草原の出会い
窪地の一角で輸送団の司令官の男、ガルドは苛立ちを隠そうともせずに部下を睨みつけていた。
「何度言わせる拘束具を嵌める前に武器を取り上げろと、いくら拘束具の力で弱っていようが…それでも危険な連中なのだ、絶対に確認してから拘束しておけと…それだけのことがなぜできてない!」
いつも通りの仕事のはずだった、戦争奴隷として売買された獣人種の一団を輸送する任務。
だが一人の獣人の女が爆発的な膂力で拘束具ごと部下を突き飛ばし、隠し持っていた得物を振りかざして暴れ出した。
獣人種の身体能力は非常に高いゆえ二重三重の対策を講じられている、それらが功を奏し暴れた獣人はほどなく取り押さえられた、だがそれでもガルドの怒りは収まらなかった。
剣を抜き、まずは部下へ切っ先を向ける。
「次にこの程度のミスをしでかしたら、貴様の首が飛ぶと思え」
部下が青ざめて頭を垂れる。
ガルドはその視線を地面に押さえつけられている獣人たちへと移した。
憎悪と侮蔑の入り混じった目で剣を今度は彼らへと向ける。
「お前たちも身の程を弁えろ、逆らえばどうなるか今から教えてやろう」
視線が先ほど暴れた女へとむけられる、まだ反抗的な光を宿したまま荒い息を吐くその獣人へガルドはゆっくりと歩み寄り剣を振り上げ
だがその刃が振り下ろされるよりも早く、轟音とともに窪地の外周から巨大な影が土煙を上げて突入してきた、怒声が上がり整然としていた陣形が一瞬にして崩れ始めた。
※
草むらの中でケイオスは丸い瞳孔を細めて観察していた。
「…弱いなこりゃ、想像以上だ」
思わず気の抜けた声が出る、未知の地であることを警戒し慎重に様子を窺うつもりだった、だが蓋を開けてみれば中級のキメラ一体の乱入だけで陣形はあっという間に崩壊した、剣を構える暇もなく吹き飛ばされる兵、盾ごと弾き飛ばされる者、地面に叩きつけられて動かなくなる者。
死者は出ていないようだがほとんどの兵が意識を刈り取られ地面に転がっていた。
「加減しとけって言っといて良かったな」
ケイオスは小さく息を吐いたもし指示を出していなければこの窪地はとうに屍の山になっていただろう。
キメラは指示に忠実だった、巨躯の身体は本来の力を抑えつつも兵たちを次々となぎ倒しながら暴れ続けている。
だが、そこで動きが起きる、司令官ガルドと呼ばれていた男が懐から何かを取り出した。
拳ほどの大きさをした黒い金属塊、表面には赤黒い紋様が刻まれその隙間から禍々しい紫色の光が漏れ出している、明らかに通常の装備ではないそれを男はそれを握ったまま一瞬だけ動きを止める。
「クソッ!!ただのモンスター風情ががいい気になりおって!!!」
「司令官!それは本来っ」
「分かっている!」
部下の咎める声にガルドが苛立たしげに声を荒らげる、視線の先では謎のモンスターが兵士たちを次々と薙ぎ払い包囲を崩そうとしている、このままでは被害が増える一方だとガルドは歯を食いしばる。
「……やむを得んだろう!食らえ化け物が!」
「《封縛晶――グラビティ・バインド》!」
黒い金属塊が激しい光を放ち、次の瞬間、そこから無数の光の鎖が伸びた、鎖は空中を走り中級キメラの巨躯へと絡みつく、四肢だけではない、胴体や翼にまで幾重にも巻き付きその動きを強引に押さえ込んでいく。
「グォオオオオッ!」
キメラが大きく咆哮した。
それまで兵士たちを蹴散らしていた巨体の動きが、目に見えて鈍る。
「今だ!」
好機と見た兵たちが、素早く態勢を立て直し鈍ったキメラを取り囲み数の利を活かして一斉に攻撃を仕掛けていく、完全には動きを封じられていないものの、その巨躯は確実に包囲の中へと押し込まれていった。
そんな様子を観察する草むらのケイオス、大きな目がすっと細められた。
「……あれ、似てるな」
視線の先にあるのは、キメラの巨躯に絡みついた光の鎖、形状こそ記憶にあるものとは微妙に違う、しかし色合いも光の走り方も細かな意匠も異なっている。
「捕縛系のアイテムエフェクトそっくりだ」
アルカディアに存在するモンスターの動きを封じたり鈍らせたりするためのアイテム、性能には幅があり雑魚相手から強力なモンスターを対象にする高級品まで。
「…ただ全く同じじゃない、か?」
ケイオスはじっと光の鎖を観察する、よく見ればアルカディアの記憶のそのままではない知らない光の軌跡だ、しかし非常に似通っている。
「ますます、分からなくなってきたな」
ケイオスは小さく呟いたまだ判断するには材料が少ない。
だが少なくともこの世界が自分の知っているアルカディアと完全に無関係というわけではなさそうだった。
※
厄日だ、とガルドは内心で毒づいていた。
獣人の暴走からこの得体の知れない巨躯の乱入、着任以来これほど手順の狂う日はなかった。
だが貴重なマジックアイテムの効果が現れ、兵たちが包囲を固めつつありガルドの表情には再びいつもの高圧的な色が戻りつつあった。
「ふん、化け物が、所詮は王国の技術にはこの程度よ」
改めて、目の前の異形を睨む、継ぎ接ぎだらけの巨躯に頭部の存在しない異様な姿、これまで見聞きしてきたどのモンスターにも該当しない代物だった。
こんな化け物がただの草原に潜んでいるはずがないまさか南方の勢力か?それともまったく未知の何かか?考えを巡らせながらも、ガルドの頭の中では、すでに損得勘定が動き始めていた。
先ほど使わせた捕獲機は輸送隊の虎の子の一つ。
国で大きな出費として計上されるだろう、だがこの異形の怪物を捕らえ持ち帰ることができれば、その損失を補って余りある成果になる、前例のない強力なモンスターの捕獲。それは、ガルドの評価を大きく押し上げる材料になるはずだった。
「逃すなよ、多少無理をしてでも押し切れ」
動きの鈍った巨躯が、じりじりと追い詰められていく、優勢は間違いなくこちら側にあるとガルドも兵士たちも勝ちを確信し初めていた。
だが
「まあ十分わかった」
不意にそんな声が響いた、誰の声かどこから聞こえたのか確かめる暇もなかった。
「《咆哮《Roar》》」
直後、空気そのものを震わせるような咆哮が轟いた。
「■■■■■■!!!!」
それはもはや音ではなかった、衝撃そのものだ。
大気が震え地面が揺れる。
耳を塞ぐ暇すらなくガルドと戦っていた兵たちの身体が一斉に硬直した。
「」
「ッ」
「っ…?」
声すら漏らす事も出来ず糸の切れた人形のように次々と地面へ倒れていく、ほんの数秒前まで武器を構えキメラを取り囲んでいた兵士たちが全員その場に崩れ落ちていた。
※
あれは、いったいなんだ、少し離れた場所で今は人間たちの荷物を漁っている巨大な存在を獣人の一人が呆然と見つめていた。
つい先ほどまでの出来事、頭の無い異形の襲撃は初め異形が優勢だったが途中から人間側が優勢になっていた。
逃げ出すには絶好の機会しかしろくに力の出せない拘束がそれを遮る、この拘束さえ緩めばあそこに加勢して戦える事もできるはずなのに。
そんな歯がゆさを噛み締めながら、人間たちの動きを見ていた。
しかし不意にどこからともなく現れたもう一つの異形、何処からと思った次の瞬間に空気を震わせる凄まじい咆哮が轟いた。
何が起きたのか理解する暇すらなく人間たちが次々と倒れていく、まるで糸が切れたように地面へ崩れ落ちていった。
自分達のいる場所までは距離があった、しかしそれでもその余波が届き周りの同胞達もほとんどが意識を刈り取られ気を失っている。
見たこともない意匠の重厚で豪奢な装備、人間ではないが自分たちが知るどの種族とも似た者は居ない、だが、まとっている気配だけは本能が理解していた。
圧倒的な強者。
争うという考えすら浮かばないほどの隔絶した力。
「……何なんだアレは」
意識のある誰かの掠れた声が、誰にも届かないほど小さく漏れた。
その言葉に誰一人として答えを出せる者はいなかった。
※
「あーめんどくさい…」
書類らしきものを乱雑にめくりながらケイオスは声を漏らした。
先程の介入で向こうの戦力は解った、非常に弱い、レベルが一定以下の相手を気絶させるスキルの一つである咆哮で横入りしつつ黙らせる、ついでに戦利品として荷物からアイテムや情報を漁る、完璧な計画だった、しかし。
「文字が読めん」
手にした紙には見たこともない文字が並んでいる。
図らしきものも描かれてはいるが、記号なのか装飾なのか判別すらつかない。
他にも様々な道具があるが用途の見当がまるでつかない。
「俺は偵察職でもなんでもないし、いや、それ以前の話か」
討伐すればアイテムがドロップし勝手にインベントリに収まる、情報は勝手にまとまって解りやすくUIで見れる。
それが当たり前だった世界で生きてきたケイオス、こうして地面に転がった誰かの持ち物を一つ一つ物色するという行為がそもそも初めてであり勝手など何も解らなかった。
ケイオスは大きく息を吐き手にしていた書類を放り出した、放り出した書類にもう一瞥をくれると、興味を失ったように立ち上がった。
「まあいいや、こいつら起きるまで待つのもめんどくさいし、邪魔したな」
誰へともなくそう呟く、もとよりどちらの事情にも肩入れするつもりはなかった、ただ一方的に蹂躙されるだけの光景が気に食わなかったそれだけ。
それだけの理由で首を突っ込んだに過ぎないし目的はもう十分すぎるほど果たされていた、きびすを返し唐突に現れた巨躯は唐突に去っていった。
※
窪地に残された者たちは誰一人として動けずにいた。
人間の兵たちは地に転がり目を覚ます気配がない、獣人達も大半は同じ有様、何名か意識を残している者は居るがそれでも体は石のように固まったまま動かない。
目の前で示された隔絶した力の差、蛇に睨まれた蛙のように動くことそのものが叶わなかった…それでもいつかは人間たちは何処かで目を覚まし、その間に痺れが解けた獣人は運良く逃げおおせるだろう。
「…………」
そんな中でただ一人、そこに当てはまらない者がいた。
騒動の始まり、隙を見て兵に反抗した獣人の女性。
彼女がふらつきながらも体を起こし遠ざかっていく巨躯の後ろ姿を確認し、そして次の瞬間には、強く大地を蹴りその足でその後を追い始めていた。
※
夕暮れの色が濃くなり始めた草原にケイオスの巨躯の影が長く伸びていた。
蛙と猫を継ぎ合わせたような異形の顔立ち幾重にも重なる無骨な鎧。
その輪郭は薄暗くなっていく景色の中でもなお異様な存在感を放っていた、周囲に生い茂る草が風に揺れるたび、ケイオスの巨体だけが不自然なほど動かない黒い塊のように浮かび上がった。
「はあ、イカだいこんさんでも居ればな」
漏れた愚痴はかつてのフレンドの名前。
「いや別に誰でも良い…誰か一人でも居てくれたら…それにNPCはどうなってるんだ今?」
ケイオスは基本的にソロでプレイするタイプだがギルドにも所属している。
大勢で運営するようなギルドではない、だがそれぞれがトッププレイヤーであり完全な戦闘職で小回りの利かないケイオスに取って頼れる仲間だ。
そこにはケイオスが手塩にかけて制作したNPCだって居る…そんな仲間達は今この場に誰一人としていない。
「そもそもこの場所に居るのかもわからないけど」
自嘲気味に呟きながらもケイオスは歩みを止めなかった。
偵察職のフレンドがいればこの見知らぬ土地の地理ももう少し掴めていたかもしれない、そうでなくても自分より頭の良いフレンド達、彼らならさっき投げ出した書類の文字も多少は解読の糸口が見えたかもしれない。
「全部たられば、か」
結局手がかりは無いまま自暴自棄な気分なままあてどなく歩いていた…だが、背後から荒い息遣いと草を踏み分ける音が段々と聞こえてくるのにケイオスは気づいていた。
「…何か用事か?」
振り返りはしないが歩みだけは止めて声だけでケイオスはそう話しかける。
※
「…何か用事か?」
獣人の女は改めて目の前の化け物の存在感に震える、それでも拳を握り震える足を叱咤し声を絞り出す。
「頼みがある、力を貸して欲しい」
「また唐突だな」
「私には探さなきゃいけない相手がいる、離れ離れになった妹が、この国のどこかに居るはずなんだ…お前が何者かはわからないがあの力は本物だ、あの数の兵隊を一声で全滅させられる奴なんて見たことがない」
「そうか…まあそうかもな」
ケイオスの声は特別荒々しいわけではない。
だが先ほど窪地で目にした圧倒的な力の余韻が彼女に響いている。
震える、理屈ではなく本能が全身で警鐘を鳴らしていた、目の前にいるのは格上などという言葉では到底片付けられない規格外の存在。
それでも彼女は膝を折らない。
「この王国を一人で探すのは無理だ…だがお前の力があれば違うはずだ、力を貸してくれ!何でもする!妹を見つけるのを手伝ってほしい!」
必死な訴えだった、その姿にケイオスはしばらく黙り込んでいた。
「悪いんだが」
ようやく口を開いた声は、いくらか困ったような色を帯びていた。
「俺は今右も左もわからない身だ、いきなりそんな話をされてもな」
「…っ!」
正直な感想だった、今この草原がどこなのかすら掴めていない、そんな状態で他人の頼みごとを引き受ける暇があるかと。
「ただ、そうだな…」
軽くケイオスは頬をかく先ほどの襲撃を見た上で自分を追いかけてきた、どれだけ力の差があるか理解してもこうして来た覚悟には興味が湧いていた。
そして何より。
「…どうせ俺もあてなし、か」
このままあてどなく草原をさまよい続けるのもうんざりな所だった、なら自ら自分を目的に来た相手の話を聞くくらいはいいだろう。
呟くように言うとケイオスはようやく体の向きを変え巨躯がゆっくりと反転する、巨大な目が簡素な服を来て拘束されている獣人の女性を真っすぐ見据えた。
「俺の名前はケイオス、ケイオスだ、好きに呼んでくれ」
素っ気ない自己紹介だったが、レイラはそれで十分だというように小さく頷いた。
「私はレイラだ、私もそれだけでいい」
互いにそっけない自己紹介だがそれで十分だった。
「そうだな、じゃあとりあえず知る限りお前の事や居た国やこの場所について話してくれ」
「全部か?」
「さっき言ったろ右も左も分からないんでな」
「…そうか、長くなるぞ?」
「ああ構わん」
そうして草原に夕暮れが訪れる。
傾いた陽が地平線へ沈み赤く染まった草原に長い影を落としていく。
その中に並んで座る巨躯と一人の獣人の姿があった。
二つの影は夕陽に照らされながら静かに伸びていった。




