page8:地元の歌姫(後半)
そして、10時。ちょうどドアが開いた。
「あ、あの…海野海月、です」
不安そうに入ってきた海野さんは、店内に毛利さんたちがいることで少し安心した表情をする。
海野さんは白いキャップに黒縁のメガネ、黒のTシャツ、濃い色の太いデニムとラフな格好だった。普段はこんな感じなのか。
大きなリュックサックを背負っている。あの中に手紙があるのだろう。
毛利さんが私を見上げる。
「テーブル席、いいか」
「もちろん」
その視線を受けて、理市さんがテーブル席へ案内した。澪莉が追うように、水を三人分運ぶ。
「瑞葉ちゃん、キッチン借りていいですか?」
織星さんのこしょこしょ声が耳に響く。
「あ、いいですけど、たぶん」
「海野さん、少し緊張していそうなので、紅茶を淹れようかと」
「あー…」
CCの時にいつも提供されるやつだ。この店にもあるんだ。
手慣れた様子で戸棚の一つを開けると、密封容器を開ける。香りを仰いで、少し不満げな顔をした。
「少し、古いですね。碧め…」
「メニューにはありませんから…」
「まぁ、無い高級茶葉よりまだ香りのある古い茶葉です」
織星さんはティーポットとコージーを抱えて並べる。
「瑞葉ちゃんは、海野さんの話を聞いておいてください」
「わかりました」
ここで私にできることはないだろう。海野さんのテーブルへ向かう。
テーブルでは、毛利さんが海野さんに挨拶しているところだった。
「改めて、私は警視庁の毛利仁香。こちらは同じく理市詩愛。そして、彼女たちは捜査協力者です」
海野さんは見渡して頷くと、頭を下げた。
「海野海月、20歳、短期大学生です。バイトしながら、ライブハウスや昨日みたいなバーを回って、名前を売っています」
あ、同い年かな。こんなにしっかりと夢を追う同い年が目の前にいる。なんだこの差は。
それにしても、短期大学生か。
理市さんも引っかかったのか、毛利さんに目配せしてから尋ねた。
「短期大学生なんですね」
その一言で伝わったのか、海野さんは苦笑を浮かべる。
「はい、音大に通うお金はなくて…今も、秋までに結果が出せなければ、普通の就職を、と親に脅されて
いるところで」
「それは…お辛いですね」
「…どうぞ」
理市さんの相槌と同時に、織星さんが紅茶を配膳する。いつものパラダイスティーだ。
水のグラスも取り替えてくれた。紅茶はすぐにアイスにできない。外の気温とのバランスをとってくれている。
「いただきます」
海野さんは一口飲むと、ほぅっと息を吐く。
「いい香り…」
そう思う。織星さんは茶葉を見て不満気だったが、これはこれで充分に感じなくもない。
織星さんは礼儀正しい沈黙を守っていた。
海野さんは思い出したようにリュックを膝に乗せた。
「あ、それで、手紙を持ってきました。家に残っている分、全部です」
「ありがとう…澪莉君、テーブルをもう一つ繋げても良いか?」
「はい。こちらで」
澪莉がもう一つのテーブル席の一辺につく。私も小走りで反対側についた。
「よいしょー」
軽く持ち上げ、テーブルを繋げた。
海野さんは立ち上がり、そこに手紙を並べていく。
「手紙は春くらいからですね。ライバーの時からチャットではこういうのをよくいただいてましたけど…」
「ら、ライバー?」
顔を顰めた毛利さんに対して、理市さんが被せた。
「あ、海野さん、ライバーだったんですか?」
「はい、高校の頃は…。流石に顔出しが怖くて」
「理市」
毛利さんが少し口を尖らせる。置いていくなということだろう。
「簡単にいうと動画サイトに歌を投稿していたということです。で、自分の姿を晒すのは色々リスキーなので、イラストを外見に使っていたと」
「なるほど、わかった。続けてくれ」
よかった、わかって。
海野さんも控えめに頷き、口を開く。
「…はい。それで、私が一度喉を潰したことがあって。その後くらいからお金が添えられた手紙が届くよ
うになって。お礼を伝えたいなって」
私が時系列順に並んだ手紙を端から手に取ろうとすると、毛利さんが止めた。
「あぁ、念の為指紋はつけないでくれ」
「あ、了解です」
慌ててハンカチを取り出し、それ越しに摘む。澪莉は一枚ずつ開き。写真に収めていた。
A4サイズの用紙に、文書アプリケーションで打ち込んだのだろう文章が印刷されている。
初めは本当に短文。自分も歌手を夢見ていた時期がある。だが色々あって諦めた。頑張る姿に力をもらっ
ている。
次第に、海野さんを褒める文が増えていった。喉が治ったようで安心したこと、本当に良い声なので、自信を持って欲しいこと。以前からずっと海野さんの歌に救われていたこと。無理をする必要はないことなど。
「素直に考えれば、喉を心配してゆっくり療養してほしいからお金を…?」
私が呟くと、澪莉も頷く。
「SNSチャットではお金を送れませんからね」
理市さんも指をこめかみに当てながら考える。
「まぁ、欲しいものリスト、とかで現物を送ることは可能ですけどね」
「あ、私はそういうのやってなくて」
「そうですか…」
理市さん含め、手紙の理由についても考えてはいるが、この送り主が内田なのかどうかの方を悩んでいるのだろう。
筆跡鑑定はできないし、指紋くらいか?
念のためと封筒を見てみるが、当然送り主は書かれていない。
毛利さんは私と同様に確認した後、海野さんに聞いた。
「念のため聞くが、ファンの中に君の住所を知っているものは?」
海野さんはブンブンと首を振る。
「まさか!少なくとも私からは言っていません。SNS投稿もライブの情報とか動画更新のお知らせくらいしかしてませんし」
「個人情報につながるものはない、か」
ちなみに今朝は、手紙は届いていなかったらしい。
全員が黙ると、海野さんはおずおずと口を開く。
「やっぱり…難しい、ですかね」
私が毛利さんへ視線を送ると、毛利さんは首を振る。
「無理ではない。今すぐに、というのは難しいが。手紙が届く、送り元の記載がないということは、直接届けに来るということだ。張り込めば見つけることは可能だろう。一応指紋も調べるか…海野さん、数日、手紙を預かっても?あと、昨日の写真を送って欲しい。エアドロで」
「あ、はい。お願いします…」
諸々終えたところで、毛利さんは各所へ連絡するとのことで席を離れた。
そこで、織星さんが海野さんへ近寄る。
「よければ、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、いただきます…」
海野さんが紅茶を飲み始めたところで、私と目が合った。
「あの、確か、昨日聴いてくれた方ですよね」
「あ、はい。バーで…」
私が頷くと、海野さんは苦笑を浮かべた。
「お聞き苦しいものを…ごめんなさい」
「え…そんなことは。とても素敵だったと思います」
素直に言ったつもりだったが、海野さんにはそう受け取られなかったようだ。
「もっと…もっと響くはずなんです。でも、上手くいかなくて」
言いながら、海野さんは落ち着かせるようにカップを口へ運ぶ。
きっと、ここで私が何かしらの感想を言うことは、求めていないだろう。
私は毛利さんが座っていた席に腰掛け、聞いた。
「海野さんは、どうして歌い始めたんですか?」
「え…?」
「あ、いや…海野さんと私同い年なので…ちゃんとやりたいことが決まっている海野さんのこと、気になっちゃって…私、澄空瑞葉って言います」
「あ、同い年なんですね…」
海野さんは黙って首を傾げる。
「…きっかけはなんでもないんです。小さい頃、歌ったら両親が喜んでくれて。今思えばなんでもない反応で、親として当たり前の反応だった、というのはわかるんですが…自分の力で感情を生み出せるんだーみたいのがこう、いいなーって」
「おぉ…」
「え、なんですかその反応」
私の表情に、海野さんは可愛らしく私を睨みつける。誇張すれば頬を膨らませてそうな。
「いや、すぐにそういう原点がちゃんと出てくるのすごいと思って」
「でも、こんなストーリーはありふれているんです。私よりももっと若い子でもっと人気ある子もいるし、アリーナを埋める子だっている。今はお手軽に配信できますから」
「競争、激しいんだ」
私の相槌に、海野さんは机にもたれるようにして表情を隠した。
「…はい。手紙の方みたいに、私の歌を好きといってくれる人はいます。でも、私の歌じゃないといけないって人は、いない」
「そう…なのかな?」
「そう思ってる」
私には、わからない。
「そこまで表現してくれる人はいないけど、少なくともライブにお金を払って、その時間に海野さんの歌を聴きに来る人はいるわけでしょ。それって、海野さんの歌に価値を感じてるんじゃないのかなって…海野さんが言ってたのと、違う?」
海野さんはしばらく黙っていた。
「…澄空さんはそういうのないんですか」
「え、私?」
「私だけ話すのはずるくないですか、夢とか目標とか胸がゾワゾワする話」
それはそうだ。返答はなかったけど…。
「それはそうだ…でも、あんまり。強いて言えば、誰かに迷惑かけない限り、その人がその人らしくいられるのがいいんじゃないって…感じかな。手段は検討中」
「…手段、ですか」
「私の場合、一つじゃないからさ。最初に手頃だったのは教師。でも、極端に言えば政治家。狭い範囲で言えば保護者でもいいのかもしれない。私は、自分がどうしたいのか、まだわかってない」
内田さんは、控えめに口を開く。
「…その割には、落ち着いていますね」
「…そう、見える?」
聞いてみた。そうしたら、海野さんは弾かれたように仰け反った。
「そ、そういうわけじゃ」
「…そう見えたのなら、海野さんはやっぱり焦っているんだね。私みたいにのほほんとしているのが気に食わないくらいには」
「だからそんなんじゃ」
そういうのが…
「…すごいと思う。何か一つに吸い込まれるように熱中するの。そういうのが、周りの人を魅了するんだろうな」
感想みたいに呟いてしまった。私にはそれがない。いや、ないわけじゃないけど…それが目指していいものなのかどうかは、はっきりしなかった。
「……。」
海野さんは表情をころころ変えて、最後は可愛らしく睨むような表情に戻った。
「澄空さん、そういうのサラって言うの、今時珍しいね」
なんかすごく言葉を選びながら言われた。
「そ、そう…?」
「うん」
海野さんはカップの中の紅茶を飲み切ると、言った。
「澄空さんは、人とかかわるの…上手かはわからないけど、向いてそう」
「あんまり、自分で思ったことはないなぁ」
ぼんやりと天井を見上げる。シーリングファンが穏やかに、同じスピードで回っていた。
海野さんは、少し声を低くして呟いた。
「私みたいに、一つしか見えてないのと、あなたみたいにできることを色々活かせそうだけどはっきりしないのと…どっちが幸せなんだろうね」
どうだろう。
どっちにしても苦しいのではないか。そうとしか思えなかった。
「待たせた」
やがて、毛利さんが戻ってきた。
「もろもろ手配はできた。手紙を預かろう」
「はい。お願いいたします」
毛利さんは手紙を受け取りつつ尋ねた。
「ところで、直近の予定を知りたい。ライブはあるのか?」
聞かれた海野さんは、スマホの画面を見せつつ答えた。
「はい、実は今晩もあります。藤沢駅近くのライブハウスで」
毛利さんはしばし考え、こちらを一瞥する。
「我々も聴きにいっていいだろうか。手紙の主にも近づけるだろうし、純粋に君の歌も聴きたいしな」
毛利さんに続いて私たちも頷くと、海野さんは「どうぞどうぞ」と手を合わせる。
「人が溢れるなんてことにはなりませんし、大丈夫ですよ。私も昨日より上手に歌えるよう頑張ります」
そうして話が終わると、海野さんは一礼してマグノリアを出た。
毛利さんと理市さんも、手紙を分析に出すためマグノリアを出るようだ。
「確かライブは20時からだったな。駅に19:00集合としよう」
「わかりました」
「…あぁ、それと一つ」
一度部屋を出ようとした毛利さんが一度足を止めて振り返る。定番になりそうだ。
「澄空君、あまり事件関係者に肩入れしない方が良い。あくまで他人でいることを勧める」
それだけ言うと、二人は店を出た。
「…なんですか、あれ」
「毛利さんの親心みたいなものです、よっ」
「うひゃぁ」
私が呟くと、織星さんは私の後ろから腕を回して抱きついた。めっちゃ良い匂いがする。
「な、なんですかっ!?」
織星さんは私の耳元に口を寄せる。
「何でもなさそうな人が、何でもないとは限りませんから。私たちに見せる顔が、その人の全てではありません」
「…それは」
「瑞葉さんがどういう距離感で海野さんの話を聞いたかはわかりませんが…あまり、期待しすぎる…良い言い方をすれば、求めすぎると…後が、苦しくなりますよ」
…それは、織星さんの体験談なんですか。
そうは聞けなかった。
聞かなくてもわかった。毛利さんも織星さんも、たくさん味わってきたのだろう。
私が視線を澪莉に移すと、澪莉も視線を逸らした。
狼男事件を思い出す。狼男の状態…佐藤さんに、どうしてアウターを使ったのか、私は聞こうとした。澪莉はそれを止めた。「無駄だ」とはっきり言った。
きっと、そういうことなのだろう。
理解はできそう。
したくはなかった。
私が口を真一文字に結んでいると、織星さんが軽く私を向き直させて、口を開く。
「瑞葉ちゃん、今のうちに、伝えたいことがあります」
その様子は、CCの時の、優しいながらも有無を言わせない織星さんだった。
「…訓練を、しましょう」
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
・pixivで全編投稿済みです。先が気になる方はこちら(url: https://www.pixiv.net/novel/series/15989613)へ!
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