模の話ではないことは火を見るよりも明らかであった。




「南方からの補充が利かない以上、しばらくは今の状態でやりくりするしかあるまい」




 王国でいずれ然るべき場で会議が開かれ方針が定まるだろう、それまでは静観するほかなかった、ヴォルフガングは一度その件について思考を打ち切る。




「前回仕事についた者たちは、かなり優秀な様子だったと聞いたがどうだ?」


「はっ配属からそれなりの日数が経ちましたが未だに、犠牲者は一人も出ておりません」


「そうか、良い事だ、今は替えが利かぬ無駄に損なわぬようその調子で監督を続けろ」


「はっ」



 表情そのものに大きな変化はなかったが声の端にわずかな満足の色が滲んでいた、改めて使いに命じヴォルフガングは再び手元の書類へと視線を戻した。






 ※




 何処かの坑道で採掘作業が行われている、この鉱域に暮らす一般の民は誰一人として知らない、屋敷の裏手の山のその奥深く存在すら公にされていないその坑道、そこに彼らはいた。




「………………………」




 この地からとうに姿を消したはずの存在、王国の一般的な人種とはでない南方の獣人だ、その一人が岩肌に耳を当てている何かを探るように微動だにしない。




「………………」


「………………」




 鉱山と呼ぶにはあまりに音が乏しい、槌を打ち下ろす音もトロッコの稼働もここにはない。


 代わりに聞こえてくるのは小さな金具の先が岩肌を撫でるような擦れるだけのかすかな音だけ、周囲に働く獣人たちは小さな金具などを使い岩の表面をひと削、またひと削りと気の遠くなるような慎重さで進めていく。




 一撃で崩そうとする者は誰もいない、音を出す事を刺激することを何よりも恐れているかのように見える。



 先ほど岩肌に耳を当てていた獣人がその場にしゃがみ込む、周囲より一段年若い、まだあどけなさの残る顔立ち、灰がかった被毛、細身の体躯、猫科の獣人特有のしなやかな輪郭。


 しばしの静寂の後、彼女はゆっくりと耳を地面から離し周囲へ小さく頷いてみせる。




「…大丈夫」




 囁くような声だった、作業を止めていた周囲の仲間は再び岩肌に向き直り、金具を手に取って慎重に採掘の作業へと戻っていった。






 ※








 その日、店主の老人はいつものように店番をしながら注文された品を丁寧に並べていた。


 あのおかしな子供、貴族なのかそうでないのかすら怪しい奇妙な客、杖とさらに武器を二つそれと追加で依頼された多数のメダル、正直なところ、老人が長年扱ってきた品の中でも指折りのものだった。




「やりごたえのある仕事だったな」




 作業台に向かいながら老人は独り言のように呟いた、石に見合った力を持ち出来栄えだけを求めた、あんな客はいつぶりだったろうか、槌を持つ手を止め老人は窓の外へ視線を投げた。



「…かつては、誰もがああだったんだがな」




 昔を思えば笑ってしまうくらいだ、この鉱域はもっと荒っぽかったと老人は思い返す、借金の形に人を売り飛ばす連中も賭場の裏で刃傷沙汰を起こす荒くれ者も、そこかしこにいた、今の秩序立った街並みを知る若い連中からすれば、想像もつかないだろう。




「すっかりどいつもこいつも牙が抜けちまった、お貴族様のお膝元でな」




 治安がいいとはお世辞にも言えなかったが、だからこそ弱ければ弱いなりに、強ければ強いなりに、それぞれの分を持って生きていた。


 しかし今の街にあの頃の気概を持つ者はもういない、誰も彼もが偉大な貴族様の思惑通りに、行儀よく収まっている。



「俺の方がおかしいのは解ってる、まっとうに暮らせて安全な方がいい…当たり前だ、だが痛みも失敗も無けりゃ成長も無いってのに…ま、後先の無い老人だから言える話か」




 道理は貴族側にあるだろうと老人は誰にもこの事を言う気は無かった、自分が昔の亡霊なのだと、しかし一つだけ老人には引っかかるものがあった。




「…都合よく、消えちまったよな」




 かつてはこの街にも、当たり前のようにいた獣人たちだ、荒々しい気質のこの土地に彼らも合うのか、激しさで生きていた仲間達、それがいつからか最初からいなかったかのように街から消えてしまった。




「街の連中がやってる仕事じゃ、この石は出ない」




 あの石は生半可な採掘では手に入らない、命懸けで岩盤の深部に挑まねばならないのだ、この鉱山の主と呼ばれる巨大な蟲の縄張りにしか生まれない、それなのに涸れることなく街からあの石が流れ続けている、誰も口にしない、誰も気に留めない、その歪みを老人は気づいていた。




 ※




「こんにちはー」






 気の抜けた子供の声に老人は顔を上げるまでもなく、それが誰だか分かったあのおかしな小娘だ、今日は一人ではなく二人の連れを引き連れている。



 老人は思わず内心で息を呑んだ、長く荒れたこの街を見てきた目にはそれだけで分かるものがあった、かつてそういう連中と幾度となく渡り合ってきた老人の勘が、目の前の二人を只者ではないと告げていた。



 片方は飄々とした軽い表情を崩さない男だった、だが隙という隙が見当たらないむしろ力を抜いているように見せかける姿がこの男の技量の証だ。


 もう片方は全身を鎧に包み顔どころか性別すら窺い知れない出で立ち、だがこちらも纏う気配だけで並の者ではないと分かる、一挙一動に無駄がなく佇まいそのものがそれを物語っていた。




「依頼した品を受け取りに、あっ、出来てるじゃん!」


「ん?メダルはともかく…そっちのはメイスか?」


「ああ」


「使えなくはないが、なぜだ?」


「たぶん必要になるかなって、魔鉱石で依頼したから見た目よりも軽いぞ」


「……お前、魔鉱石から作ったって言ったか?」


「言ったけど?」




 男はあからさまに顔を引きつらせる、魔鉱石は希少品であり武器と言うよりは希少なマジックアイテムの素材であり秘宝と呼ばれるアイテムの元にすらなる、それを鈍器であるメイスに丸ごと注ぎ込んだのだ、言うなら金塊や貴金属をそのまま鈍器の形に鋳直したようなものだった。




「打撃武器には確かに微妙だけど、ランク的にこの辺の素材よりかは遥かに丈夫だしなー」


「いや、そうじゃなくて」


「お前が必要だと言うなら、持っておこう」




 呆れてる男と静かに受け取るフルプレートの者、老人はそのやりとりを見つめる、こういうやり取りはひどく久方ぶりのものだった。


 冒険者ギルドの看板すらもうこの街では見かけなくなって久しい。


 かつては当たり前のように交わされていた、依頼の目的と装備を擦り合わせるこの手の会話も、いつしかこの土地から消えていた。




(…懐かしいもんだな)




 老人は受け渡した二本のメイス、そして杖を改めて眺めながら、口を開いた。




「武器の質については、文句あるか?」


「いや、全く、むしろ期待以上だ」




 少女が軽い調子で答える、それに老人はふん、と小さく鼻を鳴らしただけでそれ以上の追及はしなかった、腕を評価される事は慣れているがこの者達の言葉ならそれは世辞ではないと理解していた。




(何者なんだかね、まったく)




 改めて目の前の三人を見やる、飄々とした男、鎧に身を包んだ者、そしてこの奇妙な子供、明らかに只者ではない何を成そうとしているのか気になることは山ほどあった。


 だが、老人はそれ以上何一つ尋ねはしない、自分はどこまでいってもこの鉱域の片隅で石を磨き、鉄を打つだけの職人、それ以外は必要がない。


 今、目の前で自身の成果を楽しそうに受け取る姿を見れたなら、それ以上は無いのだと。




 ※




「よし、全部終わりだ、ありがとな」




 細々とした確認を終え三人は品を受け取って店を後にしようとする、その背に老人は一つだけ声をかけた。




「アンタ、ここから何処に行くんだ?」


「ん? そりゃあ」



 戸口に差し掛かっていた少女が、足を止めて振り返る、一度黙り何かを考えたかのようにゆっくりと口を開く。


「……冒険、だな、久しぶりに、攻略情報も無しのガチンコだ」



 相変わらず子供の口から出る言葉は半分も意味が分からない、代わりに目を見る。


 ふざけた口調の裏でその目だけは昔の街の人間が浮かべていたのと同じ、あの目をしていた、前に進もうとする者だけが持つ光が。



「そうかい」



 それ以上は、何も聞かずただ三人の後ろ姿が戸口の向こうへ消えていくのを、老人は黙って見送った。


ストックが無くなって来たので次から更新ペースちょっと落ちます…

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