page7:地元の歌姫(前編)
【地元の歌姫】
翌朝、いつも通り目覚めて、身支度を終えて一階に降りる。
今日は海野さんが来る日だ。警察関係者として恥ずかしくないように、気を遣った服装にした。パンツが太めのアイボリーのセットアップに、白のブラウス。こちらは細いリボンが可愛い。
狼男事件後、マグノリアに住所を移した私は、寮や親戚の家から洋服を移動させた。今は色々選べる…新しいものは、あまり買っていないけれど。
私の足音に気づいたのか、澪莉が不安そうな顔で駆け寄ってきた。
「瑞葉さん、楠木さんを見ていませんか!?」
「いや、今起きてきたから…」
7時ごろ。今日は講義がないのでゆっくり目だ。事件中は大抵カフェも閉めるし、準備が少ない。
そして、今日の10時には海野さんと毛利さんたちが来る。それまでに少し綺麗にしておけば良いと思っていた。
「車は?」
「車庫は空です」
「チャットは?」
そこで、澪莉は「あ」と気づいたように階段を駆け上がって、やがて降りてきた。
「あ、朝方…今日はマグノリアを開けないから事件に集中してください、とだけ」
「…焦ってるね」
澪莉は視線を逸らす。
「朝方、電話がかかってきて楠木さんかと思ったら機械音声のセールスで…イライラして投げたままでした」
「そういうのはスマホを鍋にぶち込んで外から叩くとうるさい録音になっていいらしいよ」
「…本当ですか?」
「…さぁ?やったことはない」
私が言うと、澪莉は溜め息を吐いた。寝癖が揺れる。
少なくとも、楠木さんが無事なのはわかった。
昨晩、ひったくり犯を捕まえた後、送ってもらったところで私たちは解散した。
楠木さんの車の位置情報は織星さんの家から動かず、怪しい動きはないだろうとのことだった。
…結局、二人は結局そういう関係だったのだろうか。そうは見えなかったが。なんかこう…もっと馬鹿らしいほどに複雑な気がする。主に楠木さんのせいで。
澪莉は楠木さんが心配なようだ。
私は知らない。本気で殺しにくるキャリアの怖さを。狼男は、もっと本能的だった。意図的に、計画的に殺しにくるキャリアの恐ろしさ。澪莉が心配しているのは、それを知っているからなのだろうか。
それとも、単に楠木さんの様子がいつもと違うのを不安に感じているのだろうか。
その時、庭の方から聞き慣れたエンジン音が聞こえた。
私と澪莉は顔を見合わせて玄関から出る。
夏の暑い日差しに顔を顰めながら車庫の方を見ると、女性が出てきた。
淡い色味の細身のデニムに、白のボートネックカットソーの上から、立体的にインされた白の麻シャツを羽織っている。インナーは黒のキャミソールだろうか。足元は、足首巻きのアイボリーのサンダルを履いていた。そして、煌めく金髪にブルーレンズのサングラス。
「おはようございます。澪莉ちゃん、瑞葉ちゃん」
この声は…
私よりも先に澪莉が声を出した。
「織星さん!?でも、今の車は…」
「あれは碧がなんか預かってくれって。ついでに車内にあったサングラスも借りました。これ、なかなかいいですね」
「「……。」」
毛利さん、バレてます。
「それで、どうしてマグノリアに?…あ、どうぞ中へ」
私が室内へ促すと、織星さんは軽く会釈して室内に入った。
「お邪魔します。今日は非番ですし、碧から事件の手伝いをって、頼まれているんです。しかも内田が関係しているそうじゃないですか」
内田。この人も当然この名前を出す。
織星さんは脱いだサンダルを揃え直すと、手慣れた様子でスリッパを出して履き、スタスタと中へ入っていく。
毛利さんは織星さんを巻き込みたくないと言った。
碧さんもおそらくそうだ。ならば、なぜ彼女がここに来たのか。
碧さんの立場になってみれば、純粋に人が多いから安全…といったところか?そして、車の位置で本人の居場所を誤魔化せる。
しかし、そうであれば事件解決の手伝いとはならないだろう。
まさか…
「…織星さんは、事件解決の手伝いじゃなくて、碧さんの手伝いをしようとしているんですか」
私が言うと、織星さんはぴたりと足を止める。
振り返り、サングラスを外す所作も綺麗だと思った。
「瑞葉ちゃんは、本当に侮れませんね」
鳥肌が立つような響きの声。目の細め方、表情。
それでも足を踏ん張る。この人の攻め方は、この所作にシンドロームでプレッシャーを乗せるものなのだろう。
初対面の時、CCの説明の際も感じた。
「…毛利さんも、きっと碧さんも、それは望んでいません」
私が言い直すと、澪莉も続く。
「…人手は足りています。それに、織星さんは役割が」
「何か、勘違いをされていますね」
凛と艶のある可愛らしいはずの声が響く。口の動きは小さい。それでも頭に響くような音だった。
「私は四年前に拉致されたことは事実ですが、同時に捜査員でもありました。毛利さんと碧と、同じ土俵にいるんですよ」
そのセリフは頭に反響し、私をクラクラさせる。
…その気持ちを、私は知っている。
その記憶に触れたくない被害者ではない。
その事件を悔やみ、だからこそ解決したい未達成者。それが織星さんなのかもしれない。
…そうか。
織星さんの姿が、初めてここにきた私と重なった。
カフェ・くつろぎのおじ様やおば様と一緒に、ただ事件に巻き込まれた自分が嫌だった。
なぜ被害無しに救ってくれなかったのかと責任を押し付けた自分が嫌だった。
織星さんも、もしかしたら。
織星さんは、押し黙ってしまった私と澪莉を見て、少しハッとした表情をする。
「…現場が怖くないとは言いません。でも、私にもできることはありますし…お手伝いさせてください」
織星さんが普段の雰囲気に戻ったタイミングで、私と澪莉のスマホが同時に鳴った。
確認すると、毛利さんだった。到着見込みの時間を教えてくれている。当然ながら、海野さんよりも早く到着するようだ。
そして…
澪莉が口を開く。
「あの、織星さん」
「はい?」
「毛利さんが、車の位置情報を見て、楠木さんが帰ってきたのか、と聞いていますが」
織星さんは小さく溜め息を吐いた。その様子はどこか楠木さんと重なる。
「…そのまま伝えてください。あと、瑞葉ちゃんはともかく、澪莉ちゃんは朝の支度をした方がいいのではないですか?」
「あっ…」
澪莉の寝癖が揺れて返事をした。
「お二人、朝ごはんは?」
「ま、まだです」
織星さんは一度腰に手を当てると、Yシャツの腕をまくる。
「朝ごはんは私が。瑞葉ちゃんは澪莉ちゃんの寝癖直し、手伝ってあげてください」
「え、でも…」
「大抵のものの場所は把握してます。大丈夫ですから」
言うが早いか、織星さんはキッチンへ向かってしまった。
私は澪莉と顔を見合わせてから二階へ向かう。
澪莉は朝に弱い。
若干定着してきてしまった、澪莉が寝癖との絶賛格闘中に澪莉のクローゼットを漁る行為。
澪莉が許してくれてるからいいのだが、少し気が引ける。
今日は海野さんの相談に同席するし、少しシャンとしたビジネスウェア風を…
「うん、ない」
ない。多分こういう時は制服一択だったのだろう。もう少しこう…幅が出ないものか。もし制服を着て登場したら、流石に海野さんも不安になるだろうな。
澪莉のクローゼットには絵本の中のような服が多い。
苦肉の策で、白のブラウスとハイウェスト気味のロングスカートのクラシカルな感じで誤魔化す。それしかない。
脱衣所に服を持って行き、着替えてもらう。
髪を乾かしつつ、梳かす。今日はハーフアップに挑戦だ。澪莉の髪で遊ぶうち、ヘアメイクが少し上手くなった。自分の髪ではやらないが。
二人で一階に降りると、良い匂いがしていた。
テーブルにはサンドイッチと紅茶が並んでいる。
「あ、準備は終わりましたか?」
一足早く紅茶を楽しんでいた織星さんが顔を上げる。
「すみません、お任せしてしまって」
私が言いながら席に着くと、織星さんは首を振る。
「いいんです。いい紅茶もいただいていますから」
この香りはダージリンだろうか。自分でやってもこんな香りがたたないから、紅茶は不思議だ。コーヒーとは違う不思議さがある。
「「いただきます」」
澪莉と一緒に食べ始める。澪莉は一口食べて目を見開く。
「これ、マグノリアのサンドイッチですね」
メインの具材を二種類選んで作るサンドイッチ。これでもかとバターを塗り込んだ薄いトーストを3枚重ねるクラブハウス風だ。
織星さんはしたり顔で微笑んだ。
「これの考案は私ですからね」
「そ、そうだったのですか」
澪莉はもそもそと食べ進めた。思いの外、織星さんはマグノリアの内側にいるのかもしれない。澪莉も驚くことが多い様子だった。
食べ終わる頃、マグノリア側のチャイムが鳴った。毛利さんたちだろう。
澪莉と織星さんが立ち上がって迎えに行く。
私は食器を流しへ運び、食洗機に入れた。
調理に使ったはずのキッチンはどこも綺麗だった。織星さん、手際いいんだなぁ。
カフェエリアに向かうと、早速毛利さんの声が聞こえた。
「織星君…君を甘く見ていたようだ」
「あら、毛利さん。今が買い被りすぎなのかもしれませんよ?」
「楠木君は今どこに?」
「さぁ。碧は秘密主義ですから」
「そうか」
「ええ」
時音さんもいないのに冷え切った店内の雰囲気。二人が楠木さんの話をしていればエアコンはいらないかもしれない。
理市さんはそんな二人をすり抜け、カウンターに座った。そして私を見る。
「アイスコーヒー、私と毛利さんの分をお願いします」
この人は図太いな。こうじゃないと警察はやってられないのか。
「…ケーキは、どうしますか」
「あ、そうでしたね…メニュー、もらえます?」
「あ、はい」
私が視線を送ると、澪莉がメニューを運んでくれた。その間に私はコーヒーを準備する。
残念ながら今日は作り置きがない。コーヒーを淹れて、氷で急冷するしかないだろう。
大きなポットをIHに起き、湯を沸かす。
その間に、豆を選ぶ。確か、以前楠木さんが使っていたのは…
「エチオピアメインのやつです。おそらく、右から三つ目」
思い出そうとしていると、織星さんが声をかけてくれた。
「あ…ありがとうございます」
織星さんは確かに、時々マグノリアに来る。だが、いつも頼むのは紅茶だ。それにしてはよく場所を把握している。
言われた容器を見ると、ミディアムローストくらいの豆が入っていた。ところどころもう少しだけ深煎りの豆も混ざっている。アイス用のブレンドだろう。
容器に、グラインダーの目盛りも書いてあった。少し粗め。
後は、以前楠木さんから教わった通りに淹れる。コーヒーは豆を蒸らす時の香りが愉しい。もっと浅煎りだと、こうは膨らまない。
コーヒーを落としきったら、ピックで砕いた氷をこれでもかと淹れ、これでもかと混ぜる。
以前見た、琥珀色のアイスコーヒーができた。この華やかな香りは、作り置きの深煎りアイスコーヒーにはない。
グラスに少し移して味見をする。酸味も丁度いい。悪くない…はず。
結露で滑らないようにコルクのコースターを置いた後、提供する。
「アイスコーヒー、ブラックの軽めです」
「チーズケーキです」
出来上がりと同時に澪莉がケーキを提供してくれた。チーズケーキならこのコーヒーと合いそうだ。
理市さんは目を輝かせてまた写真を撮っていた。そんな派手なものじゃないが。
ただ、砕いた氷は少しオシャレかもしれない。あれやるの怖いんだけどね。
「アイスコーヒー、何種類かあるんですね。この色綺麗です」
「ありがとうございます。楠木さんほど美味しくできてないかもですけど」
聞き終わる前から理市さんは飲み始めていた。
「…楠木さんのこのアイスコーヒーは飲んだことありませんが、このアイスコーヒーは美味しいですよ?おしゃれな味です」
その後、チーズケーキを一口食べて、「ケーキとも合います」ともそもそ言っていた。可愛い人だ。
その頃、毛利さんも席に着いてアイスコーヒーを飲んだ。
「…楠木君のレシピより濃いな。注ぎ方が違うんだろう」
「え、本当ですか」
分量は合っているはずだが、やっぱり注ぎ方で味が変わってしまう。カフェドリンクはそれが面白いが、それがリスクでもある。
私が慌てていると、毛利さんは笑った。
「いや、違うだけだ。これはこれで美味しいよ。みんな同じじゃつまらんだろう」
「ど、どうも…?」
毛利さんの隣に織星さんも座る。
「あら、毛利さんは瑞葉ちゃんに優しいんですね」
「素直な若者が好きなだけだ」
あぁ、それで理市さんと組んでいるのかな。
澪莉は裏で紅茶を淹れて、織星さんに提供してくれた。
しばし各々ティータイムをとって、10分後。毛利さんが口火を切った。
「で、織星君は楠木君への情報提供か?」
視線の先、織星さんは首を振った。
「…考えてから決めます。碧の動きの全てを良しとしているわけではありません」
「…そう、か」
毛利さんは一度押し黙る。これは、許したということなのだろうか。
「…織星君、楠木君に何か伝えるときは、追加で一つだけ伝言を頼む」
「…なんでしょう」
毛利さんは一度手元を見てから、目を閉じた。
「…私に、同じ過ちを繰り返させないでくれ、とな」
「…わかりました。彼も大人です。そのラインは超えないでしょう」
「だといいがな」
一息ついたところで、「そういえば」と織星さんが口を開く。
「今日、皆さんはどうして集まっているのですか?」
「し、知っているんじゃないのか」
「何も」
肩を落とした毛利さんは、理市さんの肩を叩いた。
理市さんはチーズケーキを飲み込んでから、海野さんとの遭遇と、彼のファンの中に内田がいたことを話した。
「だから、彼女を追っていくと内田に辿りつくだろうと、そう睨んでいるわけです。内田は数日家に帰っていないようですし…」
「その線、結構細そうですけど…」
「まぁ、無闇にタクシーを追うよりかはマシだろう。この辺りの半グレを全部私たちが追うのも無理があるしな…しかしこのチーズケーキ、いける」
「楠木さんに言っておきます」
そして、10時。ちょうどドアが開いた。
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
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