page5:遭遇
………。
……。
…。
「先輩、楠木さんの車が移動を始めています。織星さんの自宅方向です」
「今日は大人しくしてくれるといいんだがな…ま、これが四年前の事件だ。C対の未熟さと、理性のないキャリアの強力さ…それらが招いた事件だ。楠木君はこの事件の続きが起きているとなっちゃ収まりがつかないし、織星君は楠木君を結果として追い詰めた負い目がある」
「要は…」
毛利さんの言葉を断ち切るように、理市さんは空になったグラスを置いた。
「レゾナンスが、内田を含め四年前の事件の関係者に接触する前に、終わらせなきゃいけないってことですよね。楠木さんの予想が本当なら、毛利さんは、楠木さんたちを事件に関わらせたくないんです。彼らがあの事件を思い出さなくてもいいように…起きてしまったものは、こうして共有しなきゃいけなくなっちゃったんですけど」
…あぁ、そういうこと。
だから毛利さんはお酒を飲んでいたし、顔を赤くしていたのか。
あ、机の下で理市さん蹴られてる。
澪莉も、ようやく肩から緊張が抜けたようだった。
毛利さんはもう一度口を開く。
「私のケジメでもある。私はキャリアではない。しかし、恐ろしいのはキャリアではなく、シンドロームでもなく、それを無差別に使う人間だ。私たちが相手にしているのはあくまで人間。それを忘れてはいけない」
毛利さんが小さい水のグラスを空にしてテーブルに置くと、店長が来た。
無言で毛利さんの前に小さなグラスを置く。輪切りのレモン入りのお水だ。
「…なんだこれは」
「サービスです」
店長はそれだけ言うと、一礼してカウンターまで帰って行った。
毛利さんは諦めたように溜め息を吐いてそのグラスを手に取った。
「今日はもう飲ませる気がないらしい」
「なら、しょうがないですね」
笑った理市さんを毛利さんがもう一度机の下で蹴ったタイミングで、店の中心で小さな拍手が起きる。
視線を送ると、着飾ってはいるが少し地味、といった印象の女性がピアノを弾き始めた。
店のBGMが消え、生演奏のピアノの音が響きわたる。私は毛利さんに視線を送る。
「歌手、ですか?」
毛利さんはレモン水をクピリと含んで頷いた。
「アマチュアだろうがな。店長の趣味だ。応援したいんだと。日替わりで色々来てるみたいだ」
女性はやがて歌い始める。しっとりと響くような声。派手さはないが、このお店の雰囲気によくあった歌声だった。
言葉を選ばずに言うなら、BGMとして100点の歌。
私は好きだ。耳に馴染む。でも、私が好きな歌は大抵同世代にウケない。多くの若者にとってインパクトがないからだろう。逆に言えば、ここで演ると決めた彼女は良い舞台を選べたのかもしれない。
私が目を閉じて聴いていると、澪莉が囁く。
「良い、歌ですね」
「そうだね」
澪莉はこういうのが好きなの?
普段はどんな歌を聴くの?
好きな歌手は?
いろんな質問が思い浮かんでは消えていく。
今じゃなくてもいいかな。
今はただ、この心地よい歌を共有できているのだから。
………。
……。
…。
店を出る頃には毛利さんの顔の赤みも随分引いていた。店を出て、脇に寄った。
理市さんが口を開く。
「では、明日マグノリアで。内田がCAMに報告していた仕事エリアのタクシー乗り場を見て回ることになります」
「わかりました」
そう、私が返事をしたタイミング。
「や、やめっ…!ひったくりです!!」
近くの通りから声が聞こえた。
全員が反応した。
「いくぞ、理市。二人はここに」
毛利さんの声に理市さんは頷き、二人は走り出した。
私が澪莉を見ると、澪莉も頷く。
「…行きましょう」
「うん。行こう、お転婆娘」
「あなたに似ました」
「ははっ」
澪莉は絶対に運動に向かない靴だというのに悠々と走る。私はそんなに高くないヒールのパンプスだというのにヨタヨタとした走りになってしまう。
こういう練習もしなきゃなのかなぁ。
一本裏路地に入ると、見るからのひったくり犯がこちらへ走ってくるところだった。
私たちの前に立つ毛利さんと理市さんが警告する。
「警察だ!止まれ!!」
「止まりなさい!」
やんぬるかな。それで諦めるやつはひったくりをしない。
どこからそんな自信が出てくるのか、そのひったくり犯は徒歩だった。バイクも車も自転車だってない。
カバンを抱えて反対方向へ向き直り、走り始める。その先には被害者であろう女性がいた。
「まずいっ」
私が叫ぶと、毛利さんは手で制した。
「手を出すな!あと、澄空君は耳を塞ぎたまえ。理市」
「え…」
「撃ちます」
固まってしまった私の耳を、澪莉が手で塞ぐ。
理市さんはパンツの裾を持ち上げ、ブーツの脇から何かを取り出す。
手のひらサイズのソレを構えると、迷わずに引き金を引いた。
一発。
パァンという小気味のいい音が鳴った途端、ひったくりは肩を弾かれたようにしてバランスを崩し、転んだ。
…え、撃っちゃったの?
「うっ…ちゃっ…た?」
しかし、ひったくりは割と元気にのたうち回っていた。
「いでぇ…ガァ…」
痛いと言えているうちは大丈夫。私は二ヶ月前に経験していた。
理市さんの手にはイメージするより一回り小さいサイズの拳銃が握られている。
それを確かめる前に、毛利さんは澪莉へ話しかけた。
「理市、犯人を…二人は被害者を頼めるか?」
澪莉は頷く。
「分かりました。行きましょう、瑞葉さん」
「う、うん」
被害者へ向かおうとすると、被害者の方から駆け寄ってきた。
しかし、私たちではなく、ひったくられた荷物を確認している。
まだ犯人が動くかもしれないのに、度胸あるなぁ。
毛利さんたちが犯人を引き摺るようにして被害者と距離を取らせた。
しかし、血の跡はない。
ハテナを浮かべながら、散らばったカバンの中身へ目を向ける。
「手伝いますよ」
私が声をかけると、女性はブンブン首を振った。
「あ、そんな!自分で拾います!」
女性はかき集めるようにして小物を鞄に入れる。
そこまで言われてしまうと、手伝うのも悪い気がしてきた。
女性は最後にノートを拾い上げると、立ち上がる。
私もそれに合わせて立ち上がった。
月明かりに照らされたその女性の外見と声に、覚えがある。
「…もしかして、さっきバーで歌ってた」
「あ、そうです。聴いてくださっていたんですね」
そう言って女性は笑った。身長は楠木さんくらい。すらっとして美人だが、どこか消えてしまうのではという儚い印象を持たせる。
長い黒髪が印象的だった。
その女性はノートを軽くはたく。ノートは随分くたびれていた。
「これ、書きかけの歌詞とかメロディとか書いてあるやつで…盗まれたら困ってました。ありがとうございます」
「あ、いえ私は本当に何も」
視線を毛利さんたちに移すと、理市さんが犯人へ手錠をかけ、電話している。
毛利さんはこちらに来た。
「どうも。警視庁の毛利です。お怪我は」
女性は首を振って答えた。
「いいえ、なんとも」
「それはよかった…寶川君、あれはどうだ?」
「特に」
「それもよかった」
毛利さんと澪莉の短い会話。おそらく、キャリアかどうかの確認だろう。私も感じなかったように、澪莉も感じなかったようだ。
毛利さんは私を少し引いて、耳打ちした。
「理市のあれはゴム弾だ。死ぬほど痛いが、理市は死なないところに当てることができる」
「あ、あぁ…それで」
「あいつはしばらく仰向けで寝ることもできまい」
恐ろしい。日本の警察は発砲を最後の手段とするイメージだが、あれならセーフなのだろうか。まぁ今回はこの女性が人質にでもされると面倒だったからしょうがない気もする。
本来は、キャリア対策の武装の一つなのだろう。
理市さんが軽く叫ぶ。
「先輩、所轄と連絡を取りました。すぐに受け取りに来るそうです」
「わかった、ご苦労。…すまない、君たちも少し待っててもらえるか」
「はい、大丈夫です」
「あ、あのー」
私たちが返事をしていると女性がおずおずと話しかけてきた。
「皆さんは、警察の方、なんですよね」
私は何と答えようか迷った。C対的には一応"そう"なのだろうが、キャリア関係にかぎられているのでは。
固まっている間に、毛利さんが頷く。
「そうです。何かありましたか」
女性はカバンから封筒を取り出しながら続ける。
「実は、人を探してほしくて」
毛利さんはちらりと私と目を合わせる。
「我々の担当になるかはわかりませんが、お話は伺います。ちなみに、お近くの交番や警察署に依頼したことは?」
「一度だけ交番に。ただ、その時は「わかりませんな」と」
おぉ。私の前までの警察のイメージそのままの対応だ。皆忙しいのだろう。
毛利さんは溜め息を吐くと、その封筒を受け取る。
「…今から伺うことは、私から伝えておきましょう。この封筒は?」
「少し前から定期的に私の家に届いていた手紙の一部です。お金と一緒に、お手紙が」
それは怖い。私は相槌を打った。
「…ストーカーですか?」
そこで、私は念のため、この女性が先ほどバーで歌っていた歌手であることを毛利さんへ共有した。
「どうなんでしょう。客観的に見ればそうなのでしょうが」
「手紙を見ると、随分と丁寧なファンレターでしかないな。歌で元気をもらっていること、応援していること…そんな感じか。ちなみに、金額はいくらほど?」
「月10万円ほどです。先月から」
随分と熱心なスーパーチャットだ。ダイレクトは怖いが。
「ほぅ…残っていれば、そのお札が事件等で盗まれたものか照合ができます。あんまり、その線は無いように思いますが」
「念のため…お金もその封筒に一緒に残してありますので」
そこまで聞いて、毛利さんは女性の住所、名前、電話番号をメモさせて受け取った。
「海野…海月さん?芸名ですか」
海野さんは苦笑して首を振る。
「いえ、本名です。あまりに語呂がいいのでそのまま芸名にも使っていますが」
…そうだ、歌手なんだから。
私は軽く手を挙げて発言した。
「ファンの方と写真撮っていたりしますか?その中に手紙の主になりそうな方は」
女性は一瞬毛利さんを見たが、毛利さんは小さくうなずく。
「見せていただけますか」
女性はスマホを取り出し操作する。少し古い型の機種だった。
「以前のコンサート終わりに撮ったものです。チャットアプリで報告用に…」
「失礼」
毛利さんがスマホを受け取り、ピンチアウトの操作をする。私と澪莉も後ろから覗いた。
小さなライブハウスのような会場だ。ステージぎりぎりに立って目立つ人もいれば、奥の方で静かに立っている人もいる。
「「え」」
私と澪莉、毛利さんは同時に声をあげた。
「な、なんですか」
女性が反応する。
毛利さんはスマホを女性に見せた。
「この男に見覚えは?」
「あ…よく来てくださる方です。今日はいませんでしたけど。ただ、特段ステージに近づくこともなく、お見送りさせていただくときも一言お礼を言っていくくらいで…この人、危ない方なんですか…?」
画面に映っていたのはどう見ても内田詩行だ。
毛利さんは少し考えて首を振る。
「いえ、そんなことは。知り合いですよ。それで、この件なんですが、少し詳しくお話を伺いたい。明日改めて、時間をとっていただくことは可能ですか?これまで届いた手紙もすべて見せていただきたいのですが」
毛利さんの発言に、女性は手を合わせて喜んだ。
「ありがとうございます!手紙の主にぜひお礼を伝えたくて…明日の何時ごろでしょうか?」
「署内じゃ緊張するでしょう。住所をお渡しします。できれば午前…10時ごろに」
その住所は間違いなくマグノリアのものだった。毛利さんは、海野さんから内田にたどり着こうとしているのだ。
やがて、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
・pixivで全編投稿済みです。先が気になる方はこちら(url: https://www.pixiv.net/novel/series/15989613)へ!
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