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page21:未来への願い事

【未来への願い事】


お風呂で寝落ちしかけていた瑞葉(みずは)さんを部屋まで送り届けて、私は一階に降りた。


「おや、寶川(たからがわ)さん。まだ寝ないんですか」


楠木(くすのき)さんこそ、もう2時を回ろうとしているのに。


「お水を、飲もうかと…楠木さんは?」


「覚えているうちに、報告書をまとめようかと思いまして…今寝たら、明日は昼まで起きられない気がします」


楠木さんは悪戯っぽく笑う。


昨日からほぼ眠らず稼働していたらしい。今はお風呂からも上がって、飾りっ気のない楠木さん。


この事件に関わってから、楠木さんは少し、知らなかった表情をすることが多い。


きっと、私が知らない、でも、織星(おりほし)さん達は知っている、四年前の楠木さんが出てきているのだと思う。


それが、この事件の間、少し悔しかった。


私だって、少なくとも二年は一緒に過ごしているというのに。


その上、下手したら、私よりも最近一緒に暮らすようになった瑞葉さんの方が、打ち解けているのではという焦りもある。


「…寶川さん?」


俯いてしまっていたらしい。楠木さんが再度声をかけてくれた。


『…あんた、小さい方が碧(あおい)の娘か。思ったより元気そうだ』


内田(うちだ)さんの言葉を思い出しつつ、私は言った。


「楠木さん、少し、お時間いいですか」


楠木さんは首を傾げつつ、「もちろん」と言っていつもの席を引いた。


お礼を言いつつ、座る。


何から話せばいいかわからず、10秒ほど間を空けてしまった。


楠木さんは気にした様子もなく、作業の手も止めて、静かに待ってくれていた。


「…楠木さんの四年前のこと、毛利(もうり)さんや、織星さんから聞きました」


「…そうですか」


「…私が、楠木さんとマグノリアを始めたのは三年ほど前です」


「そうですね。あっという間でした」


…何が聞きたいのか。


自分でもはっきりしない。言葉にならない。


でも、モヤモヤしたものが、胸の中にあった。


「逸脱しかけた直後、ですよね」


楠木さんは少し考えて、首を振った。


「直後、が指すところによりますが、入院と経過観察などを一年弱じっくりやった後です」


「でも、覚えています。初めて会った時の楠木さん」


「…今思うと、自分でも酷かったとは思います」


私は中学も出ていない頃。


大学生の男性と一つ屋根の下、支部を経営しろと言われて、さすがに驚いた。


しかも、顔を合わせたらある意味で噂の人物で、表情は暗く、言葉は少なく。


やっとその理由の一端を知ることができたものの、私はなぜこういう采配になったのか、疑問に思っていた。


その疑問は、内田さんと海野(うみの)さんを見て、少しはっきりと形作られた。


「…私は、楠木さんに守られるばかりで」


「っ…」


楠木さんは、何か言おうとして、止めた。


最後まで聞いてからと思っているのだろう。


「楠木さんもまだ完全に回復していない。私は、CAMチルドレンですし、世間を知らない。戦う力も持ってない…楠木さんが、過ごしたいように過ごす手伝いも、できない」


織星さん、瑞葉さん、いつか会った調停員の茅ヶ崎さん…皆さんみたいに、楠木さんを手伝うことが、できていない。


「楠木さんは、あんな大変な思いをしていたのに…その上で、私の面倒まで見させられて…わた、わたしは…」


視界がぼやける。


泣き出してしまう。また、楠木さんの時間を奪ってしまう。


楠木さんは立ち上がると、私の隣の椅子に腰掛け、こちらを向いた。


「…私は、寶川さんに常に救われています」


「でも…っ」


「寶川さんは、私が何故ここの店長になったのか、寶川さんと暮らすことになったのか、知っていますか?」


「…いいえ」


「全部、時音(ときね)さんの考えです」


「…え?」


楠木さんは一度深々と座り直すと、遠くを見つめるようにして話した。


「三年前、時音さんに声をかけられるまでは、私は山の中で暮らそうかななんて考えていたほどでした。誰かといるのが怖い、誰かを怖がらせるのが怖い…そう思っていましたから」


逸脱を見た人は、そうなる…そう思う。茅ヶ崎さんだって、あまり誰かと過ごそうとしない。


「それなのに、時音さんがある日やってきて、「湘南支部作るから。碧は店長ね!私はマスターね!あなたはキャリアの中学生と住み込みね!」って、捲し立てられて。でも、神蔵(かぐら)家の天才に言われたことで断ることもできず…」


すごく、その場面が想像できた。その頃、時音さんは下手したら小学生だ。


「でも、きっと、時音さんは逸脱者を出したくない一心だったと思います。カフェなんて仕事は、絶対に誰かとの関わりができる。住み込みで誰かと過ごすのなら、血の通ったやりとりが生じる」


そこで、楠木さんは言葉を区切った。


一口、コーヒーをすする。


「寶川さんはさっき、守られるばかりで、とおっしゃっていましたが…大人から見たら、皆さんは守るべき対象です。でもそれは、社会的役割の話で、良くも悪くも、どうしようもないことです」


私は、その言葉をどう受け止めればいいのか、わからなかった。


「でも、寶川さんは、私に対しても、はっきりとものを言ってくれたり…覚えていますか?私がサイフォンで淹れた初めてのコーヒー…寶川さんは、ものすごい顔をして飲んで、「おいしくありません」って」


思わずと言った感じで、楠木さんは笑いながら言った。


「そ、そんな失礼なこと…言った…かも…しれません」


お店で出すのなら、と正直に言った記憶がある。表情については知らない。


楠木さんは、微笑んで、私を見た。


「それが、嬉しかった。あの頃、私に対しては顔色を窺う人が多かったから」


「楠木、さん…」


それは、きっと…楠木さんが私に向き合ってくれたからだ。


私は、自分の涙を拭う。


楠木さんは続けた。


「寶川さんは私とって大事な人だから、守るべき人ではなくて、守りたい人なんです」


まっすぐに、言ってくれた。


楠木さんは、多くは語らない。


多分、私が聞かなければ、一生聞くことがなかった言葉だ。


胸が、苦しい。


それほどに、嬉しかった。


「守りたいと思わせてくれる人がいるのは、とても幸せなことです。寶川さんがいてくれなければ、私はずっと前に、この社会で生きていくことをやめていた。寶川さんがいてくれたから、強く、しっかりした大人になろうと思えました」


「大人…?」


「この口調もそうです。寶川さんを預かる身として、周りからの見られ方も考える必要があると思いました。それに、こうしている方が、気分も落ち着きます」


そう言えば、内田さんも言っていた。楠木さんが口調が昔っぽくなったとかどうとか。


「どんな口調でも、楠木さんは楠木さんです」


私の言葉に楠木さんは首を振る。


「前に言った通り、これが、私の在りたい姿ですから、いいんですよ」


だから…と楠木さんは改めて姿勢を正す。


「寶川さんは、常に私を助けてくれています。もし、私に何か思うのなら、どうか健やかに育ってください。それが私の願いです」


どうにか止めた涙が、再度溢れる。


血のつながりの温かさなんて、もう望めないと思っていた。


家の中の安心感なんて、二度と触れることはないと思っていた。


それが、こんなに近くにあった。


「…楠木さん」


「なんでしょう」


私は、楠木さんをまっすぐに見た。


「…碧さんと、呼んでもいいでしょうか」


瑞葉さんとは、こうして距離が縮まった気がした。


私は、人との距離の縮め方なんてわからない。だから、瑞葉さんに倣おうと思った。


楠木さんは少し目を見開いたが、やがて柔和に笑った。


「寶川さんが、そうしたいのなら、どうぞ」


「では、そうします。…それで、その」


少し、わがままになってみようと思った。疲れと眠気で、少し変になっていた気もする。


「碧さんも、私たちを、名前で呼んでみませんか?」


「え」


楠木さんは珍しく驚いた様子を見せて、視線を泳がせた。


急に落ち着かなくなる。少し顔が赤い。


「…まぁ、その、皆さんからそう言うのであれば」


「はい。私から頼みました」


「では、そうしていきましょう…そうしていく努力をします。はい、善処――」


「…碧さん」


私はもう一度、碧さんの名前を呼んだ。


碧さんは非常に困った顔をした後、とても小さな声で、言った。


「…澪莉(みおり)、さん」


「はい…!」


碧さんは、とても頼りになって、時々冷たくて、かっこいい。


少し、可愛い人だ。


………。

……。

…。


…めっちゃ寝た。


朝起きて、少しいつもより明るいなと思ったら、もう10時だ。


昨日の時点で、楠木さんも、澪莉も、今日は店を閉じることで意見は一致していたから、特に気にする必要はないのだが。


他人に見られても良い程度に軽く身支度をして、一階に降りた。


「…なんじゃこりゃ」


すごく珍しい景色だ。


リビングスペースのソファに、楠木さんが寝ている。


楠木さんの寝顔なんて見たことがない。


こうしてみると改めて少し幼く見える。これで内田より年上なんて、世界のバグだろう。


そして何より。


楠木さんを押し込むようにして、同じソファで澪莉が寝ている。


実に幸せそうにしている。


順番的に、楠木さんが寝ているところに澪莉が入ったのか。


少し視線を逸らすと、別のソファに毛布が残っていた。こっちが本来、澪莉が寝ていた方だろう。


「…幸せそうにしちゃって」


この光景が、少し、羨ましい。


このままにしておきたいと思った。


私は足音を立てないよう気をつけて振り返る。


…少し、考える。


さすがに、撮るのはまずい。バレたら怖い。


でも、多分、織星さんとか、絶対見たがる。


今回、織星さんにはお世話になった。情報共有は重要だ。


「んー、よし」


写真は撮った。

・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。

・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。

・pixivで全編投稿済みです。先が気になる方はこちら(url: https://www.pixiv.net/novel/series/15989613)へ!

・感想やリアクションが励みになります!どうぞよろしくお願いいたします。

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