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【隠し事】
四年前。
病院で目覚めた私に、毛利さんはあるものを渡した。
「楠木君の持ち物の中にあった。きっと、織星君のだろう。私とて、こんな形で渡したくはないが、CAMに回収されるよりは、な」
それは今、私の胸元で揺れている。
指輪。
こう言っては何だが、たぶん高くはない。そもそも、四年前なんて、碧も大学生真っただ中だ。
これがどんな意味をもったもので、何故彼が持っていて、何故私の名前が刻まれているのか。
それは、この四年間でついに聞くことができなかった。
手放したいとも思わず、かといってどこかの指に嵌めたいとも思えず、チェーンをつけてぶら下げている。
彼だって、そうしている私を何度も見ているだろう。
しかし、彼が言及することはない。
今日も首から下げる。
この行動に意味があるのかはわからない。
釈然としないまま、インターホンが鳴った。
ーーーーーーーーーー
午後6時。
私は碧に連れられ入店した。
席に着くと、店員が口を開く。
「ご利用は初めてですか?」
碧は首を振る。
「いいえ」
「では、お飲み物から」
「…呑みます?」
碧の問いかけに、すぐさま頷く。
「呑みます。私はアルコール付きの飲み放題で」
「では、私はソフトドリンクの飲み放題で」
「承知いたしました。アルコール付きの飲み放題のお客様、一杯目はいかがされますか?」
「ビールをお願いします」
「承知いたしました。サラダバーはあちらです。プレートは、お肉の受付の状態にしておきます」
店員はお辞儀をして去っていく。
「…で」
「なんでしょう」
私の問いかけに、碧は首を傾げる。
「あの流れで、普通シュラスコ食べ放題を予約しますか?」
プレートは、現在緑色でyes, please.とお肉を求めていた。
そこそこのお値段で、席間隔も広く、食べ放題でありながら比較的静か。
過ごしやすいお店だ。
ここは以前、二人で来たことがある。
その時は、私が仕事でうまくいかず、やけ食いのノリで碧を連れて来たのだったか。
今日は、碧は当然ながらサプライズ性など持たない人間なので、昼には店名をメッセージしてきた。
お陰で、服選びがしやすい。今日仕舞い込んだ服は、しばらく日の目は見ないだろう。
頭を切り替えて、白のキャミソールに白のレース編みの七部丈シャツ。ネイビーのタック付きワイドパンツ。いわゆるいつもの感じで纏めた。
蓋を開けてみれば、碧もモスグリーンのニットポロにスポーティな黒のセットアップだった。いつものオフな感じだ。
「…昨日の今日で予約が空いているおしゃれなディナーなんてほとんどありませんよ」
「…まぁ、ここも嫌いではありませんが」
とはいえ、肉!スパイス!で喜ぶノリではない。まぁでも、そこまで期待していたわけでもない。
二人で来ることができれば、それで良いと思っていたのも事実だ。
サラダバーで箸休めの生野菜と、何故かお店からは専用に提供されない塩を小皿にたくさん出しておく。
席に戻ると同時に飲み物が提供された。
なんとなく小さくグラスを持ち上げて見せると、碧も同様にして、口を開く。
「…仕事終わりに?」
「そうですね…乾杯」
カツンと鳴ったグラスを口に運ぶ。
うん、美味しい。
碧は…多分マテ茶だ。健康志向だ。ソフトドリンクはドリンクバー式なので、注文の必要はない。
一息ついたところで、威勢の良い外国人のおじさんが串刺しの肉を持ってくる。
「チキン!イリマスカ?」
「はい」
碧は答えながらこちらに視線を送る。
チキン…メニューが変わっていなければ、なかなかガーリックの強い味付け。
碧は二つ返事だった。
期待なんてしていなかった。
…していなかった!
「…いただきます」
おじさんはにっこり笑顔でそれぞれの皿に一つずつ移してくれた。
もうプラン確定だ。今日は食べる。それで帰る。それで寝る。
改めていただきますをしてナイフを入れる。
骨付きで、確かに美味しい。誰だここはデートに使えるとか口コミしてる人は。馬に蹴られるだろう。
口へ運ぶと、悔しいが美味しい。そしてビールに合う。
「…美味しい」
「なんで悔しそうなんですか」
「なんででしょうね」
モソモソと食べ進めていると、碧は尋ねた。
「そう言えば、海野海月と内田はどうでした?」
「海野海月はキャリア化の兆し無し。ただ、この後の同期離脱症状がどの程度かは、一週間は様子を見ないとわかりません。内田は、普通に火傷が重いのでノーマルな入院に移行です」
碧は頷いた。想定通りだったのだろう。
「あの様子だと、内田は海野海月の同期離脱症状の治療にも付き合うんでしょうね。海野海月にとっても心強いのでは」
「そうですね。大抵の人は、シンドロームに関与したことを近い人間の誰にも伝えられずに過ごすことになりますが…知っている誰かがいるだけで全く気持ちが変わります」
今は、四年前ほど几帳面に、一人一人のキャリアやその周辺の人物に特定のCAM所属の誰かが付き合うことはない。四年前の内田はよほどの成功例のはずだが、その後の一件のせいで、実績としては扱われなかったのだろう。
私は気になっていることを言ってみた。
「しかし…海野さんの記憶については、どうするのでしょう。キャリア化していませんし、処置しても良い気はしますが」
碧はしばし考える。
「…あえて、残しておく、という結論になるかと。レゾナンスの出方次第ではありますが、記憶が失われると、同じ弱点につけ込まれます。正しく怖さを知った彼女なら、残した方が良い。彼女はまた歌を歌うのですから、なおさら」
確かにそうかもしれない。どちらにせよしばらく監視が付くのだろうが、内田に委託しても良いだろう。
まぁ、そこら辺は毛利さん達が上手くやるか。
私は、反対に碧に尋ねた。
「澪莉ちゃんと瑞葉ちゃんはどうですか。昨日は相当ハードでしたが」
「二人とも、昼まで寝ていたそうです。夜は、瑞葉さんのお友達を呼んで、澪莉さんも一緒にタコパをすると言っていましたね」
…今、何て?
「今、―」
「はい、次クッピン!イカガデスカ!?」
耳を疑っている間に、お肉のおじさんが来た。
「はい、いただきます」
「…私もいただきます」
おじさんは串刺しの肉をそぎ切るようにナイフを入れる。碧は客席に用意された小さなトングでその端をつかみ、切り取られた肉を私や自身に運ぶ。
クッピンは少々クセのある味だが、柔らかくジューシーでおいしい部位。確か牛のこぶの部位で…
――じゃない。
おじさんを見送った後、少しワクワクしている碧が肉を口へ運ぶ前に聞いた。
「今、澪莉と、瑞葉って…」
「あ、あぁ…それですか」
「大事ですよ!?」
「やはり、変、ですかね」
碧はフォークとナイフを置いて困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、変ではないですが…」
どのような流れだったのかを聞くと、澪莉ちゃんとの会話が引き金だったという。瑞葉ちゃんにも共有したところ、「いいですよ~」とあっさりお互いの名前呼びが決まったそうで。
「…ということで。私も、二人がそういうのならと、変えてみました」
もしかしたら。
澪莉ちゃんが切り出すタイミングが違っていたら、それでも碧は首を縦に振らなかったのではないか。
瑞葉ちゃんが来て、少しマグノリアの空気は変わった。
内田と海野海月の事件で、大きな転換期を嫌でも思い出させた。
これらの積み重ねで、碧の中で何かが変わったのかもしれない。
「…ずるいなぁ」
小さく、呟いた。
マグノリア…湘南支部の話が挙がるまで、私は碧との接触を禁じられていた。
時音が支部長となった結果、時音はそれを解除し、私をじわじわと話に巻き込み、碧の定期健診までできるようにしてくれた。
それでも、碧からの距離は変わらなかった。
私も、距離感がわからなくなって、うやむやになっている間に…澪莉ちゃんと瑞葉ちゃんは、碧を変えていった。
その立場が、私だったら。そう思わずにはいられなかった。
私は、少し冷たくなったお肉を切りながら、何でもないように繕って言う。
「その名前呼びは、どこまで広げるつもりですか?C対のお二人とか」
「…警察内で名前で呼び合う文化はないでしょう。毛利さんとか絶対にしません」
「それは、確かに。じゃあ、蓮華ちゃんとか、紫乃とか」
「…お二人は、私から改めて呼び始めることはないですが。この話を聞いてどう思うかで、決めますかね」
「じゃあ、私は?」
――ピタ、と。
碧の手が止まった。
見てはいけない。
そう思ったのに、私は視線を上げて、碧の表情を見てしまった。
碧は、聞かれることはわかっていたはずだ。
少し、困ったように。でも、苦しそうにして、視線を逸らした。
他の人の話題とは、違うと思った。
相手が許すなら、とさっきまでは話していたのに。
私自身が聞いているのに。
「……。」
碧の気持ちは、わかっている…そう、思う。
彼が頑なに、これまで人を寄せ付かせなかった、その理由。
距離を詰めるのに、消極的だった理由。
その一部は解消されても、私は、まだなのだ。
少しの期待と、恐怖。
碧に聞いても、その理由は答えてくれないのだろう。
その時だった。
店内にやたらポップな曲が流れ始める。
そして、キッチンから、花火が刺さったフルーツ盛りを持った店員が出てきて、ある座席へ運ぶ。パイナップルが丸ごと一つ乗っているように見える。
そのプレートには、「Happy Birthday」の文字。
誕生日のサプライズだろう。
視線の先に困っていた私と碧は、自然とそれを目で追っていた。
客席には3人。仲の良い友達、そう見えた。
その主役であろう人は、驚いた様子を見せつつ、でも隠せない「マジかよ…」の様子。
そうもなる。ここは、食べ放題のお店なのだ。いくらフルーツと言えど、終盤にこれを出されるとキツイ。
「…碧」
「何ですか」
「ああいう気遣いって、余計ですよね」
碧は、答えなかった。
「片や何かをねらって、良かれと思ってやったことが、逆効果…そんなことって、たくさんあるように思います」
「…..。」
「あくまで、私の予想です。でも…もし、碧の中で、今こうして言われて、思い当たることがあるのなら、そんなの、やめてください」
「織星、さん…」
「もし、勘違いだったら、構いません。ごめんなさい」
サプライズがおわり、曲が切り替わる。
碧は、視線をこちらに向けなかった。しかし、口を開いた。
「…少し、怖いです」
私が逆の立場でも、そう思う。その一端は、あの時の碧を見て、少しでも怖いと思ってしまった私にある。だからこそ。
「碧が私の立場だとして、そう言われたら…なんて返しますか」
遠くで、肉のおじさんがこっちを見ている。私は、プレートをひっくり返して、赤色にして少し持ち上げた。No, thanksと記されている。
おじさんは親指を立てて他の座席へ向かう。
なんだろう。どう見えているんだ。
でも、これは戦いだ。
碧は答えない。でも、私は引かない。
「私が、今、あなたを碧と呼んでいる。これが答えです」
少し、前のめりになる。
すると、ネックレスが揺れて、チャーム替わりの指輪がグラスに当たった。
その澄んだ音は、当然碧の耳にも届く。自然と、視線が向けられる。
「私は…これの意味を、知りません。ただ、この内側に私の名前があって、あの時に碧が持っていた…それだけです」
それをギュッと握りしめる。
すると、碧は少し姿勢を整えて、こちらを見た。ここまで必死な表情は、久々かもしれない。
「それは…内田を卒業させたら、あの状況の中で、社会人になれたと感じたら、数年のうちに渡したいと思っていました。それはあまり高価なものでもなく、本当に形だけですが…でも、私は、この社会に馴染めない人間になってしまいました」
私は、碧の視線を受け止める。
碧は言葉を探すようにしながら続けた。
「今回の事件でも、一人であれだけ動いて、戦闘もして…やはり、逸脱が怖いのは変わりません。だから…」
私は、少し顔の角度を変える。
それだけで、碧には伝わった。その気遣いは無用なのだ。
碧は一度呼吸を整えると、改めて言った。
「…今でも、変わりません。美姫さんの隣が、一番落ち着きます」
「…え」
…その言葉の意味。
…あえて、なぜその表現なのか。
思わず両手で顔を隠して落ち着こうとする。期待を、してしまう。
呼び方は、さん付けだがまぁいい。
しかし一番聞きたかった言葉は聞くことができていない。こんな歳になったが、まだ、はっきりさせたい。そういう関係性の話ではなく、純粋な気持ちの話。
相手が碧でなければ、そんなのいらないのかもしれない。でもこの人は楠木碧なのだ。
「あの…それは、その…まだ、というか、碧は、私のことを…?」
要領を得ない聞き方に、碧は首を傾げる。
「…?信頼しています」
…違う!
変なところで察しが悪い。でもそれが楠木碧なのかもしれない。
もう、今日はいいや…いろいろな意味で、切り上げていいという気持ちになった。
そっと、プレートを緑色に戻す。
すると、すぐさま肉のおじさんがすっ飛んできた。
「ランプ!イカガデスカ」
「3切ずつください」
私が答えてトングを持つと、碧は少し引いた。
「…急に、食べますね」
「ほっといてください」
「…?」
この人わっかんないな…みたいな顔をされた。
碧の皿から取り分けてやると、碧は首をひねる。
「好きなんですか?」
「…大好きです。こんなんでも」
「そうですか」
時間いっぱいまで、食べて飲んだ。
ーーーーーーーーーー
【神蔵家】
『…湘南支部は、表向きの経営も黒字ですし、特に言うべきことはありません。今回の事件も、ひとまずアウター使用者の確保はできたようですね』
「はい。所属の楠木、寶川、澄空…そして、神奈川支部の織星の尽力のお陰です」
画面に映る壮年の男性は、私の言葉に対して、少し資料を確認して頷いた。
『楠木さんは、いかがですか。もう四年経ちましたが』
「随分と落ち着いています。さらに、澄空も勝手がわかってきていますし、楠木があまり現場に出なくてもいいように、少しずつ変えていけると思います」
『…そうですか。神奈川管内所属のキャリアから、初の完全な逸脱者を出すわけにはいきません。今後ともよろしくお願いします』
「もちろんです、理事」
『ははっ…さて、もういいかな、時音』
「…あなたがもういいなら。お父様」
画面の男性は、神蔵雄吾。私の父だ。
CAM創設に関わった一人。出資頭。キャリアではないが、シンドロームの知識はそこら辺のキャリアよりずっと多い。
『楠木君に関して、時音に任せたのは正解だった。今後とも、がんばれよ。今回の報告書は楠木君からも、C対からも受け取っている。上への報告はやっておくよ』
「はい。お願いします」
『…くれぐれも、レゾナンスなんて団体には、気をつけるように』
「…もちろん」
『では、おやすみ。蓮華君も、時音のことを頼む』
「おやすみなさい、お父様」
画面が切り替わったのを確認して、ふぅと息をつく。
椅子を回して、後ろでまだ綺麗なお辞儀をしている蓮華に言った。
「…と言うわけで、今日のお仕事終わりだから、それ着替えて来なよ」
蓮華は顔を上げると、その服装…いわゆるメイド服の裾を摘み上げた。
「…そうする」
蓮華は歩き出す。
私は、ふと気になったことをその背中に投げかけた。
「パパさ、澪莉ちゃんと瑞葉ちゃん…気づいてるかな」
蓮華は足を止めて振り返る。
「…そりゃ、そうでしょ。でも、時音の考えには気づいてないと思うよ」
「そっか…そうだといいね」
お仕事終わり、そう言ったのに、蓮華は部屋を出る前にこちらへ向き直り、もう一度礼をした。
染み付いているのだろう。
神蔵家はいわゆる名家の一つだ。
そして、千歳家は代々神蔵家へ仕えてきた。
たまたま神蔵家の一人娘がキャリアになったので、その護衛に、これまたキャリアになっていた娘が当てがわれた。
それが、私と蓮華。
「重たいなぁ…」
天井を見上げて、椅子をくるくると回す。
時計が日付の変更を伝えた。
八月も、じきに終わる。
CASE FILE 02: 歌声
Status: Closed.
観測継続。
・最後まで読んでいただきありがとうございました。「CASE FILE 02: 歌声」は完結です。
・次回は日常詰め合わせの予定です。1週間後を目処に投稿を始める予定です。今回は表紙絵間に合わないかも。瑞葉はマグノリアをどんな居場所として見出すのか。海野海月はどうなったのか。お楽しみに。
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